第101話 Agoo
やがて船は、Agooの港に入って行った。
アゴーは、フィリピン北部ルソン島イロコス地方にあるリンガエン湾の奥、アグノ河の河口に、かつて存在したとみられている。今あるアゴーという地とは、別のものと考えられている。
フィリピンは、東アジアと東南アジア、更に、遠くはインド・アラビアを繋ぐ交通の要所として発展した。特に北部のパンナシガン地域には、様々な国の人々が訪れた。
ところが。
にぎわっているはずのその浜辺も、しんとしている。
「ヤバいな。沖に停泊して、小舟を出して、様子を見ることにしよう。」
助左は船の向きを変えようと、指示を出した。
しかし、そのときにはもう、遅かった。
何処に隠れていたのか、船足の速い小舟が雲霞の如く涌いて出て、船の行く手を塞いだ。
鍵手を船端に引っ掛けて、次々に船に乗り込んできたのは中国人たちだった。手ん手に武器を持った、人相の悪い連中だ。
「海賊だ。」
秀吉たちは戦おうとしたが、助左は押し留めた。
「奴らは金目当てです。命まで取らない。払うものを払えば通してくれます。」
南蛮人たちが持ってきた銀が、金庫に仕舞ってあった。それを払えばよい、というのである。
中国人を掻き分けて上がってきた、日に焼けた中年の男は、背は六尺ばかり、関羽髯を生やした堂々たる体躯の持ち主で、
「そなたら、日本人か。これは都合がいい。」
願ったりかなったりだ、と喜びを露わにした。
「ここでは、日本人は勇猛で知られている。しかも見れば、お武家もおいでのようだ。拙者、塩五郎太夫と申す。同じ日本人のよしみで頼みがある。」
頼み、といっても武器を持った海賊どもに囲まれて、強制に変わりはない。
「エスパーニャ{スペイン}と戦ってもらいたい。」
思いがけないことになった。
皆、船から降ろされた。
海賊たちに取り囲まれて、浜に上陸した。
海岸沿いに、原住民の家が立ち並んでいる。
屋根は、バナナや棕櫚の葉で葺かれている。高床式で、大きな丸太に支えられて宙に浮いたようになっている。家屋に入るのには、梯子を使わねばならない。中は、竹を使って、部屋毎に区切られている。床下には、豚や山羊、鶏などの家畜が飼われていた。
だがそこは、海賊の村になっていた。狭い街に中国人が溢れている。男も女も、子供までいた。
「元は四千人くらいおったんだが。」
塩五郎太夫が言った。
「戦闘で五百人以上欠けてしもうた。」
今から頭に会いに行く、と言う。
海賊たちは、港から少し入った山の際に茂る竹林の中に、砦を作っていた。
柵を張り巡らした木造の砦だが、原住民を多数徴発して、規模を拡張している。急拵えながら、戦に慣れているらしく、要所要所は勘所を押さえた、なかなか堅固な造りになっているのは、こういうことには詳しくない鞠にさえわかった。こんな所に籠って戦われては、攻める側も苦労するだろう。
頭というのは中国人だった。痩せぎすの、思ったより若い男だ。日に焼けた、なめし皮のような皮膚だけが、彼の生業を表しているが、質素な漢装の首に、大きな鉄の、錆びたロザリオを掛け、静かにたたずむその雰囲気は、まるで聖職者のようだ。海賊、といっても、これだけの人数を率いている男である。そんじょそこらのならず者には見えない。ただ、彼の顔を横切って、大きな古傷が微かに浮いているのが、異様な感じを人々に与えた。
「林鳳ト申ス。」
自己紹介だけ、日本語で言った。
助左とその配下たちは、たじろいだ。
傍らに立つ紅に、助左がそっと囁いた。
「伝説の海賊だ。こんなところで出くわすとは。」