第27話 異変
(又、居る)
向こうは何とも思ってないんだろうけど。
こっちは気まずい。
何か見てはいけないものを見てしまっているような気がするのは、何故だろう。
いっつも居る、ような気がする。
彼女が小侍従の部屋に行くたんびに。
まるで彼の部屋みたいに、行儀悪く寝転んでいるときさえある。
(何で御台所さまが身籠られたのか不思議なくらい)
お二人で居るところを見たことが無いのに。
側室でも想い者でも何でもない、ただの老女{侍女の頭}である小侍従のところには、いつ行ってもと言っていいくらい、居るんだから。
「もうそろそろ靡いてもいいだろう。」
よく口説いている。
「馬鹿馬鹿しい。」
忙しく仕事に励みながら、にべもなく小侍従が言うのも常のことである。
「もう何年も口説いているのだ。」
と紅に向かって公方さまが説明するのも、いつものこと。
本気なんだか、冗談なんだか。
この二人の関係はよくわからない。
(家臣は外で、あんな嫌な思いをして苦労しているというのに)
なんて暢気なんだろうと思うと腹が立ってくるけど。
それでも、公方さまが心から信頼なさっておいでなのは小侍従さまなんだな、ということは、紅にもわかる。
「妙だな。」
書類を手に寛ぎながら、母親と同じことを言う。
「最近、修理太夫の花押を見ない。」
「本人も参りませんねえ。」
「あの者が如何致したか、知る術は無いか。」
義輝は起き上がって、脇息にもたれかかった。
手足となって働いていた弟たちも亡く、目ぼしい後継者もいない。長慶にもしものことがあったら、三好は総崩れになってしまうだろう。
「確かめようがございません。」
小侍従が言う。
「修理太夫の居城の飯盛山城に透波{忍者}を入れましたが、あの者の姿は見当たらないそうです。」
「もどかしい。何とか奥まで入り込む手立ては無いものか。」
公方は自ら行きたそうだ。
「あっ。」
紅はふと思い当たることがあって、声を上げてしまった。
「何じゃ、申せ。」
「いえ、つまらぬことを思い出してしまって……。」
慌てて辞退したが、もう遅い。
「気になる。言え。」
「先だって、松永霜台さまの御息女と御一緒した際……。」
鞠が妙なことを言っていた。
「我が家には、信貴山城と多聞山城という二つの城があります。」
霜台は、河内の押さえを信貴山城、大和南部の押さえを多聞山城に任せ、二つの城を頻繁に行き来しながら統治している。
彼は多才な人物で、実務に有能なうえ茶道にも精通していて、抜群のセンスを誇っているが、本人が何より情熱を注いでいるのが
「城の設計でございます。」
信貴山城は主に居城として使用されたが、多聞山城は
「父の誇りでございます。」
「城なんて、何処でも同じだろ。」
糸千代丸は鞠に、何でもいちゃもん付けたがる。
「多聞山城は、普通の城とちょっと違うのです。」
鞠は相手にせず続けた。
「何だったら今度、お見せいたしますわ。きっとびっくりなさいます。」
「俺たちは奉公衆だぞ。」
と糸千代丸。
「見せてもらえるわけが無いだろう。」
「大丈夫です。」
鞠は平然と言った。
「だって、お城下の百姓町人だって見物に参りますもの。」
それは珍しい、と紅も思った。
城が、ではなく霜台が、である。
一般人に城を見学させるなんて、前代未聞である。
普通、城の縄張りは、他者に絶対漏らしてはならない、重要な軍事機密なのに。
そういうところが彼の面白さであり又、非難の的になるのだろう。
「その自慢の城が最近、妙なことになっておりまして。」
鞠は眉を寄せた。
「いったい、いつから?」
紅が聞いた。
「今年の七月頃からです。」
鞠は言った。
「それが、多聞山城から移ってきた侍女によりますとその頃、何処かから夜中、何かが運び込まれ、城の一番奥の部屋に入れられたそうです。それ以来、一般の使用人たちは、その部屋に近づくのを固く禁じられてしまったそうです。部屋に入れるのは、ごく限られた者だけだそうです。」
「ふうん。何かしら、それ。」
「宝物、です。」
鞠は断言した。
「南蛮から渡ってきた珍しい品です。父は堺に水揚げされる、それらの品に目が無いのです。」
そのときは、それで話が終わってしまったが、公方の話を聞いて、はっと思い当たった。
「修理太夫さまではないか、と思いました。」
紅は言った。
「御自分の居城だと人目に付きます。」
松永霜台は、長慶の信頼厚い家宰である。
「寵臣の城の奥で、静養なさっておいでではないか、と。」
「ふむ。」
義輝は考え込んだ。
「面白い。」
すぐ言った。
「一度、行ってみる必要がありそうだな。」
御自らお出まし、とは。
「それはあんまり軽率過ぎます。」
小侍従が止めた。
「御自分の腕を頼りに、何処へでもお出かけですが、上さまにもしものことがあったら、この都はどうなります。」
「どうにもなりはしないだろう、このままでは。」
小侍従は、はっとして黙った。
将軍は先代の頃から度々、都を追われた。
不在の時期があまり長かったので、朝廷の専権事項ではあるものの、実際には幕府との念入りな事前調整によって決められていた元号を、朝廷が独自に改定してしまい、しかも改定したことを幕府に知らせなかったので、三カ月も古い元号のまま書類を発行してしまったとして、義輝は朝廷に抗議したことがある。
今、一見、平穏に時が過ぎているように見えても、傀儡の時間が長ければ長いほど、幕府の存在は、一般の人からさえ忘れ去られてしまう。
室町幕府の命運は実は、応仁の乱のとき既に尽きていたのかもしれない。
義輝は、崩れかけた幕府をたった一人で支え、権威や権力を取り戻そうと戦っているのである。
他人には任せられない。
頼りになる係累もいない。
弟二人は僧籍に入っている。
任せられる人がいないのである。
「今のままでは、俺にもしものことがあっても、都は、何事も無かったように平穏なままだろう。」
公方は言った。
「変えなければ。それは、修理太夫に異変が起こっている、今しか無いのだ。留守を頼む。」
「……かしこまりました。」
「ああ」
思い出したように言った。
「明日、陸奥守が来る。それまでには戻る。」