12 目覚めし者
ふぅ、と愛海は肩の力を抜く。呼吸を整え、空気中の『異素』を自らに取り込む。
『G,1』と別れてから一人、彼女は目の前にいる四匹の『異怪』の子守を任されていた。姿かたちはオベルガイアと似て非なるもの。見る人が見ればそれらがオベルガイアの幼生だと気づくだろう。
剛健な脚はまだ発達しておらず、成体の特徴であった大きな鎌とサソリのような尻尾はまだその兆候がない。
故に、身体はナメクジのように地面に付着し、身体を覆う酸と横に避けた口、それに体中に生える触手だけが成体の面影を見せていた。
とはいえ成体がランクⅧ超え。幼体も必然としてランクの高さは付随するものがあり、一匹当たり優にⅣは軽く超えている。中にはⅤに差し掛かっている個体もいるだろう。
目を閉じ、集中している愛海を怪物たちが四方から囲む。それでも動かない彼女に、酸の毒液を吹きかけた。べちゃべちゃっ、と嫌な音が連続する。大量の液を被った愛海は音を立て溶けてしまった。
ように、見えた。
数秒後、様子がおかしいと怪物たちは気づく。確かに手ごたえはあり、音を立てて溶けているにも関わらず全く形が変わらない。人の原型を変えるほどの強力な酸のはずだが、形は変わっていなかった。
「全く…話にならないわね……」
声と共に、ぱっくりと液体が割れる。中から見えたのは、もう愛海ではなかった。
茶髪だった髪と黒の瞳は明るめの赤紫色へと変化し、下ろしていた長髪は二つに縛られている。分け目も異なった前髪には黄色のヘアバンドが巻かれ、特徴的だったスペードの髪留めも形と色が変わっている。灰色のスーツとボトムスは白と赤を基調とした、巫女服をモチーフとした服装へと変化していた。
『異素』を完全に取り込んだ彼女は、高校の一教師である愛海ではなく、『異跡』を行使するアミュールとなる。
「…やっぱり、戦るなら勝負服じゃないとね!」
同時に、大きく開いた胸元や背中、スカートの中からといたるところから紙が飛び出した。大量のカード程の大きさの紙が、オベルガイアの幼生たちに纏わりつく。
彼らは触手を駆使して必死に紙を剥がそうとしたり叩き落したりするが、粘液を出している身体であるにも関わらず紙は剥がれず、いくら叩き落としてもまるで生きているかのように再び舞い上がり纏わりつこうとする。何より酸を帯びた触手で攻撃しているのに、それらの紙は一向に溶ける気配がない。
四匹のうち、一体が再び大きな口から毒液をアミュールに向かって吐き出した。だが、即座に無数の小さい紙でできた盾で防がれる。先程もこの変形自在な盾があったからこそ、これを自らの身体に纏う事により、毒液を防いでいた。
「やっぱり相当脳みそが小さそうね……もっと大変かと思ったけど、これならすぐに終わりそうかも、っとと!」
全身を紙で覆われつつある個体が、最後の抵抗として触手を繰り出す。それをアミュールは上に飛んで避けるが、アミュールの足は地面に着かず、空飛ぶ絨毯よろしく自ら作った浮遊する紙の足場に着地する。
残りの個体も同様、四方から囲むようにアミュールを触手で攻撃してくる。一つの個体が持つ触手の数はおよそ8から9本。それが四体なので計36本の迫りくる触手から回避せねばならないという事になる。
それもアミュールは今空中。紙である程度動きを封じてるとは言えど、360度からの猛攻に果たして耐えられるのか?
