11 鳴動するは己の弱さ
身体が冷たい。なのに動悸が早まるのを抑えきれない。
見た。見てしまった。
あの恐怖の体現を。
しばらく走り続け、距離も離れたところでもなお、脳裏に浮かぶその姿は燎平達の心に恐怖を刻み続ける。
あの禍々しい空気。あの忌々しい声。
あの、見たものの記憶から一生離れないような姿。
不幸中の幸いなのか、燎平達が逃げている間に『異怪』達には遭遇しなかった。距離が離れたところで少し落ち着いたのか、燎平と来飛は少し立ち止まり、互いに緊張で拒んだ顔を見る。
「っはぁ、はぁ……ッ、何なんだ、ありゃ…はぁッ」
「……はぁッ…はッ……俺が知るかよ…あんなの……」
汗を拭いながら呼吸を整える二人。この状況で一人ではないというのは大いに精神的に助けになっている。実際、この場に親友がいなかったら気持ちの共有も強がりもできなかった。
ぶっちゃけ燎平はこれからの不安と心の奥底にこびりついた恐怖で今にもちびりそうだったが、それをごまかすためにもなんとか会話を続けようとする。
「……なぁ、俺達、これからどうすんだよ……」
「…さぁな。生徒会室とやらに行けばいいんだろ……」
「確か、二階って言ってたっけか?」
「…あぁ」
「…そこに行けば安全なんだってな」
「……あぁ」
「…来飛?」
はぁ、はぁとまだ荒い呼吸を肩でしている来飛。体力は燎平よりある彼が、燎平より顔色が悪いのは珍しい。燎平より鮮烈にオベルガイアの恐怖が刷り込まれたのか、それとも他の事に体力を使っているのか。ともかく、少し様子がおかしい来飛に疑問を投げる。
「おい、大丈夫かマジで」
「……あぁ、大丈夫だ…」
「なら早く行こうぜ…正直ここにいる時間も惜しい。またいつ怪物たちが襲ってくるか分からないからな」
「……………」
先程からどうも歯切れが悪く、反応が薄い。こちらが何か言っても目線は明後日の方向を気にしているようで、どこか神妙な面持ちだ。
そして、燎平は気づく。彼のこの顔は、この目は、いつも何かを諦めていない顔だったと。
「……おい、お前まさか…」
燎平が不安げに尋ねると、彼は脱力し、フッとどこか虚しさのある笑みを浮かべる。
「…我ながら、情けねぇ話だよな。大の男二人がいるのにも関わらずあんなちっこい女に全部丸投げして、挙句の果てには尻尾巻いて逃げるケツまで拭かせられてやがる。どこの間抜けだよ全く…」
彼の拳に力が入る。爪が肉に食い込みそうなほど強く震えるそれを目にしながらも、燎平は顔を歪める。
「……でも、今回のは仕方ないだろ。訳の分かんねぇ生き物に殺されかけて、あんな…あんなヤツ……」
そこで思い出す。思い出してしまう。彼らが触れた、とても小さな、だが確かにあの空間に存在した『殺意』。
蛇に睨まれた蛙とはまさにこの事だ、と身をもって痛感した。自分たちが間違いなく意識を向けられているというあの感覚。底知れぬ恐怖。
動物園に行ったときに見る虎などの動物は、立場で言えば絶対的に鑑賞するこちら側が上だ。例え意識を向けられ、襲い掛かられたとしても檻という名の防御装置がこちらの身を守ってくれる。
だが、もし仮にその檻が壊れていたら?野生に直に直面してしまったなら?そこにあるのは、まぎれもなく『本物』である。
本物であるという事は立場が同等になるという事。本物の視線、本物の空気、本物の距離感、本物の臨場感。死というリスクが近ければ近い程、本物のレベルは上がっていく。
燎平達が感じたのは正しく本物以上の本物だった。むしろ立場で言えばあの異形な『異怪』の方が圧倒的に上だった。
世界ががらりと変わるような感覚。その例をあげるならば、今まで水の中で生きてきた魚が突然陸に打ち上げられ、大きなショックを受けるというのが適切だろう。
オベルガイアが出現したときの初めての空気。その違いだけでショック死しなかったのは、勿論薫のおかげなのではあるが。
