第103話 シオコ
身柄を拘束し、労働を強いているくせに、塩五郎太夫は、助左たちに対して、何の屈託も無い。同じところで生活しているのだから即、仲間だと信じきっているような節さえある。
彼は一応、この大海賊団の副将だというのに、関羽髯を生やした押し出しの立派さに似合わぬこの気軽さはどうであろう。そういえば他にも何人か日本人もいるようだが、中国人たちに混じっても、何の隔ても無さ気である。
海賊たちは皆、塩五郎太夫のことを、シオコ、シオコと呼ぶ。
「いや、拙者の名は、連中にとって、長すぎるようでござる。貴殿らも、そのように呼んでくださって構わぬ。」
「貴殿はどうも、かような場所にふさわしい御仁には見えぬが」
秀吉が尋ねた。
「一体どういう経緯で、海賊の仲間に加わりなすった。」
元々は、山陰地方を領する山名氏の家臣で、因幡の出だという。だが国人の勢力が強くなり、主家の勢力は衰え、混乱の中で、牢人することと相なってしまった。
塩一族は、生業を、海に求めることとなったのである。日本海側は、大陸に近い。
この頃はまだ、身分制度も緩やかだ。百姓出身の秀吉が武士に成り上がったように、武家にして商人、という人物も珍しくなかった。
そのうち、中国の商人とも繋がりが出来た。
それが、
「外洋では海賊をしておりましてな。」
つまり貿易商人にして海賊、という輩だったのである。その仲間になって、いつの間にやら海賊、しかも伝説の海賊と呼ばれる林鳳の副将にまでのしあがった。これは彼の、こだわりの無い性格によるところも大きいだろう。
「海はいい。」
シオコはガハハ、と笑った。
「何処の国からも自由だ。」
当時、領海、という概念は無い。
「拙者、この稼業を始めてからというもの、仕える主君に頭を下げることが、つくづく嫌になりもうした。」
昔、港町は平和であった、と、この海賊は言う。
「皆、港に入る目的は、交易でありましたからな。」
商人は皆、国の力を背景に持たない。
それが、スペイン人が来てからというもの、変わった。
「彼奴等は上陸すると、砦を築き、原住民を支配しました。」
本国の力を背景に、よその国に領土を持ち、そこを足がかりに支配を広げていくのが彼らの常套手段だ、というのである。
「しかも彼奴等は、宗教によって心まで支配しようとする。教会は領土を持ち、裁判権まで有します。一国の主と何ら変わりは無い。」
「どうして彼らは、このような未開の地を求めるのでしょう?」
佐吉が聞いた。
「この地には、特に名物といえるものはござらぬ。」
シオコは言った。
「ただ、ここは足場として重要です。何故なら彼奴等は、海を隔てた地にも、大きな領土を持っておりますでな。」
新大陸を支配したスペインは、銀山を有した。ちょうどその頃、『アマルガム法』という新しい精錬法が開発され、銀の輸出は飛躍的に伸びた。スペインは銀を中国に持って行き、中国産の生糸や絹織物を購入した。
フィリピンは、スペインのアジアにおける基地として重要な役割を果たすことになったのである。
「彼奴等は、我らと違って、遠くまで航海出来る船を持っております。」
シオコは言った。
「そのうち日本も、補給地として求めるかもしれませんな。」
秀吉は興味深そうに話を聞いていた。
「いやはや、面白い話をたくさん聞かせて頂いた。我らも、貴殿に助力は惜しまない。」
「あんなこと、言っちゃって。」
鞠が紅に囁いた。
「大丈夫、ですかね。」
「信用を得て、油断させるつもりよ、きっと。」
紅は言った。
「それにしても、織田家中では出世頭で知られる男よ。エスパーニャと実際戦ったら、どうなるのかしら、見ものよね。」
その機会は、そう遠からずやってきた。