第115話 笛の音
ラ・ロンディネ号は、鹿児島を通って、土佐の浦戸に入った。
ここまで来ると、本土は近い。
ようやく皆、緊張が解けた。
夜になって荷降ろしが済むと、乗組員は夜の街に繰り出した。久しぶりに動いていない床で休みたいと、秀吉夫妻と小太郎夫妻も、秀吉の近習を連れて、船を下りていった。
「おいでにならないんですか?」
一人残って、帳簿を調べている助左に、紅は、声を掛けた。
「後片付けと留守番は、私が致します。坊ちゃまはどうぞ、上陸なさってください。」
「お前こそ休めよ。」
「ずっと操船なさっていらしたんですから。息抜きが必要でしょう。」
言いかけて気が付いた。
「失礼いたしました。朱夏さまに、操を立てておいでなんですね。」
「いや、俺は……」
(お前と居たいだけ)
言えなかった。
代わりに、窓の外を見た。
東の空に、大きな満月が出ている。
「あの、助けてくださって、有難うございました。」
呂宋を去るとき、助左が海に飛び込んで助けてくれた。その礼を言う機会を逃していた。
紅が言いかけると、助左は、ぷいと席を外したり、むっとした顔をして話を逸らしたりしていたからである。
「礼にゃ及ばねえ。」
案の定、助左は、怒ったような顔をして、言った。
又、怒らせてしまったかと思って、紅が黙ると、助左が唐突に言った。
「お前、笛、得意なんだってな。」
「……。」
「なあ、聞かせとくれよ。」
二人で甲板に立った。
紅は、懐から笛を取り出すと、吹き始めた。
ひょうげた、楽しそうな曲が、月に向かって立ち上っていく。
助左は手すりによりかかり、目を瞑って聞いていた。
ようやく、二人きりになった。
たとえ、今、この一瞬でも。
そう思っているのは、俺だけ、かもしれないけど。




