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不条理の修復者  作者: 麿枝 信助
第二章 舞い咲く恋慕は蝶の如く
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『The girl needs a mask to cover up the truth』Ⅳ


 

 シゲと出会ってから、一ヶ月が経った。

 

 流石に毎日お世話になるのはどうなのかなって思ったから、火木土の週三日だけお邪魔している。

 

 平日は勉強を見てもらってて、土曜日は仕事の手伝い。

 

 おばさんと二人で住んでいた時はろくにお金が手に入らなかったから、正直何もできなかった。

 

 好きな物も食べれなかったし、交通費すらないから風斗のお見舞いにも行けなかった。

 

 

 でも、今は違う。

 

 

 その貰ったお給料で毎週お見舞いには行けているし、丁度先週は模試を受けてきたところだった。

 

 今日はその報告と問題の復習も兼ねて、先生のところへ来ているって訳。

 

 いつものボロ臭いアパートの一室で、道すがら買ってきたホットコーヒーで体を温める。

 

 『んー、最近寒くなってきたねぇやっぱ』

 

 『もう十月も終わりだしな。どーでもいいが、体調崩して試験受けれませんでしたっていうこの世で最も愚かな事はするなよ。自分の体調管理も出来ねぇようじゃこの先何もやってけねぇってこった。オーケィ?』

 

 『はいはい、おーけーおーけー。分かってますよーだ』

 

 一緒に過ごしてきて分かった事なんだけど、この人結構お小言が多い。

 

 やれああしろ、こうした方がいいとかを割と高い頻度で言ってくる。まぁ、言ってることは正しいっちゃ正しいんだけど、なんか最近ちょっと耳障りになってきたとかは言えないかな。うん。

 

 『で、日曜の模試どうだったんだよ』

 

 『…うん、まぁまぁかな』

 

 自己採点を昨日した限りでは、全然良くは無かったけど滅茶苦茶酷いって訳でもなかった。絶対間違えちゃいけない程度の基礎は大体出来てるかなって感じ。

 

 薫、元々勉強嫌いだし得意じゃないから結構キツいんだけどね。頑張るしかない。

 

 『お前、どっか行きたいとこはあるのか』

 

 『別に、公立であればなんでも〜。強いて言うなら、学費が安いところかな』

 

 そう、薫は公立に行ければどこでもいいから、ぶっちゃけ高得点を狙って猛勉強しなくてもいいのはでかい。ただ、教科書に載ってる事を出来る様にすればいいからね。

 

 『…もう少し、なんかないのか。自分の欲ってヤツはよ』

 

 『……ない訳じゃ、ないよ。でも』

 

 友達が行くとか、制服が可愛いとか、部活が活発だからとか。自分がそうしたいって欲とか。

 

 『…そういうのは、もういいかな』

 

 もう薫だけ、そういう風に生きられないから。

 

 『……そうか』

 

 風斗が起き上がって、普通の生活に戻って初めて私も自由になれる。

 

 

 例え風斗がこう望んでなくても、私がダメだから。

 

 

 今の薫は何かを犠牲にしないと、笑えもしないから。

 

 

 自分だけ生きてるっていう事に、罪悪感を抱え続けてしまうから。

 

 

 

 (……だけど)

 

 

 

 薫は、少し変わった。

 

 

 一ヶ月前の、ただ後悔と虚しさしか無かった薫は、もう綺麗さっぱりいなくなった。

 

 

 その時と比べて、今がなんて充実している事か。

 

 

 ちゃんと生きている。生活を楽しんでる。笑う回数も、格段に多くなった。

 

 

 『全部...アンタのおかげだね』

 

 『あ?なんか言ったか』

 

 『んーん、なんでもない!にひひ。あ、そうだ』

 

 シゲの気を逸らす為に、溜まってた模試の質問をする。

 

 今まで勉強とか単に気を紛らわす為にやってたけど、最近はちょっとだけ楽しい。

 

 

 (…ちゃんと、やるべき事がわかってるっていいな)

 

 

 自分の進むべき道が見えてるって、こんなに安心するんだ。

 

 

 それを歩くために努力するのって、こんなに充実するんだ。

 

 

 今まで、パパやママがいた頃はそれが当たり前だったかもしれないけど。

 

