第137話 秋の空
気を落ち着けて、紅は、翌日の昼間、星港屋に行った。
恐る恐る、訪いを入れた。
朱夏は気の抜けたような顔をして、紅を迎えた。
「ありがと。これ、好きなんだよね。」
紅が持参した芥子餅を受け取った。
芥子の実は、室町時代頃、インドからもたらされたものと言われている。小豆の漉し餡を餅皮で包んだ物に、芥子の実をまぶした菓子で、堺の銘菓として現在に伝わる。
「で、今日は何か用かい?」
「あ、あの、坊ちゃまがお世話になったお礼に……。」
「そんなこと、気にしなくていいんだよ。わざわざ、あんたが来る必要は無い。」
女童が、茶を運んできた。
朱夏は、紅に一つ、自分に一つ、餅を取ると、女童に、残りは皆で頂きな、と、包みを渡した。
女童が去った後、部屋を沈黙が支配した。
二人は、餅を口にした。
噛むと、芥子の実がプチプチと潰れて、香ばしさが口の中一杯に広がった。だが、普段は楽しいその食感が、今日は何とも味気ない。
朱夏はぼーっとして無口だし、あまりの居心地の悪さに居たたまれず、どうしようか、もうお暇するべきだろう、と、紅が気を揉んでいると、朱夏がふと気づいたように、
「あんた、今日は化粧してきたのかい?」
「え、ええ。」
気の進まない用で星港屋に行くというので、気張って、普段しない化粧をしてきた。
「何も付けてないほうが、いいくらいなのに。御殿の女房みたいに白粉塗りたくって、生っ白い化粧してんじゃないよ、みっともない。」
「は、はい……。」
朱夏は女童を呼んで、自分の化粧道具を持ってこさせた。
「堺は交易で成り立っているんだ。特にあんたんとこは、異国との商売で、一攫千金を狙ってんだろ?それじゃ、異国の客に受けないんだよ。」
朱夏が言うには、南蛮人と日本人では美に対する感覚が違う、という。
彼らは大きな目を美しいと考え、大きく見せるために、上瞼を青や紫など暗色系統の顔料で化粧する。日本人はそれを恐ろしいものと考え、黒眼がちな円な瞳を愛し、上瞼に紅を差して目が細いように見せる。又、白目を奇怪に思い、三白眼などといって禍々しい物とする。
「眉も剃っちゃ駄目、お歯黒もしちゃ駄目だ。」
朱夏は、懇切丁寧に教えてくれる。
紅は途中から、覚書を作って、熱心に聞いた。
「着付けもね、緩々、着るんじゃない。変に思われる。きりっと締めて、細く見せるんだ、身体の線が出るように。」
実際に、やってみせてくれる。
「あんたも呂宋屋を背負って立つんだ、しっかりおしよ。」
着付けをしてくれて、ぽんと背中を叩いた。
「さ、とりあえず、終いだ。又、気づいたことがあったら教えたげる。」
「お姐さん……。」
紅の顔を見た。
「何て顔してんだい。言われちまったんだよ、あたしの許しが欲しいって。仕様が無いだろう、あんたが好きなんだってさ。あたしも堺一といわれるお姐さんだ、心変わりした男を、いつまでも追っかけちゃいられないよ。言っとくけど、あんただってそのうち、愛想尽かされるかもしれないんだよ、男心と秋の空、とかって、いうんだからね。」
「そのときは」
紅は微笑んだ。
「お姐さんのところに来て、泣きます。」




