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不条理の修復者  作者: 麿枝 信助
第二章 舞い咲く恋慕は蝶の如く
26/67

1 それは過ぎし夢の様な



 …男には、負けられない戦いというものが確かにある。


 プライドを懸けた勝負、女の前での勝負、そして大事なものを守るための勝負。


 今回も、例に漏れずそんな類の争い。今、俺の右手に全てがかかっている…と少年は軽く息を吐き、目を瞑る。


 「……準備はいいか」


 「……応」


 刹那の静寂。これで、この一瞬で全てが決まる――ッ



 「「最初はグー!じゃんけんぽァア!!」」



 ワッ!と一気にその場が盛り上がった。勝者は何と、ぼさぼさ頭の少年。


 「勝った…!?俺が!?いつもこういう時は何でってくらい負けるこの俺が!勝ったァ!!」


 いよっしゃあああ!!と両腕を上げて勝利のガッツポーズを決める。一方、敗者の方は潔く手を差し出した。


 「…いい戦いだったぜ。お前の勝ちだ」


 「へへっ、お前も中々に手ごわかった。一手間違えれば勝利はお前のモンだったよ」


 がしっっ!と友情をお互いの手を通して交わす。その後二人の間で決まった、パターン化されたやり取りをしつつ、最後は両者とも笑みで清々しい幕引きを行った。


 「…いや、一手も何も、只の罰ゲーム決めるじゃんけんじゃないコレ……」


 「にっひひ、でも見てて面白いよね!こういう時の男のバカはさ!」


 下らないだけでしょ、と吐き捨てるポニーテールの少女。その隣の座席に座っている茶髪の少女も、まぁやろうとは思わないけどねー、と男女のテンションの差に加えてコメントした。


 結果が決まり賑わうバスの中、今回のレクリエーション司会兼彼らの担任である愛海がマイクを用いて一声促す。


 『はーい、じゃあ罰ゲームは来飛君ね!一発芸ってコトだけど準備はいいかな?』


 「いつでもいけるぜ!俺がやるのは持ちネタ、『変顔二十面相』だ!」


 おぉお、と生徒たちが沸き立つ。変顔は一発芸の定番だが、それが二十もあると流石に少しは興味が引かれるのか、彼に皆の視線が集まる。


 「じゃあ早速、その一!」


 瞬間、ブフォw!と前の座席から噴き出す声が聞こえる。来飛はこういう空気に慣れているため、人を笑わせるタイミングや空気の作り方を熟知しているのだ。


 例え変顔で受けなくても、その『受けなかった』という事実の空気自体がまた変わった笑いを引き起こす事もある…といった風に、彼はあらゆるモノ、時には道具も用いてまで笑いを作るのに熱心である。


 『お、来飛君今度は……って、セロテープ?……あっ(察し)……ッぷ、ぶふっ』


 司会の愛海ですら、このように彼女自身に先に想像させることで笑いを引き出す。これで愛海を笑わせるという最初の段階はクリアした。


 そして、先生…この場の一番偉い人物が笑った事により、それ自体が場の空気を一気に軽くさせる。上の立場がそういう態度なら自分も笑っていいんだ、という集団心理を逆手に取る戦法を彼は用いていた。


 セロテープを顔に貼る仕草もいちいちいい感じに間を取りよりウザく、一枚一枚丁寧に貼って行く。


 また、彼の友達や女子生徒に自分の顔に貼らせる事により一気に面白さは増していく。それは、『完全なる受け手』の姿勢から自分も『笑いを作る要因となる加え手』という姿勢に焦点をずらすことで発生するウケポイント。


