25 新入生合宿2日目 Ⅲ 『脈動』
命が、溢れる。
命が、流れる。
命が、噴き出す。
一瞬の事なのに、全てがスローモーションに見えた。
彼女(で、あったモノ)がグシャッと半分に折れて。
彼女(の中身でAる)の赤い液体がスプラッタみたいに飛び散って。
彼女(のなnだこRえ??)の何かが地面にボトッと落ちて。
そして、人肌の温度を持ったそれらは、彼の蒼白な顔にも彩りを加えた。
「…?」
目は見開いたままだったけど。
瞬きができなかった。
息ができなかった。
「あ…?」
口から漏れたのは声とも呼べるか知れない掠れた音で。
「あ、あ…??」
何が起こってるのか、理解が追いつかないまま。
(いや、わからないだろ…こんなの)
だって、
目の前の怪物は、真上に掲げた彼女をぎゅーっとレモンのように潰して、搾り取った血液を口に含んでて。
ぼとぼとと、彼女の中身がその禍々しい大きな口の中へと落ちていってて。
一通りその作業が終わった後は、用が済んだのか、ポイっとそこら辺にぐちゃぐちゃになった彼女を捨てていて。
そんな様を、ただ、見てる事しかできなかったとか。
…なんだこれ。
(……………………なんだこれ??????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????)
ぐるぐる。
(おかしいだろ)
ぐるぐるぐる。
(だって、さっきまで。めのまえでいたのに)
脳が揺れる。視界が揺れる。
(......あ)
揺れた視界の先に、何かが映った。
それは、
「ぁ…あ、あぁ……!」
腕と首が変な方向に曲がっている彼女。
はらわたがぐちゃぐちゃになって溢れている彼女。
身体の穴という穴から赤黒いものが流れている彼女。
薄く開かれた目が虚ろな彼女。
「あああ、あぁああ……!!!」
その身体はもう温度は感じられない、彼女。
「ああああ、ああ、あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
やああきぶんはどうだいそうそうおきてしまったよめのグチャ!まえであぁあああ
くずすぎてみてられ嗚!?ア!!?ないよどうしてなんでなにもしなかったんだろ
ただのごみはなんのやくにたつんだ?みてることしかできないでくのぼうそうぼく
たったいまついさっあはーーー!!!やっ手しまっタ!!きとめられたはずなのに
ずうっとおまえはごみグチャ!ごみつア゜…!?はっ?????かえないごみくずだ
のうのうのうNOのうだってばなんかいいったらなおるんだのうのう脳のうノーのう
のどがさけてくびがおれていたそうすごくいたそううわあよかったぼくじゃなくて
うそだこんグチャ!なのうそだそうゆめだこれはゆめのどりいむたのしいおはなし
な?あれ?おれ?あれ?みごろし?まぼろし?みごろし?ころした?しんだ?あ??
しぬのはこわいねでもしんでるのだれがそうなってるのだれがそうしたのそれわたし
やだやだやだやだそんなのってないだろくるう?くる??くるくるくるグチャ!くる
ろくで梨だなンでボクじゃないの?なんでかの情があんナふうになっテし魔ったの
う和さい体だサイこうだあはあはあははははあははあああは母はははははははあはは
そう、グチャぐちゃしてるト。
へンなうタがきこエてキた。
ナンダっケ、コれ。
『......燎平』
優しい声の誰かに呼ばれた気がして、ハッと目が覚める。
(あ...?お、れは......?)
朦朧とする意識の中、ズン、と地面が揺れる。
反射的に、そっちを見た。
自身の眼球と比べて、何十倍も大きいそれと目が合う。
見られてた。
「ぁ......」
本能が叫ぶ。
ここにいてはダメだと。
第六感が警告を発している。
次はお前だ、と。
「あぁ...あ、ああ.........!!」
呼び起こされた恐怖が、血潮の流れを活性化させる。
そして、その怪物の咆哮と同時に、動かなかった足がようやく動いた。
「くそっ、クソクソクソクソクソォオオッッ!!!畜生ォオオオオオオオッッッッ!!!!!!」
『異怪』に背を向けて、走る。
落ちているものに目を背けて、走る。
美紋を裏切って、ただ自分の為に走った。
こんな自分にも、優しくしてくれた彼女を置き去りにして走った。
此処で簡単な自己紹介。
佐倉燎平、15歳。
史上最低のクズ野郎です。
私は十年以上馴染みがある彼女を見殺しにしました。
あまつさえ、今は自分の保身の為に必死で足を動かしています。
醜い。見るに耐えない。
もしこれが物語であったなら、誰もがここで頭を抱え本を閉じるでしょう。
お前には失望した、と。
そう、それが正しい。私も、これ以上あなた達に醜態を晒したくはありません。
ただでさえ何もないのに、ここ一番で大切なものさえ守れないなんて、主人公として終わってるから。
平凡...いや、平凡以下で普通以下の高校生がこうして、涙と鼻水と涎を垂れ流しながら不恰好に走ってるところなんて、誰も見やしないから。
だから、どうか。こんな何もかもが怖くて、どうしようもない俺を。
これ以上見ないでください。
〇〇〇
「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハァ...ッ!」
走る。
「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハァ、ハァ、ハァッ、ハッ...!!」
駆ける。
どこに逃げるのが正解かも分からず、ただひたすらに前へ進む。
とにかく、立ち止まる事だけはまずい。
だって、もう絶望がすぐ後ろにいるんだから。
「Gaaaaaaaa!!?!!」
その、木の擦れを何百倍にもしたような声が耳を裂く。
(やばい、やばいやばいやばいやばいやばい...ッ!!)
