17 新入生合宿1日目 Ⅸ 『準備』
時が流れるのは早いもので、ついこの間まで凍えるようであった夜風も皐月の色を見せ始める。
厚手の上着は荷物になるため持ってくるか迷った美紋であったが、この調子ならどうやらその心配は杞憂で終わってくれそうであった。
「………」
「…………」
五人分の足音だけが、夜が作る静寂を破り続けている。
一足先に出発した薫を除く一年生四人と彼らの引率である幸は、昼ドッジボールをした体育館へと歩を進めていた。
その体育館ホールは宿舎の裏口から歩いて五分と少し離れた場所にあり、広さは通常のそれよりやや狭い。
それもその筈、体育館としてある場所はその建物のたった一フロアのみであるが故だからだ。数年前から宿の運営が活気付いたためか、それに伴い学生のスポーツ合宿をターゲットにしたプール、ジムを揃えた多目的ホールが近くに建てられた経緯があるらしい。
本来はその地域の近隣に住む住人達のミーティングやちょっとしたイベントの会場に使われるはずであるのだが、ここ近年はめっきり学生達の汗が染み付く場所の方に傾倒してしまったようだ。
「…なぁ先生、なんか特訓ってパイセンから聞いたんだが…今から俺たち何するんだ?」
ふと抱いた疑問を来飛が幸に投げる。
「んー?そりゃ少年、アレだよ。まずは君たちに基本の『異元展開』出来るようにしてもらわんと」
「『異元展開』っつーと…あれ、なんかすげー能力的なものが『異元』で……?」
まだ言葉と意味が定着しきってないのか、腕を組みながらんー?と首をかしげる来飛。それを助けるように暁が口を開いた。
「来飛君の言う『すげー能力』の事自体は『異跡』と呼ばれていましたよね。それを使うためには空気中にある『異素』と自身の体内にある『異元』が必要…とも」
「おっ、流石学年主席。満点をあげよう褐色少年」
おぉ、と一同から歓声があがる。自分たちにとって全く新しい概念や言葉ですら彼は容易に認識してしまうのか、とまだ理解が追いつけてない燎平は感服する。
「と言ってもまぁ、安心しなよ君たち。そこら辺はテストに出ないから、ゆっくり慣れていけばいいさ。んで、『異元展開』は…そうだねぇ、まず『裏側』に行くためにできなきゃいけなくて…そんでそこで戦う時必須なやつなんだけど……」
「えと…じゃあ、ダイバースーツとか宇宙服を着るみたいに、『異元展開』って戦闘時に必要な服……みたいなのかな」
「おっ、服か。いい例えだ、君にも満点をあげようポニテお嬢ちゃん」
あ、ありがとうございます…と特殊な呼称に少々戸惑いつつも賞賛を受け取る美紋。
「あの時の君たちのように、別に『異元展開』しなくても『裏側』には存在できるが、勿論それは危険というヤツでね。強度がある『異元展開』ならランクが低い『異怪』に襲われても怪我をする事はまずない。だがもしその鎧が剥がれてしまうと、例え低級スライムの粘液でさえ身体を溶かしかねない毒になってしまうからね」
逆に言えば、『異元展開』の強度や精度が上がれば上がるほど防御力や耐性も上がるという訳らしい。
身体強度が上がるという事は、肉体のパワーも上がるという事。中には、『異元展開』の強度故に拳一つで戦う猛者もいるとか。
「あ、『裏側』って、私まだそこわかんないんですけど……なんか、風景が全部白黒になってるとこ…?って事でいいんですかね?」
美紋も問いを口にする。どうやら今は幸に対する質問タイムになったらしい。
「ん、そうそう。『裏側』が『元の世界』と違うのは、背景がモノクロになる、空気中に『異素』がある、『異怪』がいる…の三つで九十点だ」
「……そういや『裏側』にいる時、俺なんかいつもと違う感じするんだけど…身体に違和感っていうか……ふわふわしてる?みたいな」
「ん?ああ、確かに。なんか、言葉では言い表せないよなあの感じ」
『裏側』にいる間に生じる身体の変化についてうまく表現できないのか、眉をひそめる燎平と来飛。
しかし、彼らにとって幸の口から予想を超えた事実が飛び出る。
「ああ、そりゃ君たちは『裏側』にいる間は精神体になってるからだろう。『元の世界』にいる肉体と分離してるらしいよ」
「え!?精神体!?」
「じゃ、じゃあ肉体はその…こっちでどうなってるんです!?」
