10 新入生合宿1日目 Ⅱ 『焼却』
「…で?何だよ、薫パイセン」
眉をひそめ、来飛が尋ねる。燎平、美紋、暁、来飛の新入生メンバーは薫によって体育館の隅っこに召集をかけられていたのだった。
「にっひひ、いやぁ、まぁ。うん。別にそんな大したコトじゃないんだけどね」
「…やけに薫先輩にしては歯切れが悪いっスね」
燎平も何となく察してしまい、声色のトーンが下がってしまう。このメンバーで集まるということは、そういうことだろう。
「んー、まぁ、そうだねー…うん。やっぱ薫、こういうまとめ役とか向いてないわ!……うまい言葉とか出てこないから、率直に言うね」
ぞく、と背筋に緊張が走った。時折彼女が見せるこの真面目な口調は、何回聞いても普段とのギャップに燎平は思わず唾液を飲み込んでしまう。
「今夜、二三時。ここに全員集合だって。アミュっちからだよ」
ッ、と四人の顔が強張る。薫が愛海の事を『アミティー』ではなく、『アミュっち』と呼ぶ時は、『修復者』の側面として呼んでいる事を彼らは気づいていた。
「……それで、何をするんですか?」
「んー?何って、そりゃ特訓に決まってるでしょ。美紋ちゃん」
「特訓……?…何の特訓ですか?」
「薫もそこまでは知らないよ〜。でも、やるなら基本中の基本、『異元展開』の仕方とか『異跡』の感覚の掴み方とかじゃん?」
……、と沈黙が流れる。あまりの突然の事に少々面食らってしまった。思えば、『あの事』の二週間後の生徒会室で『修復者』になるかならないかの表明の後、特に何も聞かされてはいなかった。
愛海が担任ということもあり、この合宿の準備やら何やらで先生方も忙しかったのだろう。しかし、まさか合宿中にいきなり特訓をぶち込んでくるとは。
「まぁとにかく!伝えることは伝えたから!さ、切り替え切り替え!今は全力でドッジボール大会楽しむぞー!おー!!」
その場に滞る雰囲気を空気ごと吹き飛ばすかのように明るく叫んだ後、試合をしているコートへと走り去ってしまう。
これから楽しい合宿だというのに、素直に楽しむ事はかなり難しくなってしまったようだ。
先ほどの薫のどこか冷たさを感じる真面目な声色が、今もなおこの場に漂うやるせない空気が、確かに『お前たちは普通じゃなくなった』と告げていた。
「…あーあ、せっかくその事奥にしまって今は楽しもうって思ってたのによ。もうかよ……随分と早ェじゃねぇか、ったく」
「……いえ、来飛君。先生の判断は正しいかと。なるべく早く訓練し、力をつけなければまたいつ『異怪』達が僕たちを襲ってくるかわからないのですから。しかも先生直々に教えてくださるのであれば、これ以上の温情はないでしょう」
「ハッ、確かにな。アミュセンセイ様々ってか」
「……」
「…燎平?どうしたの?」
美紋が先ほどから動かない燎平の顔を覗き込んだ。あの夕暮れ時のように、彼女の顔が近づく。それに少し心臓が跳ねたが、彼の表情は曇ったままだった。
「…いや、俺……その特訓?に参加しなきゃいけないのかな……って」
燎平と美紋は暁、来飛と違い『修復者』ではなく『施設出身者』志望であった。
『施設出身者』の目的はあくまで『異怪』が蔓延る危険な『裏側』で生き残ること。『修復者』の目的はその『異怪』達を殲滅する事。
現『修復者』であるアミュールによる特訓とは、些か趣旨が自分たちのそれとは異なるのでは、と燎平は思っていたのだった。
「ん、いやそうは言ってもなぁ…」
「薫さんによれば、アミュールさん自身が全員参加、と仰っていたそうですし…」
来飛と暁が神妙な面持ちで言葉を返す。その場の空気が息苦しかったのか、燎平はケラケラと笑って笑みを作る。
「…あっはは、いやいや言ってみただけだって!まぁ、その時になればわかるでしょ。今考えても仕方ないしな」
さ、俺たちも試合見に行こうぜ!と燎平はコートの方に向かって歩き出す。が、三人は燎平の後には続かす、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。
「………え、何、どうしたのお前ら?」
「……い、いやなんか今結構珍しいモノを見たような気が…」
「あのネガティブ思考のさくちゃんが自分からそんな事言うとか……え……?」
「もしやこの燎平は別の誰かだったり……」
「しませんからね!?ってか何だよ急に!そんなに変だったか今の!?」
「「「変……」」」
「えぇ………」
