『The girl needs a mask to cover up the truth』Ⅹ
『...というのが、君の知りたい事だ。一応一通り全て話終わったが、これで少しは何が起こったか等は分かってくれたかな?』
『……………』
マーズさんとアミュールさんに連れられた先は、とある高校の校長室だった。
薫は今、来賓用の黒い高級そうなソファーに腰掛けて、いい香りがするお茶を啜りながらよくわからない話を聞いてる。
『…まぁ、無理もない。困惑するのは当然の事だろう。安心したまえ、今の説明を聞いた後は誰もがそうなる。君だけではないよ』
『………そうですか…』
マーズさんの口から『異跡』や『異怪』たるものが何なのかを知らされた。今の薫みたいな『新芽』には知る権利がある、とか何とかで。
何となく纏めるなら、新しい能力に目覚めました!怖い怪物が出てきます!その怪物は生涯湧いてくるからどっちみち逃げるか戦うかしかないよ!みたいな感じ。
いきなりすぎて、それにまだ気持ちがついていけてないけど…。
その混乱から一旦話を逸らす為に、他に気になっていた事を聞く。
『あの……おじさん…草井さんは…?』
『ああ、奴か。拘束して連行した後は、『第一施設』に送られるだろうな。無数にある『施設』には、先程話した『施設出身者』を育てる以外に、罪を犯した『漏洩者』を収容したり、『SCC』を作成したりと、様々な役割がある』
『『漏洩者』…って……?』
『む、そういえばそこはまだ話していなかったか。済まない、慣れない単語ばかりで最初は理解するのに時間がかかると思うが、その都度聞いてくれて構わないからな』
『あ…どうも』
おじさんをすごい形相で睨みつけてた人とは思えないほど、柔らかい笑みを浮かべるマーズさん。
正直今は怖い人だと思ってしまってるけど、本当はすごく優しい人なのかもしれない。
『…話を戻そう。『修復者』と『施設出身者』は『異怪』を倒す、身を守るというそれぞれの目的の為に『異跡』を使うが、彼ら以外にも別の意味で『異跡』を使う輩がいる。それが『漏洩者』だ。
『彼らは『異怪』に対してじゃなくて、『人』に対して『異跡』を悪用するの。彼みたいに書類を偽造してお金を稼いだり、人を騙したり、っていう所謂犯罪者…悪い人たちね。それを正すのもまた『修復者』の仕事に含まれるんだけど……』
『ふむ。全ての『漏洩者』が悪ではないのだ。ここが少し複雑でな。『漏洩者』には『異跡』を使う事を諦めた人間も含まれる。『異跡』が上手く使えず...また使う事に恐怖を覚え、我々の指示に従わず逃げる者もまた『漏洩者』と呼ぶのだ』
『………』
少しこんがらがってきたけど、一回整理してみる。
『異跡』を使うのが『修復者』と『施設出身者』、それに『漏洩者』。
その『漏洩者』がさらに二つに分かれてるらしい。犯罪者か、そうでないか。
話を聞くと、おじさんは元々その『施設』で『施設出身者』だったけど、その後で『漏洩者』になったっぽい。
『まぁ…彼は二重で罪があるから、多分しばらく出てこれないと思うけどね』
『二重…?』
『一つは普通の社会的な処罰。薫ちゃん…未成年に淫行をしたり、売春行為をさせたりね』
『そしてもう一つは、私たち側の事だ。『漏洩者』が自身の『異跡』を用いて悪行をした場合も、勿論その罪に問われる。少し調べた結果、奴は偽造した書類を利用して大量の金を過去十数年稼いでいた記録が見つかった』
『……そう、ですか』
そっか、ちゃんと働いて稼いでたんじゃなかったんだ。
その『異跡』っていう不思議な力がどういうものか、未だに何となくでしかわかってないけど、確かにあの書類は完璧だったように思う。