 これらを彼は素でやってのけるため根っからの陽キャという訳だ。


 「……ひょ、ひょのはひ…ふまふひゃへれまいほー(そ、その八…うまくしゃべれないぞー)」


 バスの中をゆっくり歩いていく来飛。その度に周囲から笑いが起こり、スマホで録画する者やキモ―!キャー!と雰囲気を楽しむ女子。


 今となっては彼の顔面は名状し難いモノとなっていた。額辺りは髪も少し巻き込んでセロテープでぐるぐる巻きにされ、凛々しかった眼光は原型をなくし見る影もない。口のあたりは無理にひっぱられているためたらこ唇の亜種もどきになっている。


 そんな顔でひょーとか変な声、変なポーズを加えるもんだから笑わない方が無理というものだった。


 その壁は、ついに一人の少女の前に現れる。


 「は!ふ↑ひ↓は↓ひゃ↑!(あ!月ケ谷!)」


 「……何よ、こっち来ないでキモイ」


 隣で腹抱えて爆笑してる薫はさておき、ここまで来れば彼の寸劇も終盤。『普段笑わなさそうな奴が笑う』というハードルを超えさえすれば、それが最高潮の笑いと達成感の空気を作り出す。


 しかし、それでもし少しも笑わなければ一気に場が冷めてしまうという危険な賭け。だからこそ、来飛は美紋を選んだのであった。


 「ほー!ほへ!ほはへおやっへ、ひよよ!(どー!これ!お前もやって、みろよ!)」


 そう言いセロテープを渡す。普段真面目に振る舞っている美紋がどんな行動をするのか、皆の視線と期待が彼女に集まる。


 「ぶっほ!!い、イントネーションヤバwwってかその顔wwwひ、ひぃー、も、まって…!ムリ、あはは、笑い死ぬコレ…ひっ!(二度見)にひひひひははははは!!」


 ぐっ!っと素早く親指を立て、薫を更なる笑いの渦へと誘う来飛。美紋の場合、隣で笑っている薫に自分とのテンションの差を見て冷める方ではなく、どちらかと言えば影響されやすい方だとというのも彼は知っている。


 つまり美紋は押しに弱い。ただ今の彼女は新しい環境で変に壁が出来ているのか、真面目に振る舞っているが本当の所はノリは良い方なのだ。あとそれをちょっと押してあげればいいだけ。


 「はぁ!ふぁあ!!(さぁ!さぁあ!)」


 「……え、私やるの…これ………ッ」


 彼女の口端と眉が何かを耐えるように歪む。


 「ひゃあ!ひゃ↓も↑~~ン!(さあ!カモ~~ン!)」


 「…ッ!………ッ!!」


 肩が震え、俯きながら口を片方の手で押さえる美紋。もう既に少し笑っているが最後の見栄だろう。


 お、いけいけ!という周りの空気と、この変顔。対するは美紋のプライド。天秤がどちらに傾くのはもはや明確だった。


 「……ふざ、けんなッ!」


 「お゛ぉ↑ン!!?(高音)」


 美紋がしたのは至極簡単な事。ベリッ!!と、ここで思いっきり彼の顔のセロテープを剥がしたのだ。


 ドッ、と一気に笑いの渦がバスの中に巻き起こる。


 「いってええええええ!!!」


 ひーっ!!いでえよおおん!!と仰け反り喚き散らす来飛を肴に、笑いのピークに達する生徒たち。


 来飛の顔に貼ってあったセロテープは量が多すぎたため、一枚剥がすとそれらは互いにくっついているので連鎖的にほぼ全てのセロテープが来飛の顔を離れたという訳だ。その分滅茶苦茶痛い。


 最後の締めに一役買ってくれた美紋も同じく、耐えきれないといった風に腹筋を崩壊させていた。


 「っははは、やっぱ面白れぇな来飛!」


 「ええ、本当に。ああ見えてかなり論理的です。彼の行動一つ一つにきちんと意味がある」


 彼の事を天才と言うのでしょう、と暁は付け加える。隣に座る燎平もまた、彼の巻き起こす笑いの嵐に身を委ねていた。


 最後の美紋の行動も実は来飛の指示。予め手に『はがせ』とマジックで書いておいてそれを直前に美紋に見せていた。


 口やジェスチャーでも伝えられるが、もし美紋の理解がそこに及ばなかったり、その間に変な間が出来てしまったらせっかく育て、温めておいた場の空気が冷めてしまう。


 慎重に流れを読み、タイミングを見計らい膨らみ切った笑いの風船を一気に割る。それだけ来飛はエンターテイナーであり、皆を真面目に笑わせる、楽しませる事に真摯に向き合っていたのだった。


