8 不吉な予感
「……おーい、………平?オイオイ!燎平!聞こえてんのか!?」
「……ん?ああ、ごめん。何だっけ?」
パチパチと瞬きを数回してから、意識にかかっていた霞を払いのける。
「ったく、頼むぜ班長!さっき部屋の事とか着いたら何するかとか先生から聞いて来たんだろ?俺らの班は三人しかいねぇから何か勝手が違うんじゃねぇのか?」
「ん?いや…俺たちだけ違うとかは特に聞かなかったな。説明も他の班の班長達と同じだったし」
ふーん…ならいいけどよ、とカレーをもりもり口へと流し込む来飛。
時は流れ、燎平達は今、正に合宿先の宿に向かう途中であった。
合宿までの道のりは残りわずか。午前九時からバスで約三時間と少しの山奥に今回の新入生合宿の宿はあるらしい。
正午に差し掛かる頃には、年頃の男子達の腹の虫も黙ってはいられないだろう…との事で、燎平達は予め休憩所ターミナルに用意されていたカレー定食にありついているという訳だった。
「…………………」
カレーを口に運びながら、無意識にまた記憶の海へと意識を沈めてしまう燎平。
(一人じゃ、ないんだよ。燎平は間違ってなんかないんだよ)
(…大丈夫、大丈夫だよ)
あの言葉が、温かさが、今もなおこの胸に残っている。
あの時、横目でつい盗み見てしまった彼女の穏やかな表情。
彼女の手から直接伝わって来た、包み込むような温もり。
(……くそっ、なんだって……なんだってあれから…)
あれから、美紋の事が頭から離れないのか。
あれからずっと、ずっしりと重い何かモヤモヤしたものが心にこびり付いている気がする。
それについて考えていると、無性にやるせなくなるというか、転げ回りたくなるというか。そんな衝動に駆られてしまう。
再びある程度柄にもなく長考しているうちに、目の前のカレーは全て無くなってしまっていた。
その事が区切りとなったのか、来飛の声によって完全に現実に引っ張り出される。
「……ところで…お前、大丈夫か?大分顔色悪そうだけどよ」
「……あ、へ?俺!?な、何の事だ?これくらいの酔いなんて、全然どうって事ないんだけど?」
来飛が隣に座っている男子生徒に話しかける。バスの酔いからか、若干顔色が悪そうな彼の名前は確か、保井輝樹…だったか。
一緒の班のメンバーにたまたま来飛がいたからまだ良かったものの、こんな金髪で目付き悪くて如何にも不良みたいな人間と一緒の班なんて燎平は本当は真っ平ゴメンだった。
...しかし、先程から彼のカレーが全く進んでいない。確かに気持ちが悪い時にカレーというのは大分キツイか。
「にしてはお前、カレー全然食ってねぇじゃん。少食系なの?その見た目で?食わないなら俺がもらっちまうけd」
「あー!!大丈夫大丈夫!!俺が気持ち悪くて食えない訳ないじゃん!?今はただ…そう、香り!このカレーの芳ばしい香りを楽しんでいただけだよ!」
「お、おう……?」
そう力み、無理やり口にカレーを運ぶ(ように見える)輝樹。ウッ、と何か呻くような声が彼から漏れ出たのは幻聴ではないだろう。
…というか、と燎平は再び彼の事を観察する。
身なりの割にはどうにも覇気がなく、筋肉もまるでないひょろひょろとした体つき。背も猫背気味であるし、肌の色もかなり白い事からあまり外に出ない系の人物なのか…?と予測を立てる。
燎平もコミュ障の類ではあるが、何もしないでぼけーっとしているただのコミュ障ではない。
(会話ができないのでその間に)出来るだけ相手のことを観察し、(荒波を起こしたくないので)出来るだけ相手がどのような人物像であるかをある程度自分の中で予測してからでないと初対面の人でも安心して接することが出来ないコミュ障であった。
だが、そのために突然の出来事や不意打ちにはめっぽう弱く、入学式の薫なんかの時は良い例だった。いきなり何の前触れもなく話しかけられたらテンパって会話どころではなくなってしまったのはそのせいでもある。
(にしても、どうも俺と同じ匂いを感じるんだよな……輝樹ってヤツ…)
妙に落ち着きがないというか、変に取り繕ってるというか。今の気張っている態度が本当の彼でないことは何となく察しがついていた。
来飛に絡まれている時は特に見栄を張っているように見える。まぁこの合宿でその薄っぺらい仮面も剥がれるか、ととりあえず頭の片隅に追いやる燎平。
(………でももし、マジもんのヤの付く人でガチ切れしたらめちゃくちゃ怖い人とかだったらどうしよう……!?)