普段ならば、こういう切り替えの役目は大抵暁か来飛なのだ。重い空気の中、なるべくいざこざを回避したい燎平が発言する事自体が珍しいのに、ましてや『今考えてもしょうがない!次次!』みたいなポジティブ発言が彼から飛び出てきた事に三人とも面食らっていた。
「わりぃ燎平、俺なんかお前のこと勘違いしてたかもだ」
「さくちゃん……成長しましたね……僕は嬉しいですよ」
「え?なんで?なんで俺肩に手置かれてる訳?あと暁は俺の誰な訳?」
燎平も燎平なりに、失敗から何かしら学んでいるらしい。普段全く使えない彼の今回の気の利いた発言は、『もう自分のせいで他人に迷惑をかけたくない』という無意識の表れだった。
(………………)
しかし、そうは言っても中々胸の内に残る不安は完全に消えてくれない。
先程も聞こえた何かの音のようなものも気になってしまっている。それらが良くないものだと決めつける要素はどこにもないのだが、それでも何か不吉な予感は未だぬぐいきれていなかった。
〇〇〇
現在の時刻は昼過ぎ。雨が降っていたり曇っている訳ではないので、勿論見上げると突き抜けるような心地いい晴天が広がっている。
だと言うのにも関わらず、山の奥に広がっている森に近づく度に肌に絡みつく陰湿な空気は、愛海の表情を曇らせていた。
(奥に進むにつれて『異素』が濃くなってきている……こりゃ確実に何かいるわね)
山岳ルートの入り口で歩みを止め、目の前に広がる緑を見据える。心なしか、風で揺らぐ木々がこちらに来いと誘っているようであった。
「…上等」
口端を釣り上げる愛海。奴らから発せられる『異元』により構成される『裏側』に単身で飛び込むのは本来、避けるべき行為である。
「『異元展開』」
しかし、巫女服のような戦闘装束に身を包んだアミュールは何の躊躇いもなく『裏側』へと足を踏み入れた。
『キィイイイッ!!!』
瞬間、四方から彼女の身体を貫かんと何か尖ったものが勢いよく迫ってくる。
こういった奇襲は実はそう珍しい事ではない。事前に『元の世界』から『裏側』に『異怪』がいるのを察知できる様に、『裏側』にいる『異怪』もまた鏡を覗くようにこちらが『裏側』に入るのを察知することができるのである。
そしてその奇襲に即座に対応するのが困難なため、または事前に索敵と攻撃の役割を分けるためにも二人一組で事に当たるのが通常の編成なのだ。
……本来であるならば。
『ギィイッ!?』
「…相手が悪かった、って運命を呪うべきでしょうね。貴方達」
彼女に迫った鋭い何かはアミュールの柔肌に食い込む前に、直径十五センチにも満たない正方形の紙で見事に分断されていた。
ボトボトと転がる鋭利なそれらは、どうやら目の前の『異怪』の体の一部らしい。
(こいつらは……あまり見ない系統の『異怪』だけど……)
一言で言えば、木の化け物であった。
体長は一メートルから大きい個体は二メートルほど。木の根の様な胴体の中にある暗がりからは、一つの眼球が覗いており、その胴体に付随している六〜八本地面に垂れているのが脚であろう。先ほどの攻撃もその内の一本を伸ばしたものらしい。
目の前にいる数は四体。アミュールの『異元感知』がこの先にも同個体が十数体いると告げているが、そんな事は些事であった。問題はその奥にある。
(ここの奴らは正直雑魚…良くてランクⅡ止まりでしょうね。ちょっとばかし面倒なのが…)
彼らを雑兵の様に侍らせ、従えているボスがいる。奴ら全員いちいち面倒を見ていると思った以上に時間がかかってしまいそうであった。
(いくら『元の世界』と『裏側』の間に時間差があるとはいえ、今はレクリエーション中。なんとしても私の組の試合が始まるまでには何としてでも戻っておきたい……ッ)
そう考えると悠長に時間をかけている暇はない。持ちうる手段の最短最速で片付けるべく、アミュールは『異元』を体内で練り上げていく。
「貴方達は一匹一枚で十分……『撃針紙』ッ!」
アミュールが叫ぶと同時、四枚の紙は先端が尖るように捻れ、硬質化する。木のような『異怪』は攻撃の予兆を察知し、枝で自分の身体を覆うように守るがいとも容易く彼女の紙はそれらの枝をすり抜け眼球へ吸い込まれた。
ギッ!と短い悲鳴と共に急所を貫かれ絶命する『異怪』たち。まるで予め決められたかのように、既に何度もこなしている作業のようにアミュールの一連の流れは無駄がなく、鮮やかであった。
「ん、今のは偵察か…どうやら、本場は森の中みたいね」
