19 新入生合宿1日目 Ⅺ 『露呈』
「いやー、皆お疲れ様!皆の新衣装、よく似合ってたよ〜!」
『裏側』から抜け、ドゥの拠点を後にする一行。生徒たちの着替えが新鮮だったのか、どこか浮ついた雰囲気で愛海は先頭を歩いていた。
「……なんかどっと疲れたなぁ…」
思った以上に疲労が溜まったのか、ため息混じりに肩を落とす燎平。
かかった時間は一時間程度のものであったが、すっかり辺りが暗くなったのも相まって、余計にそれ以上長くあそこにいたと錯覚する生徒一同であった。
着替えをさせるのは楽しい反面、いざさせられる方となるとまた気の持ちようが変わってくる。
見ているぶん愛海は楽しめたのだが、慣れない事や新しい事を立て続けにさせられた彼らにとっては、感じた新鮮さと同じくらい体力を使ったのであろう。
「えーと、どうだった?色々やってみて。少しは実感湧いてきたかな?」
「んー、まぁな。ちょっとずつは」
「アンタ凄いね…私はまだあんまりついていけてないかも…」
後頭部に両腕を回しながら答える来飛に、呆れながら目を細める美紋。
新しい事柄を認識し、受け入れるのにかかる時間は個人差がある。その事柄が今までと違えば違うほど、ギャップも大きくなり受け入れるまでに様々な障害があったり時間がかかったりするものである。
それを愛海は分かっているのか、例えなるべく早く受け入れる必要があったとしても、美紋に対して圧力をかけずに微笑んだ。
「大丈夫、気にしないで。ゆっくり自分のペースで追いついていけばいいの。その時間を作る為に私達がいるんだから。…分かってると思うけど、暁君もね」
「え、あ…はい。ありがとうございます」
何かを考え込んでいたのか、若干反応が遅れる暁。それを燎平は見逃さなかった。
「...なぁ、やっぱなんか暁のヤツ、元気なくない?」
「ん?そーかぁ?」
「やっぱ若干遅れたの気になってんのかなぁ...。皆さんを待たせてしまって〜とかなんとか」
「いやぁ、気にしすぎだろ。もしそうだったとしても今とおんなじ事を暁にも俺は言ってやるけどな」
一番後方で愛海に続く燎平と来飛は、ヒソヒソと声音を落としながら彼を心配する。
確かに、声音や態度は来飛が言ったように普段と何も変わりがないように見える。
だが、燎平には心なしか、前を歩く彼の背中がいつもより小さく見えたのであった。
「あれ、そういや外で話していいんすか、こういうの」
まだ人気のあまりない住宅街を歩きながら、燎平はふと浮かんだ疑問を口にする。
「ああ、まぁぼかしたら多少はね。駅では人も多かったし、何するかって詳しく説明しなきゃいけなかったから…」
「なるほどな...まぁ、そりゃあ話し込むためにわざわざあの...なんつった?変な世界みたいな」
「『裏側』でしょ」
「あそうそう、『裏側』に行くのは面倒だもんな。わざわざその...変身?しなきゃあそこ行けねぇんだろ?アレ疲れたわぁ」
呆れながら美紋に指摘される来飛であったが、当の彼は自分で言った変身という言葉に妙にそわそわしていた。
「疲れるのは慣れてないからかな。まだ総量が全然無いのもあるし、そのうち慣れてパッと出来るようになるよ」
ゲーム風に言うと、今の燎平達はレベル1。『異元』をMPと置き換えるとすると、『異元展開』にかかるコストは2ほどとなる。
彼らの今の総MPは5といったところ。『異元展開』しただけでも半分ほど持っていかれるので、そりゃ疲れるというものである。
「あ、あとごめんね。直接単語を言うのはちょっとまずいかな...めんどくさいんだけどね、ごめんね」
「あ!すいません、そっか...」
外では、直接『裏側』や『異素』等の単語を言わない分には構わないらしい。
だが、個人が『修復者』やその関係者だと特定されるような事があれば、何かしら本部からお咎めが来るそうだ。
「へ、怒られてやんの」
「は?元はと言えば来飛君が覚えてないからでしょ」
「え〜?俺は単にボカしただけだけどなぁ〜?先生が言ってたみたいにさ〜?」
「コイツ...ってかアンタも言ってたでしょ」
「こらこら、二人とも喧嘩しないの」
愛海が二人をなだめる中、丁度暁の隣に来た燎平は彼の顔を覗き込む。
「...暁?なんか考え込んでる?」
「......さくちゃん。ええ、まぁ」
「ふーん、そか」
