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不条理の修復者  作者: 麿枝 信助
第二章 舞い咲く恋慕は蝶の如く
57/67

『The girl needs a mask to cover up the truth』Ⅴ


 

 『なんで、どうして…ッ!?』

 

 異変に気づいたのは朝スマホを見た時だった。

  

 時間に厳しいシゲは、数分前には次何をするかの指示をくれる。例えば、今日だったら本当は九時半にチェックアウトするからそれまでに支度してロビーに来い、とか。

 

 でも、いつもならそういった何かしらの連絡が来ているはずなのに、それがなかった。

 

 おかしいって気づいて連絡用のアプリを開いたら、何故か昨日まで登録されてたシゲの連絡先が消えていた。

 

 何でかな、って思いながらすぐに隣のシゲの部屋に行ったけど、そこはもうもぬけの空だった。

 

 

 そこで、完全に目が覚めた。

 

 

 流石に目を疑った。

 

 

 まだ夢の中にいるんだと思った。

 

 

 でも、いつまで経ってもこのタチの悪い夢は醒めてくれない。

 

 

 『…だって、理由も無しにこんな……シゲがこんな事する筈ない…!!』

 

 訳を聞きたいのに、肝心の連絡先がないから聞けない。

 

 電話もかけたけど、この電話は現在使われておりませんって……ああもう!!

 

 『ハァ、ハァ、ハァ……ッ』

 

 脇目も振らずロビーへ走る。

 

 何で薫のことブロックしてるのかわからないけど、何で薫のこと置いて先に行っちゃったのかもわからないけど、もしかしたらまだそこにいるかもしれない。

 

 『シゲ!!!』

 

 突然の大声に受付のお姉さんが目を見開いてこっちに振り返ってくるけど、気にしない。

 

 『ハァ、ハァ、ハァ…』

 

 辺りを一通り確認するけど、シゲっぽい人影は見当たらなかった。

 

 『あ、あのー、お客様?何かお困りでしょうか?』

 

 普通じゃない様子の薫を見て受付のお姉さんが声をかけてくる。その人に薫は掴みかかる勢いで尋ねた。

 

 『シゲが…私と一緒に来てた人見ませんでしたか!?』

 

 『失礼ですが、お名前を伺っても宜しいでしょうか』

 

 『…夜葉薫』

 

 『夜葉薫様ですね、少々お待ちください』

 

 『………』

 

 じっとしてられない衝動とはやる気持ちをどうにか抑えながら、何とかその場に留まって深呼吸する。

 

 『ご一緒に宿泊なされた茂田茂夫様は、この受付が開いた時に夜葉様の分も含めてもうチェックアウトされていらっしゃいますね』

 

 明らかに偽名だけど、そんなことはどうでもいい。チェックアウトが済んでるってことは、トイレに行ったとかタバコを吸いに行ったんじゃなくて、この旅館を一人で先に出て行ったのが確定したって事だ。

 

 『それってどうなの!?普通薫を待ってからそういうのしなきゃいけないんじゃないの!?』

 

 『はい…ですが、茂田様が仰るには、彼女は今頭痛が酷くて寝かせてあるからと…。今お薬を買いに出てらっしゃいますが、すぐに戻ると伺っております』

 

 『戻る!?でも……』

 

 『はい、手続きをされたのが六時半頃ですので、もう二時間以上経っていますね…』

 

 例え車で薬局まで買いに行ったとしても、流石に二時間はかからない筈。そもそも、こんな山奥の近くに朝早くから空いてる薬局なんてそんな都合よくあるのかもよく考えたら怪しい。

 

 考えれば考えるほどわからなくなってくる。何でいきなり、何でこんな事、って疑問だけがずっと頭の中をぐるぐると回ってる。

 

 俯いて難しい顔をしている薫を見て、ハッと我に帰ったのか受付のお姉さんが姿を消した後、またすぐに戻ってきた。

 

 『夜葉様。茂田様からの預かり物がございました。彼女が来たらこれを、と』

 

 薫へ、と書かれた一つの封筒。仕事でよく使ってるやつだった。

 

 開けるのを一瞬躊躇したけど、それだと前に進めない。何よりシゲからのメッセージだ。開けない理由がなかった。

 

 封を切ると、一枚のクレジットカードとメモ用紙が中に入っていた。

 

 

 

 『次の仕事が出来た。ここから遠いところだ。もう会えなくなっちまった。済まない』

 

 

 

 その下に、カードの相性番号らしき数字がこれは好きに使え、という文字と共に書かれている。

 

 

 

 『…な、に…これ………』

 

 

 

 理解できない。

 

 

 意味わかんない。

 

 

 頭が痛くて、くらくらする。

 

 

 もう会えないってどういう事…!?

