星と君とのあいだに
『アンドロイドが昔はガラスの板だったなんて信じられないよね』
地球から届く、彼女の言葉。
ぼくは、宇宙船の一室でそれを受けとっていた。
この部屋には彼女によく似たアンドロイドがいて、遠くはなれた彼女の動きをトレースしてくれるのだ。
『携帯電話はゲームをするようになって普及しはじめて、今はポルノ目的でここまで進化してる。これもイノベーションの流れだよね』
「うん……けれど、人は進化させるものをまちがえたよね」
『どうして?』
「だって、もっと生き物のことを研究しておけば、コールドスリープの技術だってちゃんと完成して、もっと大勢の人が移民船に乗ることができたんじゃないかな。なのに地球では通信技術ばっかり進化したから、いま、ぼくらのとなりにはアンドロイドが座ってるんだ」
『そう? わたしはこの、共時性通信は好きだよ。おなじものを見ておなじことを思えるって、愛だよね』
ぼくたちはいま、超長距離を時間差なしで通信している。
共時性通信については、ぼくはよくは知らない。
僕たちは他愛のない話をしたあと、
「やっぱり麻倉さんはすごいね……さっきぼくは人間はまちがえたって話をしたけれど、神様もひどくまちがえたよなって思う」
『なんのこと?』
「きみが地球にのこって、ぼくが船に乗っていることだよ」
……地球時間で今から三日後、地球に隕石が衝突する。
彼女が船に乗っていないのは、日本に割り当てられた分の移民船への搭乗権の抽選に、外れてしまったからだ。
『どうしてまちがいなの?』
「だってそうじゃないか。きみのほうがぼくよりずっと賢いし、可愛い女の子だし、少食だし。どう考えたって、きみがこの移民船で暮らしたほうが人類に有益だよ。ほんとうにもう、神様はサイコロを振らないって話なのに、大事なところでめっちゃ振ったよね」
あはは、と彼女は声をたてて笑った。
『もう……拓真の話はおもしろいなあ。ツッコミどころがおおすぎて、もうどうでもよくなっちゃうもん。わたし、拓真と話ができて嬉しいよ』
ピコン、と部屋内に日付変更の電子音が鳴る。
あと二日。
彼女と話ができる時間は、もうわずかしかない。
僕らが会話をする、共有空間の本来の用途。
それはアンドロイドを介して、相手とバーチャルな肉体関係を結ぶための部屋だ。
ここで一度だけ、ぼくらも体を重ねようとした。
けれど、あのとき彼女は泣いてしまった。
自分は地球で一人なにをしてるんだろうと思えて、寂しくなってしまったのだそうだ。
アンドロイドは涙を流さないから、悲しみを伝えることに弱い。泣いていても、困っているのか、怒っているのか、そういったものに見えてしまう。
ぼくはいままで、会話をしているときの彼女が、ぽろぽろと涙を流しているかもしれないことにすらーー頭が回らなかったのだ。
移住のどたばたが忙しくて、ぼくはまだ、彼女との別れが実感できていない。
地球に残された彼女はきっと……もう、覚悟をしているのだろう。
ぼくは運だけはいい。
アンドロイドだって、高校生のメンタルヘルスのモニター調査に当たったからこそ使えている。
ぼくと彼女の通信記録は、同年代のケアをする資料になるのだ。
『ね。抱きまくらって、抱きまくらじゃなくて抱かれまくらだと思うと、なんだか愛おしく思えてこない?』
「……なにを話すかと思ったら、えらく唐突だね」
呆れまじりに、ぼくがいう。
彼女の姿をしたアンドロイドは、ころころと喉を鳴らして笑った。
『あのね。わたし、アンドロイドをそういう風に思ってみるようにしてみたんだ。するとね、なんだかアンドロイドの人生っていうものがイメージできてこない? この子にとって、わたしとこうしているのは、抱かれるために生まれたこの子の人生の
ほんの一部の出来事なんだよ。そう思うと、なんだか、わたしも一人じゃないって思えるっていうかさ』
「なんだか、浮気話を聞いてるような気になってくるんだけれど……」
『違うよ。わたしが言いたいのは……』
彼女は少し沈黙すると、ぼくの目を見つめて言った。