「.........」
燎平は特に深入りすることもなく、ただ黙って横を歩き続ける。
それを横目で見た暁は、自然と頬が緩んでいた。
「...優しいですね、さくちゃん」
「え?なんか言った?」
「いえ、対してさくちゃんは何も考えてなさそうだなぁと」
「は?普通に酷くね?」
突然のいじりに多少ビビる燎平であったが、調子の良い暁は毒舌っぷりにもキレが増すというのも彼にとっては既知である。
トラブルを避けるために、普段から人の顔色を何かと伺っているからこそ微妙な雰囲気の違いにも気付けるのであった。
〇〇〇
それから少し歩くと、夜の闇が人工的な光によって薄れてきたのが分かる。
「お、もう駅前ら辺か」
流石にこの時間帯は客入れ時なのか、様々な飲食店が賑わっていた。
当然、疲労が溜まれば腹も空く。ましてや今は視覚的にも聴覚的にも嗅覚的にもあまり若者達の空きっ腹に宜しくない状況であった。
「...腹減ってきたな……」
「そういえば夜ご飯、どこで食べよっか」
「どれくらいかかるかもわからなかったので、予約も入れてませんでしたね」
幸いな事に流石この辺りで一番大きい駅前であるためか、選択肢の少なさには悩まなくて済みそうである。
四人が当たりを見渡しながらあれだのこれだのと決めあぐねていると、その様子を見た愛海が声をかけてきた。
「…貴方達、もしかしなくても一緒に食べる約束してる?」
「はい。一応今回の外出の件も、皆で久し振りに夜食をとる、という程で親に許可を貰ってますので」
暁が答えた後、ふむと愛海は一考する。
そして数秒後、意外といえば意外な提案が彼女の口から溢れ落ちた。
「...あのー、もし良かったらだけど......」
〇〇〇
「あー...センセさ、マジでいいのか?駅にいた時に言ったのは冗談だったんだけどよ......」
エレベーターが上昇するのを感じながら、横にいる愛海に若干申し訳なさそうに尋ねる来飛。
対して彼女は、返答として腕をまくる仕草をしていた。
「いいのいいの!大人としてこういう時こそカッコつけさせてくれないとね!」
愛海率いる一行が潜ったのれんに描かれた名前は、よく名の通った高級焼肉店のものであった。
予めこの状況を見越していたのか、予約は数日前にとっていたらしい。
「うわ...すっげ......」
思わず燎平の口から感嘆の息が漏れる。
佐倉家は基本的に外食をしないため只でさえ外食そのものが貴重だったのだが、今回のは規格外であった。
おそらく漆と金箔で彩られている壁面に所々趣のある装飾品や絵画が飾られており、且つ和風の雰囲気を損なわないよう竹や襖、そして床も畳であった。
そう、靴を脱いで上がる系の個室である。
このような如何にもな高級感あふれるお店に入ると、妙に落ち着かなくなってしまう燎平。
自分だけ場違いではないかと焦ったが、来飛も先ほどから辺りを忙しなく見渡していたので少しばかり安心した。
「っだぁ〜!どっこいせぇ〜〜っとぉ」
個室に入るなり直ぐに来飛がどかっと腰を下ろす。
いつも元気が有り余ってるような彼が、これほど疲れているのもそう言えば珍しいなと燎平は思った。
それほど『異元展開』に体力を持っていかれたという事だろうか。対する燎平はそれほどでもなかったが、これもまた個人差がありそうであった。
「お、来飛君お疲れみたいだね〜。じゃあもう今日はいっぱい食べて体力つけてしっかり休んでね!どれだけ食べても全部私の奢りだから!」
「でもよ…こんなの母ちゃん知ったらなんて言われるかよぉ…」
確かに、彼の母親は人一倍息子に対して厳しい節がある。来飛が生粋のやんちゃボーイだからこそなのはあるが、そのはっちゃけぶりが子供の時とあまり変わらない様子からして、母親の苦悩が眼に浮かぶようであった。
しかし最低限の礼節は弁えているのか、いけしゃあしゃあと愛海の誘いに乗らない所は彼の母の努力が実を結んだのだろう。
だが、愛海はそんな彼の持つなけなしのストッパーを壊しにかかる。
「大丈夫大丈夫!今日は皆頑張ったし、ささやかだけど色んなお詫びも兼ねて...ね?」
後半の声のトーンが少し下がったあたり、今日の事以外にもきっとあの二週間前の事件のことも含んでいるのだろう。
ここまで言われても素直になれず、いやいやとつい身を引いてしまうのが日本人の性であったが、ことこの状況に至っては来飛の素直さが功を奏した。