下4本。後方から6本。上から3本。正面から8本。酸を纏った触手が迫る。
「……ふん、全部見えてるっての」
当然といわんばかりに、彼女はそれらを全て『異元感知』で見切っていた。アミュールが軽く手を振ると、断頭台の如くそれぞれの触手が紙の刃で切り飛ばされる。
そも、『異元感知』は大きく二種類に分けられる。感知、そして解析だ。とは言え、感知の次のステージが解析であるため実質一つではあるのだがそこはご愛敬。
幼生とはいえ、オベルガイア。触手については一家言あるのか、その性質、形状は触手ごとに微妙に異なる。よって対峙する際には『異元感知』が不可欠であり、その精度がいかに高いかで対処の時の差が出る。
花蓮と翔璃は成体相手だったが、幼体相手でもこの数相手では感知は出来ても瞬時に、そして同時に見分けることはかなり難しくなる。例え二人がかりでも対処は遅れたであろう。
だが、ことアミュールに関してはレベルが違った。事実、彼女は校長、『G,1』の『異跡』使い大ベテラン三人の中で最も『異元感知』が秀でていると言える。
つまり、その精度は『異跡』を使う者の中でもダントツで群を抜いていることを意味する。もし花蓮と翔璃の横にアミュールがいたならば、大きく戦況は変わっていただろう。
「よし、もうこれで動けないわね………それじゃ、『封縛紙』っと」
アミュールは新しく赤い紙を四枚取り出し、オベルガイアたちに投げつける。アミュールが完璧に彼らの触手に対応しているうちにみるみるとオベルガイアの身体は紙に覆われ、気がつけば真っ白いオブジェと化していた。
オベルガイアたちに張り付いた四枚の赤い紙を中心に赤黒い線が八方に展開し、身体を縛るように這う。
「ふぅ……、これで一安心かな」
浮遊する紙を散開させ、ストッと地面に降り立つ。
アミュールが手を軽く前に差し出すと、自動的に浮いていたり散らばっていたりした紙が手のひらに集まってきた。数秒としないうちに、カードゲームのデッキのような紙のミニタワーが出来上がる。
アミュールが用いた『異跡』は『操作』。俗に言うサイコキネシスに近いものだ。
『異跡』の中では珍しい『特殊型』に分類され、人により操作できるモノの種類や重さ、その範囲まで異なる。彼女の場合、『紙』という媒体が最も適していた。
紙で完全に拘束された四匹のオベルガイアは触手一本すら満足に動かせずにいた。ランクⅤ相当までなら『封縛紙』一枚で抑えられる。
「さーて、こっちは終わったけど……ってかこいつ等一体なんなの?見たことない『異怪』だけど…一応こういう時は研究用に取りあえず封印、って形で良かったのよね?…あ、やっべ、後先考えずに触手バンバンぶった切ってたけと怒られないかな……怒られないわよね!うん!先っちょだけだし!」
若干冷や汗をかきつつもあははと笑ってごまかすアミュール。怒った時の彼女はちょっとばかし厄介なので、同僚の一人としてそこは日ごろ留意したいアミュールだった。
「にしても、何でわざわざ私たちのいる学校に攻めて来たんだろ。誰だか分かんないけど、高位の悪魔よね?この『異元』……ま、『G,1』も向かってる事だし、私もぼちぼち行こうかな………ッ!?」
アミュールの顔色が変わった。彼女は即座に二つの事に気づく。
一つ目の方は即座に気づいた。さっきの四体とは比べ物にならない『異元』を持つ生物の触手が今、ものすごい速さで地面の中をつたい、自分に襲い掛かろうとしていること。
最高位の『異元感知』を持つ自分にとっては、目で見えなくとも、音が聞こえなくともその辺りは造作もない。
だが、何故かもう一つの方は今の今まで気づかなかったのだ。
アミュールは足音を耳にし、振り返る。振り返って、目視した。視界の隅にありえないものが見えたから。見えてしまったから。
(『新芽』!?でも、嘘…な、何で、『裏側』にいるのに『異元』が全く無いの……!?)
それは、ぼさぼさ頭の生徒。一匹の『異怪』に追われ廊下を必死こいて走っている佐倉燎平の姿だった。
そして、彼女の処理能力が追い付かないまま、想像以上の速さで地中から飛び出た触手がアミュールを真横に弾いた。
○○○
「畜生!畜生ッ!!何でまた俺があんなのに狙われなきゃいけねぇんだよ!!」
来飛と別れ、仕方なく生徒会室に向かうべく廊下を一人とぼとぼと廊下を歩いていたらまぁ大変!突き当たりで目玉型の『異怪』とうっかり目があっちゃった!これって運命!?
