『The girl needs a mask to cover up the truth』Ⅶ
おじさんの家に来て一ヶ月が経って、新しい生活にも慣れてきた。
ほぼ全部が新しく感じるからか、昔を思い出す事も少なくなってきたように思う。
いや、意識的に思い出さないようにしてるのかも。やる事が決まったら、あとは突き進むしかないって、自分に言い聞かせてるのかも知れない。
その間に、昔持ってた薫のものはほぼなくなった。
服も鞄も靴も、新しいものがいいでしょう?っていつの間にか買い替えられてたんだ。
全部シゲが初めて薫の為に買ってくれたものだったから当然怒ったけど、でも薫ちゃんを捨てたんでしょ?って言われてあまり言い返せなかったのは悔しかった。
そんな奴早く忘れて楽に、なんて。そんな簡単じゃない。
それでも過去に引きずられないように、何も出来なくならないように。
そんな思い出を上書きするように、塗り替えるように。
これが現実だ、って身体に擦り込ませるように。
今日も、いつも通り相手をした。
『薫ちゃん、日に日に上手くなってるよねぇ。流石、若いから飲み込みが早いね』
『……』
そりゃほぼ毎日してるんだから、嫌でも身体は慣れてくる。
『やっぱ新しい仕事のおかげかな?どう?もう慣れたかな?』
『まぁ…』
あの後、おじさんはすぐに仕事を紹介してくれた。
ファッションヘルス、店舗型ヘルス。所謂箱ヘルというやつ。
どうやらおじさんはそこの店長と知り合いらしく、薫をそのツテで雇わせてくれた。
勿論幾つか条件はあって、その中でも見た目は特に厳しくされた。そりゃそうだ。もしバレたらお店側もこっちもたまったもんじゃない。
接客する時に何もしてないままじゃすぐにまだ学生ってわかっちゃうから、大人に見えるように髪も明るめの茶髪に染めたし、メイクもして初めてお店に出してもらえる。
…まさか写真の試し撮りのモデルになった時に教わったメイクが、こんな所で生きて欲しくはなかったけど。
『そういや薫ちゃん、また指名入ったんだって?凄いじゃないか。まだ入って二週間だろ?』
『……どうも』
『薫ちゃん可愛いからねぇ。やっぱあのキャラがいいのかな?ちょっとやってみてよ、あれ』
『えぇ…嫌なんだけど……』
『いいじゃないの、いつもそんな無愛想じゃないんでしょ?働いてる時の薫ちゃん、見たいな〜!』
『………』
…まぁ、機嫌をとっておいて損はない。
心底嫌だけど、吐き気さえしそうだけど。
それを全部飲み込んで、仕方なく仮面をつける。
『やっほー!先輩、元気にしてる〜?今日はどうしよっか?☆』
『…(笑)』
『……もうこれやめていいかなぁ、先輩?』
『いや、ごめんごめん。ありがとう(笑)』
何わろてんねん。今度それ噛みちぎってやろうか。
実際、おじさんと同じような年齢の人たちの事を先輩って呼んだり後輩って呼んだりするのがサービスなんだけど、それ笑うとかある意味侮辱だし。
『好きな人結構いるんだよね、制服プレイ。自分たちまで学生に戻った気分になれる。薫ちゃんのキャラは…生意気後輩チビギャルだっけ?』
『…それだけじゃないけど。大体そんな感じでオプション取ってくる人多いかな』
『いいよねぇ。染まった髪もよく似合ってるよ』
喜んでくれる人は多いけど、ちょっと臭ったり本番しようとしたりする厄介な人もいるから困る。
お金を払えばいいとか、こっちが若いからとかって何でもやっていいって訳じゃない。普通にストレスも溜まる。
勿論、その分お金はいいんだけどね。どんな仕事も楽にはいかないってわけだ。
でも、もう少し慣れてきて収入も安定し始めたら、もう一店舗ちょっと高く稼げる所を追加してくれるらしい。
よくもまぁ、そんなコネを持ってるなと思うけど。何者なんだろうこの人。
……別に興味もそんな無いから聞かないけどね。
『……シャワー浴びてくる』
一通り事が終わって、疲れと汚れを洗い流すべくベッドから出る。
すると、おじさんが薫の肩を叩いた。
『あ、ちょっと待って薫ちゃん。その前に見せたいものがあるんだ』
そう言い残したかと思えば、一枚の紙をどこからか持ってくる。
『…これは』
『これ、明細書ね。確認して』
それは、風斗の治療費や入院費、その他諸々のかかるコストが詳細に書かれている明細書だった。
ちゃんと、合計額と決済の欄に五百万の数字が書かれている。