そういう事が出来てしまうから色々と危険で、だからマーズさんみたいな人たち…『修復者』がいるという事になるのかな。
『奴の『異跡』は文や紙面上の資料の改ざんが好きなように出来るが、その効果範囲が極めて狭い。だから『異元』を十分に辿れず今回見つかるまで野放しになっていたという訳か…』
『私も紙系の『異跡』使いますけど…あ、一緒にして欲しくはないですけど……やっぱり便利ですよ、色々。要らなくなったら処分も楽ですし、証拠残りにくいです』
『ふむ…そういう、『異元』を使った痕跡の辿り方も今後は見直していかなければならないか……』
時々専門っぽい話になってしまうので、そこはついていけないけど。
少し二人で話した後に、考え事をしてる薫にアミュールさんが気づいたんだろう。
薫の様子を伺うようにして、柔らかな口調で話しかけてくる。
『あ、ごめんね。私達だけ話しちゃってて……やっぱり、彼の事気になる?』
『……いえ…』
アミュールさんが隣に座る。女の人にこんな風に優しくされるのは随分久しぶりだから、何だか少し落ち着かなくなってしまう。
……おじさんの事は全く気にならないといえば、それは嘘になるかもだけど。
でも、風斗の入院費を払ってなかった事に関しては、実はそれほどショックでもない。
(そんなの…最初っから、信じてないから)
誰も信じてないから、薫。
これからも、誰も信じない。
自分を守れるのは、自分だけ。
本当の意味で私の大切なものを守れるのは、私だけだから。
......シゲの手紙を受け取る今日までは、そう思ってた。
突然いなくなって、裏切られたかと思った。誰かに頼ったらいけないんだ、自分の事は全部自分でやらなきゃって、その時から思い込んでたんだ。
そのおかげで、おじさんには騙されたけど得たお金はあった。
だから、これが正しいと思ってたんだ。人に頼らずに、自分の損得だけを考えていれば何かしらの報酬は得られるから。
…でも、シゲの手紙を見て考え方が変わった。
裏切ってたわけじゃなくて、ちゃんと薫のためを考えた上での決断だったから。
たとえ離れていても、薫の事を想ってくれる人はいるんだって。
人を信じてもいいんだって。
その時、薫の心を縛り付けてた枷が少しだけ緩くなったような気がしたんだ。
(シゲにはほんと、感謝してもしきれないなぁ……)
彼の手紙がなかったら、今もこうして優しくしてくれてる二人の事も全く信用しないで警戒しっぱなしだったのかもしれない。
『…………』
少しの間、静かな空気がその場を包む。
マーズさんもアミュールさんも、何かと言い出しにくいのだろう。
薫がこんな表情でいるのもあるかもだけど、多分、その原因は薫の事情をここに着いた時に話したからだと思う。
もう慣れちゃったから特に何とも思わず話したけど、それを聞いた二人はショックを受けていた。
だからこそ、薫に何かを言う時も気を遣ってくれるんだろう。
気を遣ってもらう事自体がこっちとしては少しモヤモヤするんだけど、しょうがないなって諦めていた。それは、彼らがいい人だからこそ出来る気遣いなんだってわかってるから。
マーズさんとアミュールさんは、見たかぎり根っからの善人だ。今までの言動からしても、信じてもいい側の人達だって言えると思う。
いい人達だから、薫みたいな人間にでもこうやって世話を焼こうとしてくれてる。
シゲみたいに、道を外した今の薫を元に戻そうとしてるのかもしれない。
…でも。
(今更、そんな戻れないよ…)
薫は、もう汚れてるから。
いくらおじさんに唆されたとはいえ、薫もお金の為だ、って見過ごしてしまったのには変わりない。