そう疑わんばかりのキラッキラした目(なおビームが出る)『異怪』と一対一で出会ってしまった燎平。彼奴の目玉が光る度に先程まで駆けていた足元がジュッ!っとフレッシュに焼ける。
ランクⅠなのが幸いしたのか、出会って三秒でぶっ殺!までの能力は持ち合わせていなかった模様。
地面に根を張って移動するタイプであるため、脚(根?)もそこまで早くないが問題なのが攻撃が遠距離型という事だ。つまり止まればまる焦げコース待ったなしである。
蛇型の『異怪』から逃げていた時の疲れがまだ残っていたのか、息が上がるのが思ったより早い。
その状態で、直線的に走るのならまだしも動きを変則的に変えながら走るのはかなりキツい。というかもうホントにキツい。
秘技、陸上部直伝『出産直前呼吸法(燎平は名前を覚えていない)』や、『両手を脇腹に当てながら走るとちょっと楽になるかも走法』も使っているのだが一向に楽にならない。どうなってんだ小林ィ(陸上部の友達)!誰か助けて下さい!と思いながら彼は走り続ける。
加えて、薫の戦闘を見た時から謎の異物感が胸から離れない。
言うなれば、何か食べ物ではないモノを誤って飲み込んでしまった時のあの、固形物が腹の中にある感覚。痛みはないものの、モヤモヤする感じがたまらなく不快であった。
「はぁ、はぁ……ッ、くそッ、さっきから何だこりゃッ、全然取れねぇ!むしろ段々広がってきてすらあるんだけど!…ってかだいぶ生徒会室から離れちまったんじゃねぇか!?」
俺にもあのちびっ子先輩のような力があれば、と不意に思ったがないものはない。
それにあったとしても身を危険に晒してまで戦うだなんてまっぴらゴメンである。ただ尻尾巻いて逃げ続けるしか延命できる道はないのだ。
とはいえ、そろそろ体力も限界が近い。敵は目玉型の『異怪』一匹。このまま逃げ続けていても前回のような救援が駆けつけてきてくれるおいしい展開を望むほど現実から目を逸らしてはいない。
(っべえ、やべぇんじゃねコレ!嫌だぞこのまま誰も攻略できず童貞で終わるの!でもこのままじゃこんがりしちまう!……一か八か、あの目ん玉に飛び蹴りかましてやるか…?)
ビビりでも、やらねば死ぬ。次の角を左に曲がって待ち伏せし、奴が曲がってきた瞬間に命がけの燎平キックを叩きこむ。
そうと決まれば行動は早いうちに起こした方がいい。うおおおお!と最後の力を振り、決死の覚悟で一直線に次の角へ急ぐ。
心臓がはちきれそうな程に早く脈を打つ。目はずっと開きっぱなし。口も空きっぱなしで呼吸をする回数も自然と増える。もう頭は飛び蹴りの事しか考えてない。
飛び蹴り飛び蹴り飛び蹴り飛び蹴り飛び蹴り……!!
失敗したら死ぬ失敗したら死ぬ失敗したら死ぬ……!!
ちょっと角度がずれても危ない。うまく真ん中に決めて、奴の謎のピカピカを封じればこちらの勝ちだ。
時に人は、大事の前に極度の緊張状態に陥ると自身が考える最も重要、または不安要素しか見えなくなってしまう。
大きな発表やプレゼンの前、試合や演奏会の本番。大抵その直前は緊張し、ミスをしないかだとかを考える。
そして大事に至る過程だったりその最中だったり、想定外の事が起きると決まって身動きが取れなくなってしまうものだ。
例えば、こんな風に。
「ハッ、ハッ、ハッ―――――はッ?」
燎平が今考えている最も重要な問題は『いかに飛び蹴りを成功させるか』。その道中には眼中もくれず、その『飛び蹴りをする』ステージに自分は立てるのが当たり前だと思っていた。
直面したのは突然の風邪、怪我、事故、人数不足。そんな類のモノ。
角を曲がる。そこには、もう一匹の目玉型の『異怪』がいた。
(あっ☆)
補足:目玉型の『異怪』には根を通してのネットワークがあり、近くにいる仲間を呼べるぞ!
「そういう事はもっと早く言えよおおぉおおお!!!」
その時、彼の脳裏にちっぽけな走馬燈がよぎる!
(私、気づいたの。アンタの事ずっと…好きだったんだって…!)※ギャルゲーの台詞
(小さい頃からの私の夢、叶えて……くれますか…?)※ギャルゲーの台詞
(これからはお姉ちゃん、じゃなくて……もっと、ね?)※ギャルゲーの台詞
エンダァァアアアアアアア!イヤァアアアアア!!
こうして、燎平は作中最弱の『異怪』に挟み撃ちにされ、じっくり料理されました。
完!