これからの入院費も、毎月おじさんが払ってくれるらしい。
『…本当に、全部払ってくれたんだ』
『当たり前じゃないか。おじさん、約束は守る人だからね』
これで、今の生活を続ける事と、おじさんに返さなきゃいけない事が確定した。
とにかく、おばさんからは解放されたし、もし風斗に異変があってもお金のことは大丈夫になるだろう。
『……………ありがとう』
『ううん、大丈夫。これからも頑張ってね、薫ちゃん』
そう耳元で囁かれ、頭を撫でられる。
(…………)
誰がやっても同じはずなのに、その時は何か薫の知ってるそれとは違ったように思えた。
〇〇〇
年が明けて、数日。
流石に三ヶ日はお休みだけど、年始からもお仕事はやっている。
人間の欲は生きてるだけであるものだから、仕方のないことだけどね。
『……さむ』
あれから、学校には行ってない。
行ってないけど、特別不自由だと感じる事もなかった。
こうなるとは当時思ってなかったけど、結果的に一人になって良かった。あのまま薫のことを気にかけ続けて友達やってくれてるよりも、忘れてくれた方がこっちとしても気が楽だし、あの子達のためにもなる。
そういえば、学校での薫の扱いはどうなってるんだろ。卒業とか、出来る事になるのかな。
『…まぁ、どうでもいいか』
大学にはいけるんだし、今こうやってお金を稼いでる方が賢明だと思う。
何より、自分でお金を稼いでるって充実感がある。あの時、何も出来なかった自分とは違うんだ。
先月の振り込みを確認していると、通知が届く。車が来たみたいだ。
『お願いしまーす!』
『了解〜。今日も頑張ってね、アカネちゃん』
『まっかせてください!☆』
アカネってのは私の源氏名。お客さんに向けて本名を名乗れないから、ニックネームみたいなもの。
おじさんの紹介でゲットしたもう一つの稼ぎ先はデリヘル。前のもやめてないけど、ずっと一箇所にとどまってるのも飽きるし、ぶっちゃけこっちの方がお金がいいし。
それに毎回違う場所で出来るのも新鮮だしね。車で送ってもらえるのも便利。
最初この仕事する時は不安でいっぱいだったけど、今では慣れてきてちょっと楽しくなってきたかもしれない。
ていうのは、薫は元々細いし小さいし、おっぱいも全然ないから女としての魅力ははいんじゃないかって思ってた。
だけど、それが好きって言ってくれる人も案外多かったのが意外だったんだ。もの好きもいるもんだなぁ。
その分若いねぇ、中高学生に見えるよ!って言われてドキッとする事も少なくないんだけどね。適当に誤魔化すのも楽じゃない。
『……あ』
おじさんから連絡きた。今日の夕食は外食か出前かどっちがいいかか。どっちでもいい。後で返信しとこ。
おじさんには家も貸してもらってるしご飯もよく奢ってもらってるけど、それ相応の対価は払ってるから罪悪感もない……それが現金じゃないってのは置いておいてね。
とにかく、今は前と比べてだいぶ自由になった。お金も溜まってるし、何よりストレスがそんなにないのが嬉しい。
………何か、足りないような気がするのは気のせい。
とりあえずあと一年、このまま順調にお金を貯めていこう。私なら、やっていける。
〇〇〇
...そう、思ってた。
『っぷ、くすくす』
自分のロッカーを開けると、自分の荷物がなくなってて、ゴミ箱に捨てられてた。
この職場に来てから、五ヶ月と少し。
今日も今日とて、こんな感じの扱いを受ける。
『………』
古い店舗はこういう事あるにはあるらしくて、ここもまた例外じゃなかったってだけの話。
今の時期は嬢とお客さんの入れ替わりが激しい。ただでさえ狭い待機室も、ストレスの溜まり場になりつつある。
だから調子こいてる風な新人に目をつけては、こういう下衆なことをするのが売れなくなったババ…もとい、古株のストレス発散法になるわけだ。
薫が最初入った時はそんなにギスギスしてなかったんだけど、四月とかそこらを過ぎてから環境が結構ごっそり変わったのが割と大きい原因かな。
最近入って来た子がいじめられてて、それにちょっかい出した薫が巻き込まれて…って、まぁありがちな話だよね。
でもその子も辞めて、今のターゲットは薫だけ。
『ねぇ、気分はどうー?』
『てかさ、知ってた?ロッカーの番号教えてくれたの、あの子なんだよ!ギャハハハハ!!!』
(あー...)