ギョッとする燎平たち。そんな幽体離脱のようなものになっていたとは思ってもいなかった。
だが、幸は平然とした様子でゆるく手を振る。
「何の問題はないさ。普通に息もしてるし、『裏側』に行った瞬間に倒れこむなんて事はないよ。ただ、向こうにあるのは肉体だけだから話しかけても何しても反応はないがね」
「え、え…じゃあ、もし私が友達とか一緒に遊びに行った時に『裏側』に行った場合って…そんな状態を見られちゃうって事ですか?」
「あー、それも問題ないっぽいぞ。一定時間以内は、ちゃんと反応しているように『見える』そうだ」
「見える…?どういう事です?」
「いやー、私もよく知らんがね。何でも約十分間は『異元展開』後でも通常通りの反応をするようだ。それ以降は、『異元展開』している時間に応じて肉体の行動が変わるらしい。そういうデータがあるんだ」
「え、でもさっき反応しないって」
「それだよ。『異元を持たない一般人にはそう見える』と言えばいいかな。精神が抜けても、周りから見て不自然な反応をしないよう肉体は動くらしい。十分間はそうだが、それ以降は勝手に精神の意思関係なく一人になろうとするようだぞ。トイレに行くだとか、人気のないところに行くだとかな」
先程美紋の言った、友達と出かけていた時に『異元展開』したケースにおいて、突然急用ができたと帰宅する事も長引けばあるらしい。
それ故『修復者』は予定外の『異怪』との会合は出来るだけ避けたい事象なのだ。折角の予定が『異怪』の討伐で台無しになってしまっては、それこそ不条理である。
「……一ついいですか。『裏側』では精神、『元の世界』では肉体で分離するのでしたよね?その後、『裏側』から精神が肉体に戻った時、記憶はどうなっているのでしょうか?」
「んん、中々いいトコを突くねぇ少年。突くのは好きかい?」
「はい?質問する事なら、互いの見識を深める事が出来るので好きですが…」
「おお、そうかそうか。受けるより攻めるのが好きかぁ…いいねぇ。確かに君はそんな感じだ。突かれたい」
「先生……」
幸のこのクセを知っているのは当時保健室にいた燎平と美紋だけ。来飛も今ので感づき吹き出したが、対する暁は下なネタにとことん疎い。彼に効果は今ひとつのようだった。
「こほん。で、記憶の件だが、結論から言うと記憶は二つできるようだ。精神体の『裏側』で活動した記憶、それと『元の世界』での肉体が覚えた記憶。ホラ、よく言うだろ?いい反応だ、身体が覚えてるようだなぁ…って」
「言わないです…」
目をそらしながらボソッとつぶやく美紋。彼女もまた耐性がない方であった。
「『裏側』での記憶は勿論だが、肉体の方は戻った時復元される形であるらしい。『裏側』にいた時は肉体が何をしているのか察知出来ないようだが、戻ると思い出すらしいぞ」
「らしい…とは、確証がないという事ですか?今以外にも、先程からそのような言い回しが目立ちましたが…」
「ん?あぁ…こりゃ手厳しいね。いや悪かった、誤解させてしまったようだ。今言ったことは全てデータの取れた事実なんだが、その言い方をしたのは私たちが…って、おっ。着いたな」
幸主催の質問コーナーに熱が入り、到着していることにしばし気づくのが遅れた一同であった。
本来幸は『異怪』研究者の端くれでもあるため、こういう質疑応答は嫌いではないのだが、基本面倒くさがりなので側に自分の代わり…例えばアミュールなんかがいるとついそちらに全投げしてしまう。
だが自分しかいないと分かれば話は別。こういう時、解説や説明が得意な癖にやりたがらないのはアミュールも頭を抱える案件であった。
「な、なんか昼と雰囲気違うね……」
高校生なりたての彼らにとって、夜中に他の建物に入る事自体まだ新鮮。環境が変わるだけでいつもとは違う何かに見えるのだろう。
「美紋?怖いなら帰る?」
「ハァー!?そんなんじゃないし!さっさと中入ろ!」
「じゃ、総員挿入〜」
「先生は黙っててください」
「え?いきなりあたりキツくないこの子?締まりの具合いいの?」
「俺に聞かないでください…」
相変わらずマイペースな困ったちゃん教師に絡まれ、肩を落とす燎平。この人がペース崩すトコがいまいち想像できないほど彼女は鈍重であった。
それから彼らは施設内の階段を登り、ここ一帯で唯一明かりがついているであろう場所に足を運ばせる。