 「すげぇよな、出会ってそんな経ってないヤツでもすぐに笑わせる事ができるって。その度胸もだ。見ろよ、すぐ人気者だぜアイツ」


 「……さくちゃん、羨ましいんです?」


 「そ……そんな事ねぇよ!俺なんてそういうキャラじゃねぇし…」


 一度チャンスが来ればそれを見事に掴み、皆のムードメーカーとなっている彼。来飛と一緒の中学時代でもそれは同じだった。


 チラ、と燎平はそう言いつつも今も尚、髪についたセロテープをいかに剥がすかで揉めている事で皆の笑いの渦中にいる来飛を見る。その視線に気づいたのか、髪にセロテープがついたままの来飛はニタァと目を細め、燎平に近寄った。


 「ん?おやおやァ?そこにいるのは燎平クンじゃないかァ!オイオイ、なしてそこに座っとんじゃいボケェ!」


 「え?…おわっ!?」


 無理やり腕を引っ張られ、立たされる燎平。いきなり皆の前に立たされ、向けられる大量の慣れない視線に少しばかり萎縮してしまう。


 「な、何事!?」


 「オイオイ、忘れてもらっちゃ困るぜ?この後お前もやるんだからな?」


 「…………はい?」


 だってさっき勝ったじゃん!と言わんばかりの視線を投げる燎平。そんな事意に介さずといった風に来飛は言葉を繋げる。


 「いや、さっきのはどっちが早くやるか(・・・・・・・・・)のじゃんけんだったじゃん」


 「……………………はい???」


 ニヤニヤと悪い笑みを浮かべる彼につられ、事態を察したのか座席の所々から同じような顔が見える。


 「い、いやいやいや。そんなルールなかったでs」


 「えー!ここまで来てやらないの燎HEYィ!」


 な、と燎平は息を呑む。野次を飛ばしたのは同じく二ヤついてる薫。こンの……!とひくついた目で彼女を睨みながらどうこの状況を回避するか思案する。


 「そもそもォ?罰ゲームするの一人だけって言ってないしィ?『最後に残った人』って言ってたけどそれが『何人か』ってまでは言われてないしィィ??ねーセンセ!」


 「…それも……そうね!(満面の笑み)」


 「そんな無茶苦茶な!」


 そうだそうだ!やれー!と先生である愛海も乗っかった事によりさらに野次馬が増えていく。人の不幸は蜜の味、見せしめになる人数は多いに超したことはない。


 どちらにしろ、もしもうここまで来てやめるという、この空気を冷ますような事を選んだならば、それこそ燎平はつまらないヤツとしてクラスメートの脳裏に新たに刻まれてしまうだろう。