鞄についてる埃を落とす。酷く気分が悪かった。
『オイ、無視してんなよ〜!』
ふと、冷たさが頭を襲う。
水をかけられた、って事に気づく頃には薫の服はびしょびしょだった。
『…チッ』
いじめの内容もだんだんハードになってきてる。それにキレて問題を起こしても面倒だ。薫に構ってるあっちが子供で、何もしないのが大人の対応なんだろう。
一回り以上年下の一五歳の薫を大人気なくからかって、どっちがどっちなんだか。
上に報告しても、注意しときますって程度。あのボス猿女となんかあるんだろう。一回その反応を見てからもう役に立たないなって思って、期待はしなくなった。
やめるのも手なんだけど、薫の固定の客がついちゃってるから、その人の事を考えるとやめるにやめられなくなってるのが今の現状。
ちょろっとやめるかもってこぼした時があって、たかが嬢と客の関係なのに、あんなに悲しそうな反応が返ってくるとは思ってなかったからね。
そんな事を考えながら一通り鞄を綺麗にして、さっさと身支度を済ませて扉へと向かう。
『あれー、今日はもう帰るんだー、お疲れ〜』
『ふふ、何あれダッサ』
残念だけど、今日はアンタらに構ってる暇ないから。
タバコ臭い、二重の意味で息が詰まる部屋から出る。
まぁ、こんな感じで相変わらず世の中クソだ。
でも、全部がクソって訳でもない。一応、このあと楽しみがある。
薫が帰る反対方向の電車を捕まえて、何駅か後のコインロッカー前。
『お待たせー!ごめん、ちょっと遅れちゃった。待った?』
『いや、私も今着いた所だ。それじゃあ、行こうか』
夕方までのシフトの時にしか会えないし、日付が変わる前にはおじさんの所に帰らなきゃいけないけど。
それまでの、薫が心地いいちょっとした遊びの時間。
昔からのお得意さんで、ロングを何回もリピートしてくれる。お金もいっぱいくれるし、ご飯が美味しいお店もおじさんに負けないくらいいっぱい知ってる人だ。
……本当はこういうのダメだし、お店にバレたらヤバいけど。年齢の事も言ってないし本人達が黙っていれば大丈夫。
『アカネちゃん、今日も可愛いね。その服も似合ってるよ』
『ほんと?ありがと』
何より、この人はちゃんと薫の事好きって言ってくれるからね。
今まで家族以外に誰にも言われたこと無かったから、やっぱり言葉に出すのって大事。
『…今日はどこにいくの?』
『そうだね、今日は私のとっておきを紹介してあげるよ』
『それ、この前も聞いた〜!』
気づいたら、自然と笑っている薫がいる。
さっきまで働いてた時もそう。お客さんの前でも、薫はいつも笑顔で接してる。
というのも、最初は営業スマイルって自覚はあったんだけど、この仕事を続けていくうちに何だかそれが営業かどうか分からなくなってきた感じ。
その、笑ってる状態がもうデフォルトになりつつあるからね。だから薫…アカネちゃんといると元気もらえるー、とか癒されるー、とか言ってくれる人も多くなった気がするけど。
それでも、それはほんとに笑っているのか、それとも笑みを作ることが上手くなったのか。
薫自身も、わからない。
(…まぁ、どうでもいっか。そんな事)
彼に繋がった手を引っ張られて、薫たちはネオン揺蕩う街並みへと消えていった。
〇〇〇
セックスは気持ちいいし、好きだ。
服も、威厳も、何もかも全部置いてきてありのままの姿で肌を重ね合う。
そこに歳とか見た目とか過去とか、積み上げたものが全部関係なくなる。素の自分でいられるんだ。
…そういう、気がする。そういう気分になれる。だから好き。
それに、何より薫を求めてくれるってのが嬉しい。
その時だけは、その人にとって薫は必要な存在になるんだ。いて欲しいって存在になれるんだ。
そうすれば、もう置いていこうなんて考えは生まれないから。
ただ気持ちよくなって、全部忘れられるから。
前は全然わからなかったけど、今はお酒を飲んだりギャンブルを楽しんでる人がいる理由がわかる気がする。