その階に着いた瞬間、ぞっと緊張で身の毛がよだった。
この階の一部が既にアミュール達によって『裏側』に変わっているせいか、空気がピリピリしているように思える。
廊下ですら電気をつけていないせいか、厚い鉄製の扉の隙間から見える光がどこか異質なものに感じた。
いよいよなのか、と喉を鳴らす『新芽』達。
「…よし、その扉は自分たちで開けたまえよ。少年少女達」
「……」
軽く四人は目を合わせ、先に身を乗り出した来飛がドアノブに手をかける。
そして扉を開けた刹那、中でついている明かりの眩しさに目を細める暇もなくモノクロの重圧が彼らを襲った。
「………ッ!!」
この、全身にかかる重力が変わったかのような感覚。
彼らの視界にあった色彩が失われていく中で、唯一色を残す二人が中央に立っていた。
「お、来たね。新顔ちゃん達」
「サーちゃん、ちょっと遅かったんじゃない?」
「おっ、そうかい?少しゆっくり歩いたからかもしれないな。夜道だったから許しておくれよ」
まぁいいけど、と『異元展開』を終え、巫女装束のような服を纏ったアミュールは人差し指を唇に当てる。
「う、うぅ…」
対して、問題の燎平達であるが、彼らは『裏側』に入った瞬間、四人ともローブのような布を纏っていた。
「ど、どうかな〜?皆、『異元展開』する準備できたかしら〜?」
「……………」
アミュールがテレフォンサービスの人よろしくより声のトーンを上げて尋ねるが、彼らは気まずそうに目を逸らす。
「アミュ……さてはお前またなんかやらかしただろ」
「う゛……あ、あれはもう完全に私の落ち度というか…本当に申し訳ないと思っています…ハイ、反省してますぅ……」
早速サーチスに看破され、しくしくと項垂れるアミュール。
「えー!?なになに!?薫それ知らないんだけど!なんかあったの?」
「どうか聞かないで薫…私、自責で死にそうだから今……」
「えーっ!余計気になるじゃーん!にひ、ねぇねぇ!何があったのさーアンタたち!」
あぁあー!と顔を抑えるアミュールを無視して薫は何ともばつが悪そうに立ち尽くしている一年に事情を聞く。
「...えーと、そのですね。アミュールさんをあまり責めないで頂きたいのですが……」
「俺たちはまだいい…いや良くはねぇけどよ、なぁ?月ヶ谷は気の毒だったよな…」
「お、思い出させないで……恥ずかしすぎる…」
「…まぁ、かいつまんで話すとですね……」
〇〇〇
『修復者』になる、ならないの騒動があって数日後。
休日、四人は愛海に呼び出されて厚森駅前に集合していた。
「うぃーす」
「お、来たな来飛」
「ちゃんと時間通りに来てやったぜ……いやしかし、いきなり何なんだろうな。こんな時間に」
時刻は夕方の五時半。この時間から外出するとなると、まだ高校生になりたて子を持つ親からすれば多少心配になる頃合い。
四人が全員深い知り合いである事が助けとなったのか、久し振りに四人で夜食でも食べに行くという言い訳で納得してくれた。
「こうして俺らだけで集まるの、いつぶりだ?中二…いや、卒業前にも一回あったっけ」
四人は確かに同じ中学校だが、同じ顔ぶれが揃ったとしても誰かしら他のメンバーがいることが多かった。特に仲が良い子の面々でも、中々こうして私服で会う機会はそれほど無いように思える。
「ん?そんで肝心の先生はどこいった?」
「ああ、今さっきお手洗い行ったよ。もうすぐ来るんじゃないか...あ」
「全員いる〜?お、来飛君時間通りじゃん!偉い!」
噂をすればなんとやら。愛海が此方に軽く手を振りながら歩いてきた。
「おう!なんたって夕飯先生の奢りだかんな!」
「え、まだ私何も言ってないんだけど...」
調子のいい来飛に思わず苦笑いをしてしまう愛海。しかし、この時の来飛の内心は穏やかではなかった。
(な、なん…え!?センセ私服かよ!!すげー……)
仕事で着ているスーツ姿とは一変し、黒を基調としたトップスに膝上までのショートパンツ、それに赤みがかった灰色のジャケットを羽織るといった、落ち着いた雰囲気の私服の装いであったためこれには来飛も目を丸くした。
只でさえ素材がいいのが分かる美人であるが、実際に着飾るとモデルであると言われてもおかしくはないレベルである。首元のネックレスや蝶形のイヤリングが光っているのも生徒たちには新鮮に写った。
