第152話 梟雄
でも、いいことばかり、起きたわけではなかった。
松永久秀が死んだ。
その話を、紅は、猿若から聞いた。
猿若は、紅を越後に送り届けてからというもの、彼女の元を離れていた。どうやら、本来の任務である、探索の仕事に戻ったらしかった。
「あまりお側にはいられないのです。」
申し訳無さそうに言っていた。
でも霜台{松永久秀}のことはお耳に入れておくべきかと存じまして、と、突然、訪ねてきた。
「姫君が越後においでになってから暫くして、羽柴さまが、夜分突然、お忍びで、呂宋屋をお訪ねになりまして」
供回りも、例の三人組のみという軽装だったという。
「内密の用があっての。」
秀吉は言った。
「他の者の口から聞くより、わしが自ら、耳に入れた方が良かろうと思うての。」
鞠を呼んだ。
「すまん。」
遠慮する彼女を上座に据えて、手を突いた。
「救ってやれなんだ。」
久秀は、前回謀反を起こして許されたとき、自慢の多聞山城を明け渡して、信貴山城に逼塞していた。本願寺攻めに加わったが、突如として砦を引き払い、本願寺に内応して、城に籠城した。信長の嫡男・信忠が、数万の軍で城を囲んだ。
北陸の陣を引き払ってきた秀吉も、信長の怒りを買って、久秀包囲網に加わらざるを得なかった。
しかし信長は案外寛大で、久秀に、名物の平蜘蛛の茶釜を差し出せば許してやると言ったという。
信長が、裏切った家臣を許すのは、大層珍しい。しかも久秀の場合、これが二度目である。
ところが久秀はこれを拒否し、茶釜に爆薬を詰めて、茶釜もろとも木っ端微塵になった、というのである。
鞠の兄の久通も、運命を共にした。
哀切な話がある。
信長との手切れにより、信長の元に差し出されていた人質が成敗されることになった。
まだ十二・三歳の少年たちで、近江永原の佐久間家勝の元に預けられていた。姿形ばかりでなく、心根も優しげな子たちだった。
京都所司代の村井貞勝は、二人を哀れに思い、天皇に命乞いするよう勧めたが、子らは既に覚悟を決めていて、親兄弟に遺言を書きたいと、筆と硯を所望した。いざ紙が用意されると、少年たちは、親への手紙はもういらない、世話になった佐久間家勝さまにだけ、お礼の手紙を書こうと言って、佐久間宛の手紙だけ書いたという。貞勝は仕方なく、二人を車に乗せ、六条河原に連れて行った。大勢の見物人の前で、二人は、西に向かって声高に念仏を唱え、ひるむことなく太刀を受けたという。
以上のことを、秀吉は涙ながらに語った。
「わしの力、及ばなかった。」
鞠は微笑を含んで、言った。
「こんな日が、いつか来ると思っておりました。わざわざお知らせくださいまして、有難うございました。」
気丈に振る舞い、秀吉一行を丁重にもてなして帰した。
でも、そこまでだった。
秀吉の姿が消えるや否や、身も世もあらず泣き崩れた。
「あの茶釜は、修理太夫{三好長慶}さまが下された物です。」
泣きじゃくりながら、小太郎に言った。
「修理太夫さまは、連歌がお好きで、お茶にはあまりご興味をお示しにならなかったのですが、あの茶釜だけは、ご自身でお持ちになられていたのです。それをある時頂いて、父は、それはもう大切にしていたのです。右府{織田信長}さまは、それをご存知だったのでしょう。あれがあるから、右府さまに心服しないのだと思われて、父に、修理太夫さまと本当に決別するよう促されたのです。でも父は、修理太夫さまとお別れすることが、どうしても出来なかったのです。」
後は言葉にならなかった。
「あたしがその場にいたら」
紅は悔やんで言った。
「鞠さまをお慰めすることが出来たのに。」
「小太郎さまの支えにより、今では悲しみから立ち直られ、お元気で店を切り盛りしておいでです。」
猿若は言った。
「他には特に、変わったことはございません。どうぞご安心くださいまし。」
猿若を帰した後、心晴れぬまま、庭を歩いた。
奪われるばかりだ。
そう思ったのだろう、霜台は。
最初信長に帰属したとき、久秀は、東山御物である茶道具の九十九髪茄子を献上した。謀反を許されたときは、多聞山城を献上した。そして今度は、平蜘蛛茶釜である。
あまりにも虚しかったのであろう。
この年になって、築き上げたものを全て失ったばかりか、絞り尽くすまで尚も、奪われていった。最後は、修理太夫の思い出までも差し出せと強要された。
世を儚んだのであろう。
(儚む、にしては派手だが)
目立ちがりやのあの男らしく、最後は派手に散っていった。
世間の目はどうあれ。
(菜屋にとっては恩人だった)
稀代の『梟雄』を悼んだ。




