9 新入生合宿1日目 Ⅰ 『到着』
山岳地帯に入ると、まず違うと感じるのが匂い。
空気そのものといっても差し支えはないが、やはり樹々や土から醸される独特の自然の香りが足を運んだ人々をあぁ、山に来たのだなぁと感じさせる。
バスから降りた途端に、それらの空気が歓迎するように生徒たちを包み込む。彼らも普段は触れられない新鮮な環境に少なからず心躍らせていた。
バスという狭い空間に何時間も閉じ込められたせいもあるのだろう。一気に広がる視界と瑞々しい空気は、年若い生徒達の疲れを吹き飛ばすには十分であった。
「んん〜っ、空気がおいしいっ!」
ぐぐっと背伸びをする美紋。普段は落ち着いた物腰の彼女でも、浮かれた空気に当てられてテンションも少しは上がっているようだ。
「あー、やぁっと解放されたぁ〜!バスの中とかつまんなすぎでしょ!も〜!」
腕をぐるぐる回しながら、美紋の後に続く薫。ぞろぞろと他にも賑わった生徒たちが降りてくる中、バスの下に積んである大きい荷物を受け取る列に彼女たちは誘導されていた。
「そう言えばさ、美紋ちゃん。空気がおいしいって言うけど、実際どうなの?薫、実はあんましわかんないんだよねー」
「え?はぁ…いや、その、都会と比べて澄み切ってるというか…新鮮って事じゃないですかね……?気持ちの問題みたいな……」
突然話しかけられしどろもどろになりつつも、何とか答える美紋。
しかし何か気に食わなかったのか、薫はそんな美紋の態度を見て頰を膨らませる。
「ふーん、そうなんだ。って、あ、もー!また!敬語はいいって言ったのに!同じクラスなんだからもっと、……何ていうの、とにかくつれないなぁ!」
「…でも……夜葉先輩は先輩ですし……」
「いいの!そんな事薫がいいって言ってるんだから!呼び方も薫か、かおるん!ねー、ヒノのん!」
「へ!?あ、うん……そうだね、かおるん」
急に話題を振られ、驚きながらも後ろに並んでいた陽乃は薫に話を合わせた。
「ほらぁ!ヒノのんはちゃんと合わせてくれてるよ!」
「……距離を縮められる速度は人によると思うんですけど…」
ぼそぼそと呟き、美紋はなんとも言えない顔で目を逸らす。
(…悪いけど私、こういうノリの人正直苦手なんだよね……)
そもそも根っからの真面目ちゃんである美紋には、その考え方自体が合わないのだ。
遊び人やウェイ系の人物は皆美紋とほぼ真逆の思想。態度や性格、雰囲気のずれがどうしても接してると発生してしまう。感性や観点の相違である。
そういう意味では来飛も同類なため、初めは美紋も距離を置いていた。なにかと腐れ縁が続いてる今でも若干苦手意識はあるらしく、なるべく二人きりにはなりたくないらしい。
(班員が陽乃ちゃんだけなら良かったんだけど…班長としてうまくやってけるかなぁ……)
初日の初っ端から不安に駆られる美紋。バスの中でも薫が隣だったため、彼女の事を知るにはいい機会だと思っていたが、実際キツかった。
話を振られても共感できす、会話の展開が難しい。こちらから話題を振るにしても共通点が見つからず会話自体が続かない。そのため数回キャッチボールをしては黙り、気まずい雰囲気になるという、その流れの繰り返しだった。
今も陽乃がいなければさらに気まずい雰囲気になっていただろう。
そもそもあの髪の色である。オトナになってからならまだしも、学生の身分で髪を染める事自体が彼女の中で考えられなかった。
美紋の中で髪染めてる=不良という概念がまだ拭いきれていない。もしかしたら、見えないところでオラついてる人とつるんでいるかもしれない。こちらが想像できないような、何か良からぬことをしているかもしれない。
結果、そのような偏見がどうしても思考に入ってしまい、美紋の中で無意識に距離を置いてしまっているのだった。
これからの合宿に対して一抹の不安を抱えながら、ちらりと薫の横顔を盗み見る美紋。
(一応、あっちの方でも先輩なんだよね...彼女)
一人の班長としての心配とはまた別のモノが彼女の心中を占めていく。
