第153話 水の琴
庭の隅にぽつんと離れて建っている、茶室の近くまで来たときのこと。
蹲の前に、子供が倒れているのが目に入った。
驚いて駆け寄った。
「どうなさいました?」
助け起こすと、五歳くらいの男の子である。
だが、
「余計なことを!」
小さななりで、一人前に彼女を叱る。
「そちが騒ぐから、聞こえぬではないか!」
「は?」
地面を指差した。
蹲の前の砂利の中に、竹の筒が刺してある。
「耳を当ててみよ。」
「は、はい。」
ぽろん、ぽろん。
地面の底から音が響いてくる。
「聞こえるであろう?」
「ほんに。」
子供を見た。
贅を尽くした身なりから、大家の子息と知れる。細面、きりっとした眉、鋭く澄んだ目、利かん気そうだが、笑うと可愛い笑窪が出来る。
懐かしい。
湧き上がった感情に、自分でもとまどった。
見たことも無い子供だ。
初めて会った筈なのに、何故?
「多分、地面の下に空洞があるのであろう。」
一人で推理している。
「自然とそうなっているのか、何か人工的な仕掛けがあるのかはわからぬが。蹲から滴った水滴が地の底に落ちる音が、響いておるのじゃ。」
「へえ。」
面白うございますね、と子供に言った。
なかなかの洞察力だ、と思った。
「そういえば、そち、府中で大砲を撃っておったな。」
初めて気づいたように言った。
「あれは面白いな。俺も撃ってみたいな。何処から持ってきたのだ?日本の物なのか?」
「呂宋から運んできた物でございます。」
「美しいな。」
「え、は?」
「そち、京から下ってきたという上臈であろう。皆が言っていた。そちが叔父上のいいひと、というのは本当か?」
無邪気に尋ねた。
「叔父上って?」
はっとした。
「喜平二さまの姉上の、お子さまであらせられますか?」
「道満丸だ。見知りおいてくれい。そちの名も聞こう。」
これがお屋形さまの三人の養子のうちの一人、北条家から来た三郎の子か。道満丸というのは確か、嫡男の筈。
「これは申し遅れました。宇佐美紅と申します。」
「叔父上とは、いつ、祝言を挙げるのだ?」
「め、滅相も無い!」
赤面した。
「私のような者が、とんでもない、身分違いでございますれば。」
俺も変わった、とおっしゃっていた。
そうだ、もう、上田・長尾家の人ではない。
関東管領・上杉家の養子だ。
滅亡した家の娘と結婚出来るわけがない。
まして、実の父を殺した祖父を持つ女など剣呑で、側室にも迎えてはもらえないだろう。
(あたしは何を勘違いしていたのだろう)
自分が恥ずかしかった。
「何だ、違うのか?それは残念だ。」
如何にも残念そうな顔をする。
「叔父上は今だ独り身だ。良いひとがいれば、と思うておったが。そうか、そちは嫁御寮の候補ではないのか。」
「はあ。」
なんて、おませさん。
「俺は叔父上を尊敬しておる。」
「……。」
「叔父上はお強い。黒雲のように群れている敵の中に、錐で穴を開けるように、皆の先頭きって、一騎駆けで入っていかれるそうだ。敵も叔父上を恐れて、水が引いていくように道を空けるそうだ。俺も大きくなったら、叔父上のようになりたい。」
「昔」
紅が言った。
「叔父上も、同じことを仰っていました。」
「そうか。」
道満丸は目を輝かせた。
「では、俺も叔父上のような強い武者になれるな。」
「はい、きっと。」
紅は微笑んだ。
「父上が仰っていた。叔父上は頼りになると。」
「三郎さまが。」
意外だった。




