第147話 出立
越後に下る準備をした。
出立の前日、星港屋に行った。
朱夏は黙って紅の話を聞いていた。
「自分勝手なお願いなのは重々、承知ですけど」
紅は、肩を落として手を突いた。
「呂宋からお戻りになられたら、坊ちゃまのこと、お気に掛けていていただきたいのです。他に思いつく人がいないので。」
「ああ、随分と自分勝手だね。あのひとは、あたしとの事は清算してったんだよ。それも、あんたの為に。」
朱夏は、とん、と煙管を、煙草盆の灰吹の縁で叩いた。
「あんたがそういうことを言ってくるのは、お門違いだと思うがね。」
「わかってます。」
紅は必死に言った。
「たとえもうそんな関係では無くなっても、気持ちは残っておいでの筈。」
「呆れたね。」
朱夏は眉をぴくりと動かした。
「あたしの気持ちにつけこもうっていう気かい?ひょっとして、あんた、あたしを舐めてんのかい?昔のオトコを近づけても安心安全だとでも思ってんのかい?だとしたら、この朱夏姐さんのことを、随分と見くびっておいでだねえ。正妻公認の妾になってくれ、と?」
「あたしのことは、どんなに悪くとってくださっても構いません。」
しょんぼり言った。
「実際、悪い女なのですから。ただ、悪い女なりに、あのひとのことが心配でたまらないのです。誰か、側についていて、見てくださらないかと。」
「そして、戻ってきたら、正妻の座に納まろうってか?」
嘲笑した。
「お姐さんにお願いするのは、あのひとのことを誰よりも想っておいでだからです。たぶん、あたしよりも。」
紅は言った。
「あのひとが自分自身を痛めつけるのではないかと思って、心配でなりません。心優しく、沢山の長所を持っているひとではありますが、同時に弱いところもあります。誰かの支えが必要なのです。」
「あんたに一度、聞きたかったんだけどさ。」
朱夏は言った。
「ほんとにあのひとのこと、好きかい?」
「最初は何とも思っておりませんでした。」
紅は正直に言った。
「でも、今では好きだって、はっきり言えます。」
「なんだい、あたしに、おのろけを聞かせに来たのかい?」
朱夏が表情を和らげた。
「わかったよ。様子は見たげる。でも、なるべく早く帰っといで。」
出立の朝、紅を見送りに出た小太郎が言った。
「実にくだらない。坊ちゃんも越後の若殿も、何だって、そなたなんかがそんなにいいのか、俺にはさっぱりわからんが、行き着くところまで行かないと収まらんだろう。行ってこい。」
紅は、鞠が抱いている赤ん坊の小さな手を握って、別れを告げた。
「坊ちゃまが、あたしとの間に男の子が生まれたら、この子に娶わせるって、はりきっていたのに。」
紅がしょんぼりして言うと、鞠は、
「気が早すぎます。」
ぴしりと言って、笑った。
「店のことは、どうぞお任せください。坊ちゃまがお戻りになられるまで、しっかり守ってまいります。」