 

 やっと、その『当たり前』がどれだけ素晴らしいかって事に気付かされた。

 

 

 『……おい、おい薫。聞いてんのかお前』

 

 『…あ、ごめん。ちょっとぼーっとしてた』

 

 『オイオイ、頼むぜ全くよ。こっちは仕事終わりの貴重な時間を使って解説してるってのに』

 

 いけないいけない。せっかく教わってるんだから、集中し直さないとだよね。

 

 『…うん、そうだよね。薫も頑張らないと。にひ』

 

 『……なんだ、今日はやけに素直じゃねぇか。気持ち悪ィな』

 

 『えー!いつもこれくらい素直で薫は可愛いでしょ!?寧ろ教えさせてあげてる事に感謝して欲しいくらいだね!』

 

 『……ったくコイツはよ。オラ、口動かす前に手を動かせ。今のもっかい自分で解けるようにしろ。オーケィ?』

 

 『へーい』

 

 日常になりつつあるやりとりをしていると、ふと、電子音が鳴った。洗濯が終わった時に流れるやつだ。

 

 軽くため息を吐きながら、シゲは気だるそうに立ち上がる。こういう家事も、彼は右腕が動かないぶん左腕一本でやっているらしい。

 

 大量に衣服が入った洗濯カゴを肩に担ぎながら歩くシゲを見る。今まで何度も、自分の家事を片腕でしている彼を見ていた。

 

 ……本当は、手伝いたい。シゲには沢山の恩がある。

 

 (……………)

 

 ……でも、今まで言えなかった。

 

 (『アンタ…それ、嫌がらせのつもり?』)

 

 同じことを言って拒まれた記憶は、まだ新しいから。

 

 

 (……だけど、今日こそは……!)

 

 

 余計なお世話かもしれない。でも、少しでも何か役に立ちたい。

 

 

 今まで何の役にもたってないから。恩返しがしたいから。

 

 

 まだ、彼はベランダにいる。今なら、間に合う。

 

 

 胸に手を当てて、深呼吸してから息を吸う。

 

 

 『あ……手伝お、っか?』

 

 『………』

 

 

 聞こえてない。

 

 

 覚悟を決めて、立ち上がって、近寄ってもう一度。

 

 

 『…シゲ!何か、今、手伝う事とか……』

 

 

 『…あ?これくらい一人でやる。お前はそれよりもさっきの問題を……』

 

 

 (あ……)

 

 

 …そうだよね。

 

 

 薫なんかいても、ほんと迷惑だよね。

 

 

 ただでさえシゲの時間を奪ってるのに、こんな、何出しゃばってんだって話。

 

 

 ……大丈夫。今度はちゃんと、隠し通さないと………

 

 

 

 『……まだ洗濯機の中に服が残ってる。それ持ってきてくれ』

 

 

 

 『えっ…?』

 

 『お前が手伝いたいっつったんだろうが、オラボサッとすんな。早くしろ』

 

 

 …何でかはわからないけど、シゲはいつも薫の欲しい言葉をくれる。

 

 

 それがどれだけ薫の助けになってるか。

 

 

 『…にひひ、わかった』

 

 

 きっと、薫自身が思っているよりも、シゲの存在は私の中で大きいんだろうな。

 

 

 あの日以降、今までは拒まれ続けてきたから。

 

 

 誰かの役に立てる事が生きがいって、こういう事なんだ。

 

 

 『ってか一度に干しすぎでしょ、これ!雨とか降ったらどうすんのさ』

 

 『明日は一日中晴れだ。洗濯日和』

 

 『にしてもだよ!今その着てる服しか残ってないんじゃないの?』

 

 『残念ハズレだ馬鹿野郎。もう一着ストックがある』

 

 『いやそんな変わらんじゃん…』

 

 声には出さないようにしてるけど、嬉しさがどんどん胸から込み上げてくるせいで顔がだいぶだらしなくなってる。洗濯を手伝っている間、顔を見られないようにするのがちょっと大変だった。

 

 『…これで終わり?後なんかやる事ない?』

 

 『………』

 

 シゲは少しの間遠くを見つめた後、スマホを取り出して何かの確認をする。

 

