第126話 星港
「湯屋をやるのはあたしじゃない。」
紅は言った。
「この店は姐さんの物です。あたしは商人です。お金を貸すの。」
「へえ、貸すんだったら、金は返さなきゃいけないってことだよね。」
朱夏が言った。
「返すのは何時でもいいです。」
「そういうわけにはいかない。」
朱夏はきっぱりと言った。
「五年、いや三年待っとくれ。きっちり返す。ところで、この店はあたしのもんだろ?」
紅は頷いた。
「だったら、あたしの好きなようにしていいんだよね?」
「勿論。」
「じゃ、真っ先にやりたいことがある。」
朱夏は玄関に行った。
男衆に大八車を持ってこさせると、総がかりで『蓬莱山』を乗っけた。
妓たちも察して皆、出て来た。
楽器を楽しく鳴らす者もいる、歌を歌う者もいる。
全員で囃したてながら、『蓬莱山』を運んでいった。
何事かと、物見高い街の人々が集まってきた。
子供がぞろぞろ付いてくる、犬は吠える。
お祭り騒ぎになった。
おかしな行列は、港に向かった。
灯明堂の横の、岩場になっている所から、深み目掛けて『蓬莱山』を突き落とした。
木彫りだが重たいので、ぶくぶくと泡をたてながら沈んでいき、やがて見えなくなった。
皆、わあっと歓声を上げた。
海に石を投げたりして、はしゃいでいる。
その様子を見ながら、朱夏が言った。
「ああ、さっぱりした、あの胸糞悪い置物とおさらば出来て。他にも趣味の悪い飾り物がわんさかあるんだ。皆、捨てっちまおう。」
「海の中が一杯になりそうですね。」
紅が言った。
「さて、『蓬莱山』が無くなっちまったのに、蓬莱屋っつうのも妙だね。」
朱夏が呟いた。
「お姐さんの店です。お好きな名前をつけられたら如何ですか?」
紅が勧めた。
「そうだね。あの、何でもいいのかい?」
「勿論です。」
「じゃ、これはどう?」
朱夏は落ちていた棒切れを拾うと、砂浜に大きく『星港』と書いた。
「これは……何と読むんです?」
紅が尋ねた。
「スィンガプラ。」
朱夏は言った。
「ずっと南のほうにある地方だよ。あたしの父親は、そこの出なんだそうだ。流れ流れて日本に来て、あたしの母親と出会った。そして、あたしが生まれたというわけさ。一生行くことは無いだろうけど、あたしの根っこだよ。」
「星の港。素敵ですね。」
朱夏は本当に、ごてごてした悪趣味な飾り物を全部、捨ててしまった。
代わりに、店の前に大きな灯籠を二つ建てて、夜になると灯を点した。
暗かった夜の港の、その一角だけが明るくなり、二つの灯籠は、沖を通る船にとって、新しい目印となった。