(やっぱり、綺麗だなぁ……)
ケアが行き届いている相変わらずサラサラな栗色の長髪。化粧も少ししているのか、暗めのアイシャドウと朱色に濡れたリップが大人びた印象を思わせる。普段履かないであろうヒールも手助けして、そこには完璧な『オトナの女性』が君臨していた。
こんな風になれたらいいなぁ、と憧憬の眼差しを向ける美紋のような女子生徒は決して少なくない。男女問わず人気があるのはそのためであろう。
「こんな休日の午後にごめんねー、どうしてもなる早で来てもらいたい場所があって。本当は昨日の放課後にしようって言ってたんだけど、その時間は先方が都合悪いみたいで…最速で今日しか空いてないって言うから、無理言ってわざわざ集まってもらっちゃった」
「いえいえ。先生こそわざわざ僕たちの為に時間を作って頂いてありがとうございます。今日の私服もすごくお似合いですよ」
「あはは、ありがと。私のほうが逆にお礼言われちゃうとか、立つ瀬がなくなっちゃうんだけどなぁ……」
そういうとこだぞ暁、と生温い二つの視線が暁の後方にいる男共から向けられる。
基本彼は無意識で人を垂らし込むスキルが常時発動してるようなもの。持ち前の顔面戦闘力も相まって、相手が老若男女誰であれ、惹きつけてしまうのが厄介なところでもあった。
「…じゃ、早速行こっか!もう暗くなりかけてるけど、そんなに時間はかからないから安心してね」
四人は頷き、雑踏に向かう愛海の後ろに並んでついていく。
この時間は帰宅ラッシュなためか、かなり駅前が賑わっていた。コンビニには頻繁に人の出入りが見られ、売れ残りを出すまいと弁当屋や揚げ物店の安売りを旨とした貼り出しがよく目についた。
この厚森駅は燎平達の市の中では最も都会であるため、人の行き来も格段に多いのだ。せわしなく動く人々がこの場所の活気さを物語っている。
「おっ、アミちゃん!ウチの魚今安くなってるよ!夜食の一品にどうだい?」
「あはは、すいませんおじさん。今日は外食なので、また今度に」
この場所にはよく来るのか、度々声をかけられる知り合いと思しきキャッチセールスを笑顔で流しながら駅へ向かう人々の方向とは逆に歩を重ねていく彼女。燎平達には今向かっている行き先にてんで見当がつかなかった。
事前に燎平達に送られたメールには、日時場所の他に物を受け取るだけなのでという内容の簡素なメッセージあったのだが、具体的にその物が何であるかは言及されていなかった。
彼女直々の呼び出しである事を考えると、何かしら『修復者』絡みであるのは間違いないのだが。
「あの、愛海先生。メールで言ってた『受け取る物』っていうのは一体…」
「あー、ごめんね、燎平君。こういう外じゃその話はNGで。誰が聞いてるかわからないし、一応…ね?」
しーっ、と片目を閉じながら、唇に人差し指をを当てる仕草に少しドキリとしてしまった燎平。
だがこれではっきりした。メールでも主な内容に触れなかったのは、なるべく情報などに『跡』を残したくないのであろう。
それにそう言えばこれ、国家機密事項だったなぁと燎平は校長が言っていた事を思い出し、身震いする。
しかし、一見なんの変哲も無いこの街のどこに行こうというのか。
そんな疑念を抱き目的地も不明なまま、部活の話や学校生活の話など、他愛も無い世間話をしながら駅から愛海と共に歩いておよそ十五分。
燎平達の住む近辺で一番の都会と言っても、駅からそれだけ歩けば見かける人の数も減ってくる。
道中地図には載っていないような道も幾つか通り、最終的にアミュールが足を止めたのは狭い路地裏であった。
「着いた。ココだよ」
「え?こんなとこ…?」
日の光が廃ビルの高い壁で遮られて届かない暗がりのど真ん中。大小様々な謎のパイプが這う壁には、いくつもの染みや落書きが目立つ。
長い間放置されたと見受けられるビンの破片などのゴミが仄かにする異臭の原因であろう。このお世辞にもあまり良いとは言えない環境に、キレイ好きな美紋は思わず顔をしかめる。
「『G,1』がいればアイツの結界で直接すぐ連れてこられたんだけど…ごめんね、今彼出張中だから」