みんな、大体何か抱えてる。その時だけは、それを忘れられる。
多分この口付けが、きっとこの温もりが、皆にとってのそれなんだろう。
例えそれが、一時の偽りだったとしても。
みんなそうやって、一時的な何かに酔ってるんだ。
シゲも、おじさんも、薫自身も。
そうじゃなきゃ、こんな不条理な世の中なんて、とても生きていけやしないから。
今にも崩れそうな足場を、一時凌ぎの嘘と快感で塗り固めていくしかないから。
すぐ壊れるようなものを、本物なんて呼べやしない。
そんな適当な本物なんて、誰も持っていやしないんだ。
〇〇〇
春の暖かさが完全に消えて、湿気が多くなる季節になってくる頃。
今日は二週間に一回の、早めに仕事を切り上げて貰える日。
ここに来るときは、毎回ほんのちょっぴり緊張する。っていうのも、あんまりいい思い出が無いからかもだけど。
『あの…すいません』
『はーい、あぁ、薫ちゃん!二週間ぶりだね!元気?』
『あ…はい。一応、何とか』
『今日も風斗君のお見舞い?ちょーっと待っててね。あ、これ面会簿ねー』
何回か顔を出してるうちに、もうすっかり顔馴染みになってしまった受付のお姉さんと軽い挨拶をして、渡された面会簿に必要なものを記入していく。
この病院の空気は、嫌いだけど…好き。
常に何かに一生懸命で、大変な事ばっかりなのにそれを皆頑張って笑顔で隠そうとする。
なんか親近感湧いちゃうんだよね、まるでどっかの誰かさんみたいでさ。
そう薫が謎の感傷に浸ってると、いつの間に面会簿が出来上がっていた。
『あ、終わった?…うん、オッケー。じゃあはい、面会証』
『…ありがとうございます』
『あ、それともうすぐ患者さん夕食の時間だから六時半には受付に返すようお願いしますねー!』
『わかりました』
いつも通り面会の手続きを終えて、風斗のいる病室へと向かう。
三九四号室。そこの右端に、誰よりも愛しい顔が眠っていた。
『風斗…』
風斗は、いつも通り穏やかに息をしていた。
少しだけ伸びた髪をよけ、そっと顔を撫でる。
『……』
相変わらず、伸びている管の数と後ろの機械は中々消えてくれない。増えてないだけマシだけど、やっぱり少し痛々しいのは変わりない。
ずっと意識がない分、風斗のケアも大変らしい。薫も手伝えればいいんだけど、なにぶん薫も忙しいし、そういうのはプロに任せたほうがスムーズだと思うからね。
風斗も身の回りのお世話は、お姉ちゃんより美人の看護師さんにやってもらった方がいいだろう、なんて。薫にそういうの見られるのも嫌がりそうだし。
『…逆に、今薫がやったら見るなよ!とか言って起きるかなぁ。にひ』
そんな冗談から、毎回恒例の薫の近況を話し始める。
お客さんに喜んで貰えた事とか、あのお店の料理が美味しかったとか、小さいことから大きいことまで、出来るだけ全部。
こうやって話しかけることで何かが変わるかもしれないし、そうでなくても自分が何を思ってるかとか、口に出せるだけでスッキリするからね。
でも、あんまり嫌な話は聞かせたくなかった。そういうのは薫も話してて気分良くないし。
まぁ、愚痴とかはやっぱり話したくなっちゃうんだけど、それはちょっとだけに留めてる。
お姉ちゃんが弟の前で弱音なんて吐いてられないし、情けない姿なんて見せられないからね。
『…そういえば、もうすぐ貯まるんだ。五百万』
週六で二つの店掛け持ちプラス、たまにお小遣い稼ぎとして夜に仲良いお客さんと秘密で会ってるのもあるから、思ったより早く貯まった。
そのお客さんやおじさんのおかげで出費がほぼゼロな事も効いてるんだろう。ご飯とか服とか、欲しいものは買ってくれるからね。ちょっと申し訳ないけど、その分する事はしてるから。
……ほんと、風斗が目を覚ましてくれればそれに越したことはないんだけどね。
薫の努力も報われるってもんよ。
…いや、そしたらもっと大変になるかな。
