第134話 張り子の虎
紅は、それから毎日、星港屋に通ったが、仕事上の用事だけは伝えてもらえるものの、彼に会わせてはもらえなかった。
「女将さん。」
朱夏にきっぱり、言われた。
「お金を貸してくれて、あたしを助けてくれたことは感謝している。感謝してもしきれない、一生、恩に着るよ。でも、このことと、あのひとのことは別だ。あのひとは、あたしの男だ。手を出さないでおくれ。」
「せめて着替えだけでも」
紅は頼んだ。
「毎日、あたしが届けに参ります。」
さすがに朱夏も、それまで断ることは出来なかった。承知した。
着替え以外は、断られる。
でも、何か、無聊を慰める物を添えたかった。
蔵の脇にある花壇に咲く花を、一輪二輪、添えた。
「ちょっと香りが……。」
朱夏は、花の匂いを嗅いで言った。
「ええ、キツイですよね。部屋の中じゃなくて、何処か、廊下の隅で結構ですから。」
紅は頼んだ。
朱夏はそれを、店の階段の下の目立たぬ所に置いた、子供の背丈ほどもある、大花瓶に投げ入れておいた。
幸いなことに、助左をえぐった刃は、僅かに内臓をそれていた。堺の南蛮寺の坊さんに、あちらの医術の心得のある者がいて、手早く外科処置してもらったお陰で、彼はどうやら命を取りとめた。
しかし傷は、思ったより深かった。高熱を発して、三日三晩、意識が無かった。
気が付いて真っ先に言った言葉は
「あいつは無事か?」
というものだった。
それからもずっと、床に臥せったままだった。昼と無く夜と無く、懇々と眠り、時折、気が付くと、空ろな目で、枕元に誰かの姿を探し求めた。
少し良くなると、紅が伝えた呂宋屋の報告を、朱夏の口から聞いた。
「誰が知らせにきたんだ?」
と、たんびに聞き、
「小僧だよ。」
と言われると、落胆しているのが、ありありとわかった。
朱夏が甲斐甲斐しく世話をするのに、感謝はしていた。でも、何処か淋しそうで元気が無いのは、あながち怪我のせいばかりとは言えないようだった。
売り飛ばされそうになったとき、助左が傍観していたのは許せなかった。でも、やっぱり朱夏は、彼のことが好きだった。
彼は、彼女の初めての男だった。彼もまだ、女を知らなかった。二人で大人になっていったのだ。
朱夏がまだ女童の頃、室津の湯屋での生活に耐え切れず、港に行っては、積んである樽の陰で泣いていた。そんなとき、出会ったのが子供の頃の助左だった。彼が船の舳先に一人座って、金色の髪を風に靡かせながら空を眺めていた姿が、今でも彼女の目に、くっきりと焼き付いている。彼女の心の中で、彼はいつまでも、空を眺める少年のままだ。
彼も最近、あの女と疎遠なようだし。
紅が、ああ見えて、まったく男を知らないねんねであることを、その道のベテランになった朱夏は、言葉の端々から察している。
公方の邸では、奥勤めをしていたというのに。
あんな美人だから、同僚はそのての話をしづらく、まして男たちは、口にも出せなかったのだろう。
親友の鞠は結婚しているが、
(あのお上品なお姫さまこそ、とてもそんな話をするようにはみえないものねえ)
あれだけの美貌を持ちながら、
(とんだ張子の虎だよ)
男を思いやった。
ずーっとお預けのまんまかい。
もうそろそろ古巣が恋しい頃だろう。
今度のことはいい機会だ。
(戻っておいで、あたしンとこへ)