「いやそんなんで終わってたまるかよぉおおおおおおおおお!!!!!!」
脳内でそんな未来が見えた。というか一秒後にはそうなりかねない。
初めて見る走馬燈がギャルゲーの女の子で埋め尽くされていたことと、人生最後の台詞がコレなのは何とも情けない。
だがそんな咆哮を哀れに思ったのか、天恵を賜すに値したのか。どちらにせよ、結論からして彼は命を拾った。
突如、ガラスが割れ、何かがぶつかったような鈍い音が響く。それが燎平に攻撃しようと目を光らせる『異怪』を引き留めた。その隙にひぃいい!と通路を引き返す燎平。
「…な、なんだ一体……!?」
見ると、丁度彼を追ってきていた目玉型の『異怪』と燎平の間に何かが飛んできたようだ。
土埃でよく見えないが、その先に少し動揺してるのかチカチカと点滅する目玉型の『異怪』の視線が窺える。
燎平は逃げることに必死になっていて気づかなかったが、先程逃げていた通路の側面は丸ごとガラスで覆われているつくりとなっていた。
「くっ……は、ゲホッゲホッ……ッ!っぐ……」
女性と思しき声が聞こえる。幸い燎平自身には怪我はなかったが、少なくとも彼女にはありそうだった。
おそらく、窓ガラスが割れたのも彼女が突っ込んできたからだろう。周りには何故か砕け散ったガラスと共に大量の紙が散らばっている。
項垂れ、二房の赤紫色の髪を地面に乱れさせている彼女は片手で脇腹を、もう片方の手で口を押え苦しそうに呻いている。
「……ッ!だ、大丈夫ですかッ!?」
あまりの出来事に数瞬反応が遅れてしまったが、すぐに脳が察知し、反射的に彼女に駆け寄ろうとする。
「ッ!こっちへ来ちゃダメッ!!」
彼女の気迫に気圧され、思わず足を止めて正解だった。燎平のすぐ目の前を、轟音と共に何かが通り過ぎる。目の前に出来上がった二つの線の先端は、あまりの速さ故か壁に埋まって見えない。
つまり、学校の壁を破壊する程の勢いで自分に向かって攻撃する輩が、いる。
「おわぁあッッ!?」
そう認識した瞬間、腰が抜けて地面に尻餅をついた。そして、反射的にその『線』が続いている方へ、視線を向けた。
向けてしまった。
『グギャアアアアオオオッッ!!!』
自分の五倍はあろう怪物がいた。いや、この怪物は知っている。先程も見た。オベルガイアと呼ばれるモノ。
だが、と燎平は唾を飲む。
これほどに大きかったか?これほどに叫び声は耳に響いたか?これほどに凄まじい容姿であったか?……これほど、恐怖を覚えたか?
あまりの衝撃と恐怖、現実、そして耳をつんざくような咆哮がその『異怪』の存在と共に、改めて極めて高い危険度であると認識させられる。
それもそのはず、先程見たときは薫による精神干渉という恩赦があってこそだったのだ。
何故目玉型の『異怪』が先程から襲ってこないのかが理解できた。彼らも自分と同様、恐怖で固まって動けないのだ。
頭が真っ白になるとはこの事だろう。心なしか、視界までもが真っ白く染まっていく。
対して、胸の中のモヤモヤはこれ以上ない程に広がり、身体を侵食していた。
朦朧とする意識の中で、彼は一つの疑問を浮かべていた。
(あれ…、俺……こいつもっと前にどっかで見たような……)
熟考しようとする前に、謎の声が頭に響く。
『……ったく、ようやく出番かよ。こーなりゃ仕方ねぇな。光栄に思え、この俺様が直々に出張って力を貸してやるんだ。このままじゃテメェは死ぬ。よってテメェに拒否権はねぇ。テメェが死ぬと連動的に俺様も消えるからな。せいぜい俺様とテメェの兄貴に感謝しろよ、カカッ』
(おま……、だ、れ…)
返事をする前に、燎平の意識は完全に途絶えた。
○○○
「ッ!?き、君!大丈夫!?」
アミュールは痛む脇腹を押えながら叫ぶ。土埃が邪魔をして中の様子がよく分からないが、見た限りではギリギリで当たっていなかった。そう思いたい。
本来ならば、アミュールは『異元感知』で彼の安否が確認できるはずなのだが、彼からは『異元』が一切感じられない
。例えほんの僅かでも『異元』を持つ『新芽』と同じであるはずなのに、体内に『異元』がないと存在できないこの世界に存在している。
そんな矛盾に混乱しつつも彼女は少年の元へ急ごうと起き上がる。
だが、
「俺様に近づくんじゃねー、死ぬぞ」
ゾッ!!と、全身の産毛が逆立つような気がした。突然、土埃の中から『異元』が発生したのだ。それも、とてつもなく強大で醜悪な。
(な、何で…いきなりこんな…ッ!)