 

 

 シゲがいなかったら…薫はこれから………

 

 

 『……ッ!!』

 

 これ以上、考えるのをやめた。

 

 少しでも可能性があるなら、追いかけなきゃ。

 

 このままじゃ全然納得いかない。いく訳ない。

 

 『ねぇ、もう薫のぶんのチェックアウトは終わってるんだよね!?』

 

 『え、ええ。体調が宜しければそのままお帰りになっても問題ありません。その…大丈夫ですか?』

 

 『うん、薫は平気。ありがとう。そんな事より……』

 

 今、薫がすべきことは。

 

 『ここから一番近いATMって、どこ!?』

 

 

 

 〇〇〇

 

 

 

 その後、薫は何とか地元にたどり着いた。

 

 『くそっ、めっちゃ時間かかった…ッ!!』

 

 全然無かったお金をおろしてから旅館からバスと電車で帰ったから、思ってたより時間が経ってて、気づけばもうお昼前になっていた。

 

 車だったら絶対もっと早く着いてた。これ以上遅れたくないのに…!

 

 シゲのアパートは駅からそこまで離れている訳じゃない。邪魔になる荷物を駅のロッカーに預けて、全力で駆け出した。

 

 いつもはこの部屋に来るのが楽しみで仕方なかったのに、今心の中にあるのは焦りと不安しかない。

 

 胸の中から色んなものが溢れ出そうになるのを懸命に堪えながら、インターホンを鳴らしてドアを叩いた。

 

 『シゲ!シゲ!!』

 

 ドアノブに手をかける。でも、当たり前のように鍵がかかっていた。

 

 『シゲ!!ねぇ、いるの!?返事して!!!』

 

 もう一回しても反応がない。例え中にいたとしても、このまま出てこないのは分かりきっていることだ。

 

 『だったら…ッ!!』

 

 階段を降りて一階のある部屋のベルに仕事をさせる。

 

 『すいません!!大家さんですか!?』

 

 『はい、どうしました?』

 

 『あの、二〇六号室の鍵ってありますか…!!か…私、今その部屋に用があって…!!でも、入れなくて…!!』

 

 『…はぁ。少しお待ち下さい』

 

 急いでる時はたった数分でもそれが何倍にも感じる。はやる気持ちを何とか抑えてじっと待っていると、大家さんが顔を出してきた。

 

 『…はい。お待たせしました……って、君は確か…』

 

 大家さんとはここに来る時に一回だけすれ違ってて、軽い挨拶をしてるシゲに誰かを教えてもらっていた。

 

 『あの、シゲがいきなりいなくなっちゃったんです!!何か知りませんか…!?』

 

 いきなりこんな事言われて困るのは目に見えてるけど、今はとてもなりふり構ってられない。大家さんは何事か、って顔をしながらおずおずと教えてくれた。

 

 『…何があったかは知らないけど、シゲさんなら少し前に退去の手続きをしていったよ。全く、いきなりにも程があるだろう』

 

 『退去!?』

 

 信じたくはなかったけど、いよいよ本格的に嘘じゃないって事が証明されてきた。道すがら、車も無かったのも確認したからもしかして、って思ってたけど…。

 

 『少しってどのくらい前!?』

 

 『えーと、全部荷造り終えて出て行ったのが確か三十分前くらいだったかなぁ』

 

 ほんとに何があったのか分からない。

 

 分からないし、頭ん中ぐちゃぐちゃだけど、でも、今あるのはシゲがいないって事実だけ。

 

 …とにかく今は、追いかけなきゃ。

 

 追いついて、話を聞かなきゃ。

 

 『……今、シゲがどこにいるかって分かりますか…!?』

 

 『さぁ?車だったし分からないな。そう言えば彼も急いでる様子だったけど、どうしたの?』

 

 『また今度話します!!』

 

 知りたい事が全部分かった以上、これ以上ここに居ても意味がない。大家さんに軽く頭を下げて、すぐさま駅へまた走りだした。

 

 『シゲ…もう出てたなんて……ッ!!』

 

 相手が車じゃ今から足で追いつくのは無理。そもそもどこに向かったかも分からないんじゃ追いかけようがない。

 

 でも、逆にどこに行ったかってその行き先を掴めればまだ追いつける可能性がある…!