 あ、コレもうダメなヤツやん……と回避する方法がないと悟る燎平。


 「はーい!じゃあ残りの『変顔二十面相』はバトンタッチで燎平クンがやってくれることになりましたー!わー!!」


 巻き起こる拍手と共に用意される新たなテープ。テープは一人一枚、皆にもう既に配布されており、今度は奥に座っている美紋も悪趣味な笑みを浮かべてノリノリのご様子。


 「え、ちょ、まって、ま……あーっ!不条理だァーッ!!」


 彼にとってどこか心地よいような地獄が始まる。


 この場にいる全員が笑っている、そんなごく当たり前の馬鹿みたいな日常。


 数週間前、あのような事件があったなんて夢であるかのような、そんな日々がそこにはあった。




 ○○○




 「………新入生合宿?」


 黒板に書かれた文字を見て、燎平は思わずそれを口からこぼす。


 帰りのホームルームの際、我らが誇る美麗な担任、百合菊愛海は追加でしおりを生徒たちに配りつつ、説明を加える。


 「はーい、皆しおり行き渡ったかな?…よさそうね!」


 うんうんと頷きながら要綱を箇条書きにして黒板に書き連ねていく。見た目通りの綺麗な字が並べられる中、彼女は暗めの茶髪を揺らしながら目を輝かせる。


 「そう!皆さん!新入生合宿です!最初に渡された書類の、年間行事の所にも書いてあったから知ってる人は知ってるかもしれないけど……皆さんも晴れて入学から二週間が経ちました!学校にもそろそろ慣れてきた頃かな?まだ慣れてない人のため、もしくはもっとお互いの事をよく知りたい人のため…この新入生合宿は、これから高校生活を築いていく上で土台作りの意味も込められています。入学早々の合宿で浮かれるのも分かりますが、こういう時こそ節度を持って……」


 出た出た、話の長い担任の前口上…と頭を掻きながら燎平は適当に配られたしおりのページをめくる。


 所々手書きのゆるっとした似顔絵がいたりするのは謎だが、数秒眺めると大体の情報は入ってくるほど簡潔に纏められている出来の良さに少し感嘆しつつ、話を聞き流しながら読み進めていく燎平。


 担任である彼女と顔をほぼ毎日合わせてから二週間経過した。その上で、愛海という人がどういう人物なのかを嫌でも気づかされる事となる。


 「…まぁ色々教師らしい事を言いましたが、兎に角今回の合宿は肩の力を抜いて、どんどん打ち解けて楽しんでいきましょー!おー!」


 「…………」


 いや、いきなり言われてもそのテンションについていけねぇし…と半眼になる燎平。他の皆も同じく、対応に困り沈黙を守っていると教壇に立っている彼女の様子が少しずつ変わっていく。


 「……………あ、あれ?な、何で皆乗ってくれないの……これじゃ私一人で滑ったみたいじゃない……ぐすっ」


 「え」


 わなわなと肩を震わせ、俯く愛海。この流れはマズい、と生徒が数人感知した頃には時限爆弾の導火線に火がつけられていた。


 「…じゃあ今日の宿題英単語百個覚えて来るこt」


 「い、いや~楽しみだなァ!新入生合宿!見ろよプログラム!楽しそうじゃね!?」


 「ほ、ホントだ!山登りとかアイス作り体験とかあるじゃん!オラわくわくすっぞ!」


 必死に生徒たちが合いの手を入れる事により、何とか宿題を追加されるのを免れる事に成功する。爆弾に火が到達する前にその導火線を切断する、というのがこの二週間彼女と時を過ごし、彼らが得た教訓だった。


 このように、彼女は稀に情緒不安定になってしまう事がある。これも愛海の生徒たちと気持ちを共有したいという気持ちの表れであるのかもしれないが、当人たちにとっては少々面倒くさい性質であった。


 だが、生徒たちが求める理想の先生像にかなり彼女は近いと言う生徒は多い。時に明るく、時に厳しく。やる時は節度を持って合理的に、休む時は思いっきり羽目を外し楽天的に。


 要領がよく、比較的オープンな性格とそんなスイッチのオンオフがしっかりしているのも手伝って、生徒たちは彼女との距離を縮めやすく感じているのかもしれない。


 ましてやこの外見である。サラサラな髪とスタイルの良さ、ルックスの良さに顔の整いようといったら全ての女子生徒の憧れであり、無論男子生徒にとっては正しく、疑いようもなく『理想の教師』である。