ぷるぷるとお茶を持つ手が小刻みに震えだす。余計な事を考え、ついついネガティブな方向へと走ってしまう燎平も燎平であった。
〇〇〇
バスの出発十分前の、トイレ休憩の時間。
普通、何も用がなければ自らの席に座り、待機しているのが当然でありするべき行動である。
……が、普通でない彼女達はターミナルの駐車場から少し距離がある広間にいた。
「ちょっとアミティ〜、何?いきなりこんなトコに呼び出しちゃってサ」
「ごめんごめん、って言ってもすぐ終わるから。貴女には、一応知っておいて貰いたくてね」
そう言って手を合わせる愛海。だが、言い終わった後にはもう教師としての面影は無かった。
突如、瞬時にして世界が変わる。
青々と茂った草木や建物の色彩が失せていく。見上げると心地よかった快晴も、今はそんな清々しい気持ちにはなれそうにない。
「え、ちょ、何!?いきなり『異元展開』するってどゆこと!?『異怪』でも近くにいるワケ!?」
モノクロになった世界、『裏側』にアミュールと薫は二人、取り残される。
彼女たちは、『異素』を取り込み『異元展開』をすることにより、『裏側』へ意図的に入る事ができる。
そして、『異元展開』は『異怪』と戦うための戦闘形態。そも、『異怪』の存在する『裏側』に入る事自体が危険な行為なのだ。
「大丈夫、安心して。薫の『異元感知』は正しいわ。『異怪』はいない。…………ここにはね」
「!?……それって…」
「薫も知ってると思うけど、『裏側』は基本的に『異怪』のいる場所にしか出現しない。他に『迷走者』がいたりだとか、この前の事件みたいに『異跡』によって『裏側』を出現させるって例外もあるけど…兎に角。おかしいと思わない?」
おかしい?と薫は首を傾げる。今のところ、今いる『裏側』に変なところは見当たらない。
「おかしいっていえば……『異怪』がいないのに『裏側』に入れる事?…でもでも、それって割とよくある事だよ?」
薫の指摘にアミュールも頷く。共通の認識として、『裏側』ある所に『異怪』あり。二つでワンセットのようなものだ。
普通は、『裏側』に入るときは大体の発生源がその『異怪』である。そのため、『裏側』に入ると『異怪』との戦闘になる可能性が高い。
しかし、薫達が任務をする際、一割程度の確率でたまたまそこにただ『ある』状態の『裏側』を見つける事もある。その発生源は通常通りの『異怪』ではなく、自然的にできたものらしい。
今薫とアミュールがいる『裏側』も、『異怪』がいないその自然発生からくる『裏側』ではないのかと薫は問うたのだ。
だが、アミュールは難しい表情のままだった。
「そうなんだけど……違くて。ホラ、周りのよく『異素』を『異元感知』で感じてみなさいな」
「え?う、うん……」
そう言い、目を閉じ薫は集中する。薫の場合、攻撃の探知は彼女の『異跡』の波に任せっきりだったので、正直『異元感知』は得意ではなかった。
「う……んん??」
「感じない?」
数秒、眉間にしわを寄せながらうんうん唸ってみるが薫の表情は変わらない。
「もー!『異元感知』の感度激ヤバなアミュっちと一緒にしないでよ!わかんないもんはわかんないもん!そもそも、『異元感知』はいつもあのつっかえないクソマルのパートなのに〜!」
「こらこら、芯一君をそう悪く言わないの。まぁ……そうね。っていうか、もうちょいコトは簡単なんだよ?難しく考えすぎ。あー、私もちょっと言い方が悪かったかな」
ふむ、と頷きながらアミュールは顎を親指で掻く。
「じゃあヒント。逆に、ここには『異怪』いないんだよ?本来あんましないハズのものはなーんだ?」
「むー……、本来あんましないハズのもの……って事は元はあって当たり前………」
