第123話 海辺の少年
次に磯路が娘の消息を知るのは、それから十年ばかりたって後のことであった。
大陸から着いた船から降り立ったのは、あの男にそっくりの髪と目を持つ少年が一人きりだった。
「男とお嬢さまはお亡くなりになったそうです。天川というところで暮らしておられたのですが、ある日、おうちが火事になりまして」
男と娘は逃げ遅れた。
火のついた屋根が落ちてきたとき、母が身をもって庇ってくれたお陰で、少年だけ、かろうじて助かった。だがその際、負った怪我がもとで、片足が捻じ曲がってしまった。そのせいで、歩くとき、杖を使わざるを得なくなった。
両親を失った彼には、彼の地に身寄りは一人も無かった。
亡き父は、南欧の生まれながら、北欧の血を引く、貴族の出だった。生家が没落して、生まれ故郷を遠く離れ、天涯孤独だった。
幸い、大陸と取引をしている堺の商人で、少年が、菜屋の身内だと知っている人がいた。
その商人が親切にも、彼を堺に連れて帰ってくれたのである。
両親を失い、生まれた国を追われ、自分が日本ではよそ者と知っていた。おまけに生まれもつかない身体になってしまった。
透き通るような金髪と澄んだ碧い目、真っ白な肌という明るい外見をもちながら、彼は、心と身体に癒しがたい傷を持つ、暗く寡黙な少年だった。
自分のせいで、母が店を追われたことが何処かから耳に入ったらしく、磯路にも、ちっとも懐かなかった。外出すれば、近所の悪餓鬼どもに特異な外見をからかわれるのを嫌がって、部屋に籠って、ぼんやり庭を眺めていた。
でも、磯路は容赦なかった。
少年を部屋から追い出し、歩く訓練をさせた。親戚に頼んで、日本の生活風習に馴染めるよう、習い事をさせた。同時に、菜屋の小僧として下働きをさせた。
三年ばかり、大人しく過ごしていた。
だが、ある日、ふいといなくなってしまった。
「その時は、無理も無い、と思いましたよ、奥さまが厳しすぎるからって。でも、今から思えば、あれは、裏返しの思いやり、だったんじゃないでしょうかね。」
侘介は茶をすすった。
「だって今、坊ちゃまは杖を上手にお使いになられて、常人とあんまり変わらない速さでお歩きになられますでしょ。足場の悪い船の上で、一人前に働くこともお出来になりますし。閉じこもっていた部屋から追い出されて、近所の悪餓鬼には狐だの天狗だのとののしられ、国に帰れって、暫くいびられていましたけど、そのうち反撃して、たちまち、のしてしまいました。習い事の師匠に厳しくしつけられたお陰で、異国でお育ちになったとも思えないくらい、日本の生活もわかっておられますし。」
紅は頷いた。
異国の血が流れていて、体格が良く、体力があることも、彼の弱点をカバーするのに役立ったことだろう。
「その後、瀬戸内のほうへ、更に西へと流れていって、博多の廻船問屋に雇われて働いていらしたそうです。」
真面目に働き、認められた。
仲間も出来た。
「天川でも良い暮らしをなさっていらしたようですし、元からお育ちのお宜しい方なのです。」
育ちの良さは自然とかもし出されるから。
だから『若』と呼ばれるようになったんでしょう、と番頭は言った。
「雇い主が亡くなったとき、給金代わりの形見分けで、船と乗組員を分けてもらったそうです。」
故郷に錦を飾るつもりで戻ってきた。
そして、祖母の死と、見たことも無い人間が店を仕切っているのを知った。
「ここは、坊ちゃまにとって、決して良い思い出があった場所ではございません。心を励まして、戻っておいでだった筈です。帰るにあたって馴染みの妓を連れてきたり、湯屋に入り浸ったりなさっておいでだったのも、妓に夢中だったから、というより、この店が居づらい場所だったからだと思います。船乗りが生きるのは荒っぽい世界ですから、乱暴な言葉遣いや態度で気を張っておいでですが、元々、優しい、穏やかなお人柄なのです。お祖母さまの悪口を仰ったのも、晴れ姿を見てもらえなかった失望がなせる業だったように思われます。」
「早く知っていたら」
紅は後悔して言った。
「坊ちゃまにもっと優しくしてあげられたのに。」
「相すみません。」
番頭は謝った。
「坊ちゃまに口止めされていたんです。余計なことは言うなって。でも、最近の坊ちゃまの落ち込みように、黙っていられなくなってしまいました。」
その日、他出して戻った助左を、紅は暖かく迎えた。
それからは何くれとなく世話を焼いたので、彼の瞳には光が戻り、又、関係は良くなっていった。
(でも)
彼女がどんなに一生懸命、店の為に尽くしても、彼が彼女に望んでいるのは、使用人として優秀であること、ではないのだ。
更に、番頭を始めとする店の者も、彼につられて、そういう期待を抱くようになってしまった。
(喜平二さま)
店には必ず、彼がついてまわるのです。
彼は好きだけど。
このまま黙って、流れに身を任せていくしかないんだろうか。
こうやって仲良くなっていった先に、待つものは何だろう?




