第124話 師匠とその弟子
「茶を点ててやる。」
彼が突然言った。
店には茶室があるが、磯路が亡くなってからというもの、誰も使っていない。
(お祖父さまや叔母さまは、お茶に造詣が深くていらしたけれど)
紅は真似事ばかりだ。
その真似事さえ、忙しくて、している暇が無かった。
(ただでさえ窮屈な思いをするお茶を)
更に窮屈な関係の、御主人さまから頂くとは。
憂鬱な思いで座っている紅の目の前で、助左は御手前を始めた。
最初は仕方なく付き合っていた彼女だったが、彼が茶を点てている姿を見ているうちに、段々、目が離せなくなっていった。
思いがけず、端正で折り目正しい。
動作に無駄が無く、さわやかな立ち居振る舞いである。
自分は出来なくても、人が優れていることはわかる。
彼女が手に茶碗を持ったまま、動かなくなってしまったので、彼は眉を顰めた。
「何、ぼんやりしてる。さっさと飲め。」
「あ、ええ。」
慌てて飲んだ。
「何だ、どうした、何、赤くなってんだ。」
「カッコいい……。」
「!」
今度は彼が、あがってしまった。
「馬鹿、からかうな!もう御仕舞だよ、さっさと仕事しろ!」
びっくりして、席を立った。
彼女がバタバタと行ってしまって、独り残された。
「馬鹿野郎。ポーッとしやがって。」
笑いがこみあげてくるのを、押さえることが出来なかった。
その後、手代と小僧に小さな荷車を出させ、幾つか荷を載せた。
供を連れて、今市町にある親戚の家へ向かった。
訪いを入れると、茶室へ通された。
主人が現れた。
黙って礼をした。
御手前が進んだが、互いにずっと黙ったままである。
我慢比べのようだ。
とうとうたまりかねて、主人が言った。
「よく、ぬけぬけと顔を見せられるな。堺に戻って久しいんだろう。すぐ近くなのに、今まで、何の音沙汰も無かったではないか。突然現れて、一体、どういうつもりだ。」
「大変御無沙汰いたしております。」
助左は、しゃあしゃあとして言った。
「今まで用が無かったので参りませんでした。用が出来たので参ったのです。」
「用なんか無くても、挨拶に顔を出すのが当たり前だろう。」
主人は怒り狂っている。
「御心配おかけして、申し訳ありませんでした。」
「心配なんぞしていないっ!」
「うちの者が、織田さまにマントを献上した際、落札を手伝っていただいた、とか。御心配いただいていたようだ、と申しておりました。」
「あの女か。」
顔を顰めた。
「あれも一体、何だ。湯屋なんぞ買いおって。納屋の恥さらしだ。一族でも何でもない女の好き勝手にさせておく気か。追い出してしまえ。」
「あれは、私の為にいたしたこと。あの女に何の罪もございませぬ。」
助左は言った。
「私の為に、あれの評判が傷つくのを、見過ごすわけには参りませぬ。」
「はっ!」
嗤った。
「そちの評判こそ、さんざんであろう。茶会にも一切顔を出さぬ癖に。」
「道具自慢の会に、出る気にはなりませぬ。」
微笑した。
「皆、大陸から、大枚叩いて取り寄せた茶道具を見せ合う。結局、金持ちが大きい顔をするだけではございませぬか。名人と呼ばれる者は皆、そうです。ただお一人、だけは違いますが。」
じっと主人を見つめた。
「一人、流れに逆らっておいでですが、大勢には敵わないでしょう。」
「ほざくな!」
一喝した。
「わしは、大陸の王侯貴族に珍重される唐物を揃えればよいという風潮は、茶の道の真髄ではないと思う。茶の湯の楽しみは、庶民を含めたもっと大勢に、開かれてもいい筈だ。」
「能登屋や臙脂屋、天王寺屋に比べりゃ、うちや師匠のうちなんぞ、吹けば飛ぶような身代でございますからな。」
助左はずけずけと言った。
「それで嫌になって、逃げ出したか。」
師匠は嗤った。
「情けない奴よ。」
「才を頼みに、茶の世界に覇を唱えようとなさっておいでですが、師匠の厳しい美の基準に、世間はついて来られるでしょうか?」
尚も、異を唱えた。
「世間の人々は、下世話なものです。ただ流行に乗り、他人より自分が優れていることを誇りたい、あくまで世間の基準の範囲内で。」
「ふん。何とでも言え。わしはどんな手を使ってでも、わしの信ずる茶を、世間に認めさせてみせる。」
「それで織田さまに近づいておいでなのですね。キリシタンもそうですが、権力者に近づくのが、自分の考えを世間に広めるのに一番、手っ取り早い方法ですものね。」
「そち、今日は何しに来た。」
うんざりして言った。
「たまに顔を見せたかと思ったら、皮肉ばかりか。一体、何を考えておるか、訳がわからん。」
「師匠の薫陶お宜しく」
散々けなしておいて、しれっと言う。
「私もいっぱし、茶道具の目利きとなったような気がします。ぜひ、お目に掛けたい物がございましてな。」