 『…そうだな。そろそろ冷蔵庫が空になるからその買い出しの手伝いと、部屋の掃除。それとお前の勉強がひと段落したら仕事の写真整理も付き合え。こんだけ教えてやってるぶん、お前には仕事以外にも色々手伝ってもらわねぇとな』

 

 『…うん、うん!』

 

 頼ってくれてる。必要とされている。

 

 それが、どうしようもなく嬉しくて。

 

 『まっかせてよ!…わっ』

 

 ふと、影が伸びたかと思うと、大きい手がわしゃわしゃと薫の頭を掻き回す。

 

 『…ありがとな、薫』

 

 『……にひひ、どういたしまして』

 

 それは不器用でちょっと雑だったけど、それでもどこか優しかった。

 

 

 

 〇〇〇

 

 

 

 その週の日曜日。

 

 薫たちは、郊外にある旅館に出張に来ていた。

 

 『にひ、反応良さそうだったね』

 

 『ああ…まぁな』

 

 夜ご飯を食べ終えて、片付いた食器の代わりに机に並んでいるのは今日撮った写真だった。

 

 日中に写真を撮り終えた後も、シゲはその夜にパソコンを開いて写真やデータと睨めっこするらしい。

 

 『…前から思ってたんだけど、それほんとに現像する必要ある?データで良いんじゃないの?』

 

 シゲは今日撮った写真を、わざわざ小型のフォトプリンターで現像していた。一枚一枚丁寧に左手で日付や場所を書いている。

 

 『意味はある。実際に現像すると、少なくとも俺はその見え方が違ってくる』

 

 『ふーん…』

 

 『後は…これのためだな』

 

 『あ、それって…』

 

 シゲは新品のアルバムを取り出して、今日撮った写真をその中に入れていく。

 

 『車の中にいっぱいあったアレでしょ!もしかして今までの仕事のヤツ、全部入ってるの?』

 

 『仕事だけじゃない。プライベートで撮ったやつもある』

 

 『へぇー!ね、明日見てもいい?』

 

 『…そうだな。少しくらいなら見せてやってもいい』

 

 『ほんと!?にひ、楽しみだなぁ〜!』

 

 胸を膨らませながら、畳の上に敷いてあるシゲの布団の上でごろごろする薫。それを横目で見たシゲは軽く溜息を吐いた。

 

 『お前…それ後でちゃんと直しとけよ。オーケィ?』

 

 『オーケーオーケー。ってかシゲって変に几帳面なトコあるよね〜』

 

 『変にって何だ馬鹿野郎。俺はやる時とやらない時を分けてるだけだっての』

 

 こんな感じで、シゲが作業している間は暇だから適当に喋ってる。たまにどっちが良いとか、この写真のどこがいいかとか聞かれるけど、それくらいしか今は手伝えない。

 

 やる時とやらない時があるってのは割と本当で、やる時は集中してるから話しかけたりとかは出来ない。

 

 逆に今みたいな作業はシゲ風に言うとやらない時らしいから、話しかけていい感じっぽい。その集中具合の違いががここ最近でわかってきた。

 

 『…これで一通り終わりか』

 

 『お疲れさま〜』

 

 いつもはかなり夜遅くまで写真整理をしているそうで、本人によると、気づいたらこの時間になっている事が多いのだとか。

 

 だから寝不足で目つき悪くなるんじゃないかとか思うんだけどね。

 

 あ、やば。シゲの眠そうな目見てたら薫もちょっと眠くなってきたかも。ちょっと間が開くと、疲れのせいもあってか瞼が重くなる。

 

 『…!』

 

 突然、その眠気を覚ますように着信音が部屋に響いた。

 

 『……電話?こんな時間に珍しいね』

 

 鳴っていたのはシゲの電話だった。

 

 薫、電話は苦手で、今でも突然来るとびっくりしちゃう。

 

 だから肩が浮くくらいには驚いていたんだけど、シゲはただ静かに目を見開いて、スマホの方を見ていた。

 

 『シゲ…?取らなくていいの?』

 

 『……………ああ』

 

 正直、電話が来た事よりそんなシゲの様子が驚きだった。こんなハッとする表情を見たのは初めてだったから。

 

 『……もしもし。……ああ、俺だ…』

 