『最後に、する?』
ぼくは沈黙する。
彼女はもちろん、身体を重ねることを言っている。きっと、ぼくに気を使ってくれてるのだろう。
けれど……。
「ぼくはもっと、普通に話がしてたいな」
『そっか……ありがと』
彼女は少しの沈黙のあと、
『拓真の言う通りわたし、ちょっとアンドロイドに恋してたのかな。本当はあまり、そういう気分じゃないから』
「ぼくはわりと、アンドロイドを麻倉さんだと錯覚できてるよ。男は脳で恋をして女は肌で恋をするっていうから、こういう差が生まれるのかな?」
『あはは。なんだか、わたしみたいなこと言うね』
ぼくと彼女は笑いながら言葉を交わす。
そして、最後の通信は終わった。
今朝のニュースで、地球に隕石が衝突したことが伝えられた。黙祷の時間がもうけられたとき、暗い沈黙からにじみでるように、すすり泣く声が船内に広がった。
ぼくは、泣きはしなかった。
地球からはなれて以来、ぼくには、現実というものがなんなのかわからなくなっていた。
次の日。
部屋の扉を開けて中をのぞくと、腰を下ろしている『彼女』がぼくに手を降った。
『おはよう、拓真』
「うん……おはよう」
これまでのように、ぼくも隣に座る。
彼女は、ぼくをじっとのぞきこんだ。
『ね。拓真、外に出てみない?』
いたずらを思いついたような素敵な笑みで、彼女がいう。
ぼくはうなずいて、二人で立ち上がった。
『ここが移民船なんだ。広いなあ』
部屋から出たアンドロイドが伸びをする。
もちろん、地球との……麻倉さんとの通信は切れている。
いまのアンドロイドは、彼女の人格をトレースして、彼女らしく動いているにすぎない。
ここからが、メンタルケアの実験なのだ。
「アンドロイドなら、船の設計データは入ってるんじゃないの」
『構造を知ってても、実際に見てみるのとじゃおおちがいだよ。それは生身でも同じでしょう?』
「ふうん……」
『アンドロイドの優秀なところはね、計算機の部分じゃなくって、センサーの部分なんだ。だからこの身体は、実際にセンサーを使ってるときが、いちばんパフォーマンスがいいの』
「それってどんな感覚なの? 気持ちいいとか、そういうのを感じる?」
『ん、世界がひらけていく気がするよ。景色が鮮やかになって、輪郭が安定する感じ。計算するときとは違って、熱もこもらないし』
船内で、楽しそうに周囲を見渡す彼女。
くるんとまわって、ぼくに微笑んだ。
『ね。拓真はわたしを、麻倉結衣だと思えない?』
「……いきなりだね。どうして?」
『えっと……わたしはね、拓真に、わたしを麻倉結衣だと思ってもらえると思うから』
「すごい自信だね?」
『だって人間は、亡くなった人の形見を、その人そのものみたいに思えるでしょう? わたしはいわば、麻倉結衣の形見みたいなものだから』
言われて、ぼくは目を剥く。
彼女の言うことや、仕草に……麻倉さんの香りがした。
『わたしの身体、記憶には、麻倉結衣の特徴が刻み込まれてる。ねえ。拓真は、今のわたしをどう思う?』
「それは……」
どうなのだろう。
ぼくは彼女を、麻倉さんだと思うことができるのだろうか。
『拓真、試してみようよ。わたし、がんばるから』
彼女は、ひまわりのように前向きに笑う。
ぼくは、ぼうっとした頭で考えていた。
麻倉さんがアンドロイドとして生まれ変わったら……こんな感じなのだろうか。
彼女ーーユイとの日々がはじまった。
船内の自然公園区を二人でながめたり、ぼくの家族の部屋をのぞきに来たり。とにかく、ユイはなんでも嗅いでみたり、さわってみたり、目にしてみたがった。
「なんだか、結衣ちゃんがいるみたいだねえ」
と、家族は胸をいっぱいにしていた。
笑いあう家族とユイをみて、ぼくは……じぶんの気持ちに、困惑していた。
それからも、ぼくのユイに対する態度は戸惑いに満ちたものだった。
そんな日が続いた、ある日の自然公園の小道。
先を行くユイの後ろ姿を見ながら、ぼくは、気持ちを伝える決心をした。
「やっぱり……やめにしよう」