犯罪を自分の利益のために見過ごして、あまつさえそれに加担して。
プライドを売って、身体を売って、そうして溜め込んだストレスはいつしか落ちそうにない汚れとなって薫の心にこびりついてた。
(薫は、これからどうすれば……)
今までは親がいた。シゲがいた。おじさんがいた。
だけど、薫に道を示してくれた人は今は全員いなくなってしまった。
今の薫に、何が出来るんだろう。
おじさんが捕まって、している事が見つかってしまった以上、ようやく手につき始めた前と同じ方法でお金を稼ぐ事はもう出来ないだろう。
そうなると、薫に残された選択肢はそこまで多くない。
今からでもどこかの学校に通うか、施設に預けられるか、普通に働くか。パッと思い浮かぶのはそのくらい。
一つだけいい事があるとすれば、薫の手元には纏まったお金があるということ。これでもし何か言われた時、風斗の治療費も払える。
だけど、問題は山ほどあった。
どうやって定期的に払わなきゃいけない風斗の入院費を稼ぐかとか、そもそも薫自身がどうやって生きて、お金を稼がなきゃいけないかとか。
『……迷っているな。これからどうすればいいか、分からないだろう』
『……』
マーズさんに言われて、小さく頷く。
『…残酷に聞こえるかもしれないが、決めるのは君自身だ。我々が出来る事といえば、選択肢を広げてやる事とサポートする事しかできないからな。何をこれからどうするかは、君の今後の為にも君が決めなければいけない』
『……でも...』
わかってる。
でも、どうするかなんて簡単に決められてたらこんなに苦労はしない。
そう思いながら目を伏せると、マーズさんは少し間を置いた後、顎髭を触りながら薫の目を見た。
『…ふむ、例えばそうだな。提供できる選択肢の一つに、高校編入というのがある』
『え?』
『ここがどこだかわかるだろう?言っていなかったが、私は『修復者』の仕事の他にここの校長も兼ねているのだ。故に書類や手続き等は此方で出来る事は出来るぞ。その代わり、編入試験に合格しなければいけないがな。もし、ここではなく他の高校に行きたければそれも勿論手助けしよう』
『…………』
やっぱりそうだったんだ。校長室に連れてこられた時、そうかなって思ってたけど。
……だけど。
『………だけど、そんな……』
こんな薫が、今更高校に行くだなんて…。
『薫は…私には、そんな資格ないです……』
『…そう思うかね?』
『だ、だって、私中学卒業してないし…今もう六月だし……』
『編入すればいいだけの話だ。それと卒業式に出ていなくとも、卒業証明書さえあれば問題はない』
『…お、お金とか、手続きとか……!』
『言っただろう、それは此方で何とか出来る。高校生は国から返済不要の支援金が貰えるのを知っているかね』
『……で、でもっ』
上げかけた目線を、また下ろす。
『それに………それに、薫は……やっちゃいけない事しちゃったから…』
…そう。
薫が道を外して、心の中に溜め込んだ罪悪感は簡単に拭えない。
いかに風斗を助けるためとはいえ、いかに被害者に見えるとはいえ、薫がそうしちゃった事実は変わらない。
『…ふむ、確かにその意識を変えるのは中々厳しいだろう。外野がとやかく言える事でもあるまい。その折り合いは、自分でつけるべきだとは思うが……』
流石のマーズさんも、薫の震える声を聞いて少し覇気が無くなる。
けど、その目と言葉の力強さはすぐに戻って、むしろ前より強くなって薫の芯を揺さぶってくる。
『もし、そういう事を一切抜きにして今から高校に行った場合はどうする?仮定の話だ、想像したまえ』
抜き…?薫が感じてる罪悪感を無視してって事…?