 電話を取った後、こちらに左手をかざして合図を送ってくる。

 

 少し待っててくれ、でしょ。わかってるって。

 

 軽く薫も頷いて合図を送ると、シゲは部屋を出て行った。

 

 『…今日は浴衣で良かったねぇ。いつもの格好だったらこんな旅館の中とか歩けないでしょ、にひ』

 

 彼が去った後、含み笑いをしながらぽつりと呟く。

 

 それにしても、いつも無愛想なシゲがあんなに狼狽えるなんて…何だったんだろ。やっぱり仕事かな。実は納品されてませんよーとか。……こわ。

 

 『……』

 

 そんな事を考えながらぼんやりと部屋を見ていると、少し離れた台と床の隙間にいつもシゲが首から下げてるロケットペンダントが落ちていた。

 

 お風呂上がってからつけてなかったのかな。

 

 『……大事なもの、だよね。これ』

 

 そういえば、これいつもつけてるけど、外してるところは見た事なかった。

 

 拾って、テーブルの上とか目につきやすい所に置いておこう。

 

 『……………あ』

 

 それを握った拍子に、ロケットが開いた。

 

 『……!』

 

 一人の、若い女の人の写真。

 

 セミロングの髪をなびかせて、とびきりの笑顔で写っていた。

 

 『…っ!』

 

 すぐさまそのロケットを閉じて、テーブルの上に置く。

 

 …いくら事故とはいえ、なんか、見ちゃいけないものを見ちゃった気がした。

 

 『………まぁ、そうだよね』

 

 逆に、あれで彼女いなかったらウケるんですけど。

 

 『………………』

 

 こういう隙間時間とかで、いつも単語帳とか見てるから同じように単語帳を開く。

 

 えーっと。Contract…〜にかかる、契約する…Concentrate…集中する……。

 

 ...............。

 

 『……って、集中できるか!!』

 

 ...普通に気になる。

 

 『…多分彼女……だよね。逆に妹とか姉とかだったらちょっと引くけど…』

 

 …もう一回くらいなら、見て良いかな。

 

 ちょっとだけ、ちょこっとだけ…。

 

 そうテーブルに手を伸ばそうとすると、不意に後ろの襖が開いた。

 

 『に゛ぁあ!?』

 

 『………何やってんだお前』

 

 危なかった。最悪のタイミング一歩手前で帰ってきてくれた。

 

 『…びっくりするなぁも〜。もっと静かに開けられないの?』

 

 『襖開けてびっくりする方がおかしいだろ。何してたんだよ』

 

 ぐぬぅ、正論。これだから面白くない。

  

 『…まぁいい。…薫、今日はもう遅い。お前はさっさと自分の部屋戻って寝ろ』

 

 『えー、まだ起きてるよぉ』

 

 薫も子供じゃないんだし、いいじゃん別に。

 

 『...そういうシゲは今から何するの?』

 

 『……それもあるから部屋に戻ってろって言ってんのに』

 

 『え…もしかしてえっちな事d』

 

 『晩酌だ馬鹿野郎。ガキが調子乗んな』

 

 何回か続いた小言を聞き流してそれでも薫が居座っていると、それを言うのも諦めたらしく、渋々とシゲは飲み始めた。

 

 『…飲めるんだ、お酒』

 

 『普段飲まないだけだ。こういう時もある』

 

 『ふーん…』

 

 そういえば、シゲがお酒を飲んでいるところは初めて見るかもしれない。

 

 大人なのに何で普段は飲まないんだろ、って考えていると数分後に答えが出た。

 

 『あぁ…くそっ、やってられっかよこんな事……』

 

 もう顔が赤くなってる。だいぶ弱いっぽい。

 

 パパもママもお酒は全然飲まない人だったから、ぶっちゃけお酒飲んでる人なんて久しぶりに見る。それによく知っている人が、お酒入ったらどういう風になるのか興味もあった。

 

 つまんない事に、シゲが特に笑ったり泣いたりって感情の起伏が激しくなる事はなかった。

 

 その代わり、おもむろにテーブルに置いてあるロケットペンダントを左手で掴んで見つめていた。

 

 

 『……お前と、アイツは良く似てる』

 

 

 『アイツって、その中の…?』

 