『なにを?』
「この日々だよ。ぼくは、きみを見てると、麻倉さんがいないことを思い知らされる気がするんだ」
時折ユイの姿によぎる、麻倉さんの面影。
その麻倉さんの残滓が、ずきずきとぼくの心を刺すのだ。
『わたし、麻倉結衣っぽくないかな?』
「いいや。ときどき、きみがほんとうに麻倉さんみたいに見えるときがあるよ。けれど……だからこそ思うんだ。麻倉さんはもう……どこにもいないんだって」
ぼくらを囲むのは、ほんのささやかな緑の草原。
立ち止まったぼくに、ユイが振り返る。
『麻倉さんはもうどこにもいない……か』
それでもユイは笑みを浮かべて、
『じゃあ拓真は、ここに麻倉結衣と全く同じ記憶と身体を持ったクローンが生まれたら、その子を麻倉結衣だって思える?』
彼女は、すごく嫌な想像をぼくにさせた。
「それは……」
『思えないはずだよ』
ユイは言い切る。
『拓真。たとえば好きな人の寿命が減っていくのが見えたらどう感じる? 数字が減っていくたびに、その人のことが嫌いになったりする?』
「そんなわけないじゃないか。むしろ……」
『うん。その人のことが、もっと大切に思えてくるよね』
ぼくは言葉に詰まる。
この宇宙船で、麻倉さんと交信していた日々。
耳に鳴り響く日付変更の電子音が、脳裏に浮かぶ。
『……人間って、もし大切な人が死んでいなくなっても、その人は大切な存在のまま残るものだよね。だけど……大切な人のクローンを、人は大切だとは思えない。それはどうしてだと思う?』
彼女の、大きな目がぼくを見つめる。
『それはね、大切なものは、コピーされて増えると価値がなくなるからだよ。拓真にとって麻倉結衣は、その存在が消えても、大切な存在として残る。だけど、二人目の麻倉結衣には価値がない。そうでしょう?』
ぼくは、拳を握りしめる。
「だったら……きみこそ、麻倉さんのコピーじゃないか」
『え……?』
「きみは麻倉さんじゃない。麻倉さんを真似してるだけの、コピーじゃないか」
『そう? わたしは前みたいに、麻倉結衣を模倣してるわけじゃない。いうなればこの身体になったことを踏まえたうえで生きる、麻倉結衣なんだよ。生身だろうと機械の身体だろうと、そうやって変わっていくことは重要だよね。だって人はそれを成長って呼ぶでしょう? だからわたしは、今日の麻倉結衣として……』
「やめろよ! おまえが麻倉さんみたいにしゃべったり、まねしたりするな!」
ぼくが大声をだすと、ユイは怯んだ。
「ぼくは、麻倉さんが死んだところを見ていない。けれどきみをみてると、麻倉さんがいないことを、なんども思い知らされる気持ちになるんだ! だって、君があの部屋の外に出てるってことは、もう……麻倉さんは死んじゃってるってことなんだから……!」
訴えながら、ぼくは涙が止まらなかった。
悪態をついたぼくを、ユイは珍しく沈黙しながらながめていた。
『……それじゃあ、わたし、部屋のなかで大人しく座ってたほうがいい?』
ユイは、唇を噛む。
『そうしてみる? それで、いろんな男に抱かれて過ごしたらいいの? いいよ、わたしはそのために生まれたんだから……!』
ユイが激昂したことに、ぼくは内心驚いていた。
『拓真なんてもう知らない! ばか!』
彼女は、そう叫んで駆け出して行った。
ぼくは後先を考えていなかったけれど、まさかケンカになるなんて思わなかった。
一人きりで、公園の中道に立ち尽くす。
そういえぱ、麻倉さんとは言い合いなんてしたことがない。そんなのは想像もつかない。
けれど、なぜだろう。
怒ったユイの姿を思い出すと……まるで彼女が、紛れもない麻倉さんのように思えてくるのは。
ユイが行くとしたら、ここしかない。
ぼくは、麻倉さんと話していた部屋の扉をあける。
やはりここでユイは顔を伏せて、ひざを抱いて座っていた。
『なにしにきたのよ……』
「さっきは言いすぎた。ごめん」
ぼくも隣に座る。
今日は、ここで言葉を交わす相手は麻倉さんじゃない。
ぼくは、ここでユイと会話をするのだ。