少し様子を見ていたが、向こうから仕掛けてくる気配はない。
ならば、こちらから出向くのみ。
「せっかくお呼ばれしたんだもの。パーティのお誘いには答えなきゃね…!」
ふっとアミュールの手から離れたのは一枚の紙。だが瞬き一つした時にはもうそれは直径一メートル半はくだらない大きさの紙へと変わり、浮遊していた。
アミュールの『異跡』である『雲母紙』は空飛ぶ絨毯となって主人を森へと運ぶ。中に飛び込んだ瞬間、感じられる『異素』にいっそう重みが増した。
(流石に濃いわね……そろそろ次が…)
『ギィッ!』
ひとつ。
『ギアッ!』
ふたつ。
生い茂る枝や葉の間を紙の絨毯に乗り、かい潜って飛ぶアミュール。そのスピードは決して落ちる事はなく、また森の枝葉に擬態した木の『異怪』達による奇襲もその歩を止める事は叶わなかった。
何かがおかしい、とその『異怪』達は思う。
彼らの特性は擬態。ステージが森である以上、圧倒的に地の利は勝っているはず。
森の中に入るという事は、彼らの巣に入る事と同義。今までの侵入者ならば、奇襲に気づく事なくすぐに片付いていた。
なのに、何故この侵入者には攻撃が一切当たらないのか。それどころか、仲間達が攻撃する前に一撃で急所を突かれ、次々と命を散らしていく。一体どういう事なのか。
今まで奇襲する側がされる側に陥ってしまっている。こんな事は木のような『異怪』達にとって前代未聞であった。
しかし。
(…来るか)
『我々は、群れである。』その意識が、彼らをより一層手強くさせる要因となる。
『異怪』も単純な攻撃、思考を繰り返す木偶ばかりではない。群れとして在る彼らは、互いに連携し隙を補い、またその手数で敵を圧倒する。
そして、『群れ』たらしめるもの。『群れ』においての最も重要かつ核となる存在。
『ギュオオアァアアッッ!!』
一際大きな怪物が、そこにはいた。
その体躯。その存在感。明らかに今までの『異怪』とは一線を画している。猛々しい『異元』が雄叫びに乗ってぴりぴりと肌に刺さり、それは同時に視界に入る全ての枝がその『異怪』の一部であることを伝えていた。
数多の枝で完全に覆われた暗がりの中に最早太陽の光は届く余地がなく、擬態した一帯の枝の奥には影の中に大きな目玉が三つほど浮かんでいる。
これは翔璃の霧になる『改変型』に似た、『擬態をする事で自分の特性の効果を大幅に上げる異怪』の系統種であった。
自分の身体を森の一部とする事で、一定のエリアそのものを自らの支配下におけるのが特徴。圧倒的に手数や戦略が増える上に、本体と森が一体化しているため『異元』が散漫、よって『異元感知』による本体の特定が極めて困難であり本体を攻撃される以外なら大してダメージにはならないという、擬態をするだけで討伐難度が何倍にも跳ね上がる非常に厄介な『異怪』だった。
(チッ、まーた面倒くさい……しかも周り囲まれてるし……)
当然、アミュールはそれらに気づいている。しかし、この手の輩はアミュールでも本体を発見するのには相応の時間と集中力が必要なのだ。
『異元感知』を使った擬態の特定は、基本的に困難である。熟練された『異元感知』の方が時間と手間は勿論省けるが、どちらにせよ一瞬で見抜けるというわけでもない。
『異元感知』のベテランとアマチュアの違いは、言わばツールがあるかないか。十メートル四方の砂場に混ざったビー玉を素手のみでかき分けて探すかショベルカーを使って探すかというようなもの。
よって、アミュール程の腕前でも『異元感知』を用いて本体を見つけ、倒すというのは時間が惜しいこの状況だと悪手になってしまうのであった。
(…っていうか超めんどくさいし疲れるのがぶっちゃけ本音ってのはある。なら……)
戦法を変えればいいだけのこと。
ゴールが同じならショートカットを。部品製作には人手より機械を。漁には一本釣りより網を。持ちうる手段が他にあるというならば、より建設的な方を選択すべきである。
故に、攻撃対象を本体ではなく本体がいるエリアそのものに再設定する。
「奉るは焔之神、是なるは授りの儀也、荒ぶる業、文明の叡智、その輝きを我に与え給へ…」
アミュールがそう呟いた刹那、彼女を取り巻く紙の色が赤く染まる。
「染・『紅』」
刹那、『異怪』達の反応が変わった。
多対一の余裕と慢心は失せ、彼らの『異元』からは全く真逆の感情が伝わってくる。
ーー何故だ、何故だ何故だ何故だ!!
