第28話 青丹よし
その日、多聞山城の門番は、妙な一行を迎えた。
この城の主が、城を見たい者には、誰にでも見せよ、と言うから。こんな仕事は、よその城の門番には考えられないだろう。
「銭は要らぬ。案内に従って進め。」
都の公家だというひょろひょろした上品な男、その友人だという頭巾を被った質素な身なりの武士。供は、今まで見たこともないようなとびきりの美少女が一人と美少年が二人。
普段だったら。
交代のとき、どういう一行が城見物に訪れたか、次の番の者に申し次するのだが。
この日は、門の出入りが激しかった。
折悪しく交代の時間に、大勢の兵が城から出発していった。その騒ぎに紛れてつい、申し次するのを失念してしまった。
「ざわざわしているな。」
公方が言った。
「あの兵等、何処へ行くんやろ?」
と、前久。
「何か変だ。早く調べて、戻ったほうがよさそうだ。」
義輝は焦燥に駆られていた。
嫌な予感がする。
長慶の異変に、行動を起こしているのは、彼一人ではないらしい。
手勢は都に置いてきた。ぞろぞろと奉公衆を引き連れて行ったのでは、さすがに怪しまれる。供に、発案者の紅と攝津糸千代丸、大館岩千代丸の子ども三人と、たまたま武衛陣に来ていて、是非に、と志願した近衛前久だけを連れて行くことにした。
茶坊主に案内されて、奥に進んだ。
鞠が『父の誇り』と言っていた訳は、来る道すがら、それを目にして納得した。
五年前に築城を始めて、まだ普請の途中だという壮大な城である。
多聞山には、かつて眉間寺という寺があって、眉間寺山と呼ばれていた。その寺を山下に移して築かれた、総構えの平山城が、多聞山城である。
遠くからでもはっきりと見える、白壁の四層の櫓は、黒瓦で葺いてある。これは、近世城郭の象徴である天守の魁とも言われる、画期的な建物であった。
櫓に上がると、むせかえるような緑の中、西に陵が鎮まり、南に佐保川が流れ、東には小高い山、その際に京街道が走っている。城から佐保川に向かって、侍屋敷、川向こうには城下町が広がっている。
「大和が一望できますでしょう?」
見物人が多いらしく、茶坊主の説明も物慣れている。
「わあ、いい眺め。」
紅が歓声を上げた。
「東の方に、奈良の入り口の奈良坂が見えます。南東で光っている瓦屋根は東大寺、南に見えているのは興福寺の塔です。」
和歌の枕詞で、『奈良』にかかるのは『あおによし』だが、この『あお』、一説には、奈良坂で顔料の青が取れたから、とも、寺院や講堂の彩色の青{実際は緑に近い}や丹、つまり朱色を指すともいわれる。
なるほど、その名に相応しく、色とりどりの寺々が、緑の中に埋もれている。
「ずっと向こうに見える、大きな山は何ですか?」
紅は高欄にかじりついて、熱心に尋ねている。
「生駒の山でございます。山向こうは河内になります。」
茶坊主が答えた。
(おいおい、物見遊山に来たわけじゃないぞ、ほんとの目的を忘れるなよ)
糸千代丸の眉が寄っているのを見て、岩千代丸が肩を叩いて宥めた。
「『四』階櫓とは」
前久が、義輝にこっそり囁いた。
奇数は縁起の良い数字で、寺の塔なども三重五重と重ねるが、偶数は不吉な数である。
「昔、ここにあった寺が、三重の塔を持っていたそうだから」
義輝は言った。
「きっと自分の権威を増すために、一つ増やしたのだな。」
「なんてずうずうしい。」
思わず声が高くなってしまって、前久は慌てて扇を口に当てた。
「神も仏も畏れぬ、とは、このことやな。」
石垣で作られた塁の上には、長屋形状の櫓が連なっている。世にいう、多聞櫓の始まりとされる。
かつて自分も城に籠って三好と戦ったことのある義輝は、熱心に見ていた。
御殿の部屋も見せてくれた。
完成したばかりの、檜の木の香も清々しい豪勢な建物である。
神社のように、柱の上下を金色の真鋳で包み、大きな牡丹の彫刻を一面に施してある。廊下にも戸にも、継ぎ目も見えない一枚板を使っている。日本や中国の故事が描かれた金襖が、部屋を華やかに彩っている。
かつて都が置かれ、今も多くの寺院を擁する奈良が誇る、建築技術の粋を集めた城といえよう。
庭には白砂や艶やかに光る小石が敷き詰められ、松や一位樫の巨木が鬱蒼と茂り、緑の海をなしている。株元には真っ白な百合が満開で、香りがここまで届いている。音ばかりで姿は見えないが、何処かに滝があるらしく、足元には澄んだ水が滔々と流れてくる。
「街はすぐそこなのに、ほんとに山の中のようですね。」
紅が言うと、茶坊主は、
「『市中の山居』というそうです。
山にても 憂からぬときの 隠れ家や
都の中の 松の下庵
という歌にもございますように、俗世を避けて山奥に逃げても、心配事が追いかけてきてどうしても気が休まらないとき、逃げずに俗世の真ん中で、障子一枚隔てて畳四畳半の中に籠って集中して、その間だけは一切の心配事を考えない、集中して俗世を排除する、そのために作られた庭だそうです。主は茶をたしなみます。唐渡りの銘物を集めるのが当世風ではございますが、一方には、そのような楽しみ方もあるようでございます。」
奥にはずっと部屋が続いているようだったが、見物はここまでだった。茶坊主に案内されて、門の近くへと戻った。
茶坊主は忙しいらしく、彼らが門から出るのを確かめず、挨拶して、元来たほうへと戻って行った。
こちらも、門の出入りが慌しいのをこれ幸いとさりげなく、庭の隅に建つ、資材が置いてある小さな仮小屋に身を潜めた。
満月が登るのを待って、小屋から忍び出た。
昼間案内されたより、更に奥に進んだ。
同じような造りの部屋が延々と続いている。
人気が無い。
先ほど皆、出払ってしまったのだろうか。
(いったい何処へ行ってしまったのだろう)
義輝が突然、皆を制した。
暗がりの中で息を殺した。
廊下の向こうが、ぼうっと明るい。
ゆらゆらと影が揺れている。
(誰か、来る)
逃げ場が、無い。
身構えた。
灯は、こちらが居る一歩手前で止まった。
「だ……。」
誰何する暇も与えず、義輝が相手を後ろから捕らえ、口を押えて喉元に刃を突きつける。
が、
「待って……鞠、さま?」
紅が小声で言った。
義輝が、
「声を出すな。」
耳元で囁いて、頷くのを待って、離した。
紅の胸に飛び込んできた。
「何で鞠さま、ここへ。都か信貴山のお城においでとばかり……。」
「皆さまが、この城に、ずいぶん御興味がおありのようだったから……。」
鞠は泣きそうな声で言った。
「来て、調べていたんです。今日は、信貴山城からも大勢の兵が出て行きました。何だか様子が変なのです。」
義輝を振り仰いで言った。
「公方さまでいらっしゃいますね?お声に聞き覚えがございます。」
そう言うと鞠は、跪いた。
「申し上げます。私は誓って、敵ではございません。」
「皆、何処へ行った。」
義輝が一番気になっていたことを尋ねた。
「兄が昼頃、軍勢を引き連れて、この城から出て行きました。行き先は存じません。」
鞠は答えた。
「嘘は言っていないようだな。何かが運びこまれたという奥へ案内せよ。どうしても確かめずにはおれぬのだ。」
義輝は言った。