彼女も数多くの戦場を経験し、生き抜いてきた者の一人である。それなりには強い敵と合間見えたことも一回や二回ではないし、自分をたやすく殺せる者はそうはいないであろうと自負している。
その理由の一つが前述した『異元感知』だ。『異元』を感知するに当たって彼女の右に出る者は両手の指の数ほどはいないだろう。
そんな彼女だからこそ、分かる。
(なんて……なんて濃い『異元』なの…)
明らかに自分の『異元』量より上回る上に、自分の『異元』の数倍は密度が濃い。
何といっても、と特筆すべきはその質だ。ねっとりと全身をくまなく舐められるような、大蛇が這っているような、そんな比喩を使わざるを得ない悪意の籠った『異元』。
目の前にいるオベルガイアの成体のそれも凄まじいものがあるが、彼のと比べてしまっては完全に見劣りしてしまう。
この『異元』は、知っている。彼女も何度も戦ってきた特有の種だけが持つ特有の『異元』。
だが、『彼』の『異元』はそれと似ているが、明らかに違う部分があった。それでもアミュールは可能性のあるその名を口にする。
「…あ、悪魔……?」
「んー、惜しいな、半分正解」
先程の攻撃の余韻で舞っていた土埃が晴れ、少年の姿が見える。だが、醜悪な『異元』が発生する前の彼とは少し容姿が異なっていた。
ぼさぼさの髪は黒から赤色、それもどす黒い血色と言った方が適切であろう。それに合わせて目の色も血色に変化している。
彼もアミュールと同じく『異素』を体内に取り込んだのだ。だが逆にそれ以外は何も変化していない。服も体格も声も佐倉燎平のままだ。
しかし、今の彼は明らかに『佐倉燎平』ではない。
そんな『彼』が言葉を続ける。
「俺様は人間と悪魔のハーフだ……、っと、こんなことをテメェに教える義理はなかったな。俺様もコイツの中にいる間に随分と丸くなっちまったよーだ」
なッ!?と、アミュールは絶句する。
(人間と悪魔のハーフ、ですって!?あり得ない…彼らは人間に対しての認識なんてゴミ程度にしか思っていない筈……よりによって子供を残そうなんてメリットもないし、そもそも悪魔と人間の子は遺伝子による拒絶反応が大きすぎて生まれないのに、こんなことが…)
「く」
「くく」
「く……ッ、カ、カカカカカカカカッカッカッカッカ!!身体が、動く!!この高揚感!久しぶりだなぁオイ!!久々に興奮しちまってるよこの俺様が!!前ほど『異元』は出せねーが、この感じだとやりたい放題やるのには問題ない量は出せるなァ!!」
オベルガイアも突然の凶悪な『異元』の発生に戸惑い、若干動けずにいた。だが、『彼』を脅威とみなしたのか、すぐさま数本の高速の触手による攻撃を仕掛ける。
『彼』は眉根を寄せながら視線だけを投げる。そして如何にも心無い声で呟いた。
「……めんどくせーな、こいつ殺すか」
『彼』がニヤリと口端を釣り上げると同時、禍々しい『異元』が増大した。立っているだけで吐き気がするほど嫌悪感を催す『異元』。思わずアミュールは顔をしかめる。
そして、目を見開いた。
ゴオッ!!と『彼』の周りに炎が散開する。水のように流動的でいて土のようにしっかりとした重量感を催す炎。
ジリジリと肌が焼けるような感覚がするほど、少し距離があるアミュールからでも如何にその炎に込められた熱量、もとい『異元』の量が高いかが窺える。
(う、そ……嘘、アレって、もしかして……)
アミュールの瞳がぶれる。一筋の汗が頬をつたう。呼吸が乱れ、心拍数が上がっていく。
(…ありえない。ありえないありえない!あ、あの『異跡』は、だって、数十年前に……!)
