第149話 手取川
この夏、上杉勢は初めて、織田勢と干戈を交えた。
春日山は越後の西南端に位置するので、信州にも近いが、越中にも近い。城の安全のためにも、双方の地域は押さえておきたいところである。少なくとも、友好勢力の下に置きたい。
信州は長年、甲斐守護・武田家との係争の地であるが、越中のほうは、名目上、能登守護・畠山家の物で、その実、一向一揆が支配する地である。この一向一揆勢は強力で、かつて加賀守護・富樫氏を討ち取り、謙信の祖父・能景も般若野の戦いで戦死してしまったほどであり、頭痛の種であった。ところが、本願寺が織田信長と対立するに当たり、謙信の助けが必要となり、越中の一向一揆勢に和議を結ぶよう指令を出した。これによって、上杉家は織田家との同盟が破れてしまったが、代わりに上洛への道が開けたのである。
次に謙信の前に立ちふさがったのは能登守護・畠山氏であった。この家は由緒正しい名家ではあるものの、この頃には既に力衰え、当主は幼君で、有力国人たちが思う様牛耳っており、織田家と結ぼうとする勢力と、上杉家に頼ろうとする勢力が国を二分して争っていた。
上杉勢は、畠山氏の居城・七尾城を二度に渡って囲み、ついに落とした。
このとき、詠まれたのが、かの有名な『九月十三夜陣中作』の漢詩である。
霜満軍営秋気清
数行過雁月三更
越山併得能州景
遮莫家郷憶遠征
霜は軍営に満ちて秋気清し
数行の過雁 月三更
越山併せ得たり 能州の景
遮莫 家郷遠征を憶うを
謙信は、畠山氏の一族を、自分の養子が当主を務める上条上杉家に迎えた。ゆくゆくは、能登・畠山氏を継がせる心積もりであったらしい。
七尾城が落ちる前、織田を頼む勢力は援軍を頼んでいた。
信長はそれに応えて、柴田勝家を総大将とする軍を送った。柴田は七尾城が落ちたことも知らずに進軍してきて、手取川の辺で上杉軍と対戦した。手取川は別名・石川ともいい、今日の県名の由来ともなっている一級河川だが、古くから暴れ川としても知られていた。柴田は渡河に手間取り、折りしも豪雨で鉄砲も使えず、戦上手の上杉勢の前に為す術も無く、散々に打ち破られた。
上杉に逢ふては 織田も名取川
(手取川)
はねる謙信 逃げるとぶ長
(信長)
当時広まった落首にある。
「織田なぞ、何するものぞ。」
諸将の一人が言った。
「余裕で蹴散らしてやったわ。」
「織田軍は、総力ではございません。」
紅は言った。
「実は、戦になる直前、内輪揉めがございまして、有力武将が一人、離脱いたしました。」
総大将・柴田勝家と、協力するために参加していた羽柴藤吉郎秀吉が対立して、秀吉は手勢を纏めて撤退してしまった。
「柴田と羽柴は、それまで特別争うことなど無かったので」
人々は、秀吉が離脱するほど揉めた原因をいぶかしんだ、という。
(約束を守ったのだ)
あたしとの約束を。
上杉と戦はしない。