「っへへ、そこまで言われて遠慮してちゃあ漢じゃねぇな。財布空にするの覚悟しとけよ〜センセ!」
「あっはは、大丈夫大丈夫。こう見えて私結構お金持ちだから!」
笑顔でさらっと凄い事を口にする愛海。美人で仕事も出来る人気者、そして金持ち。いよいよ付け入る隙がないな、と乾いた笑いを浮かべるしかない燎平だった。
空腹時の来飛は本当によく食うのであるが、そんな彼も含め食べ盛りの男子三人と女子一人。そんな輩を連れて高級焼肉店に入るなど自殺行為にの等しいのだが、それを気にも留めないほど愛海の財布は潤っているのだろうか。
確か、校長が『修復者』は国家公務員のようなものと言っていた。愛海もその一員であり、教師も兼ねると二つの仕事をしているという事になる。
「あの...その、もう一つのお仕事ってそんなにお金が出るんですか...?」
「あ、こういう個室とかは濁さなくて大丈夫だよ、美紋ちゃん」
まぁ私が『異元感知』してるって条件付きだけど、と愛海は付け加える。
「そうだねー、『修復者』のランクと『異元』、それと倒した『異怪』による事が多いから一概には言えないけれど、月収平均で......大体100万くらい?」
えっ!?と生徒達は驚嘆する。燎平に至っては飲んでいたお茶を吹きかけた。
「平均月収...100万...」
「え、じゃあ俺らも今月から100万貰えんの!?」
「まぁある程度『修復者』として実力がついたらだけどね。暁君と来飛君はまだそこまではいかないかな」
それに色々不便なところはあるけどね、と愛海は付け加えた。
「いきなり『異怪』を狩りに行くのはハードルが高いから、まずは『修復者』として本部に登録して、個人の『異跡』のデータを送る所から始めるんだよね」
「それ、稼げるようになるまでにはどんくらいかかるんだ?」
「そうだなぁ…人にもよるけど、最低一ヶ月のトレーニングと慣れは必要かな」
「なるほどな…」
興味深そうに来飛は頷く。彼は前から高校に入ったら部活の他にバイトもしてみたいと度々燎平は聞いていたので、そういう話には前向きなのかもしれない。
果たして『修復者』の仕事が普通のバイトと呼べるかどうかは、一考の余地がありそうだが。
「んん〜っ、はぁ…」
着ていた上着を壁にかけ、両腕を上にあげて伸びをする愛海。
その時、丁度上体もそれるので、連動するように彼女のそれらもより大きく強調される。
「………」
当然、呪いのように目が離せなくなっている燎平と来飛。
さらに薄着になったことによってより私服感が増し、ボディラインがくっきりしているのが彼らの目にはよくなかった。
そして彼らの視線の先を確認した美紋は目を細め、テーブルの下で燎平の足を思いっきり蹴る。
「いでぇ!ちょ、何すんだ美紋!」
「……変態」
冷め切った目で男どもを見る美紋。きっと先ほどの蹴りには色々な思いが詰まっていたのだろう、何故か普段のそれより重みを感じた燎平であった。
「さーてと、じゃあ先にメニュー選んじゃってね!はい、はい」
彼女の意識外でそんなやりとりがあった事を知る由もない愛海は、生徒達に次々とメニューを手渡す。
普段お目にかかれない彼らからすれば、こういう如何にも豪華そうなメニューは新鮮さの連続であった。
「え、これ何頼めばいいんだ……」
「うわ、これこんだけで千円超えるの!?」
値段を見てしまったのか、中々これといったモノが決まらなさそうな生徒たち。
このように目を輝かせられると、つい愛海も頰が緩んでしまう。
(本当、いい子ねこの子たち…)
今の御時世、彼らにとってこれが当たり前なのかもしれないけれど。
礼節を持っているというか、相手への気遣いが見えるというか。
戦いを知らない、他人を蹴落としてまでも生き残るという非情さを知らないこの世界の子達。
私たちの側の中には、腑抜けていると嘆く人たちもいるかもしれない。
だけど、このあり方を私は素敵だと思ってしまった。
人同士で血を流さずに済む世界。如何に我を通し、ねじ伏せる事が正義ではない世界。
嗚呼、なんて素晴らしい。『異跡』なんか使えなくても、こんなにも人は強いのだと実感する。
(こんな人たち、世界だからこそ、何に変えても護りたいって思うようになったのは、いつからだったっけな...)