それも踏まえると、さらに彼女との接点が増えるのは必然。先が思いやられるなぁ、と軽く肩を落とす美紋であった。
〇〇〇
「ここが私たちの部屋かぁ……!」
三〇四号室。それが美紋達の班の部屋だった。
六畳ほどの広さの、白を基調とした清潔感ある部屋。仄かに草の香りがする畳の上にテーブルといくつかの座布団が広いスペースと共に置いてあった。
部屋の突き当たりには壁全面にもなる大きさの窓があり、差し込む木漏れ日と共に緑彩る豊かな山の風景を一望できる仕様となっている。
部屋は勿論一つしかなく、簡易なトイレやクローゼットの他には小さいテレビが冷蔵庫の隣に置いてあり、テーブルの籠にはお約束のお茶受けが詰まっている。
美紋自身も合宿というのは実は初めてだったため、流石に部屋まで来ると今まで湧きにくかった実感も感じられるというもの。自然と頬が緩み、心拍数も上がってくる。
「おぉー!ココ薫達の部屋!?いいじゃんいいじゃん!やっほーっ!!」
きゃいきゃいと小さい背丈ではしゃぐ姿は、小学生と見間違える輩が出てきても文句は言えないほどにそれっぽかった。
自分よりテンション高く騒いでる彼女を見て、ハッと我に返る美紋。いかんいかん、と班長としての責任が彼女をそうさせているのか、高揚した心に喝を入れるべくほっぺをむにーっと引き延ばす。
数秒経って遅れてやってきた陽乃も、一時的とはいえ、『家以外での公認された自分たちだけのスペース』が与えられる事に目を輝かせた。
「わぁ〜、いいなぁ…ここ……!」
「あ、陽乃ちゃん。一応荷物、ココらへんに纏めといてね」
「はいはーい、分かりました班長〜!」
軽く敬礼をする陽乃につられ、美紋もはにかみながらそれを返す。
「はんちょーはんちょー、次って何するんだっけ?」
畳の上でゴロゴロしながら合宿のしおりを読む薫。今読んでるなら何でわざわざ私に聞くの…と湧く呆れを抑え、小さいリュックサックの中から美紋も自分のしおりを取り出す。
「次は確か、スポーツレクリエーションだったと思いますけど……やっぱり。十六時にロビーに集合して、そのあと少し離れたところにある体育館?に向かうそうです」
「まーた敬語……んで、ジャージにはもう着替えていいの?」
「…問題ないんじゃないですかね?それまではフリータイムってありますし。一応私、この後先生に確認してきます」
よろしく〜と手を振る薫。班長である美紋は、二階にいる先生たちに部屋の点検とその報告、そしてこれから一日の具体的な指示を仰ぎに行かなければならなかった。
予め簡易な確認用紙を渡されていたのか、部屋の要所要所を見て回っては紙にチェックを入れていく美紋。一通り終えたところで、じゃあ行ってきまーすと彼女は部屋を後にする。
美紋がいなくなり、静寂が部屋に残る。だが、それが続いたのはひと時のみだった。
「…ねぇ、ヒノのん」
「ん?何?」
「美紋ちゃんさ、薫のことどう思ってるのかなぁ」
「え、どう…って……私にもよくわからないけど、でもまだ距離ある感じだよね〜」
「んもー、気にしなくていいのになぁ。ヒノのんみたいに話してくれればいいのにね〜」
美紋が薫に対して態度が柔らかくない事には、既に気づいていた。明らかに陽乃との差が感じられる。
(美紋ちゃん……お堅そうだとは思ってたけど、こりゃ想像以上だなぁ)
美紋自身気づいていないが、ずばり、かなり思っていることが顔に出やすいタイプ。
薫と話していて笑う時、口角は上がり声も弾んではいるが、目は全く笑っていないのである。そしてどこかドライな雰囲気が隠しきれていない。
『只の普通の』クラスメートなら無理に仲良くなる必要はない。互いに適切な距離感があるし、きっと性格や価値観が合わなかったりする人だっているだろう。
だけど、と薫は目を細める。
もう彼女はあの時から『普通』ではなくなってしまった。
『裏側』で存在することの出来る『異元』を持ってしまった時点で、その運命からは最早逃れられない。
