第142話 悔い
喜平二さまは都においでです。
滞在なさっている間に、どうぞ訪ねていらしてください。
場所を伝えて、兼続は朋輩と去った。
紅は魂が抜けてしまった。
気分が優れないから、と言って、店に帰って潮を洗い流すと、臥せってしまった。
助左は気になって仕様が無かったが、荷積みの指図をしなくてはならない。港に残った。
急がせて、明日には出港出来るよう、手筈を整えた。
彼女をさらって行ってしまおう。
喜平二の手の届かないところに。
紅は自室に籠っている。
昨夜は、助左に翻弄されて、あんまり眠れなかった。夜具に横になると、思っていた以上に疲れていることがわかった。
がっくりと気落ちしていた。
喜平二さまは今でもお独りです。
兼続の言葉が木霊した。
あの方は待っていてくださった。
ご自分の言葉を違えなかった。
それなのにあたしは。
とんでもないことをしてしまった。
夜具の裾を噛み締めて、嗚咽を堪えた。
気がついたら、枕元に助左が座っていた。
泣きながら、眠ってしまったらしかった。
辺りはすっかり薄暗くなっていた。
「泣いてたんだな。」
助左が言った。
優しい口調だった。
部屋が暗くて、表情はよく見えない。
はっとした。
彼がどんなに彼女のことを愛しているか。
よくわかっていたはずなのに。
一瞬たりとも、昨夜のことを後悔してしまうなんて。
どんなに彼を傷つけてしまうか。
ごめんなさい。
心の中で謝った。
「謝ることはねえ。」
見透かしたように言った。
「喜平二が来てんだろ?」
こっくりした。
「会って来いよ。」
何でも無いことのように言った。
「会わずにはいられねえだろ。」
「行かない。」
被せるように言った。
「もう会わない。」
正確には、合わせる顔が無い。
「いいの。あたしには、あなたがいるし。」
潰れた声で言った。
「喜平二には、正室と側室と、わんさか子どもがいるってか。」
助左は笑った。
が、その笑いがすぅっと萎んでいった。
「あ……おい、まさか……。」
紅は顔を背けた。
又、涙が毀れそうになったから。
「驚いたな……あの家は、当主が結婚してねえんで有名だが、あの人は、出家してるんだったよな。喜平二は在家なのに、跡取りなのに、結婚してねえのかよ。確か、お前と年、二つくらいしか離れてねえよな。武家なのに……。」
ぽつりと呟いた。
「お前のこと、ほんとに好きだったんだな。」
紅は黙って涙を流した。
助左は暫く考えていた。
「だったら尚更だよ。会って来いよ。もし、喜平二と国に帰りたかったら、帰ればいいさ。お前の好きにすればいい。」
彼の顔を、さっと振り仰いだ。
「本気なの?」
「ああ。仕方ねえ。」
さばさばと言った。
「そうしねえと、自分で納得しねえだろう。」
「あたしのこと、嫌になっちゃったの?」
涙声で言った。
「お、男の人って、女の人のことを、あの、一回で飽きちゃうこともあるって……。」
「違うって。」
誰だよ、余計なこと、吹き込んだ奴。
枕元に扇のように広がった髪を撫でながら、言った。
「喜平二のことを思い出すのは構わねえ。でも、俺に抱かれているときは、欠片でも、他の男のことを考えて欲しくねえ。俺のことだけを想ってて欲しいんだ。俺はずっと、喜平二の影を気にしてきた。お前とこうなった以上、決着をつけてえんだ。会って来いよ。」
「嫌。」
もしも、喜平二さまに、一緒に越後に帰ろう、と言われたら。
自分がどうなってしまうか、自信が無かった。
「行かない。会わない。絶対。」
その夜、助左に再び抱かれた。
お願い、あたしを滅茶苦茶にして。あのひとのことを考えなくて済むように。
その願いも空しく、切れ目無しに、喜平二のことを考え続けていたような気がした。
そんな彼女に、助左も気づいていたようだった。