そう愛海が物思いに耽っていると、その思考を遮るように不意に視界の端にメニューの切れ端が写りこんだ。
(.......)
そこにずらりと並ぶのは、数々のつまみやお酒の数々。
そして非常にタイミング悪く、他の客が賑やかにしている声が聞こえたり、や廊下に通じている襖の隙間から忙しなく金色に染まったジョッキを運ぶ姿が見えたりしてしまう。
(.....................)
話は変わるがこの女、こと酒と限定品には目がない。
アルコールは嫌な事やストレスを全て取っ払ってくれる救世主だと思っているし、今しかない!と言われると逃して後悔したくない...とつい手を伸ばしてしまう。
そして何の悪戯か、それらが組み合わさった悪魔のような期間限定らしき日本酒がでかでかと写真付きでメニューのトップにあるのだから、これには流石に彼女も目眩がした。
(ダメよ愛海。我慢我慢...生徒達の前なんだから...)
「あ、先生お酒飲む?」
このタイミングでその質問は、裏に何かしらの意図さえ感じてしまう程に恨めしかった。頭を抱えたくなる気持ちを抑え、代わりに何とか微笑を浮かべる愛海。
「あはは、大丈夫。生徒の前で先生がお酒飲んだら問題でしょ?流石に遠慮します。うん。...大丈夫、うん」
だが、その貼り付けた笑顔の出来は決して良いものではなかった。
具体的には、無理に上げた口角はヒクつき、視線はメニューと虚空を何度も往復していた。
端から見ていても、飲みたそ〜〜にしているのが丸わかりである。
加えて愛海は、『あの事件』で己の無力さを猛省し、あれから二週間以上ずっと酒と名のつくものから距離を置いている。
週末には必ず行きつけの居酒屋に顔を出し、そして必要とあらば毎日でも仕事が終わると家で一杯やる習慣があるほどの彼女《酒クズ》である。そのためか、此度の禁酒は愛海的にかなり堪えていた。
本音を言えば、超飲みたい。
「なぁ、アミセンめっちゃそわそわしてね?」
「うん...なんか、気が気じゃないって感じだよな」
メニューで顔を隠しながら、声のボリュームを落とす来飛と燎平。
忙しなく目が泳ぎ、その落ち着きの無さは本人が隠しているつもりでもかなり目立っていた。
そして数秒後、何かに耐えきれなくなったのか彼女は席を立つ。
「あ、ごめん、私ちょっとお手洗い(瞑想)に行ってくるから、先頼んでてね〜」
そそくさと襖を開け、流れるように一時退席する愛海。
彼女が突然出て行ったことにより、空気がしんと静まり返る。
そんな中、その水面を最初に荒立てたのはやはり彼であった。
「.......なぁおい、今のうちに酒も頼んじまおうぜ」
「え!?」
水面を荒立てるどころか、爆弾を投げ込む勢いの発言をする来飛。これには一同困惑した。
「ちょっと、どういうつもり!?」
「いや、あの調子だと多分めっちゃ飲むの我慢してるじゃん?あの先生は」
「確かに、誰よりも自分に厳しいような方ですからね...特に僕たちのような生徒の前では尚更」
美紋も最初は、彼が何か良からぬ理由でこのような悪戯のような事をしようとしていたのかと思ったが、理由はもっと別にあったらしい。
暁も来飛の意図を汲んだのか、片棒を担ぐような真似をしだす。
「だけどよ、許可なしに勝手に頼んじまうのはさ...」
何かと心配性な燎平が口を挟んだ。これには美紋も完全に同意し、首を縦に振る。
だが、来飛はやや真剣な面持ちで口を開いた。
「いや、こうでもしねぇと俺たちの前で飲んでくれねぇよ。それにあの人、なんかずっとこのままみたいな気がしてよ...なんつーか、見てらんねぇっつーかな」