『……それでもやっぱり、根っこにある部分は消えないと思うから…他の生徒に悟られないように、隠すと思います』
『ふむ…それでは駄目かね?流石に少々居心地が悪いか?』
『……いえ、そんな事は…』
元々薫はこんな暗くなかったし、中学の時を思い出せばさして難しい事じゃない。
思えば事件後の中学の時も、薫の事情を知ってる子達に向けて空気を悪くしないように薫が気を遣って笑顔を作ってた。本当は辛いのを隠してたんだ。
……でも、新しい環境で隠すなら。薫の事を何も知らない人達になら。
気を使わなくて済む分、遥かに楽だ。
(今まで高校に入るのは叶わない夢としか思ってなかったけど、実際やろうと思えばいける……のかな…)
変わってしまった薫を、それがあたかもなかったかのように悟らせなければいい。
そういう仮面で、覆ってしまえばいい。
思えば、それは皮肉にもいつもお店でやっている事だった。
(それに、薫がちゃんと高校に行って普通の生活をした方が風斗も喜ぶんじゃ…)
……一瞬そう考えたけど、だめだ。結局お金がないともし風斗が何かあった時に対処できない。
今までの医療費は払えても、これからの入院費は風斗が目覚めない限りずっとかかる。
『…やっぱり、お金を稼がないと……どうしようも…』
どこへ行こうと、何をしようと、結局は金にたどり着く。お金の問題は、この先ずっと続くのだろう。
『金か…確かに、そこは大きいな』
『……マーズさん、そういう事なら…』
『待てアミュール、そう急くな。話には順序というものがある』
手で制されて、肩をすくめるアミュールさん。
マーズさんはコーヒーを口に含み、切り替えるようにして話を切り出した。
『……少し整理しよう。薫君にとって、一番の優先は風斗君の安全。そしてそれを保証するには金が必要と』
『…はい』
『……つまり、金があればもっと自由な選択ができるわけだな?その場合、もし、金の問題が何とかなれば君はどうしたい?』
『……どういう事ですか?』
何とかなるって…たくさん稼げた場合ってこと?
薫はお金を稼ぐ苦労を知ってるから、そんな夢みたいな話、考えた事もあんまりなかったけど。
『……『修復者』はな、金も出るんだ。それもかなりいい金額のな。異怪』を倒し、貢献したその分金が貰える』
『……それは、薫が『修復者』をやればって事ですか…?』
ただ単に、『修復者』になればお金が貰える、という事なんだろうか。
そんな、フィクション満載のファンタジー映画みたいな事を薫が出来るのかな。
『勿論無理強いはしない。が、そこらのバイトとは訳が違う。時間はバイトと同じ感覚で組めるようにはなっているが、特別な事をする分給料は段違いだ。それこそ、君の抱えているものが割りかしすぐに解消できる程にはな』
『…………』
お金が絡んでくる話だったら、誰だってまず警戒する。
薫の場合はもういくとこまでいっちゃったんだけど、美味しい話に見せかけて実は大損するように仕組まれてる…っていうケースもあり得る。
けど、この人は自分の利益を第一に考えて話を振ってきたおじさんとはどこか違う雰囲気を感じる。その言葉は、本当に薫の事を考えて言っているように思えた。
『今この瞬間になれとは言わん。ただ、少し考えてみて欲しい。もし金の問題がどうにかなったら、君はこれからどうしたいかね?』
『薫が……どうしたいか………』
お金が十分にあれば、風斗の心配も解消されるって事。
…その場合、あとは薫がどう生きるかっていう話になってくる。
風斗には、無事に目覚めた時笑顔でいてほしい。お姉ちゃんは元気にやってるよ、って楽しんでる姿を見せてやりたい。
シゲに再会した時も、少しは胸を張って、頑張ったよって笑顔で言えるようになりたい。
本当はもう、後悔したくない。泣きたくない。
…真っ当に、生きたい。
『私は……』
今までの行いもあった分、それは願ってはいけない事かもしれないけど。