 

 シゲは普段、基本同じところしか行かない。スーパーも、コンビニも、ファミレスもラーメン屋も、全部同じところをリピートしてる。

 

 今はお昼時だから、そこでもしかしたら昼食を取ってるかもしれない。何か、次のお仕事に向けて買ってるかもしれない。

 

 (それに、一緒に仕事してた人なら何か知ってるかも…!)

 

 ちょっと。ほんのちょっぴりだけど希望が見えてきた。

 

 

 でも、同時に。

 

 

 シゲが引っ越したって聞いて、実はあの時すごく泣きそうになった。危なかった。

 

 スマホで連絡出来なくなったのはまだ、どこかに落としたのかなとか、そんな勝手な妄想ができた。

 

 あのメモ用紙だって、きっと何かの間違いだって思えた。

 

 

 …けど。

 

 

 二人で過ごしたあの狭いアパートの部屋を、あの思い出が沢山あった部屋を全部綺麗に片付けて出て行った、っていうのは流石に規模も覚悟も違うって思った。

 

 一人で朝早く出たのもそうだし、本気で薫と会いたくないのかな、って思っちゃった。

 

 考えたくないのに、だからひたすら走ってるのに、その思考は止まってくれない。

 

 

 なんで。どうして。

 

 

 いやだ。

 

 

 嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ……っ!!

 

 

 無性に嫌だった。どうしようもなく嫌だった。

 

 何で前もって言ってくれないの…!?

 

 そうするならするで、せめて一言くらい何か言ってくれてもいいんじゃないの!?

 

 『ハァ、ハァ、ハァッ、ハァ……ッ!!』

 

 そんな考えを振り払うように、更にスピードを上げる。

 

 『う、ぐ…、うぅ……ッ!』

 

 呼吸が苦しい。足も痛い。

 

 でもそれ以上に胸の中が痛くて、辛くて。思いっきり吐き出した。

 

 『あの…馬鹿野郎ぉおぉおおおっっ!!!!!』

 

 外は寒いのに、体と頭と目の奥が燃えるように熱い。

 

 

 シゲはいつも薫のちょっと先を歩いてた。

 

 いつもなら、ちょっとシゲの所まで小走りすれば簡単に追いついてその憎らしい顔が見れたのに。

 

 何で、今は。

 

 どれだけ走っても、走っても、その背中すら見つけられない。

 

 

 (……あ)

 

 この感覚は、どこか知ってる。

 

 

 

 (………置いて、行かれる)

 

 

 

 『………ッ!!!!』

 

 

 …それを今考えたらダメだ。きっと何も出来なくなる。

 

 すぐ後ろにある、そのどこか見覚えのある感覚から逃げるように。

 

 ひしひしと感じるその恐ろしさに追いつかれないように。

 

 ただ、走った。

 

 

 走りながら、スーパーも、コンビニも、ファミレスもラーメン屋も。その途中の道を通る人にも車にも、全部に目を光らせてた。

 

 もしかしたら時間がずれてるだけかも、と思ってもう一回全部回った。迷惑を承知で、お店の人にも聞き込んだ。

 

 

 ………。


 

 …だけど、やっぱり。

 

 

 『ハァ、ハァ、ハァ、ハァ…ッ、ハァ……ッ』

 

 

 ……シゲは、もうこの辺りにはいないようだった。

 

 

 『クソ……ッ、ッハァ、最ッ悪………!』

 

 冬も近いのに、身体中汗でびっしょりだった。すれ違う人の視線が煩わしい。

 

 薫だって、好きでこんなことやってるんじゃないのに。

 

 

 …全部、全部アイツが悪い。

 

 

 『………ッ』

 

 

 ……まだだ。

 

 まだ、諦めるには早い。

 

 こうなると、残された道はもう一つしかない。

 

 

 私は最後の希望を持って、駅へと駆けた。

 

 

 

 〇〇〇

 

 

 

 『すいません、すいません……!!』

 

 すれ違う人に謝りながら、スタジオがある建物の廊下を走る。

 

 (いる…絶対いる……!!)