彼女の困惑もお構いなしに、『異元』を放出し続ける『彼』。炎の真ん中に立ち獰猛な笑みを浮かべるその様は、悪魔というのは偽りではないという証拠になった。
『彼』の周りにある血色の炎が瞬く間に形を変えていく。
それは、『口』だった。顔から口という器官だけを切り取ったような、そんな形。炎の牙が何本も生えているあたり、人間のそれではない。犬。鰐。視点を変えれば、龍とも見える。
凄まじい速度で伸びてきた触手を炎の口が受け止めた。たったそれだけで、オベルガイアがギィイイ、と呻き声をあげる。
「残念だったな。この『炎咬』に捕まったら最後、テメェの死は確定だ」
『炎咬』に触手を噛まれたオベルガイアは別の触手で攻撃を図るが、『彼』が作り出したもう一つの『炎咬』によりその触手も噛みつかれた。
『炎咬』は炎でできているため、当然触手は燃え始める。血色の炎が触手を伝い、本体へと侵食していく。
危険を察知したのか、その二本の触手を別の触手で切り離す。オベルガイアのランクの高さは伊達ではない。
流石に学習したのであろう、同じ手は通じないとみたのか今度は口から毒液を吐き出した。吐き出す、と言うより噴出である。弾丸のような速度で『彼』に何十もの小さな毒液の塊が襲い掛かる。
「…哀れだな」
『彼』は表情一つ変えず、『炎咬』で対処する。ジュジュジュッ!と『炎咬』に衝突した毒液は一瞬で気化した。それほど『彼』の炎は高温でもあったのだ。
ッ、とアミュールはそこで気づく。
「あ、アナタ!今すぐ息止めて!毒液が蒸発して毒霧になってるわ!」
叫ぶと同時、紙で自分の鼻と口を塞ぐ。薄緑色の一枚の紙は顔に張り付き、簡易マスクとなる。毒の種類はもう分析澄み。
この毒であれば、紙に沁み込ませてある特殊な解毒剤が調和してくれるため呼吸に関しては問題ない。
成程、このオベルガイアは成体。先程の幼体である四匹ほど馬鹿ではない。相手の『異跡』を利用して新たな攻撃パターンを編み出したのだ。
だが、アミュールは忠告はしたが実際に手助けはしなかった。助ける以前に、『彼』は自分より強いからだ。『異元』を感じた時からそれは明白だった。
「分かってる。いちいち喚くなうるせーな。それに、言ったはずだ。俺様の『炎咬』に捕まってんだよもーテメェはな」
瞬間、オベルガイアの身体の至る所が発火した。
グギャアアアアアアアアッッ!?と悲鳴を上げる。弾ける花火のように軽快な音を立てながら発火したそれらが、容赦なくオベルガイアの身体を蝕む。
さらにそれに留まらず、血色の炎が次第に形を変え、小さな『炎咬』へと変化していく。
「喰らい尽くせ、『微炎咬』」
次々に咬みつく『微炎咬』は徐々に肥大化していく。オベルガイアがいくら触手で抵抗しても、身体を苛む炎は消えてくれる気配がない。
オベルガイアの持つ白い鎧も酸も、お構いなしに侵食してくる。組織の再生が間に合わない程に規格外で、且つ暴力的な攻撃だった。
(あれは…ただ単に『異跡』で燃やしてるんじゃない……燃やしながら、相手の『異元』を取り込んでる…!)
アミュールは高度の『異元感知』で『彼』がどうやってオベルガイアを攻撃しているのか、全て感じ取っていた。同時に、どれほど恐ろしい『異跡』を『彼』が持つか理解する。
血色の炎が燃え広がっていく度に抵抗力は小さくなり、オベルガイアは成すがままにされていく。
そして五,六体の『微炎咬』が『炎咬』の大きさに成長する頃には声にならない断末魔をあげ、オベルガイアは動かなくなっていた。
メインの攻撃法である、多種多様な数ある触手で敵を圧倒するはずが成す術なく沈黙。酸や毒といった絡め手も効いた様子はなく、自慢の超再生も無意味に終わった。
オベルガイアとは、本来その耐久性や攻撃の豊富さが評価されたランクづけであった。メイン《・・・》はもっと別な理由ではあるが、それを差し引いても対策、対応の困難さで言えばそれに見合う価値があった。
十メートル越えの体長、ちょっとやそっとでは傷一つつかない白い鎧。あらゆるものを溶解させうる強力な酸。
何より特筆すべきはその回復力。水蒸気の槍で刺されようが、触手を切り刻まれようが、マイクロ波を浴びせられようが、超高濃度放射能で内臓を破壊されようがほぼ瞬時に再生する。
だが。しかし。『彼』の『異跡』である『炎咬』には敵わなかった。
「……、すごい………」
それが、アミュールの思わず口からこぼれた感想だった。やはりこの人は危険だ、と警戒しつつ彼女はマスクを外す。
「ほー、その感じだと俺様が何をしたか分かるのか。まー俺様の『異元』は分かりやすいから感知されやすいが、ここまで完璧に分析されるのはテメェが初めてかもな。結構強いだろ、テメェ」
