第9話 密談
子供たちの声がしている。
庭からだ。
盛んに遊んでいる。
主が独身なので、子供どころか女性の姿さえ稀なこの館では珍しいことだ。
でも主と客が押し黙って座っているこの座敷からは、庭は見えない。聞こえるのは声ばかりだ。
「前にもあったな、このように相対していたことが。」
主が苦笑した。
「でも今度こそ、手詰まりだ。」
定行は髭を撫でている。
手が無いわけではない。
ただ、この人には決断できない。
家督争いで兄と対決したときも、相手を完膚なきまでに打破し、国中に期待されていながら結局、止めを刺すことは出来なかった。
親族が争うのが嫌なのだ。
だから定行が、守護の上杉定実に頼んで間に入ってもらって、円満に家督を継ぐことができた。
(暴虐な主殺しの父と反対の道を、苦悩しながら歩んできた)
この欲望渦巻く戦国の世で一人、清い心を持って生きている。
いっそ実権を譲り渡してしまってもよい。
そう思っているのかもしれない。
一度は遁世して国主の座を引退した。
ほかならぬあの男の説得によって戻ってきた。
それ以来、為政者でありながら僧形で通している。
彼の心の中には、人々が醜く相争う世の中への絶望がある。
「なりませぬ。」
定行は言った。
「お屋形さまには責任がございます。他の者には勤まりませぬ。」
はっと顔を上げた。
子供のときから見慣れた表情。
(そうだ、心を強く持つのだ)
父親と師匠の顔で、頷いた。
(わしがついておる、いつも)
ずっと教え導いてきた。
出会ってからというもの、人生を捧げてきた。
(この子に道を全うさせたい)
心に決めた。
(この子の為なら、全てを犠牲にしても惜しくない)
すべて、を。
ドッポーン、と水音がした。
「誰か、池に落ちたな。」
「いえ。」
定行が言った。
「飛び込んだのでしょう。」
「喜平二が?」
「いえ、うちの孫が。」
「娘、だったな?」
「うちの家系は皆、病弱でしたから、身体を鍛えなければ、と。」
苦笑した。
「鍛えすぎたようです。板額になってお屋形さまのお供になると申しております。」
「思い出すな、子供の頃を。供の者どもと、様々な所を旅して回った。」
遠い目をした。
「俺の世話をしてくれた者たちも皆、年を取り、死んでしまった。慌しく日を送って墓参りをする時間も取れない。」
そしてこの子……長尾景虎改め上杉輝虎{謙信}は、乱れた越後を統一し、乞われて関東管領にまでなった。
「子供は面白うございますな。」
定行は、上田で会った少年たちの話をした。
輝虎は微笑んで聞いていた。
わあっと歓声があがり、次々に水に飛び込む音がした。
「子供は元気なのが一番だ。そして長生きするのがよい。」
輝虎は、ぽつりと言った。
主従は黙った。
同じことを考えているのを、互いに知っていた。