「そもそも、少なくとも今は教師としての勤務時間中ではありません。それとこれは僕の主観ですが、あの事件の事も鑑みて、ここ最近の彼女は根を詰めすぎなような気もします。もしかすると、ろくに睡眠もとれていないのではないでしょうか」
「言われてみれば...」
いつも笑顔を振りまき、良い先生の手本のような愛海ではあるが、いつまでも星は輝けないというもの。
確かに最近、入学式の時に比べて若干窶れてきたのでは...?とは燎平も感じていた。
愛海自身はいつも通り振る舞っているように見せているが、いつもしないようなミスをしていたり、時折ぼーっとしていたりと、『愛海』に影響が出るほど影を残していたらしい。
もう一つの彼女の一面を知っている彼らだからこそ、彼女が普段どれほど努力しているかを改めて実感する生徒達であった。
「そういう面でも、やはり適度な休みは必要です。もし愛海先生が疲れていらっしゃるのであれば、僕たちがこういった形で労うのが良いかと」
やはり暁の口から聞くと説得力と箔がある。来飛から同じ事を言われても、暁程のそれを出すことは難しいだろう。
彼の説得が大きかったのか、そういう事なら...と考えを改める美紋と燎平。
しかし来飛も説得という面で、正論で諭す暁とはまた別のアプローチが得意であった。
ニヤリと口端を釣り上げ、煽りという名の最後の一押しを来飛は仕掛ける。
「それによ、見たいじゃん?...酔った先生」
「「.........」」
〇〇〇
それから数分後、愛海が何事も無かったかのように襖を開ける。
「お、おまたせ〜。皆、もう頼んだ?」
「ええ、一先ずは」
「うんうん、もう遠慮なんかしなくていいからね。好きなだけ頼んじゃって!」
先程の葛藤を含んだ表情はどこに消えたのか、いつも通りの笑顔を取り戻した愛海。
だが、そんな瞑想の効果はほんの数秒で粉微塵となった。
「失礼しまーす。こちら『霞牡丹』と豚キムチ、それとミックスカルビとハラミ、ネギ塩タンですねー」
「えっ」
テーブルの端に注文した品を置き、ごゆっくりどうぞ〜と襖を閉める店員。
少しの間硬直したまま動かない愛海だったが、すぐさま彼女の顔が変わった。
悪い方向に。
「...これ、頼んだの来飛君?」
声のトーンが下がる。
普段彼女が見せない目つきに、ゾッと背筋が凍った生徒たち。
「いや、あの...」
「私言ったよね?遠慮しますって。あと、これは戻します。店員さんにもちゃんと謝って」
何かしら言われるかと想定していたが、これほどまでとは予想していなかった。
急激に冷える場の空気が、これはかなりガチのやつだと生徒たちに知らしめる。
だが、ここで暁がカードを切った。
「待ってください。彼だけを責めないで下さい。これは、僕たち全員で決めたことです」
「え...?」
「あ、あの、愛海先生のお金で、許可なしに勝手に頼んでしまってごめんなさい...。だけど...先生、いつも大変そうですし…その」
「これは、なんて言うか、俺たちのからのプレゼント、みたいな...ささやかですけど...」
彼らのいたいけな瞳を見せられ、少しばかり揺らいでしまう愛海。
「……そ、それでも貴方達、仮にも私は教師です。生徒達の前で飲酒するなどあってはならない事で……」
「…せっかく頼んだのにな……」
「俺たちに何かできないかなって一生懸命考えたのにな……」
「ぐ…ッ」
作戦その1、罪悪感を煽る。
それは愛海の隙を生むのに十分な効果を発揮した。
ここで愛海の怒りオーラが崩れたのを来飛は見逃さない。
