第106話 Nao
大勝利だった。
シオコは勿論、林鳳も大喜びだった。
だが秀吉は進言した。
「篭城戦は、後詰が無いと、結局は負けてしまう。そちら、後詰の望みは無いのじゃろう?じゃったら、向こうが怖気づいている隙に、さっさと逃げ出す算段をしたほうが利口じゃな。」
もっともだ、とシオコも賛成したので、林鳳は、残った船をかき集め、配下の者を分乗させ、台湾に帰ることにした。
「まあ待て。船を出す前にやることがある。」
秀吉は重ねて言った。
「このちっこい丸木船を、外洋に出して漕いでいくだけでも大変なのに、あのでっかい船で追いかけられてみよ、ひとたまりも無いわ。その前に、あの水軍の力を少し、削いでおく必要がある。」
原住民の子供に案内させて、兎丸と虎之助が偵察に出た。
「敵は弛緩しきっております。」
虎之助が報告した。
「見張りもたてておりませぬ。」
「陸の近くに、数珠繋ぎになって停泊しています。」
兎丸が言った。
「上陸しやすいからでしょう。こんなところまで、小さな舟に乗った海賊が攻めてくるはずもない、と思っているようです。」
報告を聞いた秀吉は、林鳳・助左と協議した。
その夜、秀吉は、林鳳の手下に、十余艘の舟を漕ぎ出させ、自分の配下の者と助左の手下たちを分乗させた。
紅も、助左と共に舟に乗った。
今日は、銃だけでなく弓矢も用意してある。
矢には布を巻きつけて、油を沁み込ませてある。
いずれの舟も、縄を尻尾のように垂らしている。その後ろから、親鴨に従う子鴨のように、荷を山のように積み上げた小舟が縄に引かれて続いた。
舟は連なって、スペイン軍の船が停泊している湾に入って行った。
十余隻の巨大なNaoが、夜の闇に林立している。
助左の乗っているカラヴェル船の二倍の大きさで、横帆と縦帆数種を組み合わせた高い帆走能力を持ち、安定性も高く、甲板を砲台として使用することも出来た。
夜になって、強い風が吹き始めた。
追い風になる位置に、親舟を止め、子舟に帆を立てて、風を十分受けるように固定した。
縄を切った。
風を孕んだ帆が、子舟をナオへ、海面を滑るように運んで行く。
親船に乗った者たちは其々、矢の先端に巻いた布に、火を点けた。
皆の用意が出来たのを見計らって、秀吉が合図した。
一斉に火矢を放った。
矢は狙い違わず、子舟の荷に突き刺さった。荷は、十分に油を染み込ませた枯れた木の枝である。ナオが密集しているところへ、風に煽られて、燃えながら突っ込んで行った。
真っ暗な海に突然現れた炎に、スペイン軍はたちまち、大混乱に陥った。
錨を揚げる暇は無い。
錨索を斧で断ち切って逃げようとするはずみに隣の船にぶつかる船もいれば、やっとこ上げた錨索を味方の船の舵に引っ掛ける船、行く手を阻まれて立ち往生しているところに、火のついた舟に突っ込まれた船もある。
「慌てるな、この忌々しい舟を手鉤で突き放せ!」
水夫に怒鳴った士官が、もっとよく見ようと、船べりから海面を覗き込んだ。
炎に照らされた舟の上に、燃える枝の山の中から伸びている黒い紐が、ふと目に入った。
可燃物の山の中に火薬が隠されていたのである。
「触るな、爆弾だっ!」
叫んだときにはもう、遅かった。
真っ暗な夜空に、高く火柱が上がった。
凄まじい音を響かせて舟が爆発し、近くにいた二隻のナオは諸共に、海に沈んでいった。
こちらの舟からも、スペイン軍が右往左往しているのが、炎に照らされてよく見えた。