第108話 撤退
焼き討ちによって、スペイン軍は、その半数の船を失ったようだった。
林鳳は撤退を決めた。
中国人たちは、小舟に分乗して、島を去る。
ラ・ロンディネ号は、彼らには操船出来ない。助左たち一行が乗ることになった。
「勝利を収めたのは、我らのおかげぞ。信用してくれてもいいだろう。」
秀吉が言ったが、さすがに全て、信用してはもらえない。
連絡将校として、シオコとその配下十人が同乗することとなった。つまり御目付役である。
「手狭な船に、ただ座っている客を積んでいる余裕は無いわ。その方らには大砲を撃つのを手伝ってもらうぞ。」
秀吉は念を押した。
「ではそちらのお仲間が代わりに、我らの船に乗ってもらおう。御婦人方は如何かな。」
シオコはにっこりして言ったが、勿論、体のいい人質である。
「その必要は無い。」
秀吉はしらっとして言った。
「何故なら、この脱出作戦で、死中に活を求める者を、こちらから出すからだ。」
「ほほう。」
シオコは髭を撫でた。
「それはどういうことですかな。」
「私です。」
紅は歩み出て、にっこり笑った。
「まあ、見ていてください。」
実は、助左と随分、揉めた。
「そんなこと、お前にさせられねえ。」
彼は険しい目で彼女を見た。
「俺が行く。」
「坊ちゃまがいらしたら」
紅はつんと澄まして言った。
「この船はどうなるんです?こんなこと、慣れっこです。羽柴さまも、私に出来ると踏んだからこそ、お命じになられたのです。万一のことがあっても、私のことは放って行ってください。それが、船頭たる者の役目でございましょう。」
言い負かされて助左は、それ以上、追求するのは止めた。
が、ぽつんと、
「『慣れっこ』なのかよ、お前。」
と言った。
その調子が、しみじみと彼女を思いやっているようで、はっと胸を突かれた。
目を逸らして歩み去った。
彼の視線を、背中に痛いほど感じた。
(そんな目で見ないで)
心が弱くなってしまう。
(喜平二さまとお別れてしてからというもの)
たった一人で、自分を支えて生きてきた。
(それは避けたい)
顔を上げて胸を張った。
あたしは、あたしの道を行く。
あなたの行く道とは交わらない道を。