もし、神様ってヤツがいたら、今の俺を見てどう思うんだろうか。
可哀想だと憐れむだろうか。それとも滑稽だと笑うだろうか。
...いや、多分だけど。正解は。
「...ハッ...は...?」
見据える先は、絶望の体現。
名を変えると行き止まり。所謂それはデッドエンド。
もし神がいたのなら...という問いの正解は、『罰を与える』だろう。
完全に詰んだのだ。
「は、はは...」
自然と、乾いた笑いが口から溢れる。
…だって、仕方がないじゃないか。
あんなの、どうしようもないだろ。
いつもそうやって言い訳だけして、誤魔化して、自分の選択を見得ないように上に嘘を塗りたくる。
そんな作業だけが上手くなった。
そもそも、自分の命を優先して何が悪い!
死んだら全部終わるんだぞ!何も出来なくなっちまうんだぞ!!
あそこで何も考えなしに立ち向かうのはただの馬鹿だ!!間抜けだ!!命を無駄にするとんだキチガイ野郎だッ!!!
「......ッ」
ひたすら何かを叫んだ後、決まっていつも急に頭が冷える。
...わかってる。
わかってるんだ。
それでも。
逃げることは、最高にカッコ悪い。
ダサい。展開的にありえない。
...やっぱり、俺は。
(…俺は、かっこよくなんて、生きられない)
『…本当に、そう思うか?』
また、どこからか優しい声が聞こえてくる。
その優しさに己の醜さをぶつけるように、歯を食いしばった。
(うるせぇな!!俺だって!!好きで逃げてる訳じゃねぇんだよ!!俺だって、さっき美紋を...美紋をぉ...ッ!助けたかったよッッ!!!!俺だって、ヒーローになりてぇよ!!!なりたかったんだよッ!!!)
『...だったら』
(...でもッッ!!)
『...!』
(でも、なれねぇんだよッ!!!そんなの、俺が一番よくわかってるッッ!!!!)
そう。
輝いているのはいつだって周りの人で。
自分は物語の主役になれない。向いてない。
だって、自分は何も持ってないから。
だって、いつも自分は失敗しかしてなかったから。
だって、希望を持たずに生きる方が楽だから。
『...そうやって、決めつけて諦めるか?』
(……はぁ?)
こんな、どこの誰かも知らない奴につべこべ言われる筋合いはない。
だが、その声はこんな反応を受けても尚、フッと微かに笑った。
『お前はただ、変わるのが怖いだけだ。昔からずっとお前を見てきたから、わかる。わかるんだよ。だから』
(え…?)
声に、力が入る。
『滾れよ、燎平』
冷水を被せられたようだけど、その言葉はどこか温かくて。
不躾なようだけど、肩に置かれた手はどこか優しい気がして。
背中を、押された気がしたんだ。
(あれ…?この感じ、前に………)
何かに気づく前に、ハッと目の前の景色が鮮明になる。
そこには、ズン、ズンと、振動と共に近づいてくる死の足音。
「あ...」
やめろ。
来るな。
そんな想いとは裏腹に、別の思惑が頭をよぎる。
これは、当然の報いなのだろうか。
罪深い自分も、ここで死ぬべきなのだろうか、と。
(.........)
殺されるとどうなる?
いつも指を切るだけで痛いのに、身体の至る所を折られて、切り裂かれて。
普段ちょっとでも出たら大変な血がいっぱい出て。
絞り出されて、捨てられてたくさん痛い思いをしながらゆっくりと死ぬんだ。
...美紋みたいに。
(...い、や)
自分がああなる?
あの見るも耐えない、無残な姿に??
(いや...だ...!)
「嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だああぁああッッッ!!!!!!」
痛いのは嫌だ!苦しいのは嫌だ!!!
死にたくない死にたくない!!!死にたくないッ!!!!