戦うか逃げるかの姿勢はどうあれ、触れたこともない未知の領域に直面していかなければならない。
薫は知っている。異形と立ち向かうことがどれほど難しいか。どれほどの恐怖や不安が纏わりつくか。かつて自分もその道を通ったから。
確かに楽な道では全くなかった。自分がここまで来れたのは一重に、心強い味方が自分を支えてくれたから。
恐ろしい『異怪』を見ただけで身がすくんでしまいそうになっても、その震えを止めてくれたのが同じ『修復者』の仲間たちだった。
それ故に、こんな普通ではない、不条理な状況下で耐え抜くには協力することが不可欠。戦でも心でも、空いた隙間を埋めてくれるのは頼りになる生徒会や先生の皆。
友人としてもではあるが、一人の『修復者』の先輩として、あんな出来事で大きな不安を抱えているであろうその心労を出来るだけ取り除いてあげたいと思っていたのだった。
薫も直接的な関与は無かったにせよ、あの事件で美紋を助けられなかった責任を少しは感じている。
(『修復者』としての薫や皆の事も知ってもらいたいし…一応、これを機に色々面倒見ておくかなぁ……)
…特に、本人が『あの選択』をしたのならば。
〇〇〇
「いち、に、さん、し……うん、よし!一の三はこれで全員いるね!」
宿舎から少し離れたところにある、バスケットボールの試合が同時に四つは出来そうな広さの体育館前に生徒たちは集合していた。
生徒たち同様、学校指定の動きやすいジャージに着替え、普段は下ろしている髪を後ろに纏めた愛海が点呼をする。
「流石我がクラス!時間より早く集合するとは偉い!先生鼻が高いです!それじゃあさっき伝えた通り、私たちの番まで一の三は待機!」
よく響く透き通るような声と共に、満面の笑みを浮かべる愛海。その破壊力はいつにも増して大きく、その場にいる男子生徒ほぼ全員の表情筋を緩めさせた。
(あぁ、やっぱ愛海先生可愛いなぁ…!いつものスーツ姿も似合ってるけど、今のジャージ姿も新鮮でいい……ッ!)
(そしてポニテのインパクトたるやッ!うなじフェチにはたまんねぇッス!何より少し広い襟からちらっと見える鎖骨とその下にある豊満な果実がまた……ッ!)
ニマニマとそんな妄想を浮かべている男子生徒を蔑む目で見る女子生徒。中には勿論、せんせーかわいい!と黄色い声を浴びせる者も少なくは無かったが。
「確かにこのジャージ、動きやすくてシンプルでいいかも…」
美紋たちも当然、それらに袖を通している。デザイン自体は至ってシンプルではあるが、ダサくはなく気張りすぎず、どちらかと言うと落ち着いた印象を持ちそうな雰囲気だった。
白と灰色をモチーフとした色合いで生地も軽く、通気性がいい。四月下旬という今の季節、長袖では少し暑いが、運動直後に体を冷やしてはいけないという名目で一応半袖の上に羽織る者もちらほらいた。
健康診断の時に着用した際にはそれほど動かなかったので実感はあまり無かったが、いざ動くとなるとその機能性の高さが伺えた。
「お、月ヶ谷!オッス!」
「あ、来飛君…皆も」
こちらの姿を見るや否や声をかけてきたのは来飛。もうやる気満々といった風に、男子生徒の半数以上はもう臨戦態勢(半袖短パン)になっている。
彼の他に一緒にいるのは燎平と暁、そしてもう一人、あまり見ない顔がいた。
「ええっと、貴方は確か…保井君、だったよね?」
「お、おう。月ヶ谷…だったか」
うひゃあ、名前覚えられてたぁと若干身震いする美紋。目が合って早々に睨みつけてきてる気がする。やっぱ金髪ピアスこわい、目つきめっちゃ悪いし…と顔を引きつらせつつ美紋は軽く会釈する。
するとどうだろう。なんと彼も会釈(のようなもの?)を返してきたではないか。目つきはそのままなので、怖さもそのままではあるが美紋にとっては少々意外だった。
…いや、よく考えたらと睨みつけられたままの会釈ってやっぱり微妙に怖い。そしてこっそり彼のことを盗み見てみると、何故かなんとなしに頬は赤く、小刻みに手足は震えてるように見える。
(こ、これひょっとしなくてもなんかめっちゃ怒ってるヤツー!?)
