第116話 待ち人
あれから毎日、沖を眺めて暮らしている。
「又、見てるのかい。」
女将がいつの間にか、後ろに立っている。
「そろそろお返事しなきゃなんないよ。」
(わかってるって)
「旦那がお戻りになられたら、ちゃんと言わなきゃなんないよ。」
(それも、わかってるって)
「たんと、お銭が要るからね。あっちの女将にも、話を通しといた方がいいかも知れない。」
「それは止めとくれ。」
きっとなった。
「構やしないさ。使用人だっていうじゃないか。」
「いいから、あのひとには、あたしの口から言うから。」
「ほんとかい。すぐ言わなきゃ、駄目だよ。ずうっと待っててくださってるんだからね。」
(ふん、誰のせいだい)
そっぽを向いた。
女将は肩をすくめると、トントンと音をたてて、階段を下りていった。
朱夏は又、沖に視線を戻した。
日は既に西に傾き、海は橙色に染まっている。
今日も又、彼は帰らない。
ため息をついて、視線を逸らそうとした、そのとき、視界の端で、きらりと光る物を捕らえた。
はっとして、目を凝らした。
見る見る大きくなる。
(帆だ)
夕日を反射して光って見えるのだ。
(あれは何?)
見たことの無い船だ。
帆柱を三本立てている。
船足が速い。
あっという間に近づいてくる。
(南蛮船だ)
堺の港に南蛮船が入るのは、開港以来だろう。九州までは来るけれど、それより西には来た例が無い。
窓から身を乗り出して眺めた。
堺の港の水深は浅いので、岸に近づかず、手前で止まった。
艀が何艘も出て、船に近づいていく。
どうやら降ろす荷は僅からしい。
人ばかり運んでいる。
ここからでは、あまりはっきり見えない。
でも彼女の目は、艀に乗る、長い髪を持つ背の高い人物を、確かに捕らえていた。
(似てる)
彼のような外見を持つ男は、そうそう居ないだろう。
でも、彼の船じゃない。
(行くとき、乗ってった船じゃない)
どういうことだろう。
しかも。
その人物は先に岸に降り立つと、振り返って、後方に乗っていた女に手を差し伸べ、降りるのを手伝ってやった。
その後も仲睦まじく話をしながら、あれこれ荷降ろしの指図をしている。
その合間には、同じく艀から降り立った人々を見送って、挨拶したりしている。
そのうち、女がちょっと腰を屈めて挨拶すると一人、町に向かって歩いて行く。
もう片方は、暫く彼女を見送っていた。
が、彼女の後を追った。
目を凝らしたが、杖を持っているかどうかは、もう、辺りが薄暗くなりかかっていて、確認できなかった。
肩を並べて、一緒に帰っていく。
(彼じゃない)
不安に波立つ心を抑えた。
だって彼なら、上陸したらすぐ、彼女に会いに来てくれる。
どうしても話さなきゃならないことがある。
相談に乗ってもらわなければ。
その晩、誰も、彼女の元を訪れなかった。
やっぱり彼じゃなかったのだ。