こういう時に限って…使えない……とブツブツ愚痴を零しているように聞こえたのは幻覚だろう。我らが愛海先生が人のことをそんな風に言うはずがない、うん。
「まぁ、ここも一種の結界みたいなものなのね。普通の人はは入れない…っていうか、気づかれないようになってるの」
そう言って彼女は壁の一部に手を添える。すると彼女の『異元』を察知したためか、カチン!と何かが外れる音がした。
「さ、こっち入って。足元気をつけてね」
先ほどの音はセキュリティの一種だったのだろう。壁と同化し、今まで見えなかった五センチはある鉄の扉が愛海の手で開けられることにより輪郭を現した。
「お、おお…!」
思わず男子共の口から声が漏れる。機械仕掛けの隠し扉は、こう言うの好きでしょ男子ィ〜!ランキング上位に食い込むので目の輝きが一気に増す野郎共であった。
扉の先にあるのは、数メートル続く地下への階段。だがそれほど深くはなく、明かりもあり奥が見えるので階段と言うよりかは、階段状の道、と形容したほうが適切であろう。一段一段の高さもそれほどではない。
物珍しく、キョロキョロと辺りを見渡す一年生達。壁はコンクリートで出来ているようであり、そこにランタンが道なりに等間隔でぶら下がっている。
今時のLED仕様のライトの灯りよりかは断然原始的な造りであるが故か、この空間だけ数世紀にも前のモノであるかの様な気がした彼らであった。気分は世界的に有名な魔法使いの映画の中に入ったようなまである。
一番奥の突き当たりまで進むと、アミュールは左手にある木製の扉を数回ノックした。どうやらここに例のブツがあるらしい。
「ドゥさーん!頼んだ物取りに来ましたよー!」
だが、数秒経っても返事はない。もしもーし!と再びノックするが、またも反応はなかった。
「もー…またあの人は……ってあれ、鍵空いてる」
ドアノブの手応えが軽いようだ。アミュールはここに来る事に既に慣れているのか、遠慮なく扉を開けて中に入っていく。
扉の向こうの壁の中に出来た空間には、玄関というものがなかった。アミュールは土足ですいすいと奥へ進んでいき、燎平達も彼女の後を追う。
「あの…いいんですか?勝手に入っちゃって」
「んー?ああ、いいのいいの。あの人、細かい事は気にしないタイプだから……ッ!?」
ヒン!と空気が鳴く。
それは正しく、瞬く間に起こった出来事であった。
頭をかばう様にして掲げられたアミュールの右手には、長い棒のようなものが握られていた。事が起こって数秒後に、ようやく彼女が何者かに狙撃された事を理解する。
「え、あ…あの…!何が…!」
「はぁ……全くもう、悪ふざけが過ぎますよ!ドゥさん!」
アミュールが少し強い口調で恫喝すると、背後から如何にも楽しげな声が襲った。
「ヒーッハッハハ!すまないねぇ!アンタはからかい甲斐があるからついねぇ!」
「な……っ!?」
何故扉から道は一方通行なのに後ろから出てきたのか、という生徒達の疑問はあまりの衝撃に一瞬で上書きされた。
光沢を帯びた黒い革のパンツにライダースジャケット。
目を覆うイカついサングラスに、これでもかと耳と鼻に大量につけられたピアス。
だが、彼らが一番に目を奪われたのはそこではなかった。
まず、前髪が前方一点に纏まっている事自体が物珍しいのであろう。更に、そのリーゼントが紫で染まっている存在感の大きさといったらない。
その毛先は上を向いており、途中から赤色にグラデーションの様に色が変わっている後ろの髪もまた胸まで届くほど長かった。
そして、それら全てを組み合わせるのに、どう考えても不釣り合いなのが彼女の年齢である。
紅が引かれているその口端を歪ませるしわは、優に齢六十は超える年季ものであった。
「……まぁ、初見でそうなるのも無理はないよね。わかるよ、うん」
「ヒヒッ、い〜いィ顔するじゃないかアンタ達!やっぱアタシゃこの顔見るのが一番の生きがいさね!」
カラカラと笑う彼女に、未だ開いた口が塞がらない燎平達。彼らに構う事なくドゥと呼ばれた老婆はアミュールの横へと移動する。
「…ドゥさん、いい加減私が来る度に何かしら仕掛けてくるのやめて下さいよ」
「何、これも一つの実験だよ。ホラ、アンタの『異元展開』とその状態、どれほど違いがあるか確かめる為さね」