「そう言えばさっき、すっげーソワソワしてたしなぁ…こっちとしても、落ち着かない様子でこのまま過ごされてもねぇ。居心地いいかって言われるとねぇ?」
「う、ばれてる…」
作戦その2、自分がいかに飲みたいかを自覚させる。
この二つの作戦が成功したことにより大きく愛海の決意を揺らがせることが出来た。
「ちょ、ちょっと…貴方達。あのですね、私は教師で…」
「今仕事中じゃないじゃん」
「そうだけどぉ……ッ」
来飛が間髪入れずに否定する。完全に生徒側はペースを掴んでいた。
そしてその勢いのまま、キラッキラのイケメン笑顔×2で殴って一気に彼女を追い込んでいく。
「今だけは、その殻を脱いでしまっても良いのではないですか?」
「なぁ?暁もこう言ってる事だしよ。今日はハメ外して良いんじゃね?おねーさん?」
「うぐぅッ...!!」
かなり効いた。下手な『異怪』の攻撃より効いた。
そして最後のトドメ。
「愛海先生…アミュールさん、どっちで呼べばいいのかわかんないけど、確かに、あの時俺を助けてくれたのは先生なんですよ。教師とかそういうの以前に、あの時の事のお詫びってこうやってくれるなら、俺たちだってこういう時くらいは先生に無理しないで欲しいんです。こう、フェアにしたいっていうか……」
誰よりも、彼女自身に救われた燎平が言う。
「だからその、何つーか、うまく言えないけど…あんまり自分に厳しくしすぎないでください」
「………ッ!」
いけない。
そんな事言われたら。
そんな事言われたら、色々と必死に我慢していたものが溢れてしまいそうになる。
「これは私たちからの、小さなお礼って事で…」
「愛海先生、我慢は良くないですよ」
「センセ、ほれ。俺たちはそういうの気にしねぇからさ」
「う、うぅ……」
(やだ…私の生徒たち可愛すぎ…?)
何だか涙までちょちょぎれてくる愛海。
お酒云々は抜きにして、実は生徒達からこう言って貰え、愛海は内心滅茶苦茶に嬉しかった。
これはずっと過剰に罪悪感を抱えてきた彼女にとって、一種の許しのようなもの。今回の被害者である彼らからの温かい言葉は、愛海の重石を外す唯一の手段であったのだ。
ここまでくると、何だか無理に我慢している自分が馬鹿らしくなる錯覚まで覚える。
傷つけてしまった生徒達がここまで許してくれる場なんて、確かに今ぐらいしかない。
今の罪悪感をずっと引きずったまま、彼らの許しなく飲んでも不味いだけになってしまう。
それも踏まえて、これは彼女にとって、真の意味でのお酒を楽しむ一種のいいケジメの付け方でもあった。
何より、せっかくの子供達の好意を無下にしたくない。
「......はぁ、わかりました。今回は私の負けです...」
項垂れて肩の力を抜く愛海とは対照的に、一気に表情が明るくなる生徒達。
「あの、その...だから、くれぐれもこれは内緒って事で...ね?」
「わかってるって!折角なんだし盛大にいこうぜ!」
勝利の余韻に浸ってるのか、テンションが上がる生徒たち。
ぶっちゃけ酔ってる愛海が見たいと言うのも少しはあったが、燎平達もまた、大事にしている教師という立場よりも自分達の好意を優先して受け取ってくれる姿勢を見せてくれた事が素直に嬉しかったのだ。
......しかし、数分後。
早速彼らは愛海の裏の顔に直面する事となる。
〇〇〇
「ぷはぁーっ!ほんっっっとおいし...」
ものの開始数分で、三分の一ほどを空にしてしまう愛海。
彼女の相当に溜め込んでいたのであろう。そんな気持ちのいい飲みっぷりと、垢抜けた幸せそうな笑顔に思わず生徒たちも頬が緩んだ。
「ところで、何で私が日本酒好きだって分かったの?」
「いえ、そのメニューを熱心に見ておられたので… 」
