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火の如く 風の如く   火の章  作者: 羽曳野 水響
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第30話 あにいもうと

 馬を飛ばしに飛ばした。

 見る見るうちに空模様そらもようが怪しくなってきた。

 ぽつり、ぽつりと雨が降り出したのは、京の街に入った頃だった。何処どこかの寺の鐘がたつこく{午前八時頃}を告げている。

「今日は陸奥守が来るんやなかったか?」

 前久が義輝に声を掛けた。

「うむ。巻き込みたくなかったが。」

「もう十分巻き込まれてるやないか。ていうか、堂々(どうどう)首謀者しゅぼうしゃの一人やろ。どないするんや?知らせてやったほうが良うないか。」

「紅。」

 義輝が振り向いた。

「陸奥守のやしきへ使いせよ。そのまま、そちはとどまって、あの者と行動を共にするがよい。」

 使いにかこつけて、あたしをがそうとなさっている。

 義輝は矢立やたてを取り出し、懐紙かいしにすらすらと書き付けた。

「これなら、たとえ途中で三好のものつかまっても、言いのがれが出来よう。」

 折って、紅に渡した。

「歌の使いだと言え。」

 一行と別れて一人、馬を飛ばした。

 信虎の邸は上京かみぎょうの、貴族の家が立ち並ぶ一角にある。甲斐武田家の力を京雀きょうすずめに見せつけるようにそびえる、大きなやしきである。

 案内をうた。

 でも、手紙はあるじに渡すように頼んで、すぐ邸を出た。

 一人(のが)れるつもりはない。

 道々(みちみち)、そこかしこで小部隊を見た。

(奴らは本気だ)

 武衛陣を襲うだけではなく、義輝に味方する者を都から一掃いっそうするつもりに違いなかった。

(陸奥守さまも襲撃されるかもしれない)

 いくら仲の悪い父子だとはいえ、都の邸を襲われては、さすがの信玄しんげん入道にゅうどうも黙ってはいないだろう。

 三好と武田が正面きって対戦したら。

 都は灰燼かいじんすだろう。



     挿絵(By みてみん)



 馬を急がせた。

 邸に入れないのではないかと危惧きぐしたが、三好側は、指揮官が多いせいもあって行動を統一するのに手間取てまどっているらしく、ぎりぎり間に合った。

 邸に入ると、玄関脇で待っていたらしい鞠が立ち上がった。

「今から兄に会いに参ります。お姉さま、ついてきてくださると嬉しいのですが。」

「こんなところに女子供が居るんじゃない。」

 かたわらに居た糸千代丸が、ぶっきらぼうに言った。

「兄と共に帰れ。」

 鞠は糸千代丸を見据みすえた。

「私は、兄を謀反人むほんにんにしたくはないのです。」

 静かに言った。

 鞠の気迫きはくに押されて、さすがの糸千代丸も口を閉じた。

 松永まつなが久通ひさみち軍勢ぐんぜいは、門を出てすぐまで迫っていた。

 鞠の顔を見知っている家臣に会い、すぐに久通の元へ連れて行かれた。

 まだ年若い久通は鞠とよく似て、可愛らしいといってもいい顔立ちをしている。だが父に代わって家の兵を率いる緊張に、高揚こうようしていた。

「何でそなたが、公方の肩を持って交渉になど来るのだ。」

 苛立いらだちを隠せない声で言った。

「大人しく城に居れと言ったではないか。」

「これは明らかに謀反むほんです。」

 鞠は言った。

「そなたの指図さしずは受けぬ。」

「いいえ。」

 きっぱり言った。

「兄上、もうやめましょう。父上は」

 唇をんだ。

「私たちのことなど眼中に無いのです。」

 久通は、はっとした顔をした。

「私たちの母上は、ずっと父上を支えておいででしたが、出自しゅつじの低さは如何いかんともしがたかった。母上がお亡くなりになるとすぐ、修理太夫さまの御息女ごそくじょ後添のちぞえにおもらいになりました。母上のことなど、今ではすっかりお忘れのようです。私が古典にはまったのも、元はといえば父上が、松永家が上流階級の一員として認められる為にも、古典の教養は大事だ、と仰ったからです。何とかして、父上のお気に召すような娘になりたかったのです。でも結局、振り向いてはいただけなかった。今朝けさだって、父上は修理太夫さまに夢中で、私のことなど眼中に無かった。」

「……。」

 久通にも思い当たるふしはあるようだった。

 鞠は言葉を続けた。

「兄上だって言われているでしょう、摂津せっつ御前ごぜんさまは修理太夫さまの御息女ごそくじょなのだから、あの方にお子が生まれたら、そなたは陣代(後見人)となり、ゆくゆくは家督かとくを譲るように、って。この土地は全て修理太夫さまに頂いたものだから、お返しするのは当然だって。兄上にだっておわかりでしょう。父上には、修理太夫さまが全てなんです。」

 兄の袖にすがって訴えた。

「ねえ、こんなのよしましょう。父上のご機嫌を取る為にいったい、何処まで何をすればいいんですか。きりが無いです。挙句あげくてに兄上は、おかみがいたてまった謀反人にされてしまうんですよ。こんなことそもそも、父上のお望みですらないのに。修理太夫さま亡き後に残った()()()()()()人たちに、ただ上手うまく利用されているだけです。」

「黙って聞いておれば。」

 久通は押し殺した声で言った。

 目に憤怒ふんぬの色がある。

「この兄に向かって、何たるぐさ。言っていいことと悪いことの区別もつかんのか、うぬは。お屋形さまが亡くなって以来、あれ程権勢(けんせい)を誇った我が家も、先細さきぼそる一方。宗家そうけの企てに参加することで、家運かうんも開けてくる。これは、松永家の跡取りたる俺の、決めたこと。余計な口出しをするでない。」

「兄上……。」

 鞠は尚も言いつのろうとしたが、久通は聞く耳を持たなかった。

「ええい、黙れ。もう妹とは思わぬ。何処どこへなりとも、好きなところへね!」

 追い出された。

「ほんとのことなのに……。」

 泣きじゃくる鞠に、紅は言った。

「鞠さまは間違っていらっしゃいません。でも、本当だからこそ人は、受け入れられないことがあるのです。」

 武衛陣に戻った。

 べそをかいている鞠を、やきもきしながら待っていた糸千代丸に預けると、報告に奥へ上がった。

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