 『……見たのか、これ』

 

 『………えっと』

 

 だめだ。ミスった。

 

 ここで即座に見てないけど何?って言わなかった時点で詰みだ。興味の方が勝っちゃった。

 

 『…たまたま…目に入っちゃって……』

 

 『…まぁいい。特段隠している訳でもないしな。昔の話、どーでもいい事だ』

 

 『…………』

 

 シゲは、明らかにどうでも良くない時に敢えてどーでもいい、って言葉を使う時がある。

 

 ちょっとモヤっとするから、なるべく言わないで欲しいんだけどな。

 

 そんなよく自分でもよく分からない気持ちを紛らわせようと、気づいたら勝手に口が動いていた。

 

 『…どんな人なの?その人』

 

 『……コイツは、まぁ、昔馴染みみたいなもんでな。いつも俺に付き纏っては、うるせぇくらい色々言ってきたもんだ。ったく、鬱陶しいったらなかったな』

 

 そう言って、お酒を口に含んでいた。

 

 虚空を見つめてるその目が、その先の何を見ているかは分からないけど。

 

 『…シゲ、楽しそうだね』

 

 『………そう見えるか』

 

 『うん。いつもよりお喋りだし』

 

 『…………………そうか』

 

 声も優しい。その時点で、彼女がどういう存在かってわかった気がした。

 

 『…いいの?薫なんかと今一緒にいて』

 

 『……いいんだよ。言ったろ、昔の話だってな』

 

 『……』

 

 シゲの携帯はいつも、仕事用の連絡しか来ないのは知ってる。

 

 …それと何となく、空気で察した。

 

 『…同じ事故だ。俺の右腕が動かなくなった時のな』

 

 『……………』

 

 『だから…なんだ。正直お前の気持ちもわからんでもなかった。…あの時お前に声をかけたのも、今思えばそうだったのかもしれねぇな…』

 

 確かに、仕事以外で人と話しているところを見たことがなかった。

 

 口数は元々多くないから、シゲ自身の話はあまり聞かなかった…というか、聞いてもはぐらかされた。過去に色々あったのかもしれない。

 

 いや、あったからこそ話そうとはしないんだろうな。薫も、自分の過去の事を進んで誰かに話したくはない。

 

 『……』

 

 何で薫がして欲しい事とか、言って欲しい言葉とかすぐ分かるのかなぁ、っていつも思ってた。

 

 特別なセンサーでも持っててもおかしくないってくらい、今まで薫が『そういう気持ち』になる時に反応してきた。

 

 

 『たまに見せるお前の目は、昔の俺と良く似てる。だから何考えてるかとか、何となくわかんだよ』

 

 

 『......そうなんだ』

 

 

 似た者同士だったのかもね、薫達。

 

 

 お互い不幸に突然襲われて、だけど不器用だからうまくいかなくて。

 

 

 めっちゃ失敗して、めっちゃ苦労して、めっちゃ泣いて。

 

 

 自分の事をシゲ自身から話してくれたのは、多分初めてだと思う。

 

 

 不謹慎かもしれない。でも、それがちょっぴり嬉しかった。

 

 

 『薫、ちょっとこっち来い』

 

 『え、何、急に』

 

 『…いいから』

 

 隣の床をポンポンと手で叩き、座るように促してくるシゲ。

 

 酔っ払いの面倒見るのは勘弁して欲しいなぁ、と思いつつも薫はその横に座った。

 

 『………薫』

 

 『え?…うひゃ』

 

 頭を掴まれたかと思うと、その左手が優しく動いた。

 

 『…ほんと何〜、もぅ…』

 

 

 『…お前はよく頑張ってる』

 

 

 『……え』

 

 あれ、よく聞こえなかった。

 

 でも、もし薫の耳がおかしくなかったら、今、薫の事褒めた…?

