第112話 海戦
ラ・ロンディネ号が、湾の奥、小島の陰から姿を現した。側面には、煙の輪が漂っている。
昨日まで、大車輪で工事して、先日スペイン軍から奪った大砲を備え付けたのだ。喫水が沈んで、やや動きづらくなったが、背に腹は代えられない。
帆船同士の戦いでは、先手を取って風上の位置を占めるのが、勝利への近道だ。動き易いし、砲弾を受ける側の喫水線が低くなるので、船の防衛に有利なのである。
ラ・ロンディネ号は、機動力を生かして、巧みにスペイン船隊の風上に回り続ける。
有利な位置を占めたラ・ロンディネ号は、慌てふためくスペイン船に、矢継ぎ早に大砲を放った。
この時代、まだ大砲も砲術も未熟であった。
波に揺れる船同士、遠距離から放つ砲弾はなかなか命中するものではない。絶えず動く砲口には、照準器すら無く、砲術士が、砲門の狭い隙間から、敵船の位置を見定めて、導火用棹で火門に点火する。
一発で目標物に当たることは、まず、無い。
一発目は目標を超えない範囲の砲撃、二発目は目標の手前を狙い、三発目にしてようやく当たるといった悠長なものであった。
又、連続発射すると砲身が焼け付くので、それを冷やす必要があった。
その欠点を補う為、ラ・ロンディネ号は、果敢に接近戦を試み、盛んに進行方向を変えて旋回し、海面に大きく8の字を描いて、大砲を撃ちながら、敵に迫った。
砲弾は原則、丸い鉄球であったが、帆を破り、その操作を不可能にした。土器に火薬と可燃物を詰めた投擲弾は、甲板に火を点けた。棒付き弾は、索具を切断した。二個の砲弾を鎖で繋いだ鎖弾は、船尾の細い帆柱に巻きついて打ち倒した。いずれも炸裂弾ではないので、船体を沈めるには至らないが、敵の戦力を削ぐには十分だった。
又、砲弾が船体に命中すると、ぎざぎざになった木の破片が、そこら中に飛び散って、兵士たちを傷つけた。
砲術の指揮をとっていたのは伊之助である。
複雑な発射作業を、戦闘の最中、渦巻く煙や騒音を物ともせず、冷静に砲手を指揮して所定の時間内で正確に行った。
普段、物静かな男だが、誰よりも、ず太い神経を持ち合わせている。こういう時に昔、村上水軍で鳴らしたという海賊の顔が蘇る。
スペイン船も応戦するが、ラ・ロンディネ号と比べて、命中率が低いのを如何ともし難い。
理由は、大砲そのものの違いでは無かった。
スペイン側の大砲が、マホガニー材で作った古めかしい二輪の砲車に載っているのに対し、ラ・ロンディネ号の大砲が載っているのは、四輪の砲車だった。スペインのものより小回りが利き、操作がし易かった。
又、スペイン側は、大砲が発射した反動で後ろへ下がるのを防ぐため、砲車を舷側に縛り付けていたが、ラ・ロンディネ号の砲車には、滑車とロープを組み合わせた滑車装置が取り付けられていた。これによって、大砲は艦内にスムーズに引き戻され、砲手が、砲口先端から箒を差し込んで、火薬の残滓を掻き出し{これを怠ると、砲身破裂の大事故につながる}、綺麗に拭き清めた砲弾を、砲口から落としこんで再装填し、船体の揺動で砲弾が転がり出るのを防ぐ為に、藁などで詰め物をしたら、すぐ所定の位置につけることが出来るようになった。
トーマス・ハリオットが、戦いの前日までかかって、取り付けてくれた装置だった。
そのお陰で、スペイン軍が、熟練の砲術士をもってしても一時間にニ・三発しか撃てなかったのに比べ、ラ・ロンディネ号は、その三倍は撃つことが出来た。
滑車装置は、十九世紀の半ばまで使われ続けた。十余年後、カレー沖でスペインの無敵艦隊をイギリス軍が破ったときも、この装置はその威力を発揮した。更に、海戦に参加したイギリス船リーフデ号に積まれていた大砲で、難攻不落と言われた大坂城を囲んだ徳川家康が、豊臣家の息の根を止めることになるのだが、それは又、後の話である。
とまれ、ラ・ロンディネ号は、砲弾の雨をものともせず、更に船を近づけた。
沢山の船が集まっているので、荒波が立っている。
風上にいるラ・ロンディネ号は、その波をまともに食らって、ひどく傾いている。
舵を取る助左は、船を風下に回した。
今度は、甲板の位置が上がって、防護に有利になり、重い大砲は後ろに傾いて、装填し易くなった。
風を読むのに長けた助左は、状況判断に優れていた。風を最大限に利用し、タイミングよく駆け引きを行う、それは教科書で学べるようなものではなく、海と共に生きてきた彼の独自の勘であった。
ラ・ロンディネ号からスペイン船に、焙烙玉が投げ込まれた。
焙烙玉とは、陶器や和紙で作った丸い玉に硝石・硫黄・木炭から成る黒色火薬を詰めた、いわば手榴弾である。爆発すると火の点いた油が飛散して、建造物や木造船を炎上させる。
中でもレヴロンの活躍は目を見張るものがあった。その玉は狙った場所に正確に当たった。彼は帆布に玉を幾つも打ち込み、穴を開けたり燃え上がらせたりしたので、相手の船は忽ち航行能力を失った。
三隻ほど傷つけて戦闘不能にした。