真っ先に思い浮かぶのが『異怪』。そう、あのピリピリと肌で感じるあの緊張感を『異素』が伝えて……つたえ、てきて……。
「あーーっ!!わかったわかったわかった!!『異怪』がいなくて、本来薄いハズの『異素』が普通!!」
「ビンゴ!」
指をビシッと指すアミュールにいえーい!と駆け寄りながらハイタッチをする薫。
「考えてみれば、意外といつも当たり前にある事に気づくのってちょっと難しいことよね〜。普通、『裏側』には『異怪』がいるもんだけど、ここは何もいない。『異怪』がいない分、奴らから漏れ出る『異元』もないから空気中の『異素』も少なくなる」
「だけど、何でかここは普通に『異怪』がいるみたいに『異素』濃いよね?………まさか」
ここで、アミュールの顔が一気に真剣みを増す。彼女は遠くの山を見据えながら、目を細めた。
「うん。そのまさか…かも。こんだけ『異素』が濃いって事は、それの元となる『異怪』もいる可能性が高い。今、この近くにいなくてもどこかにいるかもしれない……仮にもし『異怪』がいないにしても、別のカラクリがあるんだと思う。どちらにせよ、あんまりいい予感はしないわね」
アミュールの鋭すぎる『異元感知』は、『裏側』における少し先の未来もなんとなくではあるが、『直感』として感じとれるという。
その彼女が『悪い予感がする』と言うのだから、新入生合宿とて気が抜けなくなった薫であった。
「ごめんね、薫。……貴女にとってもこの合宿、気兼ねなく楽しみたいでしょうに」
目を伏せながら、アミュールは謝罪する。だが、そんな事まるでないかのように能天気な声で薫は笑った。
「にっひひ、いーのいーの!アミュっちはそんな心配しなくても。それにホラ、薫新入生じゃないし!」
「薫……」
「それにさ、ヤバそうな事がまだ起こるかわかんないんでしょ?薫たちは出来ることを出来るだけやるだけだよ、アミュっち!……何より」
そこで、薫も声色が変わる。
「もうさ、嫌なんだよね。あの子達に怖い思いをさせるのはさ。薫たちはまだ慣れてたから良かったけど、今の新入生の子たちはさ……これ以上は辛いじゃん。許せないじゃん、そんなの」
そんな薫が目を伏せるのを見て、ハッとアミュールは目を見開いた。
(薫もあの子達と歳一つしか変わらないのに…先輩面しちゃって……)
ふふ、と自然と笑みが零れる。最初見た時の彼女からは想像できない成長ぶり。
「かおる〜!アンタって子はーっ!」
「うひゃ!?ってもー!急に抱きつかないでよねアミュっち!」
よーしよしよしうりうり!と犬を愛でるようにアミュールは薫の頭や顔をこねくり回す。薫も若干抵抗しているが顔はほころんでいた。
「っはー、ったくもう、ほんっとに可愛いんだからウチの子たちは」
「んもー!満足した?少しは自制してよねーそれ!美紋ちゃんとか他の子にはいきなりやっちゃダメだかんね!」
「はいはい、わかってますよー。私も嫌われたくないし。さ、もうすぐ出発だよ!ホラ行った行った!」
えー、アミュっちが呼んどいてそれぇ!?と頬を膨らます薫の背中を押すアミュール。
その小さい背中を押しながら、彼女は再び決意を新たにするのだった。
(大丈夫。私の可愛い生徒達は今後絶対に傷つけさせない……例え、私の命に代えても)
〜昼食後〜
来飛「あーまたバスかよー、早く着かねぇかなぁ」
燎平「あとちょっとらしいけどな。一時間くらいじゃね?」
来飛「マジかー…一時間って何もすることがないと結構キツいよなぁ」
燎平「だな……まぁ、スマホあるから退屈はしなさそうだけど」
来飛「中学の時はこういう時使用禁止だったもんな俺たち…ってかオイ、コイツが一番キツそうだぞ」
輝樹(ヴォエエ……ぎもちわ゛るい…………)




