第130話 開口神社
紅だって、助左がずっとお預けをくらって我慢している状態なのは、よくわかっている。
申し訳ない気持ちもある。
でも、彼が我を忘れているのを知って、恐怖で身がすくんだ。
(ほんとに好きだったら)
あたしの方から彼を求めるだろうに。
そうじゃないってことは、やっぱり。
先日の出来事も、お互い無かったふりをしている。二人が上手くいっていないと、店の者にまで心配をかけてしまうから。
(このまま、坊ちゃまが、あたしのこと、あきらめてくださったら)
どんなにほっとするだろう。
だから、堺の総鎮守である開口神社に、鞠と小太郎に付き合ってお参りしたときも、密かに祈った。
どうぞ、この息苦しい関係に、何らかの決着がつきますように。
「何、お祈りしてたんですか?」
鞠が、紅の顔を覗き込むようにして気遣う。
どんなに取り繕っても、鞠にはバレているのだ。
「鹿皮が、どうぞ売れますようにってさ。」
小太郎が暢気に言う。
「ええ。どんどん売れないと、赤ちゃんが安心して生まれて来られないものね。」
紅が笑った。
小太郎と鞠の間に、待望の赤ん坊が生まれる。今日は安産の祈願に来たのである。
二人ともずっと苦労してきたんだもの、いいことあって当然だ。
フラフラしている助左と紅の関係に対して、小太郎と鞠の愛は磐石だ。
小太郎は、最近、寝込むことの多い侘介に代わって、呂宋屋の表を取り仕切っている。鞠は、店の奥向きのことを一手に引き受けている。この二人がいるからこそ、呂宋屋は成り立っているのだ。
家路をたどった。
店の前に助左がいる。ちょうど艀から降りたところだ。
その背後から行列が迫る。
公家らしい。
(開口神社にお参りする人たちなんだろうな)
一瞥して、彼と共に店に入ろうとした。
「待ちや!」
行列の中から声が掛かった。
「そなたら、待ちや!」
何気なく振り返った。
「あっ!」
小太郎が声を上げた。
行列めがけて走り出した。
中ほどまで突き進むと、馬に乗った、この行列の主の足元に、ばっと伏せた。
そのまま、動かない。
紅と鞠は、呆然と立ちすくんでいる。
「生きとったか……。」
近衛前久であった。
お付きの者が、祈祷の時間に間に合わない、と急かす。
「麿は残る。今日は主役や無いさかいな。皆、行き。」
気取らない人柄は変わっていない。
近習一人に小者を二人ばかり残して、行列は神社に向かった。
「立ち話も何だろう。上がっていただけ。」
助左が紅に言った。
前久が紅に、
「御亭主か?」
助左が、ふっと笑みを浮かべたが、紅は、前久が誤解しているのに気づいて、急いで言った。
「店の主です。私は使用人です。」
納得して頷いた。
「せやな。そちには喜平二がおるものな。」
「呂宋屋の主、納屋助左衛門と申します。」
頭を下げた。
その声が強張っているのに気づいた鞠が、はらはらして、紅の顔をちらりと見た。
紅は気づかない振りをして、前久を店の奥へと案内した。
助左は表に残った。
誰も居なくなった店の前で、壁をどん、と拳で叩いて、傷ついた。




