表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
火の如く 風の如く   火の章  作者: 羽曳野 水響
152/168

第150話 愛刀

挿絵(By みてみん)



「私は、織田家と結んでいらしたとき、御当家ごとうけに贈られた品物を選んだ者でございます。」

 紅は言った。

「織田家の中に知り合いは多うございます。そのうち二人は、織田軍の中でもたった五人しかいない、方面司令官を務めている者でございます。それも、通り一遍いっぺんの付き合いではなく、命をけた戦いで、互いの背中を預けた仲でございます。」

 武衛陣ぶえいじんの仲間で鉄砲の師匠ししょうの明智光秀、家族ぐるみのつきあいの羽柴秀吉と寧々。

 信長の側近そっきんにも顔が広い。

 なんといっても交通の不便な時代である。

 顔見知りが多いというのは強みであった。

「両家の事情に通じている者は、そう滅多めったにおりますまい。」

 力を込めて言った。

「私は、御当家ごとうけにとって、大変お役にたつ者でございます。」

「では、それをあかして見せよ。」 

 お屋形さまはおっしゃった。

「小さなものは共に運んで参りました。」

 紅が披露ひろうしたのは、てのひらるほどの、ほんの小さなきりの箱だった。

「開けてみよ。」

 かたわらに控える小姓こしょうが、むらさきひもをほどいて、謙信に差し出した。

 ふたを取った。

 黄色い布に包まれたそれは、小さなさかずきだった。

 椀形わんけいの身に、円筒形えんとうけい細長ほそながが付いている。身の内側は金箔きんぱくで押してあり、外側は謙信好みの浅黄あさぎ色の七宝しっぽうに、赤・黄・白・こん菊花紋きっかもん繊細せんさいに散りばめられている。

 ミンから取り寄せた品であった。

「ほう、これは美しい。」 

 目を細めた。

馬上盃ばじょうはい、にございます。」

 紅は言った。

遠征えんせいの途中、のどがおかわきになられたおりに、と持参じさんいたしました。」

「使いやすそうだな。」

 満足したようだった。

「でも、これはほんのご挨拶あいさつわりのお品でございます。本当にお見せしたいものは、いまだ到着しておりません。」

 紅は言った。

「船が到着次第(しだい)、お目にけたいと存じます。」

 手応てごたえはある、と彼女は見ている。

 なんとしても、ここにとどまりたい。

「ふむ。」

 お屋形さまは、紅をじっと御覧ごらんになった。

「宇佐美の家のことは忘れることにしたか。」

「宇佐美は、上杉の被官ひかんでした。」 

 負けずに見返した。

「ずっと上杉に忠実でした。同じ心でお仕えするつもりでございます。」

 諸将が、ざわざわした。

 宇佐美が、上杉に忠実だって。

 それ、皮肉ひにくのつもりか。

 でも、お屋形さまは、それについては何もおっしゃらなかった。

しばら滞在たいざいを許す。」

 お屋形さまが席を立とうとなさった。

「お待ち下さい。」

 紅がかしこまった。

「もう一つ、あずかり物がございます。」

 手をたたくと、三宝さんぽうせて油単ゆたんを掛けた物を、侍女じじょ静々(しずしず)と運んできた。

 お屋形さまの前に置くと、一礼いちれいして下がっていった。

 小姓が油単を取って、あるじ披露ひろうした。

 短刀がそこにある。

「故・光源院こうげんいん足利あしかが義輝よしてる}さまのおん形見かたみでございます。」

 お屋形さまが、お手にとってさやを払った。

藤四郎とうしろう、か。」

 つぶやいた。

「使ってあるな。」

「武衛陣から脱出するとき、使用致しました。足利家重代(じゅうだい)家宝かほうを、面目めんもく次第しだいもございませぬ。」

「これは元々(もともと)、そちがいただいた物ではないか?」

 お屋形さまがおたずねになった。

「私のような者には、勿体もったいうございます。」

 この危機を切り抜けて、越後に帰ることが出来れば、あるじに渡せ、と言われたという話をした。

「わかった。これは俺が頂く。」

 うなずいた。

「その上で改めて、そちにつかわそう。遠慮えんりょなく受け取るが良い。」

 薬研やげん藤四郎の話を知っているか、とおっしゃった。

 紅が、存じませぬ、と言うと、お話くださった。

 粟田口あわたぐち吉光よしみつ幾多いくたの短刀を作った。

 名品めいひんのこと、其々(それぞれ)逸話いつわがあり、それに()()()()名が付けられた。

 無銘むめい藤四郎、骨喰ほねくい藤四郎、後藤藤四郎、厚藤四郎等々(などなど)、ここにげきれないほどである。

 そのうちの一つ、薬研藤四郎は、管領かんれい畠山はたけやま政長まさなが愛刀あいとうであった。

 政長が進退しんたいきわまり、いよいよ切腹せっぷくする、という時にあたって、この刀を抜くと腹にき立てようとした。ところが、何度やっても刺さらない。刀の切れの悪さに腹を立てた政長が放り投げると、かたわらにあった薬研{漢方薬かんぽうやくこなくための、石でできた道具}を刺しつらぬいた。

 結局、政長は脇差わきざしで切腹してしまったが、

あるじとの別れを惜しんだ刀』

『主の命を守ろうとした刀』

として、藤四郎の名声めいせいは、とみに高まったのである。

 戦国武将は()()()()、自分の最期さいごの時を、藤四郎の優しさにゆだねようとしたのだった。

「この刀も、そちを主として選び、そちの命を守ったのだ。そちが選んだのではない、刀に選ばれたのだから、黙ってもらっておけ。」

 小姓が、三宝を紅の元に運んできた。

 有難ありがた頂戴ちょうだいした。

 素直すなおに嬉しかった。

 藤四郎はいつも、彼女の一番、身近みぢかに居て、彼女を守ってくれていたから。

「ご苦労だった。」

 お屋形さまが、ゆっくりと去っていく。

 平伏へいふくして見送った。

 結局、言いたいことも言えなかったし、聞きたいことも聞けなかったけど、しばらくはここにとどまることが出来る。

 その場にいた人々も思った。

 お屋形さまは、あの女に刀を下された。これは、宇佐美一族を許す、ということではないか?

 しかも、彼女に故・公方くぼううしだてがあったこともおおやけになさった。これは、彼女と上田・長尾のせがれの仲をお認めになるということかもしれない。

 後で、景勝が紅に言った。

「どうなることか、と、はらはらして見ていたが、どうにか切り抜けたな。」

 つくづく彼女を見た。

「変わったな。婚約が決まったとき、俺は、そなたとすぐにでも結婚するつもりだった。そなたが、雪深い上田うえだのしょうで、ひっそりと城にこもって暮らし、そのうち俺の子を産んで、家族共々、おだやかに暮らす日を夢見ていた。でも、そなたはすっかり、変わってしまったんだな。」

 紅が()()()()()しているのを見て、付け加えた。

「言っとくが、俺も変わったんだ。上田庄のみを統治する長尾の小倅こせがれではない、越後のみならず、関東全体を統治する方の養子に。」

 紅の手を取った。

「そういう身の上になった今、変わってしまったそなたの方が、俺にとって助けになる。」

なんでもお申し付けください。」

 紅は熱を込めて言った。

 広大な領土を治めるには主君しゅくんひとりの力では足りない。手助てだすけがる。

(坊ちゃま、ごめんなさい)

 あたしはまだしばらく、喜平二さまと一緒にいます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