「……アナタ程じゃないわ。それに、最初は混ざっていて疑ったけれど、『異跡』の『形』を見てあなたが何者か確信した……でも………」
そう、アミュールは『彼』の正体が分かった。判明した。だからこそ、ありえない。
疑いたくなるが、現れ出る『異元』の形と質は個人個人で異なるのだ。彼と同じ『型』を持つ人物を、一人彼女は知っている。
「ほほー!俺様の正体が!まー確かに前はかなり有名だったかもな」
「…有名何てもんじゃないわ。あなたは『災害指定』の危険人物だったでしょう?『紅の捕食者』、『異跡測定』元ランカー、『霊柩の現身』……色々な二つ名を持った、グラネード・インケラードさん。まさかあなたが悪魔と人間のハーフだったとはね……私は今までてっきり悪魔だと思ってたわ」
「カカッ、ご名答だ。よく分かったな。それにしても、随分と詳しいな。確か俺様が死んだのは随分と前だったはずだが?」
グッ、とアミュールは唇を噛む。今にも感情が爆発しそうだが、一旦目を閉じ、深く深呼吸してから気持ちを落ち着かせる。
「ええ、そりゃ調べたもの、六十年間。だって、アナタ私の両親の仇だし」
「………ほー?」
グラネード、と呼ばれた『彼』の片眉が上がった。アミュールの意思の籠った双眸に対し、ニタァ、と薄い笑みを浮かべる。
「じゃあどーする?女。ここでその敵討ち、ってのしてみるか?」
「………」
俯いて、沈黙する。先程は混乱して状況がうまく呑み込めていなかったが、改めて認識する。目の前の男は、まぎれもなくグラネード・インケラード本人であると。
拳に力を入れすぎて、爪が肉に食い込む。
穏やかだった、両親と過ごす日々。恵まれていた、とまではいかなかったが、充実していた輝かしい過去。今更になって気づいた。あれこそが、両親の何気ないアミュールに対する行動一つ一つが愛だったのだと。
奥歯を砕く勢いで口を噛みしめる。
思い出したくもない映像が蘇る。突如、戦場と化した村。平和だった日常の終焉。火の海の中で、少し村から離れた地下の洞穴に身を潜め、一人肩を震わせる事しかできなかった自分。
「お前…の、せいで……」
自分を流血が絶えない闘いの道に叩き落した大本の原因。もし、目の前の男が自分たちの村に現れなかったら?あの穏やかな時が続き、両親との時間がもっと増えていたなら?闘いが終わる度に、血に塗れた自分の手を見て毎晩泣いていたあの時間がなかったものにできるなら?
怒りで肩と声が震える。自分から漏れ出る『異元』が抑えられない。
実力や『異元』の差とか、勝てる勝てないとか関係ない。今はただ、コイツを……!
「お前のせいでッ!!………ッ!?」
バッと顔を上げた。そして気づく。
そこにいるのは、見知らぬ少年の顔。あの日見た、グラネード本人ではない顔。
そこにいるのは…………私の、生徒。
「……どうした?来ねーのか?」
「………何でアナタ…グラネードが、佐倉燎平君の身体を乗っ取っているかはまだ分からないけど、兎に角。この件は後々詳しく聞かせてもらうから。何で燎平君の『異元』が感じられないかってのも含めてね」
スッ、と目を閉じ呼吸を整える。すると、漏れ出ていた『異元』も完全に引っ込んだ。
「なーんだ、つまんねーな。せっかく煽ってやったのによ。でもま、そろそろ俺様も時間のようですし?かかってくるなら一撃で沈めてやろうと思ったんだが、その必要はなかったみてーだな。カカッ」
カラカラと笑うグラネード。彼も矛を収めたのか、禍々しい『異元』も鳴りを潜めている。
「……一つ聞いてやる。何故『異元』を戻した?俺様は有名人だったからな。それなりにテメェの様につまんねー情とやらに囚われて無謀にも、浅はかにもこの俺様に向かってきた奴らはごまんと見てきた。そして一人残らずぶっ潰した……今回も、そーなると踏んでたんだがな。珍しい…いや、テメェが初めてかもな。あそこまで敵意を剥き出しにしておきながら、自制できた奴は」
「それは……」
一瞬目を伏せ、それから彼の顔を見る。名簿が配られた時から、燎平の名前自体は知っていた。
今年は、愛海が担任として持つ初めてのクラス。全員分の名前など、前日に全て覚えてしまった。
そして、入学式の際に初めてクラスの子達の顔が見れた。そして校長の長話程度の時間さえあれば、全員の名前と顔の照合を終えるのは造作もない事。
実際、教師という仮初めの仕事はもう一つの仕事をするための口実でしかないわけだが、それでも愛海は教師の仕事がたまらなく好きだった。
まだ何をするにしても新鮮で、初々しい子供たち。
高校生という年齢を考えれば多少利口になり、弁えるようになるが、それでも彼らの若きかけがえのない青春のひと時に自分がいると思う度に、すごく心が温かくなった。
自分が手にできなかった時間。自分が手にできなかった仲間。