「えー!?私そんなにわかりやすかったぁ??」
「まぁ、はい」
そっかぁ...と机に伏す愛海。彼女的には隠せていたつもりらしいが、結構バレバレであった。
完全にもう割り切った愛海は、教壇に立つ時と比べてだいぶ肩の力が抜けているように思える。
「ほら月ヶ谷、お酌お酌!」
「ええ!?私やった事ないんだけど…」
その雰囲気に当てられたのか、来飛も調子に乗り出した。
「社会人になったらやらなきゃいけないんだぞぉ〜、今のうちに知っとかないと!勉強勉強!」
比較的酔いが回るのが早いほうなのか、愛海も段々と凛々しい普段の姿とは違った面が顔を出し始める。
「あ゛〜こんなかっわいい娘にお酌してもらえるなんて幸せだわ…私……幸せ……」
ぼーっと美紋の顔を眺める愛海。
「あの…な、何か……」
「美紋ちゃん…ほんっと綺麗な顔立ちしてるよね......ちゅっ」
そう言いながら、彼女は完全にとろみがついた目を細めると同時に、いきなり美紋の頬に唇を当てた。
「ひゃっ!?ちょっと先生!?何してるんですかっ!?」
「あーもぉ〜、今はせんせーじゃなくてぇ、愛海さんなのぉ!普通のどこにでもいるお姉さんなのですよぉ〜!ほんっと可愛いわね美紋ちゃん!」
「わぷっ!?」
「......!!」
赤面している美紋の初々しさに感極まったのか、彼女を半ば強引に胸元まで引き寄せ、ぎゅーっと抱きしめる愛海。
その豊満な胸に顔が埋まっている美紋と、健全男子二人の計3名がその瞬間呼吸が出来なかった。
突然の彼女の変わりっぷりに、驚きを隠せない生徒たち。もしかしたら、実はこっちが案外愛海の素なのかもしれなかった。
そして間髪入れず、もう既に出来上がりつつある愛海はおもむろに美紋から順に生徒達を指差す。
「ん〜〜美少女!イケメン!イケメン!.........」
「えっちょっと!?」
「あっはっはっは!冗談、冗談よぉ〜!燎平くんも可愛いお顔してるぅ〜!!」
(声デッカ...)
なんというか、ここまでとは。
普段の愛海とは似ても似つかない、同じ顔と声をした最早別人となった彼女がそこにはいた。
燎平の母は酒を飲まないので、実質酔っ払いの相手をするというのは何気に彼にとってこれが初めてであったが、何とも気疲れするものだった。
「あれ?美紋ちゃん食べてなくない??ほぉら、もっといっぱい食べなきゃ!はい、はいお肉!いっぱい食べて大きくなりなよぉー!」
「いえ、私そろそろお腹いっぱ...あ」
酔っ払いの勢いは止まらない。有無を言わせず美紋の皿に肉を盛り付けていく。
「大丈夫大丈夫!若いんだからこれくらい余裕でしょ!」
「ぴえん...」
「まぁ美紋、食いきれなかったら寄越せ。代わりに食ってやるから」
「あ、燎平...ありがと」
燎平が美紋を気遣う最中、こういうところはちゃっかり聞いている愛海はいらない方の気遣いを逆に彼に送る。
「え、燎平君ももっと食べる!?そうよね、男の子だもんね!追加でお肉とご飯注文しちゃうね!!」
「Oh...」
彼らは一つ、愛海から大切な事を学んだ。
酔っ払いは、面倒臭いと。
そして決意した。もう彼女に酒は薦めまいと。
愛海も酒が進み、つまみも含めて注文を繰り返すこと三回目には、すっかり生徒達も彼女の相手に疲れ始めていた。
流石の饒舌な来飛も口数が減ってくる。追加で頼まれた大量の肉とご飯大盛り三杯のせいもあるだろう。
特に美紋は席が隣なのと女性同士という事もあり、その後も特に絡まれた。
誰も何も言わなくなる時間が増え始めた頃、愛海の様子が少し変わる。
「いいなぁ〜〜羨ましいなぁ〜〜若いってぇ!
