第150話 愛刀
「私は、織田家と結んでいらしたとき、御当家に贈られた品物を選んだ者でございます。」
紅は言った。
「織田家の中に知り合いは多うございます。そのうち二人は、織田軍の中でもたった五人しかいない、方面司令官を務めている者でございます。それも、通り一遍の付き合いではなく、命を懸けた戦いで、互いの背中を預けた仲でございます。」
武衛陣の仲間で鉄砲の師匠の明智光秀、家族ぐるみのつきあいの羽柴秀吉と寧々。
信長の側近にも顔が広い。
何といっても交通の不便な時代である。
顔見知りが多いというのは強みであった。
「両家の事情に通じている者は、そう滅多におりますまい。」
力を込めて言った。
「私は、御当家にとって、大変お役にたつ者でございます。」
「では、それを証して見せよ。」
お屋形さまはおっしゃった。
「小さなものは共に運んで参りました。」
紅が披露したのは、掌に載るほどの、ほんの小さな桐の箱だった。
「開けてみよ。」
傍らに控える小姓が、紫の紐をほどいて、謙信に差し出した。
蓋を取った。
黄色い布に包まれたそれは、小さな盃だった。
椀形の身に、円筒形の細長い柄が付いている。身の内側は金箔で押してあり、外側は謙信好みの浅黄色の七宝の地に、赤・黄・白・紺の菊花紋が繊細に散りばめられている。
明から取り寄せた品であった。
「ほう、これは美しい。」
目を細めた。
「馬上盃、にございます。」
紅は言った。
「遠征の途中、喉がお渇きになられた折に、と持参いたしました。」
「使い易そうだな。」
満足したようだった。
「でも、これはほんのご挨拶代わりのお品でございます。本当にお見せしたいものは、未だ到着しておりません。」
紅は言った。
「船が到着次第、お目に掛けたいと存じます。」
手応えはある、と彼女は見ている。
何としても、ここに留まりたい。
「ふむ。」
お屋形さまは、紅をじっと御覧になった。
「宇佐美の家のことは忘れることにしたか。」
「宇佐美は、上杉の被官でした。」
負けずに見返した。
「ずっと上杉に忠実でした。同じ心でお仕えするつもりでございます。」
諸将が、ざわざわした。
宇佐美が、上杉に忠実だって。
それ、皮肉のつもりか。
でも、お屋形さまは、それについては何も仰らなかった。
「暫く滞在を許す。」
お屋形さまが席を立とうとなさった。
「お待ち下さい。」
紅が畏まった。
「もう一つ、預かり物がございます。」
手を叩くと、三宝に載せて油単を掛けた物を、侍女が静々と運んできた。
お屋形さまの前に置くと、一礼して下がっていった。
小姓が油単を取って、主に披露した。
短刀がそこにある。
「故・光源院{足利義輝}さまの御形見でございます。」
お屋形さまが、お手にとって鞘を払った。
「藤四郎、か。」
呟いた。
「使ってあるな。」
「武衛陣から脱出するとき、使用致しました。足利家重代の家宝を、面目次第もございませぬ。」
「これは元々、そちが頂いた物ではないか?」
お屋形さまがお尋ねになった。
「私のような者には、勿体無うございます。」
この危機を切り抜けて、越後に帰ることが出来れば、主に渡せ、と言われたという話をした。
「わかった。これは俺が頂く。」
頷いた。
「その上で改めて、そちに遣わそう。遠慮なく受け取るが良い。」
薬研藤四郎の話を知っているか、と仰った。
紅が、存じませぬ、と言うと、お話くださった。
粟田口吉光は幾多の短刀を作った。
名品のこと、其々、逸話があり、それにちなんで名が付けられた。
無銘藤四郎、骨喰藤四郎、後藤藤四郎、厚藤四郎等々、ここに挙げきれない程である。
そのうちの一つ、薬研藤四郎は、管領・畠山政長の愛刀であった。
政長が進退窮まり、いよいよ切腹する、という時にあたって、この刀を抜くと腹に突き立てようとした。ところが、何度やっても刺さらない。刀の切れの悪さに腹を立てた政長が放り投げると、傍らにあった薬研{漢方薬を粉に挽くための、石でできた道具}を刺し貫いた。
結局、政長は脇差で切腹してしまったが、
『主との別れを惜しんだ刀』
『主の命を守ろうとした刀』
として、藤四郎の名声は、とみに高まったのである。
戦国武将はこぞって、自分の最期の時を、藤四郎の優しさに委ねようとしたのだった。
「この刀も、そちを主として選び、そちの命を守ったのだ。そちが選んだのではない、刀に選ばれたのだから、黙って貰っておけ。」
小姓が、三宝を紅の元に運んできた。
有難く頂戴した。
素直に嬉しかった。
藤四郎はいつも、彼女の一番、身近に居て、彼女を守ってくれていたから。
「ご苦労だった。」
お屋形さまが、ゆっくりと去っていく。
平伏して見送った。
結局、言いたいことも言えなかったし、聞きたいことも聞けなかったけど、暫くはここに留まることが出来る。
その場にいた人々も思った。
お屋形さまは、あの女に刀を下された。これは、宇佐美一族を許す、ということではないか?
しかも、彼女に故・公方の後ろ盾があったことも公になさった。これは、彼女と上田・長尾の倅の仲をお認めになるということかもしれない。
後で、景勝が紅に言った。
「どうなることか、と、はらはらして見ていたが、どうにか切り抜けたな。」
つくづく彼女を見た。
「変わったな。婚約が決まったとき、俺は、そなたとすぐにでも結婚するつもりだった。そなたが、雪深い上田庄で、ひっそりと城に籠って暮らし、そのうち俺の子を産んで、家族共々、穏やかに暮らす日を夢見ていた。でも、そなたはすっかり、変わってしまったんだな。」
紅がしょんぼりしているのを見て、付け加えた。
「言っとくが、俺も変わったんだ。上田庄のみを統治する長尾の小倅ではない、越後のみならず、関東全体を統治する方の養子に。」
紅の手を取った。
「そういう身の上になった今、変わってしまったそなたの方が、俺にとって助けになる。」
「何でもお申し付けください。」
紅は熱を込めて言った。
広大な領土を治めるには主君ひとりの力では足りない。手助けが要る。
(坊ちゃま、ごめんなさい)
あたしはまだ暫く、喜平二さまと一緒にいます。