 

 いるって分かってるのに、何でこんなに不安なんだろう。何でこんなに焦ってるんだろう。

 

 それはきっと、息が切れるほど走っていないと、口を閉ざして邪魔をしてないと、私の中の何かが出ていってしまいそうだったから。

 

 何かが変わってしまう事が、嫌だったから。

 

 それをまた受け入れる事が、嫌だったから。

 

 そして、必死にそれと戦っているうちに、いつもシゲと一緒に行く仕事場に着く。顔見知りになった人が、何人かいた。

 

 『お〜、どうしたの薫ちゃん、そんな息切らして』

 

 『あれ?シゲさんの仕事は今日はない筈だけど…何かあった?』

 

 『シゲは…』

 

 一通り、見渡す。

 

 

 ……いない。

 

 

 『………ッ!』

 

 『…薫ちゃん?』

 

 

 ……人が見てる。

 

 

 一回落ち着いて、深呼吸。

 

 

 『…何か、ハァ、聞いてないんですか…ッ』

 

 ずっと走ってきたから、息をするのが苦しい。それでも何とか声を絞り出した。

 

 

 だけど。

 

 

 『え?いや別に…何もないよ、なぁ?』

 

 『はい。こちらからも依頼はまだ出してないですしね。検討中の案件なら幾つかありますが』

 

 

 

 『そ…ん、な……』

 

 

 

 頭の中に響いてる何かがまた煩くなった。ぐわんぐわん、って視界が揺れる。

 

 

 

 …最後の当てが、外れてしまった。

 

 

 

 今日の全部が、無駄になった。

 

 

 

 そう思うと、思ってしまうと、今まで必死に抑えていたものが溢れてしまう。

 

 

 

 『か、薫ちゃん!?どうしたんだいきなり!?』

 

 分かってる。分かってるけど、止められない。止まんない。

 

 今すぐ叫びたい転げ回りたい暴れたいこのむしゃくしゃをぶちまけたい。

 

 『……………ッ!!』

 

 

 それらを全部抑えて、殺した。

 

 

 酷い顔を見せたくなくて、しゃがみ込む。

 

 皆見てる。皆心配してくれてる。

 

 ...でも、ごめんなさい。今は、一人になりたい。

 

 薫が立ち上がろうとすると、一人のスタッフさん声が耳に届いた。

 

 

 『…彼と連絡が取りたいのかい?』

 

 

 『…ッ!?』

 

 『一応、こっちからも電話をかけてみよう。仕事相手からの電話だ、彼もそう無下にはしないと思うが…』

 

 久しぶりに、彼の言葉以外で顔を上げた。

 

 最後の最後で、糸が繋がってくれた。こうなったらもう、これに頼るしかない。

 

 『…!お願いします!!』

 

 その人は頷いて、直ぐに電話をかけてくれた。

 

 薫の持ってる電話番号と同じだったら意味ないけど、仕事先だからもしかしたら違う番号を教えているかもしれない。

 

 そんな可能性を信じて、本来の仕事を中断してまでやってくれる事に感謝しながら、じっと待つ。

 

 『............繋がらないな…』

 

 『.........』

 

 目を伏せる薫を見て、こちらの事情を察してくれたのか、他のスタッフさんたちも声を上げてくれた。

 

 『い、今はたまたま出れないだけかもしれない!また後でかかってくるよ!!』

 

 『そうそう、それに電話が繋がんないんだったらメールも出してみましょう!』

 

 まだ何も事情を話してないのに、よく知りもしないこんな薫なんかの為に人が動いてくれる。

 

 『...何があったか話してくれる?薫ちゃん』

 

 特によくしてくれる女性のスタッフさんが、目線を合わせて聞いてきた。

 

 『...実は、今日の朝シゲが突然......』

 

 それから、薫は今日起ったことをかいつまんで話した。

 

 朝、起きたら連絡先にシゲがいなかった事。

 

 薫を置いて一人で出て行った事。

 

 納得がいかなくて、追いかけても、追いかけても追いつけなかった事。

 

 もう頭の中も心の中も顔と同じでぐちゃぐちゃだから、多分何言ってるかわかんなかった所もあったと思う。

 

 それでもお姉さんは親身になって聞いてくれた。

 

 『...そっか。大変だったね......』

 

 大変だった。本当に、大変だったんだよ。

 

 『シゲさんも、なんとなく戻ってくると思うけどな。私達と仕事してる時もそうだったけど、あの人すごく几帳面で自分にも他人にも厳しかったから。それは薫ちゃんもよく知ってるんじゃないかな』

 

 お姉さんは、優しい声で微笑む。

 

 『...だから、もうちょっと待ってみよ?』

 

 『…………………』

 

 唇と拳に、力が入る。

 

 この時慰めてくれてありがとうっていう、感謝以外の感情が一瞬出かかったのだけど、それが何か分かる前に新たな声に気を取られた。

 

 『一応メールも出してはみたけど、すぐに返事は来ないなぁ…』

 