流石におじさんの所にずっとお世話になるわけにはいかないから、二人で住まなきゃいけないし、そうなると風斗の学費と家賃と食費と、それと家具とかも色々買わなきゃいけない。
『…にひひ、楽しみだね』
その分、もっと私が頑張らないとだよね。お金はあればある方がいいんだし。
『…………』
こうやって話してるだけなのに、薫の方が元気を貰えるんだから、やっぱり家族ってすごいんだね。
このおかげで、日々いい事があったらここで話せるよう覚えておけるし、ポジティブになれる。
だから、例え元気がなくても落ち込んでても、お見舞いには来るようにしてる。
『…お姉ちゃん、頑張ってるよ』
色々、辛いけど。何とか頑張ってる。
だから、風斗も頑張れ。
『あ…そろそろ時間だから、行くね』
気づいたら、もう三十分近く経っていた。
もう少しだけ見ていたいけど。風斗からしたらずっと見られるのは嫌がるよね、きっと。
『……また、すぐ来るから』
最後に少しだけ風斗の顔を見て、切り替えるように前を向いて病室を出た。
『…さて、と』
今日は、もう後は家に帰るだけ。こんなに早く帰れるのは久しぶりかもしれない。
帰った後は何をしようかと考えながら階段を降りていると、その途中にスマホが振動した。おじさんからだ。
(また電話かぁ…うるさいなぁ)
もう今日は帰るんだし、今は病院だから出れない。
病院に入る前も何回かかかってきた。ちょっと最近、面倒臭い。
なんでわざわざ電話かけてくるんだろう。何かあるなら普通にメッセージ送ってよって思うのは薫だけかな。
構って欲しいと言わんばかりにまだ震えているスマホをポケットから鞄へ移して、受付へ面会証を返しに行った。
『これ、ありがとうございました』
『はーい。時間前に帰ってきてくれてありがとうね。どうだった?いっぱい話してきた?』
『…はい。おかげさまで』
その後お姉さんと軽く話して、そろそろ立ち去ろうとしたその時だった。
『あ、薫ちゃん、ちょっと待って』
『…?』
『何でか分からないけど、薫ちゃん宛でこの病院に荷物が届いてたの』
『荷物…?薫に……?』
病院に薫宛の荷物…?ちょっと怪しい。
確か、薫に荷物を送りたいならおじさんの家に届くはずだけど…。お仕事関連なら、まず間違いなくおじさんの家に届くようになってる。
でも、薫宛…?アカネ宛じゃなくて?って事は薫の事を知ってる人…?
何だろう…変なものじゃないといいけど。
取り敢えずその荷物を受け取る。少し大きめの封筒だった。
そして、差出人の名前を見ると、そこには茂田茂夫と書かれていた。
『…ッ!!!?』
脇目も降らず、その場で開ける。
まず手に取ったのは一枚の紙だった。
『薫へ。
久しぶりだな。相変わらずか?…なんて、言える口じゃないな。
まずは、これだけ言わせてほしい。
済まなかった。
言い訳がましくなっちまうが、あの時の俺はああするしかなかった。あまり詳しくは言えねぇが、ちょいと危ない感じの、色々と厄介な仕事でな。お前を連れていく訳にもいかなかった。それでも何も言わずに、ってのは今でもあまりいい選択とは言えなかったけどな。
…だが、もしこの事をお前に言ったら、お前はどうする?大人しくしているか?その答えに百パーセントの自信を持ってイエスと言えるならいいんだが、そうじゃない可能性が一パーセントでもある限りは連れていけなかった。今回のは、そういう類の仕事だったんだ。自分で言うのも何だが、ただでさえ口下手な俺が面と向かってお前を完全に説得出来るとは思えんからな。
とにかく。これは俺の本意じゃなかったし、そうしたくもなかった。
だから、変なことを考えるなよ。
…確かに、お前を一回置いていっちまったのは変わりない。だが、違う。俺は必ず戻る。約束だ。だからこの手紙を出したんだ。取り掛かってるその仕事が、あれからようやく一回落ち着いたからな。手紙を書く時間も取れた。戻るのは、もう少し先になりそうだがな。