 入学式の翌日、彼女が担任だと知った際の男子生徒の喜びようといったらなかった、と同じクラスの女子生徒は後に出来る後輩に語ったという。


 「そ、そうよね!楽しみじゃない筈がないわよね!…じ、実は私も今回が初めてなので、楽しみだったりします…」


 「…おやぁ?もしや先生照れてるぅ?」


 前の席に座っている来飛がはやし立てる。積極的に彼が絡みにいくことにより、この先生はどういう人なのか、どこまでが地雷なのかという線を明確にさせる仕事をしていた。


 その結果堅物ではなく、大分生徒に対し柔らかく接してくれるいい先生だと判明したのは生徒たちにとって収穫だった。でなければ今の彼のように軽口が叩けないというもの。


 「て、照れてないからっ!楽しみなのは本当だけどね!」


 皆の顔が一斉に綻ぶ中、愛海は何よ!とさらに顔を赤くしながら緩やかにホームルームの時間が過ぎていく。


 そんな暖かな空気に身を委ねる事を悪くないと感じながらも、燎平の内心は全く別の事で埋め尽くされていた。


 ふと、燎平は愛海の視線に気づく。そのどこか鋭く、真剣な眼差しは愛海ではなく、アミュールとしての面影がある事に彼は目を伏せるのだった。




 ○○○




 校門前に集合、との事だった。


 予め今日は燎平、美紋、暁、来飛の四人で集まろうという話が前々から上がっていたのだ。


 暁と美紋は何か別の用事があるそうで、その用事が終わるまで燎平と来飛はまだいまいち慣れていない校内を散策する事にしていた。


 「なぁ、お前部活何入るよ」


 来飛が話を振ってくる。燎平はこの間の件から、来飛と二人でいる事により生まれるこの微妙な空気を未だ払拭できずにいた。


 「え…まだ決めてないけど……」


 「そうか」


 「……お前は、サッカーか?やっぱり」


 「そうだな……というか、俺にはもうサッカーしかないからなぁ」


 「……だよな」


 因みに、来飛はスポーツ推薦枠である。


 この馬鹿がこんな有名進学校で学力のみで入学する事は極めて難しく、暁曰く中三の時点で彼の能力を鑑みるならばあと少なくとも二年、だそうだ。無論、毎日勉強して、である。


 燎平達が通うこの天峰そらみね高校は今年からスポーツ推薦枠を取り始めたため、まだ十分な体制が整っていないのだそうだ。普通ならば独自のコースなりクラスなりを設立するべきだろうが、いきなりそう構えるのはリスクが大きいのか、今期は様子見といった体らしい。


 そのため推薦の枠は極めて狭く、倍率も相当らしいがこの馬鹿は、案の定スポーツ馬鹿だった。


 サッカー部のエースと言えば彼、彼と言えばサッカー部のエースといった風に、彼からスポーツを切り離す事は出来ない程に打ち込んでいた。それだけ才能もあり、カリスマもあり、人望もあり、努力をする根気と勝利に貪欲なガッツも備わっていた。


 そんな彼が導いた事により燎平達の中学のサッカー部は全国大会まで歩を進めたのだが、それが幸いして高校の方から声をかけられたらしい。


 そんなサッカー馬鹿な来飛がこんな進学校の授業についていける筈もなく、テストに関しては大目に見てくれるそうで、成績の付け方も他と比べて優しくなっているらしい。


 「…そういやここの学校の授業、めっちゃ面白いよな!」


 「!?」


 否、ついていけていた。確かに一瞬驚いたが、よくよく今までの授業を思い出してみれば中学の時とは比べ物にならないくらいに授業の質が良いのであった。


 勿論、先生全員がそうではないが平均として、である。燎平もあんなに毛嫌いしていた勉強がこの二週間彼らの授業を受け、少し見方が変わったかもと思ったほどだ。


 九九を正確に全部言えるかも怪しい来飛でさえも、雰囲気だけでも面白いと言わせるのだ。その実力は折り紙付きである。流石は名高い最新の進学校、実績はこれから十分に積み上げられるであろう。