私なんか若い頃はねぇ...若い頃はねぇ...グスッ」
今までが笑い上戸であったなら、ここからは泣き上戸のお時間らしかった。
「いっぱい頑張ってるのにねぇ...誰も何も言ってくれなくてねぇ......仲良い友達はすぐ居なくなっちゃって......うう...」
うつ伏せになりながら何かゴニョゴニョ呟いていた愛海であったが、少しするとそのまま動かなくなってしまう。
「...なぁ、コレもしかしなくてもさ」
「......かもしれないわね...」
隣の美紋が軽く肩を揺すっても反応はない。
「こりゃ完っ全に落ちまってるな...」
「彼女も彼女で、余程疲れていたのでしょう。このまま休ませてあげたいところなのですが...」
時計を見ると、既に八時半を過ぎてしまっている。腹も膨れた事であるし、店を出るには頃合いな時間であった。
四人は顔を見合わせ、今度は来飛が少し強く肩を揺すりながら話しかける。
「おーい!センセ!もう俺たち帰らなきゃだからよ!会計!お会計頼みてぇんだけど!」
「う、う〜〜ん...?会計...ああ...」
かろうじて目は覚めたようだが、まだ意識が朦朧としているらしい。誰かが呼びかけ続けないとまた再び夢の世界へと旅立ってしまいそうな雰囲気であった。
その後、支度を終えた彼らは何とか愛海を介護しながら会計を済ませ、帰路に着く事に成功した。
「お、おい、ちょっとこの後どうすんだよこの人!」
「っつってもよ...誰かが家まで運んで行くわけにもいかないだろ...」
燎平と来飛がそれぞれ左右で肩を貸しながら愛海を運ぶ。その時、胴体に彼女の柔らかさが当たってしまうのは不可抗力であるため、それを報酬と受け取った二人はあえて口をつぐんでいた。
そしてインテリ組の暁と美紋が相談している間、愛海を支えている二人の耳に微かな声が届く。
「ごめんね...本当にごめんなさい......」
「あ、いえ...まぁ、飲ませちゃったのはこっちですし...」
燎平達も相手をするのは骨が折れたが、それを苦だと思っている者は彼らの中に一人としていなかった。
寧ろ逆で、素の一面を晒してくれた彼女に、距離が縮まったような気がしてなんだか燎平達はそれが嬉しくもあったのだ。
しかし、燎平は話が噛み合ってない違和感を感じとる事となる。
「私が、もっとしっかりしていれば...もっとちゃんと気を配っておけば......あんな事には.........」
ぽつりぽつりと愛海の口から出る言葉は、まるで降り始めた雨のような寂しさを残していて、
「もっと、きちんと守ってあげたかった......あんな思い、させたくなかった......!グスッ、何かを失うような思いをするのはもう......ッ」
「嫌だよぉ...シズ......」
〜瞑想中〜
愛海「スゥゥーーーッッ、ハァーーッッ、いけない、いけないのよ愛海。いくら何でもしていい事と悪い事があります。大体、人体は禁酒しても全然余裕で生きていけるのだし、二週間ぽっち飲まなかったところで何も問題はn」
悪魔愛海「いやいや、何を言ってんの。こういうストレスが溜まってる今こそ逆に飲むべきでしょ」
天使愛海「いえ、いけません。幸にも程々にと言われているでしょう」
悪魔愛海「ハァ〜??じゃあこのストレスはどーやって解消すんだよぉ!酒も飲めねぇ!セックスも出来ねぇ!おまけに教師と『修復者』の仕事三昧!かーっやってられっかよ!」
天使愛海「そういう時こそ、生徒たちの笑顔を思い浮かべるのです…そう、見えるでしょう?彼らの暖かく清い笑顔が…」
悪魔愛海「あーー思い出した思い出した、生徒たちの前で気を張ってる自分自身の事をなぁ!オラ!トイレから出たらもう何をすれば良いかわかるよなぁ?美味いぞ…絶対気持ちいいぞ…あの日本酒が待ってるぞ……」
愛海「ぐぬぬぬぅ……」
※ちょっと負けそうになった愛海であったが、何とか気合で悪魔をぶっ殺した。が、結局意味はなかった。




