第148話 春日山
猿若を供に、堺を発った。
景勝と、都の外れで落ち合って、琵琶湖を回って日本海側に出、船を乗り継いで、越後を目指した。
道々、知ったのは、織田の勢力が如何に伸びているかということだった。
目ぼしい支配者がいなかった飛騨や北陸を掌中に収め、武田などはすぐ、境を接しているという。
信長が、安土へ来いと、しきりに誘っていたけれど、
(行っておけばよかった)
彼が何を目指しているか、話を聞けただろうに。
十余日で国境を越え、春日山に着いた。
景勝は上田を去り、今はここで暮らしている。
(前、来た時には)
お祖父さまが御一緒だった。
御用があると仰るので、何も考えず付いて来たけど。
(あの時の用というのは、何だったんだろう)
春日山城は、越後府中{現・直江津}の西南に位置する標高百八十二メートルの鉢ケ峰山に存る。
山麓東側を北国街道が、西側には郷津港から続く御成街道が走る。山頂からは、北に日本海、東には関川が流れる頸城平野が、一望の下にある。
城の創築は正平年間{十四世紀}に遡り、府内防御の為に築かれたと考えられている。謙信の父の代から本格的山城としての拡充・増強が始まり、この頃には天下の名城、戦国第一の要害として、その名を轟かせている。
山上に要害、中腹から山麓には屋敷地が広がる。深く切り込んだ谷を見下ろす尾根筋に、幾つもの屋敷が連なっている。
紅の祖父も山麓に屋敷を持っていたが、今は他人の手に渡っている。
景勝の屋敷に泊めてもらうことになった。
山上に立つ屋敷の中でも規模が大きい。
彼の屋敷から井戸曲輪を通って、上にはすぐ天守台、その隣には謙信が住まいする本丸と二の丸がある。三の丸には、北条から来た養子の三郎の屋敷があるが、軍勢を持たない彼は、普段は家族と共に府中の屋敷に住まいしていて、春日山に滞在しているときのみ利用しているとのことだった。
お屋形さまに、お目通りを願った。
二、三日して、本丸に呼び出された。
広間に通された。
今度は
(地べたではない)
両側には、諸将がずらりと居並んでいる。
年をとっている。
おそらく、皆、あの場に居合わせた人々。
覚えているであろう、夏の日差し照りつける庭に座らされていた、少女のことを。
その少女を救おうとして刃を振るった少年は、成長して今、お屋形さまの少し下座に控えている。
皆、口には出さないけど。
関東管領・上杉家の養子でありながら、持ってこられる縁談を片っ端から撥ね付けて、あいつは一生、結婚しないつもりか、とお屋形さまを嘆かせていた男が、上方から連れてきた女は、父親の仇の孫娘で、しかも人妻だ、と。
いったい、どうするつもりなんだろう。
興味津々に違いない。
コツコツと床を叩く規則正しい音が、向こうから響いてきた。
お屋形さまが姿を現した。
いつか、猿若に聞いたとおり、杖をついておいでだ。
お年を召された。
真っ先に思ったことだった。
あたし、戻って参りました。
何故、あたしを陰から見守っていらしたの?
お祖父さまと、喜平二さまの父上はどうして亡くなられたの?
言いたいこと、聞きたいことが、頭の中で渦を巻いた。懐かしさと永年の疑念が、交錯した。暫し、思いに囚われた。
一同、頭を下げた、が、紅は、お屋形さまを睨みつけるように、じっと見つめていたので、頭を下げるのが、他の人よりも一呼吸も二呼吸も遅れてしまった。
お屋形さまはそのことに気づかれたようだったが、何もおっしゃらなかった。
正面に置かれた椅子に、腰を下ろした。
紅は、挨拶を述べ、堺の商人であると名乗った。
「堺の商人?そちは、先年、長尾越前守を殺害した宇佐美駿河の孫娘であろう。」
いきなり、言われた。
「上杉に仇を成さんと戻って参ったか。」
睨み付けられて、身のすくむ思いがした。
「早々に立ち去れい。」
紅は声を振り絞った。
「滅相もございません。私は上杉家の為に戻って参ったのでございます。」
顔を上げて、お屋形さまを見た。
「昨今、織田家の勢力の伸びが著しゅうございます。ご当家もよく、おわかりになった筈。」