自分が何かしただろうか。それともそれがデフォルトなの!?と剣呑な空気を前に冷や汗を流す彼女だったが、奇しくも同系統な人種である来飛がそれを打ち払った。
「おーう輝樹ィ!さては相当気合い入ってんなぁオメェ!?任せろ、俺がいる限り他のクラスに負けはねぇからよ!」
「え?あ、いやそういう訳じゃ……」
バンバンと輝樹の背中を叩きながら自慢げに親指を立てる来飛。結構大きい音が彼の背中からして痛そうだったが、それも彼らの中ではきっと挨拶程度なのだろう、とさらに偏見を盛り距離を置いてしまう美紋だった。
「なぁ、俺らはこの後どの組と当たるんだ?」
「えーと、確か一組のはずですね。彼らが勝手も負けても、総渡り戦なので関係はないかと」
来飛たちが隣で騒いでる間燎平と暁は他の組の試合を観戦すべく、いい観客席となるスペースを探していた。
燎平たちの学年は一から五組まであり、燎平達はその中の三組に属している。
一クラス男女合わせて三十人弱。先生も合わせると二百人近い人数が体育館に集合していた。
今から燎平達が行うスポーツレクリエーションとは、即ちドッジボール大会。
球技の中では比較的男女共に楽しみやすい部類に分類され、ボールも極めて柔らかい材質のものを採用しているため危険も少ない。
汗を流し、共に勝利に向けて一丸となり協力しあえるスポーツ。正に新入生合宿の最初を飾るに相応わしいレクリエーションだった。
そんな燎平達のクラスは最初、くじ引きでお休みらしい。四つのクラスを二組に分けて試合を行うため、一クラスは必然的にあぶれてしまう。それ故に彼らは暇を持て余しているのだった。
しかし、今は退屈で仕方なくなるそんな時間も、忙しくなってしまえば喉から手が出るほどそれが欲しくなるというもの。
彼らにそう思わせる事となるのは、この場に似つかわしくない、ほんの少しの違和感だった。
(ん?何か……今)
(遠くの方で………何か、聞こえたような…?)
燎平と暁が同時に感じたその違和感に、顔をしかめていると後ろから背中を叩かれるような軽い衝撃に見舞われる。
「やっほー、二人とも!今、ちょっと時間あるかな?」
にひっ、と彼らの後ろで薄く笑みを広げるのは我らが小さき薫先輩だった。
〇〇〇
瞬間、ハッと愛海は目を見開いた。
「……まさか」
この、嫌な気配は。
薄々来るだろうとは思ってはいたが、まさかここまで早いとは。
「…………サーチス」
「あいよ」
視線は前に向けたまま、隣にいる幸を静かに静かに呼ぶ彼女。
「……ここ、任せていい?」
「りょーかいアミュ。あのバンド少女にも一応言伝いるかい?」
「助かるわ」
ふぅと軽く深呼吸。目を閉じ、肺の空気を入れ替える。
その鋭い目つきはもう愛海ではなく、アミュールのそれであった。
「……すぐ、戻るから」
〜回想 輝樹ver〜
美紋「ええっと、貴方は確か…保井君、だったよね?」
輝樹「お、おう…月ヶ谷、だったか」
(うわ出たー!月ヶ谷美紋ッ!こういう如何にもな美少女の前だと…いやいや!大丈夫だ大丈夫!いつも通りいつも通りに!)←この間0.2秒
美紋「ど、どもぉ…」ペコ
輝樹「あ、はぁ…」ペコ
(だ、大丈夫か…?顔とか変じゃないか俺……うわぁあいきなりだと難易度高すぎるうぅう……!!)
来飛「おーう輝樹ィ!さては相当気合い入ってんなぁオメェ!?任せろ、俺がいる限り他のクラスに負けはねぇからよ!」バシバシ
輝樹「え?あ、いやそういう訳じゃ……」(いだだだ!痛いってぇ!)
輝樹(…………俺、初日からこんなんで大丈夫かなぁ……?)