それと、誕生日おめでとう。当日には渡らないかもしれないが、お前がこれで喜んでくれたなら選んだ甲斐があったってもんだ。俺が贈り物なんて、柄じゃあねぇし、罪滅ぼしのつもりでもねぇがまぁ。贈らせてくれや。
じゃあ、またな。
シゲ』
『……シゲ...』
まさか、このタイミングでシゲからの反応が返ってくるとは。
半年以上も間空いてるのに、手紙なんか寄越して。
『………』
正直、何で今更って言うのはある。
シゲが離れて行ったあの日に、何で何も言ってくれなかったんだって行き場の無いモヤモヤは、今でも心の奥深くにこびりついてる。
でも。
シゲも、したくて置いてったんじゃなかったんだ。
薫の事、忘れてなんかなかったんだ。薫の事嫌で、置いて行ったんじゃなかったんだ。
なんていうかもう、それが分かっただけで。
『……ぅ』
どうしよう。どうしよう。
やばい。色んな感情が込み上げてきて、爆発しそう。
とりあえず短くお礼を言いつつ受付から離れて、外の人目につかない場所に移動した。
『………あ』
っていうか、そっか。
今日誕生日だったっけか...薫。
もう一回封筒に手を入れてみると、底の方に包装された小物と、また更に小さい封筒があった。
小物の方を開けてみると、赤い髪飾りが入っていた。さくらんぼをモチーフにした、同じ大きさの玉が対になってるのが大小二個ずつで四セット。
『…にひ、何これ。かわいい』
シゲがこれ、選んだのかな。だとしたらめっちゃウケるんだけど。
にひひ、わざわざお店でどれが薫に似合うか選んで、店員さんにこれ渡した訳でしょ?あのナリで?
ちょっと想像して、笑ってしまった。本当は大声で思いっきり笑いたいところだったけど、ここは病院だから声を抑えてしばらく笑ってた。かなりツボだったし。
そして、もう一つの、小さい封筒の方。
『…わ』
たくさんの写真だった。
確かに、シゲは一緒にいる時ちょくちょくカメラを構えていた気がする。
初めて仕事した時の写真や、部屋で教科書と睨めっこしてる写真。綺麗な夜景を見に行った時や、どうやって撮ったのか一緒に買い物してる後ろ姿やラーメンを食べてる横顔まで。
でも、その全部が、とびっきり輝いてた。
『……っ』
シゲとの日常が、確かにそこにあった。
忘れてなんかない。例え今は側に居なくても、この思い出は色褪せないと言わんばかりに。
『…おっそい』
一枚一枚、丁寧に見る。
ほんとに今更、こんなの送ってきやがって。
『遅すぎるよ…馬鹿……ッ!!』
最後の写真まで、しっかりと見る。
唇を噛みながら、今まで見た写真を綺麗に整えて封筒に戻そうとしたその瞬間だった。
「風邪、引くなよ」
『……ッッ!!!』
写真の、裏。
白いところに、ペンでそう書かれている。
『ね、ねぇ…嘘……』
「飯はちゃんと食え。当然野菜もだ」
「歯は大事だ。歯磨きは一日二回しろ」
「シャワーじゃなく風呂に入れ。落ち着ける」
今までの写真の裏、全部に汚い文字で書かれていた。
『ッ、不器用な癖に、こんな…こんなことしてぇ…っ、ずるいよぉ……っ!』
駄目だ。書かれてるインクが滲んでしまう。
だけど、止められない。止められるはずがなかった。
『薫、もう子供じゃないのに…ねぇ、こんな…我慢出来る訳ないじゃん……!』
純粋に嬉しいんだか、こんな事言われて小っ恥ずかしいんだか、返事が遅くて腹が立ってるんだか、もうぐちゃぐちゃでわからない。
…でも、やっぱり嬉しい。
だって、薫の事を想って書いてくれてるんだから。
その暖かさは、ちゃんと伝わったから。
『ありがとう…シゲ……!』
今度はきちんと、アンタの目の前で言うから。
だからって、全部許せる訳じゃ全然ないけど。この後に及んでこんな事してもって感じだし、傷ついた乙女に優しくしてその後置いてくなんて事した罪は消えない。
でも、土砂降りに降っている雨なんか吹き飛ばせるって思えるくらい、それは薫にとって嬉しかった。