 「特に英語だよなー、いきなり映画とか見せられた時には流石にビビったぜ」


 「だな…授業中に映画見るとか最高だよな…まぁ洋画なんだけど」


 授業中、ずっと先生は英語で喋っていた。けど単語自体分からなくても、先生がジェスチャーしてくれたり黒板に日本語で書いてくれたので案外分かるもんだった。


 勿論全部は分からなかったが、雰囲気だけでも分かったし最後にはいきなりよっしゃ映画見ようぜ!と映画を見せられ、面白い表現だったり使えそうな表現を海外によく行く先生の面白い実体験をベースに説明してくれていた。


 元々言語なので、数学でいう算数の基礎知識が要らないため来飛でも特に楽しめたという訳らしい。


 「…………」


 「……………」


 何とか別の話題をし、その嫌な空気を紛らわせようと努力したが、水泡に帰したようだった。話題がなくなれば、自然とその空気が漂っている事に気づいてしまう。


 いや、その空気自体が話題を生みにくくさせている。いつまで本題から目を逸らし続けているのか、と言わんばかりに謎の圧迫感が二人の心を縛る。


 それに耐えきれなくなったのか、メンタルの弱い燎平の方から先に口を開いた。


 「なぁ、来飛、お前あの時……」


 「…燎平」


 質問を全部言い切る前に、遮られる。彼の目もまた、真剣であった。


 「…こんな廊下で話すような事じゃねぇだろ、それ。話すなら別の場所行こうぜ」


 「……そう、だな。悪ィ」


 その後、燎平と来飛は階段を上がり、屋上へと向かった。基本、屋上は昼食を取ったりミーティングや部活動の場所として解放されてはいるが、その出入り口としてある扉が一つだけ施錠されており解放されてないらしい。


 その屋上への扉の近くに少しスペースを見つけたのだと来飛は言う。行ってみると、人が通らないためか、ちょっとした物置スペースとなっていた。いらなくなった机や椅子、カラーコーンやポールなんかも乱雑に置かれている。


 「…へぇ。よくもまぁ、この短期間でこんな場所見つけたもんだよな」


 「まぁな。こういうトコ見つけるのはガキの頃からの俺の得意分野なんでな…」


 こういう時、いつもの来飛ならばもっと自信ありげに、テンションを上げて同じことを言うが今は落ち着いた物言いになっている。普段おちゃらけている彼だからこそ、それだけ今は真面目であることが際立っていた。


 「さて、と。お前から聞いてきたんだ。って事はもう決めてあるんだな(・・・・・・・・・・)?」


 「……ああ。もう決めた」


 「ならいい。俺ももう腹をくくったよ。それがこの話をする第一条件らしいからな。んで、だ。話すなら燎平から話せよ?お前から話振ってきたんだからまずは自分から話すのは当然だろ」


 「…お前らしくないじゃないか、こんな理に適ってる事を言うなんてよ。頭打ったか?」


 「……確かにな。ハハ、俺らしくない(・・・・・・・)…ね」


 目を細め、俯く来飛。そのどこか自虐的な笑みは、今まで燎平が見たことがない顔だった。


 「……分かった。俺から話す…けど、そんな話すことは実はあまりねぇんだ。お前と別れた後――」


 順を追って説明した。すぐに別の怪物に見つかり、逃げ回っていたこと。飛び蹴りに失敗し、焼き殺されそうになったこと。愛海先生がぶっ飛んできたと思ったら薫が戦っていた怪物がもう一匹現れ、その恐ろしさに失神してしまったこと。


 「――そこから先は、よく覚えてないんだ。気づいたらベッドにいて、皆と合流した」


 「…………そう、か。良かったな、愛海先生がまた守ってくれてよ」


 「………」


 今のは、違う。本気で気を使ってくれていた…が、正直、無意識にその意味も含まれていたのだろう。いくらか性根が曲がっている燎平にはこう聞こえた。


 ろくに立ち向かえもしねぇビビり(チキン)野郎、と。


 二度も女にケツを拭かれて恥ずかしくないのか、と。


 (仕方ないじゃないか……だって、あんなの…あんな、あんな……)


