第131話 約束
「都に戻って、まだ、一年ちょっとばかしなんや。」
奥の座敷で、前久は三人を前に言った。
「あれから色々あって、都におられんようになってしもうたんや。」
義輝を無残に殺害した後、流石に世間の評判を気にした三好三人衆は、新しく将軍を立てようとした。
その認可を前久に求めた。
「求めたというのは言葉の綾や。」
実際は強制である。
「姉上が身籠っているのを知っとってな。脅迫してきおったのや。」
味方を全て討ち取られた前久に、何が出来るであろう。
「子供を頼む、というのが菊文字の遺言やった。無力な麿やが、それだけは叶えてやりたいと思うた。」
新将軍・足利義栄は、関白・近衛前久によって認められた、ところが。
織田信長が三好三人衆を追い払い、足利義昭を奉じて上京した。
義昭は当然、義栄に加担した前久を快く思わない。ばかりか、兄・義輝の死に関与しているのではないか、と疑った。
更に、政敵の前・関白、
「二条{晴良}関白も、その尻馬に乗っかって、あらぬことを言い立てたのや。」
悔しそうに言う。
一見、雅な公家の世界にも、色々あるらしい。
ついに、朝廷から追放されてしまった。
都にもいられなくなった。
家族を連れて、都周辺を彷徨った。
「右府{織田信長}は、麿が無実であることがわかっとってな。」
あ、と紅は思った。
その話、カレにした。
前久は、紅の表情には気づかず、話を続けた。
「戻ってくるよう、再三、言うてくれたんやけど、覚慶{足利義昭}が、我が家の嗣子{跡継ぎ}を誰にするか口出ししてきて、揉めてな。」
前久は、嗣子を次男の明丸にしようとしたが、義昭は、前久の嫡男で、既に一乗院に入室していた尊政を推した。一乗院は、かつて義昭が入室していた寺である。義昭は明丸の帰洛を許さなかった。
結局、信長と義昭の対立が決定的になり、公方が追放されるまで、前久は都に戻ることが出来なかったのである。
「右府はいい奴や。」
前久は熱心に言った。
「話は合うしな。」
そりゃ合うでしょ、と、紅は思った。
どっちも馬と鷹狩りが大好き。
前久は、紅が信長と付き合っていたことを知らないらしい。
しきりに彼のことを賛美する。
「先だっては九州に下ったのや。右府に、島津や大友の和議を図ってくれと頼まれてな。」
それは又、腰が軽い。
話を聞いている三人が三人とも、思った。
(どっかで聞いたな、こんな話)
又、夢中になってるんだ、お屋形さまのときのように。
(大丈夫かな)
勝手な夢を描いて、挙句の果てに失望することにならなきゃいいけど。
(織田の殿は期待を裏切らない方かもしれないが)
その果てに、どんなことが待ち構えているか、聞いているあたしがどういう立場かは、この方の頭からは、すっぽり抜け落ちているようだけど。
「右府は天下を統一する。」
前久は高揚して言った。
「麿も関白として、その覇業に参加する。戦が無くなるのや。万民も喜ぶであろ。麿もようやく、自分なりの道を見つけたのや。」
「良うございましたね。」
紅はにっこり笑った。
善意のひとなのだ。
彼は、ちっとも変わっていない。
玄関まで送りに出た。
上がり框に、向こうを向いて腰を掛けている人がいる。
男の子のようだ。
外に行列が控えているのが、ちらりと見えた。
御参りを済ませたらしい。
今日の主役、と言っていた。
前久が出て来たのを気配で感じ取って、振り向いた。
その瞬間。
小太郎と紅は、反射的に飛びすさって、平伏した。鞠は、へたへたとその場に座り込んでしまった。
「次男の明丸や。」
前久は言った。
三人とも、声が出ない。
何故、長男を差し置いて次男を嗣子に据えたか、前久の覚悟の程を知った。
何故、義昭が、子供である明丸を敵視して、都に入れなかったかも。
「麿は約束を守った。これからも守る。」
前久が言った。
三人を代表して、小太郎が、少年に申し上げた。
「私どもは、お父上に命を捧げた者でございます。これからも、変わらず忠誠を尽くす所存でございます。」
少年は、今は亡き、父そっくりの笑顔で頷いた。
前久一行が帰っていった後、紅は助左を上座に据えて、手を突いた。
「御主人さま。」
言った。
「私は、とうてい御主人さまの御眼鏡に敵う者ではございません。」
助左は頷いた。
「そのようだな。」
「これからは、あくまで僕として、店の為に働きます。」
「わかった。励んでくれ。」
席を立った。