…もし、ほんの少しだけ、『私』の我儘が許されるのなら……
『…高校に、行きたいです』
絞り出すようにして言った一言。
それはとても小さくて、誰にも聞こえなかったかもだけど。
でも確かに、他の誰でもない私から出た想いだった。
『...こんな長々と、問答のようなものをさせてしまってすまないな。弟君のためではなく、”君自身が本当にどうしたいか”、その言葉が聞きたかった......よく、言ってくれた』
『………ッ!』
フッと目を細めて、穏やかな笑みを浮かべるマーズさん。
その言葉を聞いた瞬間、熱い何かが瞬く間に込み上がってきて、気づいたらそれは目の端から溢れていた。
こんな自分のやりたい事を口に出したのって、とても久しぶりだった。
例え想像でも、許されていい筈がないって思ってた。
ずっと一人で頑張らなきゃ、我慢しなきゃって思ってた。
でも道を歩いてる高校生が楽しそうに笑ってるの見て、やっぱり心のどこかで憧れてて。羨んでいて。
その度に、薫にはありえない未来だ、もう捨てた未来だって踏ん切りをつけていた。
心残りがある筈なのに、自分の気持ちに嘘をついてたんだ。そうじゃないと、やってられなかったから。
(なのに……ッ)
今、その気持ちを言ってしまった。
ずっと隠してきた筈なのに、ずっと目を逸らし続けてきた筈なのに。
その言葉の温かさと力強さが、何故か心地よくて、言ってしまってもいいんじゃないかって背中を押されるような感覚さえしてきて。
二人は、そんな薫の気持ちに微笑んでくれた。
そんな暖かい空気が、薫の本音をポロポロと漏れさせる。
『いいの、かな...?薫も皆みたいに、やりたい事したいって思って良いのかなぁ...?』
『…ッ、薫ちゃん!!』
いきなり、ぎゅうとアミュールさんに抱きしめられた。
その感触に驚いてる暇もなく、彼女は耳元で涙声になりながらも薫に訴えてくる。
『いいの、もういいんだよ!!もう抑え込まなくていいんだよ!!『修復者』になるならないとか、お金があるとかないとか、そんな事関係ないの!!そんな事以前に我慢もしなくて良いし、もっと好きな事もしていいんだよ!!』
『でも…薫は……っ』
『薫ちゃんみたいな子が、こんなに大変な思いしてるのに笑えないなんて嘘じゃない、これがしたいって思うことすら罪悪感でできないなんて、そんな、そんなのって……』
アミュールさんは抱きしめる力をいっそう強くしながら、震える声で言葉を繋げる。
『いっぱい頑張ったんだよね、弟君の為にずっと頑張ってきたんだよね…!だからもう自分をこれ以上責めないであげて、もっと自分を大切にしてあげて…っ!』
そうだ。
いつまた容体が悪くなるかも知れないって不安で不安で仕方なくなりながら、早くお金を稼がなきゃって仕事をしていた。
目の前にある事をこなすので精一杯で、全然気づけてなかったけど。
(そうだ、薫はずっと…)
ずっと……
『う、ぅ……』
仮面を友達に向けて被るのに頑張って、狭い部屋に住み続けるのに頑張って、大切な人がいない苦しみに耐えるのを頑張って、なれない仕事をするのに頑張って。
ひたすらに頑張って、がむしゃらに頑張ってて。
(…頑張ったんだ)
アミュールさんに言われて、初めて薫はこんなに頑張ってたんだって気づいた。
それが、その頑張りが免罪符になるんだって、涙ながらに教えてくれた。
今日初めて会ったのに、薫なんかの為にここまで言ってくれて、ちゃんと見てくれる人もいるんだって知った。
シゲの手紙と、アミュールさんの人を想ってくれる優しさ。
それに直に触れた今日から、少しだけ、薫は楽になれた気がした。
〇〇〇
そこから、風俗からは綺麗さっぱり足を洗った。
マーズさん達に見つかった時点で続けられなかったし、新しい選択肢ができた以上長居するメリットもなかったしね。
