第129話 獣
季節は巡り、初夏の貿易風に乗って、ラ・ロンディネ号が帰ってきた。
出迎えた紅の姿を目ざとく見つけた助左は、彼女の表情を熱心に探り、確信を得て、ぱっと明るく笑った。
「大規模な鹿狩りをやったんだ。」
アゴーの村の奥に広がる密林の中で、原住民を勢子にして鹿を追い立てた。
「鹿皮がたくさん取れた。これは売れるぞ。」
海賊たちが去った海は平和だった。
スペイン人たちも、又、林鳳が戻ってくるのでないかと根拠地の『馬尼拉』の防衛に戦々恐々としていて、こちらまで手が回らないらしかった。
「良うございましたね。」
彼の嬉しそうな表情に、こちらの心も弾んだ。
荷がたくさんなので、海辺の倉庫と、運河を遡って店の裏にある倉庫にも入れた。
誰もいない蔵の陰で、彼は彼女を壁に押し付けた。
「待っててくれたんだな。」
口づけした。
「会いたかった。」
いつものように軽い抱擁かと思った。
でも、彼は彼女を離さない。彼女の唇を貪って、身体を押し付けてくる。若い男の体臭でむせ返るようだ。
「ちょっ、ちょっと。」
顔を背けて、彼の唇を避けた。
「紅、俺……。」
彼は尚も彼女の唇を求め、身体をまさぐった。
すっかり頭に血が上ってしまったらしく、追い詰めた獲物を前に、獣じみた欲望で夢中になっている。
(食い殺される!)
「坊ちゃま、止めて。」
か細い声で懇願した。
「喜平二か。」
荒い息を吐きながら言う。
「あんな奴、俺が追い出してやる!」
「坊ちゃま!」
彼女の目に浮かぶ恐怖を認めた。
はっとして身体を離した。
「す、すまねえ。」
彼の腕をすり抜けて、走って母屋に逃げていってしまった。
独り、取り残されて、壁に額を打ちつけた。
(畜生っ、抱きてぇっ!)
彼だって若い男だ。
仲間は皆、港々に妓がいて発散してくるが、遊びで女を抱けない彼は、朱夏の元に帰るのをいつも楽しみにしていた。
(今更、朱夏ンとこには戻れねえ)
彼女が彼の無事を祈っていてくれたことは、確信した、でも。
(あいつはユルしてくんねえ)
喜平二は子供だったから、ともかく。
あの女は、織田の殿とも噂があった。
(側室がたくさんいるという話だ)
遊びに決まっている。
そんな男には身を許して、この俺には。
(欲しいのはお前だけだ)
こんなに想っているのに。
(もて遊ぶつもりはねえ)
ほんとに好きだから、心ばかりでなく体も一つになって、互いの想いを確かめ合いたいのに。
それとも、
(俺、だから)
駄目なのか。