まだこの職場に来て二年程しか経ってはいないが、ここの平和に満ちた雰囲気は優しくて、暖かくて。気づけばまるで、故郷にいる夢の続きを見ているような心地にすらなっていて。
そんなかけがえのない未来の光に満ち溢れた子を、自分の身勝手で愚かで汚い復讐という名の犠牲にするという選択肢はそれこそアミュールではなく、愛海の中で断じて許容されなかった。
それだけは、例えこの身が朽ち果てようとも守らなければならなかった。
「……アナタには、一生涯かけても理解できないでしょうね」
「ふーん。そか……ま、どーでもいいっちゃいいんだけどな。どっこいしょ、っと。あー、ひっさしぶりに動いたからちょっと疲れたわー…」
壁にもたれ、腕を回し伸びをするグラネード。そういえば、燎平の身体をいきなりそんな『異元展開』したりグラネードの強烈な『異元』を浴びせたりとしているが、燎平自身の身体に何らかの影響や負担はないのだろうか…?と今更ながら気づくアミュール。
嫌な予感は、ほぼほぼ的中するのが彼女が生きてきた中で得た教訓だった。不幸なことに、今回も例外ではない事を悟る。
「……ところで、だ。女。今気づいたんだが、さっきあのデカいのが毒液吐いただろ?アレ思ったより強力だったらしくてな。元々の俺様の身体なら何ともなかったんだが」
「……まさか」
「身体がコイツなの忘れてた☆という訳で今から俺様死にます」
「え、ちょ、嘘!?ちょ、ちょっとおおお!!」
先程から妙にグラネード『異元』が弱まっていると思った。身体(燎平本体)が死ねばグラネードも死ぬという解釈が合っているかはまだ今のところ不明だが、兎に角急患である。
「だから言ったのに!ってかさっき分かってるとか言ってたじゃない!全然分かってないじゃん!何?実は馬鹿なのアナタ!」
「カッカッカ、各上の相手にその悪態。威勢のいい女は嫌いじゃねーぜ……とまぁ、表に出てる今の俺様の『異元』も、燎平の生命維持で時期切れる。そーなりゃ意識はなくなるだろーが…そんときゃ、コイツの事宜しく頼むわ」
ひらひらと手を振りながら口の端を歪めるグラネード。医療用の『異跡』が使えるわけでもないアミュールにとってはいきなり丸投げなどたまったものではなかった。
「そんな勝手な!?そりゃ私も頑張るけど……ってかいい、次会った時覚悟しなさいよ!色々と洗いざらい吐いてもらうんだから!」
「カカッ、手厳しいなー。俺だって好き好んでこの器に収まってんじゃねーっつの…お、もう時間か。それにな……次はだいぶ、先になると思うぜ」
「え、それってどういう……」
「アディオス!」
がくん、と頭を垂れる彼。もう、グラネードではなく、燎平となったのか『異元』の質が完全に変わった。
「あれ、『異元』が感じられる…?」
身体の所有権がグラネードから燎平に変わった瞬間、ほんの僅かではあるが彼から『異元』が感じ取れた。
アミュールが最初に感知したとき、燎平が『異元』を持っていなかったのはグラネードが何か関係しているのでは…?と仮説を立てる。
元より、この『裏側』で『異元』を持たなモノなど存在できない筈であり、それ自体がそもそも異例中の異例なのだ。何にせよいい影響があるとは思えない。
「…ったくあの半悪魔、今度会ったら何してくれようか……」
脱力しきってる燎平を背負い、彼方を睨みながらその場を後にするアミュール。
彼から受けた心の傷は決して癒えることはない。でも、と彼女は考える。
もし、奴がいなかったら今の生活になっている確率は極めて低いだろう。
この年になってもまだ村娘をしていたかもしれない。今の仲間と出会えてなかったかもしれない。誰かを守れるほどの力を手に入れてなかったかもしれない。誰かに物事を伝え、教える喜びを知らなかったかもしれない。
「そう思うと、ちょっと複雑なのよね……っとそうだった」
とにかく今は、燎平の身体が大事だ。彼の『異元』を見る限り、グラネードが何か頑張っているのか知らないが今のところ命に別状はなさそうである。先程自分も使った対毒の紙も口に覆った。
「……なんか、ホント、色々と巻き込んじゃったね。この子…」
ごめんね、と呟くアミュール。今彼女にできるのは背に感じる暖かな命が冷めぬよう、急いで保健室へ燎平を運ぶ事だけだった。
アミュール「そういえば、アナタを追ってた『異怪』が二匹ほどいた気がしたんだけど…反応がないわね」
グラネード「ん?あぁ、あの雑魚共なら俺様の『異元』にあてられただけでお陀仏だ」
アミュール「だと思った…ほんと、アナタの『異元』って気持ち悪いわね。今まで感知した中でもトップレベルよ。はぁ、私だと余計敏感に感じちゃうから始末が悪いったら…」
グラネード「……今のもう一回言ってみ?私だと~から。ちょっとエロく」
アミュール「中学生かよ…」




