第111話 象 vs 蚤
スペイン軍は、林鳳の脱出を嗅ぎつけて、焼け残った数隻の船に乗り、数十艇の原住民の小舟を引き連れてやってきた。
海戦の勝敗は、船の能力と数によって決まると言っていい。
いわば数字の戦いである。
陸上の戦いとは違うのだ。
妙な手を使う奴が加わったようだが、所詮、極東の猿、恐るるに足らず。
優秀な船に乗るスペイン人は、先日の屈辱を晴らさんと意気軒昂である。
スペイン軍が、リンガエン湾に通じる水路を進むと、川のあちこちから、林鳳指揮する海賊の小舟が現れた。
その数およそ数十。
海賊たちは手ん手に、鉤や投げ鉾、熊手などを持ち、『盲船』といって、楯などで船全体を装甲して防御を固め、舳先には胴突、つまり鉄製の円錐状の突起物を付けた舟に乗っている。これを、敵船の船腹に突っこみ、相手の船の外板を破って、立ち往生させたり沈没させたりするのである。
遠ければ、射手舟が、弓矢や鉄砲を放ち、近づけば、焙烙舟が、焙烙火矢を相手の舟に投げ込み、兵士の乗り込んだ武者舟が、船縁に自らの舟をぶつけるように寄せ、熊手で引っ掛けて乗り込んでは、刀で切りつける。
さすが海賊だけあって、スペイン側の原住民の小舟なんぞ、寄せ付けない。
スペイン人も中国人も両方とも迷惑な侵略者に過ぎない原住民は、端から戦う意思など無い。皆、恐れをなして散り散りになってしまった。
スペイン人の指揮官が、部下を叱咤していると、その目の前に、ひらりと舞い降りた者がいる。
首に、大きな錆びたロザリオを下げた、痩せぎすのその男は、長い真っ赤な舌を出して、べろり、と十字架を舐めまわした。指揮官の目を見て、にっと笑うと、やにわに肌脱ぎになった。漢装の下にあった、程良くついた傷だらけの筋肉が露わになった。両手には、よく研がれた大きな斧が握られている。
その斧が旋風のように舞って、目の前に迫ってきたのが、指揮官の最後の記憶だった。
地獄絵が繰り広げられた。
その男の周囲には綺麗な円ができ、円の外側には、武器を握りしめて震えながら、なすすべもなく立ち尽くす兵士たちが、斧が起こす風から逃れようと、狭い甲板で押し合いへし合いし、円の内側には、四肢をもがれ、首を刎ねられた、もはや人間とは呼べない塊が山となっていた。
ナオは、小さな舟を捕まえようとするが、林鳳の指揮の下、海賊たちは、水澄ましのように自在に動き回っては攻撃を仕掛け、なかなか捕らえることは出来ない。こうなってしまうと、大きくて立派な船は却って動きづらくて、まるで蚤と戦う象のようである。
頭にきたスペイン人は、海賊目掛けて、どんどんと大砲を撃ち始めた。
幾つかの舟が大破して、乗っていた者たちは海に投げ出された。
砲手はにやりとして、更に狙いを定めた。
次の瞬間、手元が爆発して、舷側が吹っ飛んだ。
何処からか飛んできた弾が命中して、大砲の周りに置かれた弾薬に、火が燃え移ったのだ。
支えを失った大砲は、ぐらりと傾いて、舷をがりがりと傷つけながら、海へと落ちていった。