第128話 朱夏の挑戦
客は、風呂で、女に垢すりや髪すきをしてもらった後、広間で、楽器を弾いたり、囲碁や将棋をしたり、寛いで楽しむ。
黴や汚れを徹底的に落として、風呂をぴかぴかに磨きたてた。
悪趣味な飾り物を皆、外に放り出して、広間を落ち着ける、居心地のいい装飾に変えた。
(でもそれだけじゃ足りない)
妓の部屋で泊まっていく者もいる。
というより、
(それが目的な客のほうが多い)
部屋に夕方、客を入れて、朝まで泊めて、夕方又、客を入れる。
夜具は湿気を帯び、部屋の空気は澱んでいる。病気の温床であった。
(それを、変える)
秀吉が、大坂城にベッドを置いて、訪問客の度肝を抜いたとの大友宗麟の『謁見記』の記述にあるが、少なくとも庶民は、この前の時代と同じように、金のある者でさえ、畳の上に上筵を敷き、小袖を被って寝ていた。
この時代、紙でさえ貴重な物で、紙子という紙で作った衣装もあった。
布は更に、貴重な物だった。
その布で作った当時最新の布団と夜着{今の掛け布団}が、星港屋には潤沢にある。全て、紅が扱う木綿で作った物だった。
天気のいい日には、運河縁に夜具をずらりと並べて、干した。
持っていかれないよう見張りに、次代を担うとびきり可愛い女童を付け、更に人目を引いた。木も草も枯れて、野にも山にも彩が無いこの季節に、さっぱりと洗濯された、色取り取りの湯女の着物や、庶民が見たことも無いような珍しい夜具が、冬の陽の光を浴びて、風にはためく光景は、ちょっとした名所になった。
昼間は、部屋の中に、日の光や風を入れるようにした。香草を醸して、虫を部屋から追い出した。
妓はじっくり面接して、長所短所を見極めた。
外見の美人は勿論、性格も配慮して、様々な妓を取り揃えた。
色を売って生きることが良いか悪いか、これは社会の矛盾や歪みのせいではないか、などと考えるのは、近代以降の思想である。当時の人間は、今、自分がいる場所で、自分が持っている才で何が出来るか、考えるのみである。ここに来なければ、故郷で牛馬にも劣る暮らしを強いられ早死にするか、いっそ生まれた途端に間引きされるしかないような者たちだった。彼女たちの身体は、故郷で暮らしている同い年の者たちよりも発育は良かった。
貧しい家族を飢え死にさせないために身を捧げる覚悟は、主君の為に死ぬ家臣のそれと、変わりは無かった。
実際、後年であるが、湯屋の形態が更に進んで女郎屋になっていった際、女郎屋の経営者は亡八といって人間の八つの徳を全て捨てた者としてさげすまれたが、そこで働く者は運が良ければその世界を抜け出て、普通に結婚し、社会の一員となって生活できた。
イエズス会の報告でも、日本人の考える人身売買は、西洋の奴隷制度とは違い、売られた人々も様々な権利を有し、買い主の家族の一員となる道も開けている、売買契約はむしろ雇用契約の一変形である、とある。
西洋的倫理が浸透した今日の我々が考えるのと又、違った倫理が支配していた世界であったのである。
そのうち、星海屋の女は、スベタもいるが皆、気立てがいい、部屋には虫が居ない、何より、お日さまの匂いのする珍しい高級な夜具で寝るのが気持ちいい、と評判になった。中には、女はいいからゆっくり眠らせておくれ、とやってくる者もいるくらいだった。
それでも身体を壊す妓もいる。
当時、唐瘡と呼ばれる病が猛威を振るっていた。今で言う梅毒である。
新大陸の原住民の限定された地域での病だったのが、地理上の発見によって、瞬く間に全世界に広がってしまった。何ら抗体を持たない人々は、ばたばたと倒れた。その最前線で戦わざるを得なかったのが、これら弱い立場の女たちであった。
病気になった女たちは、菜屋、改め呂宋屋の斡旋で吾兵衛の村に送った。
農家の一軒を借り、病を養いながら、綿を育てたり機織をさせた。出来た物は呂宋屋で売った。
星港屋で働くと、死ぬまで面倒を見てくれる、という噂は街中の妓の間で広まった。働きたい、という者がたくさん店にやって来た。
自然と良い妓が増えていった。
いい女が増えると、客足が伸びる。
星海屋では、広間に客を待たせ、順番に妓の部屋に案内していくのだが、どうしても待ち時間が長くなってしまう。不満が出るので、一計を案じた。
妓たちの中には、年をとって省みられなくなりお茶を挽いている者や、逆にまだ若すぎて客を取れない者もいる。そういう妓たちに踊りや歌、音曲を仕込んだ。庭に煌々と灯を点して、夜の時間を何度かに分けて、賑やかに囃させた。
客がそれを見て楽しんでいるうちに、順番が回ってくるという仕掛けである。
賑やかな音曲は又、別の効果も生んだ。
暗い港を照らす明るい光や楽しげな歌声や音色は、灯に集まる蛾のように客を引き付けた。
忽ち星港屋は、文字通り港の夜の星として、門前市を成す盛況となった。
「姐さん、すごい、言ったとおりになったね。」
紅が素直に感心すると、
「あたしが働いていて、嫌だなって思ったことを直すようにしたんだ。」
朱夏が言った。
「働いている女たちが幸せじゃないのに、来る客がいい思い出来るわけないじゃないか。」