やめる事をお客さんにも店長にも伝えて、その他にお世話になった人にもきちんと挨拶をした。
特に、別の意味で世話を焼いてくれた先輩方にも言った。せいぜい売れない体で頑張ってねクソババア、って言ってやった時の顔は今でも忘れられない。
それから八月末にある編入試験に向けて猛勉強して、試験に合格する事が出来た。
マーズさんが大家をしているマンションの一室を借りているんだけど、同じマンションに住んでいるアミュールさんが時々様子を見に来てくれて勉強を教えてくれたのが大きかったかも知れない。
マーズさん…校長先生の仕事が予想以上に早くて、九月の初めの二学期から薫は高校に編入できた。
だけど、そう簡単に全部はうまくいかない。
薫が学校に行ってなかった間の出席日数は誤魔化せないし、名高い進学校なだけあって勉強について行くにはまだまだ大変な部分もある。
勉強に全振りできればまだよかったけど、薫は部活もしたかった。
やりたい事を我慢しない、って編入の時にマーズさんとアミュールさん……校長と愛海先生と約束をしたから。
その結果、来年の時に一学期だけ一年生として進学に足りない出席日数稼ぎと追いついていない勉強をする期間を設けることになってもね。
それが、何だか薫にできてる空白の部分に対するケジメのような気がしたんだ。
それと、あともう一つ。
薫は、『修復者』になった。
『新芽』には薫みたいな、何かしらの不幸を持った子も少なくない。
マーズさんによると、その不幸の元である事故や事件は『異怪』が絡んでいる事があるらしい。
そんな馬鹿な、って思ったけど二人に出会った時に実際『異怪』がいたんだから説得力はある。自然災害とか以外の、人が原因なもの…例えば殺人や窃盗も、『異怪』が関係している事があるみたいだから、すごいよね。
もう過去は変えられないけど、未来は変える事ができる。マーズさんの言葉だった。
今から何をやってもパパとママは帰ってこないし、薫のやってきた事は取り消せない。
それなら、せめて今から薫と同じような目に遭うかも知れない人々を減らせれば、少しは風斗に顔向けできるようになるんじゃないかなって。
『修復者』になれば、薫の手で直接救えるかもしれない。一人ぼっちの苦しみを味合わなくてよくなるかもしれない。
可能性の話でも、十分薫にとっては魅力的な話だった。その上お金も貰えるんだったら身体を売るよりよっぽどいい。
勉強も部活で音楽活動もしながら、裏で『修復者』として活動するのは中々大変だけど、今までにないくらい充実してる。生徒会の皆も、こんな薫にすごく良くしてくれる。
薫は色々経験して、たくさん悲しい思いもした。
それに風斗はまだ起きないし、シゲにもまだ再開できてないけど。
みんなのおかげで、今、少しは薫もうまく笑えるようになったから。
この笑顔は仮面かも知れないけど、それが偽物かって言われたら絶対違う。
状況が変わって、人が変わって、考え方もいっぱい変わって。
その先に辿り着いたのがこの結果で、それで納得してるって言うなら、それは薫が一番居心地のいい場所だと思う。
変わった先に何があるかなんて、変わってからしかわからないから。
だから。
だから、薫はーーー
〇〇〇
夜風で草木が揺れる。
「…………」
やっぱり一人はいい。雑音がなくて、澄み切ってる空気に浸れるから。
でも、それは同時にどこか寂しくもあって。
丁度その時、草木をわけて此方に近づく音が聞こえた。
「…薫、こんな所にいたの」
「アミュっち…」
そろそろ来るんじゃないか、ってわかってた。
アミュっちなら、薫がどこに逃げても持ち前の『異元感知』で見つけ出しちゃうんだろうけど。
「…ちっとも変わってないね、アミュっちはさ」
「ふふ、いきなり何?薫はだいぶ変わったと思うけど」
「にひひ、皆のおかげだね」
アミュっちは体育座りしてる薫の横にそっと腰を下ろす。
山の奥で人が少ないからなのか、星がすごく綺麗によく見えた。