「あああああ!!あぁあああぁあああ!!!」
喚き散らしながら、必死に腕を振り回す。
「…ッ、俺に近づくなぁあああああああッッ!!!!」
そして。ふと、気がつくと。
ぐっ、と身体が熱くなって。
その熱に意識を預けていると、ひとりでに腕から焔が迸っていた。
昨日自分が出した、何百倍の質量で。
結果を先に言うと、瞬く間に、怪物ごとその辺り一帯を焼き払っていた。
「は...?」
さっきまでの轟音は跡形見なく、ただ静寂のみが真実を語っている。
「な...ん、え......?」
視覚から入ってくる木の残骸という情報。
聴覚から入ってくる燃えてる音という情報。
嗅覚から入ってくる焦げ臭い匂いという情報。
助かった...?と認識するのにたっぷり一分以上かかった。
「ハァ、ハァ、ハァ......ッ」
徐々に落ち着きを取り戻し、乱れていた呼吸を整える。
さっきのは一体なんだったのか。
本当にあんなバケモノをこんな自分が倒したのか。
「...ッ!!」
違う。
今は、そんな事を考えている場合じゃない。
「美紋...!」
なんにせよ、目の前の脅威が去ったのならすべき事がある。
彼を放心状態から開放したのは、彼女の存在だった。
「美紋...美紋ッ......!!」
泣きながらも、彼女の元へ駆ける。
今更なんだ、と思うかもしれない。
もう遅いかもしれない。何もかもが手遅れかもしれない。
だけど、それがあんな状態の彼女を放っておける理由にはならない。
なるはずが、なかった。
何があろうと、彼女が彼にとって最も大切な人の一人である事は変わり無いのだ。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァッ......!!」
(それに、ここなら...!)
そう。ここは『裏側』であり、『異跡』という特殊能力が絡む異能の世界である。
もしかしたら、何かがあるかもしれない。
もしかしたら、あの状態からでもアミュール達に見せれば助かる可能性があるかもしれない。
そんな一縷の希望を胸に秘め、必死に彼女の元へと足を動かす燎平。
「美紋ッッ!!!」
そして、その場所に着くと。
「あ...?」
そこにあるのは。
そこに残されているのは、地面にある大量の血痕のみであった。
「み...あや......?」
無残な遺体へと成り果てた彼女の姿は、どこにもない。
(な、んで...?)
誰かに連れ去られた?アミュールたちか?と眉をひめる。
仮に彼女が生きていたとしても、あの傷で美紋自身が動けるわけがない。
(美紋......!)
ただ確かなのは、燎平がいない間に美紋が蒸発したようにそこからいなくなっていた事であった。
〇〇〇
「...ったく、ほんっとどうなってんのコレ...!」
いつもより濃い『異素』の濃度に顔をしかめる薫。
依然、念波は誰とも通じないし誰とも会わない。
「あの...何か私に出来ることは...」
「んー?ごめん祓間っち、今はないかな...!薫の後についてきてね!」
「はぁ...すいません、何の役にも立たず...」
「いーのいーの!今はただ無事に合流する事が薫たちのゴールなんだか...ら...」
瞬間、薫の動きが変わった。
祓間を引っ張りながら近くの茂みに素早く身を隠し、姿勢を低くする。
「...誰か来る」
「...!」
薫の『異元感知』とソナーを用いた反響から来る感知で、草木をかき分けて此方に近づく人物が一人。
(この身長...美紋ちゃん...?)
『異素』の濃さで薫の『異跡』が邪魔されていなければ詳細にその人物が誰なのかわかるのであるが、今は実際に鉢合わせてみないとわからない。
(でも、『新芽』でもウチの生徒だし...どっちにしろ、今この状況では美紋ちゃんって考えるの妥当か...!)
「祓間っち、ちょっとここで待ってて!」
「承知しました」
『異元感知』とレーダーを使いながら、その人物にゆっくりと近づく薫。
「...ッ!」
少し先でこちらに歩いてくる人影を目視する。
間違いなく、月ヶ谷美紋であった。
「美紋ちゃん!大丈ーーッッ!!?」
見てしまった。
彼女の青い『SCC』の生地が真っ赤に染まっているのを。
感じてしまった。
べっとりと彼女にこびりついた、酷く匂う死の臭いを。
「なーーッ!!?美紋ちゃんッッ!!!」
すぐさま駆け寄り、薫は肩を掴む。
「大丈夫!!?何があっーーーー」
『ーーーーあら。気安く私に触れるなんて。あなた...命知らず、ですわね?』
「ーーッッ!!?」
何かが、違った。
「......誰、アンタ」
声も見た目も美紋そのものであったが、明らかに、知っている彼女と雰囲気が違う。
『まぁ。やはり、素の私ではこの子の形振りを模倣する事は叶いませんでしたか。失消、失笑』
「ッ、アンタは誰かって聞いてんの!美紋ちゃんに何したの!!?」
飛び退き、間合いを取る。
よく『異元感知』で感知してみれば、『異元』も昨日感じたそれとは全く別物であった。
(な、なんなの...コイツの『異元』...ッ!!?)
側にいるからよくわかる。今までとは、次元が違う。
オベルガイアなんてこの『異元』の異質さに比べれば目じゃないと感じるほど、それの『異元』は凶悪だった。
『この子もそう、だけれど...あなたも。面白い、ですわね』
「何を言って......ッ!!?」
足元に、激痛。
何かをされたと気づく頃には、視界が歪み転倒していた。
「ぐ...ッ、な...にを……ッ!」
力が抜けて、意識が朦朧とする。
(この、感じ......毒か...ッ!)
『私もこれでも混乱してますのよ?此処は、知らない事が多すぎます。もしものために一応、保険を考えておきましょうか。ふふ...癌傷、含笑』
(く、そ……何が、起…こって……)
霞んだ瞳で薫がその時最後に見たものは、自分から遠ざかる細い足であった。