 あんな、恐ろしくて、大きくて、凄まじくて、おぞましくて、醜くて、おどろおどろしい、怪物。


 そんなのが相手じゃ、誰だって足がすくむ。顔が歪む。絶叫する。


 (俺は、間違ってない筈だ……あれは、あればっかりはよ…お前が異常なんだぜ……)


 男なのに、とか。そんなの関係ない。至極下らない。クソ喰らえ。


 そんな蛮勇で自身の身の安全が守れるはずがない。今回の来飛は運が良かっただけの事。


 燎平は知っている。いつだって、損をするのは『無償の善性』である事を。


 ノートを貸したまま帰ってこない奴がいた。平気な顔をして約束を破る奴がいた。金を借りたまま逃げた奴がいた。知りもしない誰かを助けようとして、自分が助からなかった奴がいた。


 下らない……嗚呼、本当に下らない。


 そういうあからさまな偽善が、彼は吐き気がするほど嫌いだった。


 そういう奴らを、俗に自業自得と言う。いつだって、世の中を勝ち取るのはずる賢い奴である。


 平等にしましょう?分け合いましょう?出来るはずがない。唾棄すべき世迷言だ。そもそも人間とは、根底としてそのように造られていないのだから。


 正義のために、なんてかましてる奴がいたらそれこそ最高の道化師だ。なんせ、それは自分が絶対の正義という価値観、基準を持っているという大層チープな意思表示でしかないからだ。


 正義や悪なんかは立場や都合、視点でいくらでも塗り替わる。それを集団で表明するならまだしも、ましてや個人で宣っている輩なんかがいればそいつは自分に酔ったとんだ自己中野郎である。


 (つまりお前の事だよ……来飛)


 とは言え、お前も俺と一緒に来れば良かったのに、とは言えなかった。自分の嫌悪感の言明により、彼の矜持を傷つける事はあってはならない。そこは、彼も尊重していた。


 だが同時に、本心他人の心中なんかどうでもよかった。というか、自分自身どこまでが本音で建て前なのかも正直怪しいところまではある。


 つまり燎平は彼のそういうところが嫌いであり、そういうところが好きでもあったのだ。


 他人に対し、友人で会っても無関心を貫く燎平と、彼の男気に素直に敬意を表す燎平。その二面性のバランスも然り、あの日から二週間経った今でも、彼の中でどっちの側か答えは出せずにいた。


 「うし…じゃあ、次は俺の番だな。話してくれてサンキューな、燎平」


 「ん?……あ、ああ」


 こういう、素直に軽く礼が言えるとこもまた嫌いで好きなところなのだ。憎たらしいと思いながらも、素直にカッコいい。そんな自分自身で答えが出せずまたもがいている渦中、彼は話し始める。


 「…いや、まずは…そうだな。ちょっと話す前に、一つ相談があるんだが、聞いてくれるか、相棒?……まぁそれもこれから話すことにつながる事なんだがよ」


 「…?なんだよ」


 来飛が俺に相談とは珍しい、と燎平は首を傾げる。彼は一旦軽く深呼吸をしてから、どかっと引っ張り出した椅子に座り、絞り出すように息を吐いた後、


 「……信じてくれ、とは言わねぇがよ。俺の中に別の(・・・・・・)誰かがいるんだ(・・・・・・・)


 嘘のような事まで吐き出した。




燎平「ぶっちゃけさぁ、毎回カッコつけすぎじゃね?お前」

来飛「ん?どこが?」

燎平「くっ、コイツ無自覚か…!それがお前のデフォだったの忘れてたぜ…」

来飛「あ、おいそういや聞いてくれ。今日さ、昼飯コンビニのおにぎりだったんだけど、包装も一緒に食べれるかなチャレンジやっぱ無理だった」

燎平「あぁ素で馬鹿だったのも忘れてたわ」

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