「ここ、星…綺麗だよね」
「…うん、すごく綺麗」
「……大丈夫?」
「うん。もう大丈夫。ありがと」
アミュっちは前から面倒見がすごく良かったから、薫の事を心配して来てくれたんだろう。
…こんな空気だから、色々思い出したついでにちょっと聞いちゃおうかな。
「…そういえば、聞き忘れたことがあるんだけど」
「ん?」
「なんで、あの時マーズさんとアミュっちは助けてくれたの?」
「え?何、今更」
「にひ、ちょっと魔がさしてね」
ちょっと驚いたような顔をした後に、アミュっちは無粋だなぁってはにかみながら答えてくれた。
「…大人はね、困ってる子供がいたら無条件で助けてあげなきゃいけないの。ううん、そんな義務感よりも、助けてあげたいって思ったからかな。あんな事が過去にあってそれであの状況でしょう?そりゃ色々言いたくもなるよ」
やっぱり、アミュっちは変わってない。
「だから、あなた達は思ったことをすればいい、したいことをすればいい。私たちが全力でサポートするからね!」
そう明るい声で、彼女は笑いながらぽんぽんと背中を叩いてくれる。
「…うん。そうする。ありがと、にひひ」
(……アミュっちは会った時から、ずっとカッコいいままだね)
そう、満点の星空を見て思った。
「……薫はさ」
「ん?」
「ずっと一人が怖かったんだ。大切な人に置いていかれちゃう事が何よりも怖かった」
指で地面の土をなぞりながら、側にアミュっちしかいない事を確認してぽそぽそと呟く。
「気づいたら周りに誰もいなくて、何かあっても助けてくれる人がいない、っていうのは結構辛いんだ。それに…」
きゅっと口端を閉める。
これ以上先の事を漏らしたら、きっと止まらなくなってしまいそうだからやめた。
「…でもね!」
その代わりに、切り替えるようにして横にいるアミュっちの顔を笑顔で見る。
「薫を助けてくれる人はいたの!シゲにマーズさんとアミュっち…『修復者』のみんな、それに一応おじさんも、見ず知らずの薫に手を差し伸べてくれて、それがすっごく嬉しかったんだ!」
そう。
ひとりぼっちになるのは寂しかったけど、今薫がこうして笑えているのはその人たちのおかげ。
その人たちがいるから、そしていたから、何かが変わっても耐える事ができるし、できた。
「…だから、今度は薫が教えてあげたいんだ。変わることは怖い事だけど、私たちがいるから大丈夫だよって」
薫がうまく変われたように、きちんとあの子達もサポートしてあげたい。
誰かが側にいるだけで、感じるストレスは違うから。
色々な事が変わって、辛い時こそ誰かが側にいなきゃ。
「……特に美紋ちゃんはさ、『新芽』の中で一人だけ女の子じゃん?だから薫が助けてあげなきゃって思ったんだよね。気にかけてあげてるのに、それが全然伝わってないけど」
「…そっか」
もう薫みたいな思いをして欲しくない。寂しい思いだけはさせたくない。
そのためだったら、別に嫌われてても構わないから。
「…時間はかかるかも知れないけど、薫ならきっと伝わるよ」
「…にひひ、そうだといいな」
薫は知ってる、想いは届くんだって。
シゲが証明してくれた、アミュっちが伝えてくれた。
そしてそれは、とってもあったかいんだってもう薫はわかってるから。
「さーて、ちゃっちゃと今日はもう寝て明日に備えますかー!」
ぐぐっと伸びをして、一気に溜まった息を吐く。
「アミュっち、旅館までどっちが早く着くか勝負ね!負けた方はジュース奢り!」
「急に!?え、あ、ちょっと薫!転んでも知らないよー!」
「にひひ、大丈夫だってー!」
明かりが少ない中、旅館に向かって真っ直ぐ走り出す。
(…風斗、待っててね。お姉ちゃんはーー)
もう、迷わないよ。
アミュール「……っていうか、素直にそう言えばいいのに」
薫「それは…ホラ、先輩の威厳ってヤツがなくなりそうじゃん?」