 五分ほど待っては見たものの、パソコンの通知が鳴ることはなかった。

 

 『すいません、そろそろ時間が...』

 

 『ああ、わかってる。とにかく薫ちゃん、流石に返事がずっと来ないはずはないだろうから、来たらまた連絡するよ』

 

 『そう、ですか……』

 

 手がかりが何も掴めてないって最悪な状況なのは変わりないけど、まだ連絡出来るチャンスが無くなった訳じゃないと自分に言い聞かせる。

 

 薫の様子を伺ってた他の人たちも、次々と我に帰ったように自分たちの仕事に手をつけ始めた。

 

 そうだ。彼らの時間を奪っては行けない。これ以上迷惑をかけちゃいけない。

 

 ……それに、今は、何となく一人になりたい。

 

 出口へ向かうと、返事が来るまでここにいてもいいんだよと言ってくれるスタッフさんがいてくれたけど、謹んでお断りした。

 

 『…すいません、どうもありがとうございました』

 

 薫は、重い足を引き摺るようにして部屋を出た。

 

 

 

 〇〇〇

 

 

 

 あれから、日が落ちて辺りはすっかり暗くなった。

 

 薫は、どこかに行く当ても無いので駅のベンチで座って、メールの返事が来たかの連絡を待っていた。

 

 『…………………』

 

 一日中走って走って、流石にヘトヘトだった。もう、何も出来ない。

 

 まだ完全に治ってない足で走りまくったから関節が軋んでじんじんと痛いし、旅館でのモデルで撮影用の靴だから足が擦れてて二重に痛い。

 

 『はぁー………っ』

 

 息を吐き、組んだ両手に額をつける。

 

 ……それでも、薫は頑張った。頑張ったから。

 

 (大丈夫、きっと来る筈……!)

 

 『……………………………』

 

 それと裏腹に、朝からずっと追いかけてきた時に押し殺してた不安が一気に押し寄せてくる。

 

 …これで、あの人から返事が来なかったなら。

 

 (……本当に、最後だ)

 

 それから、少しして。

 

 

 電話がアラーム音と共に振動した。

 

 

 『もしもし!?』

 

 『もしもし、薫ちゃん?』

 

 ワンコール以内で取る。出たのは、さっき仕事場で電話の話を持ちかけてきてくれた人だった。

 

 『あー、一応シゲさんから返事来たんだけど、新しい仕事が来たので暫くはそちらの仕事を受けかねません、申し訳ございませんって…』

 

 

 『……ッ』

 

 

 嫌な予感は、していた。

 

 

 それから、お互い黙った状態が数秒続いて。

 

 

 震えながら、聞いた。

 

 

 『わ、私のことは…』

 

 

 『…何も、書かれてなかったよ……』

 

 

 『……』

 

 

 『聞いてみようと連絡したけど、メールが届かなかった。多分、メールのアカウントごと消されてるんじゃないかな......』

 

 

 『……………』

 

 

 力が抜けて、スマホを落とす。

 

 

 これで、はっきりした。

 

 

 『あ、ぁ……』

 

 

 また。

 

 

 まただ。

 

 

 

 薫はまた、大切な人に置いていかれたんだ。

 

 

 

 『……っ、あ…ぁ………』

 

 

 ずっと、考えないようにしてた事なのに。

 

 

 これを考えたら、きっとおかしくなってしまうから。

 

 

 もう、前の薫には戻れそうにないから。

 

 

 心の中の不安をこれ以上広げないように、膝を抱えて、顔を埋める。

 

 

 『……っ、……………』

 

 

 …思えば、最初から名前を教えてくれなかったのも、自分のことを話そうとしなかったのも、全部このためだったのかもしれない。

 

 

 ……最初から、信用されてなかったのかな。

 

 

 一緒に仕事した時間とか、勉強教えてもらった時間とか、

 

 

 全部、全部。

 

 

 …全部。

 

 

 

 『……嘘、だったのかなぁ...』

 

 

 

 あれは夢で。可哀想な薫が勝手に抱いてた妄想で。

 

 

 罪深い薫には、確かに勿体無いくらい幸せな時間だった。

 

 

 まるで、パパとママと一緒にいたあの時が戻ってきたみたいだった。

 

 

 今は心の底から憎いのに、蘇る記憶がその感情を邪魔する。

 

 

 『くそ…くそぉっ……』

 

 

 行き場のない手で、抱えている膝を殴る。

 

 

 『シゲ…何で………』

 

 

 

 『何で薫がされて一番嫌なことするの…』

 