 

 『…え、何?ごめん、もう一回言ってくれる?』

 

 『お前はよく頑張ってるって言ったんだ。誰にでも出来る事じゃなぇ』

 

 『……』

 

 聞き間違いじゃなかった。ほんとに、あのシゲが薫を真面目に褒めてくれている。

 

 『…両親が逝っちまってからも、お前はずっと一人で戦ってたんだよな……』

 

 『え、ちょ、何?ほんとに何なの?』

 

 お酒のせいもあるかもしれないけど、その時のシゲは、何か、いつもと違うように見えた。

 

 『……もしかしなくても、酔ってるせい…?』

 

 『…ああ。酔ってるせいだ。酔わなきゃ、自分テメェの言いたいことも素直に言えねぇクソ野郎だからな、俺は。……だから、言うぞ』

 

 『……!』

 

 

 

 『…弟の為に、今までよく頑張った。薫、お前は偉い』

 

 

 

 今まで、誰も薫のことを褒めてくれなかった。

 

 

 今まで、誰も薫のことをわかってくれなかった。

 

 

 今まで、頑張ったのに手に入ったものは侮蔑と同情だけだったから。

 

 

 『……いきなり、そんな…』

 

 

 そんな、不意打ちを喰らってしまったら、我慢できる訳なかった。

 

 

 『…今のうちに泣けるだけ泣いとけ。年取ると、泣きたくても泣けなくなるからよ。男だと特にな』

 

 『………ずるいよ、シゲばっかり…そうやってぇ……っ』

 

 薫ばっかり、大切なことをたくさんもらってる。

 

 薫だって、シゲに何かしてあげたい。薫に出来ることなら、何だってやってあげたい。

 

 瞬きをしてもしても、困ったことに目の奥からの流れは止まってくれない。どうしてくれるんだ、とその原因を作った人に訴えるけど、無言でも薫が何を訴えたかはシゲには分かったようだった。

 

 『…どーでもいいことなんだけどな。今アシスタントをやってもらってるだけでも十分なんだが、まぁ、あれだ。無償で甘えるってのは今のうちにしか許されない事だからな。今は黙って甘えとけ。人生の先輩からの有難いアドバイスだ。オーケィ?』

 

 『……うん』

 

 この時、初めて自分の感情に気づいた。

 

 

 恋って呼べるほど、甘酸っぱくはないし、

 

 

 愛って言えるほど、年季の入ったものじゃない。

 

 

 でも、薫は。

 

 

 この人の事を、どうしようもなく大切に思ってるんだなって。

 

 

 薫の小さい手に収まるくらいの幸せでも、こんなに温かくなるんだなって。

 

 

 シゲも、普段飲まないお酒を入れてまで、頑張って薫に本音を伝えてくれた。

 

 

 『……シゲ、あのね』

 

 

 だったら、薫もーー

 

 

 

 『それと』

 

 

 

 だけど。

 

 

 薫が、それを言い始める前に、

 

 

 彼は目を伏せながら、こう言った。

 

 

 『…すまねぇな』

 

 

 『……え?』

 

 

 『あともう少しだけ、頑張ってくれ』

 

 

 『……それってどういう』

 

 

 シゲはゆっくりと立ち上がる。お酒はもう空だった。

 

 『どこ行くの?』

 

 『煙草。お前は部屋に戻ってもう寝ろ、薫』

 

 『…ねぇ、ちょっと待っ』

 

 『薫』

 

 その目は、何故か。

 

 『おやすみ』

 

 酷く、寂しそうで。

 

 『…明日!ちゃんと聞かせてよね!』

 

 手をひらひらとさせて部屋を後にするシゲ。

 

 何となく、遠ざかる彼の背中を見えなくなるまでずっと見ていた。

 

 『…何だったんだろ。変なシゲだったな』

 

 そう小さくボヤきながら、仕方なく部屋に戻る。

 

 『……明日になったら、ちゃんと…』

 

 そう。明日になったら、ちゃんと言わなきゃ。伝えなきゃ。

 

 今までなんだかんだきちんと言えなかった、ありがとうを。

 

 ちょっと小っ恥ずかしいけど、シゲだって言ってくれたんだから。お世話になりっぱなしの薫の方が色々言いたいことがあるのに。

 

 『…にひひ』 

 

 布団の中で、明日なんて言おうかなとか考える。ちょっとサプライズ的にしたら、びっくりするかな。それともやっぱり真正面から向き合って言った方が気持ちが伝わるかな。

 

 そんな事を考えていたら、いつの間にか寝てしまっていた。

 

 

 そして、朝起きると、シゲの姿はどこにもなかった。

 

 


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