第144話 潜伏
都へ行くのも久しぶりだ。
兼続に教えてもらった、都の外れにある小さな一向宗の寺を訪ねた。
この辺りは信長が義昭と対立したとき、焼き討ちにあった。織田の勢力に息を潜めているが、根は反感を持っている。それで、上杉家の者を泊めてくれているのだろうと思われた。
織田が牛耳る都に、大胆にも、僅かな手勢で滞在している。
訪いを入れると、兼続が待ちかねたように出て来た。
紅の顔を見て、兼続は、良かった、見間違いじゃなかった、と思った。
十余年ぶりに会って舞い上がって、実際はそんなに美しかったわけではないのに美人だと思い込んでしまったのではないか、いや、そもそも会ったことさえ夢だったのではないか、と思い始めていたところだった。
「御亭主は?ご一緒ですか?」
尋ねると、ちょっと顔を曇らせて、首を振った。
あの嫉妬深そうな亭主だったら、何処でもずうずうしく、くっついて来そうだと思っていたのに。
紅が少し元気が無く、彼がついてこないのは、あの後、揉めたんだろうか。
(そりゃあ、いい)
別れてしまえ、あんな奴。
美しい姫君が、あんな異形の男と夫婦だなんて、考えたくもなかった。
(ぞっとする)
彼女から積極的に、あんな男を好きになる筈が無い。あの男が、雇い主と使用人という立場を利用して、無理強いしたのだ。
(お気の毒に。お独りで、守ってくれる者とて無かったのだ)
会う前の晩、夫婦になったとか、仰っていたではないか。
(あと一日早く、お会いしていれば)
彼女を、あの男の魔手から救い出すことが出来たのに。
いや、今からでも遅くはない、何としてでも助け出さねば。
(これからは、俺が守ってさしあげる)
あれから、あの男の身辺を調査した。
それを元に、彼女を取り戻す作戦をたてた。
(きっと上手くいく)
紅は、寺の裏手にある庭園に案内された。
周りは焼けたが、ここは無事だったらしい。
小さいながらも池があり、植栽も年振りて、心が落ち着く。
「暫くお待ち下さい。」
兼続は、気を利かせて去った。
池の端で水面を見つめていると、向こうから来る人の姿が映った。
顔を上げた。
池に掛けられた小さな橋に差し掛かったところで、彼は立ち止まって、こちらを見た。
以前には無かった、暗く厳しい影がある。
(武将に、お成りになった)
彼は、変わった。
前に出ようとしても、足が進まない。
頭の中で、警報のようなものが鳴り響いている。
コレ以上、近ヅイチャ、駄目ダ。
それは動物としての本能なのかもしれなかった。
すくんでいる彼女を認めて、彼が表情を変えた。
唇の端に微かに笑みが浮かんだ。
澄んだ瞳が彼女を射抜いた。
その途端、身体が自由になった。
警報は頭の中で最大限に鳴っている。
でも、彼の瞳に射した光を見た瞬間、全ての音は消失した。
色代して、俯いた。
「紅。久しいな。」
少し声が上ずっていた、かもしれない。
(泣きそう)
ひと呼吸、置いた。
「お久しぶりでございます。」
「顔を上げよ。顔をよく見せてくれ。」
見つめあった。
(昔はそうでもなかったけれど)
お屋形さまに似てきた。
血は争えない、と思った。
背はあまり高くない。
瓜実顔で、鷹のように鋭い切れ長の目、頬の剃り跡がくっきり青い。でも、実は童顔で、
(口元は可愛いの)
これは昔と変わらない。
彼も、彼女の顔に、昔の面影を探しているようだった。
子供だったら。
抱き合って喜び、その後は手を繋いで庭を散歩しながら、興奮して語り合ったろうに。
大人になった今、彼は殿として、彼女は僕として、ほんの少しの距離を縮めることが出来ずに、他人行儀に対峙している。