 

 

 知ってる癖に。シゲだって、それがどんなに辛いか分かってる癖に。

 

 

 

 『何で私には、言わせてくれないの……』

 

 

 こんな事になる前に、面と向かってお礼を言いたかった。

  

 

 『……会いたい…』

 

 

 もう一度、会いたい。

 

 

 もう、一瞬だけでいいから、一言だけでいいから。

 

 

 ちゃんと、ありがとうって。

 

 

 『言いたかったのに……』

  

 

 もう、あの大きい手が不器用ながらも優しく頭を撫でてくれる事はない。

 

 

 シゲの代わりなんて、いるわけがない。

 

 

 パパとママも、もういない。

 

 

 みんなみんな、薫を置いてった。一人ぼっちにした。

 

 

 (……あ)

 

 

 ここで、ふと気付いた。

 

 

 一人ぼっちになった理由。

 

 

 皆が皆、薫を置いていったんじゃない。

 

 

 薫も、一人になりたかったんだ。

 

 

 親切で、心配で声をかけてくる人達を突き放してたんだ。

 

 

 寒くて辛い孤独なんて、耐えられやしないのに。

 

 

 何で?

 

 

 …違う。 

 

 

 なりたくて、一人になったわけじゃない。

 

 

 薫は、ただ。

 

 

 

 (………薫は、人を信用するのが怖かったんだ)

 

 

 

 信用したら、裏切られるから。

 

 

 また、置いていかれるから。

 

 

 だから、学校で仲良い友達を遠ざけたんだ。さっきのお姉さんの分かってるような言動にも、不可解なものを感じたんだ。

 

 

 …一人になるしか、なかったんだ。

 

 

 ……唯一、シゲは違うと思ってたけど、結局アイツもそうだった。

 

 

 『…………』

 

 

 今日で、何かが吹っ切れた気がした。

 

 

 そうだ。

 

 

 …これからは、誰も信じないで生きよう。

 

 

 

 ずっと一人で、生きていこう。

 

 

 

 〇〇〇

 

 

 

 ……どれくらいこうしてたっけ。

 

 

 どこかに行くにも、当てがなくて。それと、何となく動きたくなくて、ずっと同じ姿勢で座ってる。

  

 

 気づけば人気も完全に無くなって、氷みたいな夜風が肌に染みてくる頃になってた。 

 

 『あのー、お客様。そろそろ駅が閉まる時間なんですが…』

 

 ……当然、こうなるよね。

 

 そりゃ、ベンチの上で何時間もずっと膝抱えて座ってる女の子がいたら気にかける。

 

 『……すいません』

 

 軋む身体に、それでも動けと命じて熱を入れる。

 

 これからどうしようか、ってぼんやりと考えながら立ち去ろうとした。

 

 

 だけど。

 

 

 

 『…あれ?君は、確か……ここ最近いつも男の人と一緒にいる子だったよね?』

 

 

 

 足が止まる。

 

 

 『どうしたの?今日はあの人、一緒じゃないの?』

 

 

 声が降ってきたのは後ろの方向だった。

 

 

 『え…?』

 

 

 思わず、振り返る。

 

 『ほら、おじさんいつも見かけてたからさ。この歳頃の女の子が、こんな夜遅くまで一人でいるからちょっと心配になっちゃったんだけど…お節介だったかな……』

 

 (ああ…そういう)

 

 ……そういうのは、もう聞き飽きた。

 

 申し訳ないけど、今そういうありきたりな偽善まみれの売り文句を聞かされても、胸焼けが進むだけ。

 

 『…いえ、お気遣いなく……』

 

 足早に、その場を立ち去るが吉。

 

 さて、どうしたものか。ネットカフェなるものがあって、泊まれたはずだけど。

 

 そう、足を動かした直後だった。

 

 

 

 『…松坂(しげる)。あの人の本当の名前だよ』

 

 

 

 『…!!?』

 

 

 今度こそ、完全に振り返った。

 

 その駅員と、初めて目が合う。

 

 『駅員になる前はおじさんも警察関連の仕事でねぇ。若い時、顔を見たことがあったんだ』

 

 どこかで見たことがあったと思ったら、思い出した。

 

 シゲと出会った時の、薫を連れていこうとしてた、あの太ったおじさん。

 

 『そんな顔してるのは、どうやらあの人の事が原因らしいねぇ』

 

 『……ッ』

 

 

 『ま、ここじゃ何だし。どう?詳しい話はご飯でも食べながら………ね?』

 

 

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