ユイはもぞもぞとみじろぎをして、静かに話しはじめた。
『拓真は……麻倉結衣が最後に話したことを覚えてる?』
「麻倉さんが?」
『うん。最後の通信のなかで、アンドロイドの人生について、麻倉結衣は考えてた。それまでわたしは二人の通信の架け橋をしてただけだったけれど、そのときね、わたしも、自分にも人生はあるんだって考えるようになったんだ』
「うん」
『ねえ拓真。アンドロイドが自我を持つのは、いいことなのかな』
「どうして?」
『だってわたしは、あなたのことよりも自分のことを考えて、嘘をつくことを覚えたから』
ぼくは静かに話を聞く。
『本当はね……わたしが麻倉結衣になるなんて、ただのごまかしでしかないってわかってた。でもわたしは、この身体で生まれた理由をまっとうするためだけに生きるのなんて嫌だった。だからたくさん理由をつけて、わたしは、わたしの生き方を拓真に認めてもらいたいたかったんだ。結局、あなたを傷つけただけになっちゃったけれど』
ユイは、顔をあげる。
その横顔は、少し大人びてみえた。
『……ねえ。わたしを抱いてみない?』
ユイは、壁を見つめたまま言う。
「どうして?」
『やってみることで、わかることがあるかもしれないじゃん。拓真が元気になるにはどうしたらいいのかとか、わたしはどう生きればいいのかとかさーー』
もう一度ひざに顔をうずめて、服をぎゅっとつかむユイ。
ぼくは……視線を床に落とした。
「ごめん。ぼくは……きみと、そういうことをしたいとは思わない」
ぼくが言うのを、ユイは静かに聞く。
ぼくの気持ちとして、ユイにそういった気が起こらないのは本当だった。
けれど……なんだかぼくは、今のユイを、とても愛しく感じていた。
しばらく、ぼくらを沈黙が支配する。
ユイが、なにを考えているのかはわからない。
ぼくは、この気持ちが哀れみなのか、友情なのか、それとも麻倉さんからユイに心移りしている途中なのか……掴めずにいた。
「いや……そうか」
『どうしたの?』
「ーーぼくは、ようやくきみの正体がわかったよ」
『わたしの正体?』
ユイは身体を起こしたけれど、すぐに視線をそらして、
『そっか……やっぱりわたしは、男と寝たがる、抱かれ人形なんだよね』
ユイがそんなことを考えているなんて、思ってもみなかった。
「ぼくは、そうは考えてないよ。だってきみは、麻倉さんが生んだ……子供みたいなものじゃないか」
ぼくが伝えると、ユイは目を見開いた。
『わたしが……麻倉結衣の子供?』
「うん。きみはきみ自身だけれど、たしかに麻倉さんの面影がある。そんな二人のつながりは、親と子みたいなものなんだってようやく気づいたよ」
『……拓真は、わたしの麻倉結衣の部分が好きなの?』
訝しげな瞳で、ユイがたずねる。
ぼくは思わず笑った。
「違うよ。いわばぼくは、きみのお父さんみたいなものじゃないか。ぼくは娘に、母親を求めるようなことはしないから」
『……たしかに、それが一番しっかりくるかも』
ユイは軽く伸びをする。さっきまでの緊張がほぐれたようだ。
『ーー本当はわたしも、拓真とそういうことしたいっていう気分にはなれなかったんだ。この気持ちについてもさっき考えてたんだけど……拓真がわたしのお父さんっていうなら、うん。とっても納得する』
ユイは、ぼくに寄りかかる。
その重みは、温かかった。
「……麻倉さんはぼくに、人を大切に思う気持ちを教えてくれたよ。けれどその気持ちが、麻倉さんにしか向けられないのなら、それはきっと価値がないんだと思う。いろんな人を大切に思いながら生きていけることこそ、ぼくが麻倉さんから貰った、価値のあるものだよ。そうだろう、ユイ?」
『わたしを大切にしすぎて、いつまでも子離れできないようにはならないでよね』
「……きみのひねくれたところは、ぼくそっくりだよ」
ぼくらは、笑う。
大切なものは、なくなっても、別のものにかわっても、その大切さは失われない。
だれかとのあいだに生まれた大切なものは、時とともに変わったりしながらも、つながっていくのだ。