闇を照らすは真紅の光。共に踊るは熱の粉。
ーー何故、奴の周りには炎が舞っているのだ…ッ!?
アミュールの周囲には、炎で身を包んだ赤い紙が彼女を囲むように不規則に回っていた。
彼女の『異元』は自体は変わっていない。だが驚くべきは彼女の操る赤い紙から全く別の『異元』が漏れ出ている事であった。
『異怪』達の動揺を感じつつも、アミュールは冷酷に目を細める。
「手っ取り早く、早急に決めさせてもらうわよ……『焔の舞・神楽』」
ゴウッ!!っと一気に熱風が展開し、紙が纏う炎の勢いが増す。これはまずいと思ったのか、『異怪』が逃げの姿勢を整えるがもう遅い。
彼らが離脱する前に、圧倒的な炎の質量が辺り一帯を薙ぎ、包みこんだ。
ギァアアアアッ!!と複数の悲痛な断末魔が重なる中、アミュールはさらにその絶望に拍車をかける一言を放つ。
「んー、これじゃ足りない?じゃあ、倍で」
『複製』、と。
それが木型の『異怪』達が最後に耳にした言葉だった。
文字通り、炎の『異元』の源である赤い紙の枚数が倍になる。それと連動するかの如く、赤い円を描くようにアミュールの周りを燃やし尽くしている炎の勢いも二倍になった。
巨大な柱、という形容がその惨状を表すのに一番適切かもしれない。『異怪』達が炎の中でもがき、苦しみ、次々と死滅していくその様は正しく紅い海に溺れているようであった。
そして数秒後、ひとしきり炎の潮が引く頃には、辺りいっぺんは黒しか存在していなかった。
ぷすぷすと焼けただれた匂いと灰が充満する中、黒の中心にできた円に佇む彼女は頬をかく。
「あちゃー、ちょっとばかし残しておけば良かったかなぁ…?特にボスクラスのヤツとかお構いなしにファイヤーしちゃったけど……」
新種の『異怪』のリソースは貴重である。『異怪』については未だ判明されてない事が多々あるため、『もし珍しい個体と遭遇したのであればなるべくサンプルを持ってきてくれ』とサーチスに頼まれていたのであった。
(やっべ…これで私何回目だ……)
研究熱心である彼女にとっての新しい『異怪』のデータは、小学生にとっての新作のゲームと同義。これまで何回目の前の楽しみを奪われたとお説教を食らったことか。
割と何事にも比較的寛容で、全体的にダラダラとしているサーチスであるが、そういう人ほど何か一点に関してはこと敏感だったり繊細だったりするもの。彼女曰く、これだけは譲れないらしい。
(それもそうだし、今のって木型の『異怪』だったよね…?もし良いデータが取れたら花蓮の『災害種子』にも応用が効くんじゃ……)
自然と額に汗が滲んでくる。少しの間沈黙した後、もうここ一帯に生存している『異怪』は一匹もいないと何よりも彼女自身の『異元感知』が告げているのだがそれでも、一通り辺りの黒ずみをつんつんしてみたりする。
「…………黙っておくわけにもいかないし……素直に怒られますか……」
とぼとぼと『異怪』の死体の山を背に帰路につくアミュールだったが、山の麓で倒していた四体の『異怪』の残骸を発見。すっぽり頭から抜け落ちていたそれらを嬉々として持ち帰り、サンプルとする事で幸運にも難を逃れた彼女であった。
幸「おっ、お疲れアミュ。どうだった?」
愛海「う、うん。大した事なかったよ。珍しかったからサンプルもちゃんと取ってきたし」
幸「おっ?流石に懲りたか。こりゃ楽しみだね、七十点」
愛海「そ、それより試合はどう?もう始まってるの?三組の皆は?」
幸「丁度さっき始まったところだよ、ホラあそこ」
愛海「あ!ホントだ!こらー!あなた達負けたら承知しないんだからね〜!!」
幸「……行ったか。ホントに、今のアンタは良い顔するようになったよ……アミュ」




