第125話 贅沢
供を呼ぶと、茶室に荷を運ばせた。
助左が持ってきた物を一目見るなり、師匠の顔色が変わった。
「これを何処で見つけた?」
「前の航海で船が難破し、呂宋に流れ着きました。これは、そこで使われていた物です。」
「ふうむ。」
手に取って、ためつすがめつした。
「あちらでは、もっぱら庶民が、雑用の壷として使っているようです。私が最初見たときには、水が入っておりました。」
「呂宋で作られた物であろうか?」
「どうでしょう。彼の地で、中国人の海賊どもと遭遇いたしましたが、大陸との交易も盛んなように見受けました。中国人が、かつて持ち込んだ品のような気がします。」
「今、明では見かけぬ品だ。昔の広州辺りの産だろうか。」
師匠は、うーん、と唸りながら、底までひっくり返して調べている。助左のことなど、すっかり忘れてしまったようだ。
「そっくりだ。」
ぽつりと言った。
「東山御物{足利将軍家累代の宝物}の中にある茶壷、『三日月』や『松島』に。おそらく、同じ時期、同じ地方の産物だ。」
助左は頷いた。
『三日月』は三好長慶の弟、物外軒実休が所有していた。実休は、この茶壷を戦場に持っていき、河内の高屋城で割ってしまった。六つに割れた物を、師匠に継いでもらった。それが後に、太子屋に、三千貫で売れたという。後に信長に献上され、五千貫とも一万貫ともいわれた。
一貫文は銭一千枚である。永禄年間の米一石が、銭五百文から一貫五百文の間だった。平均して一石一貫とすると、千貫文は千石ということになる。当時、人夫の日当が二百文から三百文だったので、一貫文は約四日分の日当になり、千貫文は四千日つまり十一年分の日当となる。いずれにしても、途方も無く値の高い物だということはわかる。
唐物、つまり中国からの舶来の茶壷は、『贅』という瘤を鑑賞する。
『贅瘤』といい、無用なもの、余計なものを表すのだが、『瘤』はそのなかでも大きなもの、『贅』は小さめなものを指す。この瘤は、作陶が粗雑なために、胎土の中に混じった空気が焼き膨れして残ったものだ。
一般に茶人は、瘤や贅の多いものを好んだ。不上がり品を『不完全の美』として賞美したのである。師匠が例として挙げた『三日月』も『松島』も、『贅沢』な品、つまり贅瘤が沢山ある品である。
ちなみに、今日使われている贅沢{物事の限度を越えるさま、又、限度やふさわしい程度を越えて金や物を使用すること}は、ここから来ている。
「私は、茶葉を詰めて、保存しておりました。ここに伺う前、開けて飲んでみましたが、湿気ず、良い味を保っておけたように思います。」
「もともと唐物茶壷は、使い勝手が良いので愛されてきた物だ。右府公は斬新なお方なので、晴{非日常}の道具である唐絵の掛け物と、褻{日常}の道具である唐物茶壷を共に、広間の床の間に飾ったりなさる。本来の飾り方では在りえぬのだが。それで皆、茶壷が特別な品であるように勘違いするようになって、途方も無い値が付くようになったのだ。でも元々は、日用品だ。」
師匠は、茶壷に『贅沢』を望まない、ことを助左は知っている。
師匠が後日、北野の大茶会において自分の席に飾ったのは、東山御物の『捨子』である。これは贅は無く、釉薬の掛かりが少し縮んだようになっていて、霜が降ったように見える物である。又、同じく東山御物で、師匠が生涯愛玩して、利休名物として世上に名高い『橋立』は、瘤や贅は裾に僅かに見えるのみである。
師匠は、奇景を愛でるのは茶味の邪道だ、と考えている。茶壷の制陶に丁寧さを要求して、瘤を少なくする仕上がりを求めている。瘤という不必要を無くす、贅沢は卑しいという考え方である。贅沢を無くす、贅を求めないということは即ち質素である、ということにはならない。
助左は、師匠の考えがよくわかっている。
だから呂宋でも、東山御物に似て非なる物、師匠の考えに沿う物を集めてきた。
「これは、口切の茶事{その年摘んだ茶葉を壷の中で半年ほど熟成させ、それを取り出す為に壷の封を切り、新茶を初めて味わう、茶道の新年とも言うべき特別な行事}に良さそうだ。良くやっ……。」
褒めかけて、はっとした。
「いや、まだわからぬ。」
「そう、仰ると思いまして」
助左は、師匠がうっかり褒めかけたのには気が付かぬふりをして、言った。
「幾つか、持って参りました。是非、お試しください。」
「他にもあるのか?」
「後で、店の者に、ありたけ、運ばせます。もし宜しいようでしたら、今後の航海のときに、更に集めて参ります。」
「うん、そうしてくれ。」
「天下の千宗易宗匠にお認めいただけたのなら、これ程、心強いことはございませぬ。」
「何だ。持ち上げたり、けなしたり。」
天下の宗匠は、うんざりした顔で言った。
「これをすぐ世に出すかどうかは、わからんぞ。そちの言うとおり、世間はなかなか、わしの考える美を認めようとせん。これは、その最たる物のような気がする。」
「雑貨ですから、師匠の御眼鏡に敵う物が早々集まるかどうかは、私にもわからないのです。」
助左が言った。
「度々訪れて、コツコツ集めていくようにいたします。」




