第140話 Femme fatale
(いいカラダしてた)
オンナの肢体が、瞼の裏に浮かんで、離れない。
着痩せする性質だってことが、よくわかった。
薄い着物に包まれた中身は、瑞々しく豊潤で、オトコを包み込み、悦ばせて余りあるものだった。
いい香りのする滑らかな肌に唇を這わせ、柔らかな体に様々な姿態を取らせて、愉しんだ。
一晩中、思う存分、女の体を自由にした。
ゆっくり味わえばいい、なんて思っていたけれど。
つい、貪ってしまった。
押さえに押さえてきた感情がつい、ほとばしってしまった。
長かった、たどり着くまで。
あの女を一目見たときから、この日がくるのを夢見ていたのだ。
信長とのことを、ずっと疑っていたが、女はオトコを知らなかった。
どうしていいのかわからないようだったが、男の餓えを懸命に受け止めようとしていた。
いじらしくて、つい、猛ってしまった。
昨夜の睦言や、女の表情、肌触り、香り、全てが、彼の心や体に、ありありと残っている。
しみじみ幸せだった。
(でも、これが始まりなんだ)
これから、ずっと続くのだ、毎晩。
「女将も乗せていく。」
波止場に立って荷積みを指揮していたレヴロンに昨日、告げた。
呂宋まで連れて行けば。
(喜平二だって手が出せねえ)
毎晩毎晩、素裸に剥いて、心ゆくまで、たっぷり、可愛がってやる。
(そのうち、俺の子を孕む)
そしたら、彼女だって、喜平二のことを忘れるだろう。
(呂宋から戻ったら、祝言を挙げよう)
世間に、あいつが俺のオンナであることを知らしめるのだ。
今朝は二人とも、波止場で、荷積みの監督をしなければならない。
先に行ってろ、と女を港にやった。
後からゆっくり行った。
ラ・ロンディネ号は、波止場ぎりぎりまで寄せてある。
彼女は帆柱に登っていた。
洋船は和船と違い、帆柱の上に見張り台が付いている。そこに登るのがお気に入りなのだ。
彼を認めて、手を振った。
こちらも手を振りかえした。
彼女は帆柱から降りてこようとしている。
いつもは軽やかに降りてくるのに。
誰かが、波止場で怒鳴っている。
「姫君っ!姫君っ!」
悲鳴のように叫んでいる。
気をとられた彼女が、足を踏み外した。
そのまま、海に転落した。
駆け寄って、海に飛び込もうとした。
が、出遅れた。
誰かが先に、鮮やかに飛び込んだ。
抜き手を切って泳いでいく。
彼女が、ぽっかり、浮かんできた。
そいつが泳ぎ着いた。
彼女を助けて、岸に泳ぎ着く。
彼女を抱くと、上がってきた。
(いつまでダッコしてんだ、この野郎!)
あろうことか、俺のオンナの唇に、自分の唇を近づけていく。
もどかしい足が、ようやく、追いついた。
そいつの肩を掴んで、振り向いた顔に怒鳴った。
「うちの女房を、どうもっ!」
走っていって、海に飛び込んだ。
泳いでいくと、彼女が、ぽっかり、浮かび上がってきた。
彼を認めた。
「与六っ、与六なのねっ!」
俺のこと、覚えていてくれた。
「はいっ!姫君っ!」
「泳げるようになったんだ!」
「はいっ、得意です!」
二人で岸に戻ってきた。
彼女を抱くと、岸に上がった。
昔も美しかった。
でも、今は更に。
昔は子供だった。
でも、今は俺も。
十余年の時が、あっという間に飛び去った。
自分の気持ちを知った。
想いは全く変わっていない。
この女性こそ、俺のFemme fatale。
珊瑚色に輝く唇が目の前にある。
自分の唇を寄せた。
彼女の甘い吐息が、顔に掛かる。
身分違いであることも、年下なことも、頭から吹っ飛んだ。
後々、思い返した。
もしもあの時、口づけを交わしていたら。
全ての人の運命は変わっていたかもしれない。
俺がオトナになったこと、彼女に恋するオトコであることが、彼女にもわかっただろうに、でも。
突然、誰かに肩を乱暴に捉まれて、ぐいと引き戻された。
振り向くと、
(日本人じゃない!)
異形の男の顔が目の前にある。
その目が、明白な怒りを伝えている。
「うちの女房を、どうもっ!」
男が日本語で怒鳴った。