「だから、何回も変わらないって言ったじゃないですか!『異元展開』と見た目が変わるのは私がゼロに近いレベルで『異元』抑えてるからって!」
「……はぇ?何だって?」
「…だからぁ、この『元の世界』の人たちに近い状態でも私の『異元感知』は健在なんですってば!『異跡』は流石に『異元展開』しないと使えないけど、この状態は『異元感知』以外こっちの一般人と何ら変わらないんです!」
「…はぇ?」
「チッ…んのババア……」
「あ?何だオメェ喧嘩売ってんのかガキ」
「こういう事は聞こえてんのかよ!!あーもう面倒くさい!!!」
ヒャーッハッハッハ!とキレ散らかすアミュールを煽り心底楽しそうに笑うドゥ。
対する燎平達は、いきなりファンキーすぎる婆さんが出てくるわアミュール先生が軽くキャラ崩壊するわで完全に置いてけぼりだった。
「あのねぇ、反応は出来ても『異元展開』してないから身体能力は落ちてるんですよ。これ以上奇襲のレベル上げられたら洒落になりませんってば」
「いやぁ分からんさね?アンタ、変わらない変わらない言ってるが無意識のうちに何かの変化が起こらないと言い切れるかい?今回は前回と違わないかもしれない。だが次回は?その次は?年月が経つと『元の世界』の奴らみたいに精神と肉体が分離するかもしれないぜ?その経過を見る実験でもあるのさこれは。世の中、変化しないモンなんてありゃしないのよ」
「だからってこんな物騒な……もっといい方法があるでしょうに」
「安全面なら大丈夫さ、今回も…ホレ」
アミュールが持っている矢に目を向ける。その先端は、本来の矢尻ではなく吸盤にすり替わっていた。
「いや……そういう事じゃないんですけど…」
「ヒヒ、いいだろう?百均で買った」
満足そうに笑みを浮かべるドゥに思わずこめかみを抑えるアミュール。兎に角!と起きた頭痛を振り払うように彼女は仕切り直す。
「百歩譲ってその実験自体はいいですけど、今回に限っては自重して欲しかったですよ!この子達の事はもう伝えてあるでしょう!?私だけならまだしも、もし貴女の悪戯で彼らに何かあっては遅いという事です!」
その声色は真剣そのものであった。気迫に押されてか、ドゥの上がりっぱなしだった口角も落ち着きを見せる。
「アミュール…アンタ、なんか変わったねぇ」
「は…?いや、私の事はいいから、次から気をつけて下さいね!いくらドゥさんでも許しませんから!」
「あいわかった。次からはアミュール専用のトラップを作っておくさね」
アミュールはホントに分かってんのかコイツ、というように眉をひそめる。そんな彼女を見て、ドゥは目を細めた。
(まさかアンタからこんな風にお叱りを受けるとは…よっぽどそいつらが大事なんだろうねぇ)
「…あ。ご、ごめんね!すっかり蚊帳の外状態だよね!いけないいけない…」
ドゥのペースに飲まれたせいで生徒達の事を配慮していなかった。両の手でぺちぺちと頬を叩き、気合いを入れ直してから咳払いを一つする。
「…コホン。えーと、改めて紹介するね。こちら、『修復者』を全面的にサポートしてくれる『調整者』のドゥさんよ」
「ヒッヒ、アタシゃドゥってモンだ。そこのヤツに言われた通り、仕事はなんやかんや作ってサポートする事だね。アンタが連れてきたって事は…このチビガキ共がそうかい」
「ど、どうも……」
一応、軽く会釈をする一年生達。ドゥの事を改めてチラリと盗み見るが、ぶっちゃけ見れば見るほどおっかない。
出来る事なら全力で帰りたい燎平であったが、生憎そういう訳にもいきそうにない。
このままここにいては何か悪い予感がする、という彼の不条理レーダーは不幸なことに早速ビンゴする事となる。
「うっし……そうさね。まずはアンタら、それ全部脱げ」
花蓮「いやぁー、私思うんだけどドゥさんを超えるインパクトのある人、生涯もう出会わないよねぇ…」
芯一「ホントだよねぇ…初めて見たときのあの衝撃は忘れられないよぉ」
翔璃「性格も見た目とマッチしているというか、だいぶ愉快な人ではあるな」
花蓮「私も一回はああいうパンキー極振りなファッションしてみたいなぁ。……文化祭…、待てよ」
翔璃「…おい待て花蓮。何でこっち見て…」
花蓮「………ちょっとバリカン取ってくる!」
翔璃「おいッバカやめろッ!!才鉢お前も手伝え!!アイツの事だモヒカンとかにされかねないぞッ!!」