来飛と長年の付き合いである燎平が察しているのは、その彼女に対する来飛の心持だった。
「……分かってるさ。俺も身に染みてるよ。お前の前だから強がっちゃいるが、正直今でも手の震えが止まらねぇ」
「ならどうして!」
「お前なら分かるだろ!……いや、俺の気持ちじゃねぇ。俺のしたい事が、理解るだろって事だよ、相棒」
「………ッ」
昔から、そうだった。
奴は、いつでも自分勝手で。我儘で。でも、その原因はいつだって他人から来ていて。
他人の不幸が許せない人間だった。他人の不条理に抗おうとする熱い男だった。
そして、どこまでも真っ直ぐだった。
「…俺さ、自分の人生で後悔ってのだけはしたくねぇんだわ。きっとこのままだと今までで一番デケェ後悔を抱えたまま、俺はこれからを過ごしていくことになる」
「でもッ」
「分かってる。理解ってるんだよ。全部。アイツの行為が無駄になるとか、俺がどれだけバカな事しようとしてるとかってのは……でもよ、どれだけバカでも、他人を見捨てるような愚か者にだけは、俺は成りたくない」
真っ直ぐ。言の葉の通りに。その性根の通りに真っ直ぐ、燎平の目を見た。
ふざけんな、と言おうとした。燎平にもっと力があれば、殴り倒してでも止めていた。
けれども。だけど。
「……その目は、ずるいだろ…」
遠ざかる来飛の足音を聞きながら、震える声を押し殺す。
彼の背中を見ることもなく、燎平は一人、立ち尽くしていた。
○○○
「…ふぅ、ここまで来れば一先ずは安心かな」
「……ここは?」
辺りをきょろきょろと見渡す二人。突然急ぎ足でという指示を受け、理由も分からず急かされるように、いつの間にかここに連れてこられていた。
正面の壁には色々な事が書かれてある大きなホワイトボードが。角にある印刷機やら山のように書類が積まれてある長机やら今年のスローガンの張り紙が張られている壁やら、一見何の変哲もない会議室のように見えるが、その教室内の空気が今まで感じてきたそれとはどこか違う感じなのは何となく分かる。
「ここは生徒会室。特殊な結界が張ってあるから、『異怪』はまず近寄ってこないし、何よりここの結界を破壊できない。それくらい丈夫ってことさ。何せ実力トップレベルの『結界士』さんが直々に張った特別な結界だからねぇ!」
ふんす、と自慢げに語る芯一。へぇ…と感嘆の意を述べつつ、ここが安全、と分かった途端全身の力が一気に抜ける暁と美紋。取りあえず適当なところに座って落ち着こう、という芯一の提案に大賛成し、彼らはぐったりとその身をパイプ椅子に預けた。
「っっは、ぁあぁ~……」
「っふぅ…ようやく、気を休められますね……」
美紋は勿論のこと、普段は中々緩む姿を見せない暁までもが完全に脱力しきり、長い安堵の息を漏らす。
「…君たち、本当にお疲れさま。よくもまぁ、こんな状況に順応したもんだよねぇ…パニックにならずに、俺の指示にも従ってくれて本当に助かったよぉ…あ、あとここから直接保健室へいける通路があるんだ。秘密の抜け道みたいな感じかなぁ。こういう、もしもの事態に備えてウチの校長が設計したんだってさ。気が利くよねぇ」
「…その、保健室に行って本格的な治療?をするんですよね?」
美紋が不安げに問う。いくら『癒紙』というもので傷は塞がったものの、異形な虫の爪が自らの体内に侵入するあの嫌な感覚は忘れようにも忘れがたい。外面上は問題がないように見えるが、もしかしたらという事もあるかもしれない。
それに彼らがよく知る、『元の世界』の蛇や蜘蛛等の生物ならまだ情報と慣れがあり、どう対処すればいいのか、どうすれば安全なのかなどを知っている。
だが、『裏側』に存在している生物である『厄虫類』に至っては一切の事を知らない。まして、全く情報がない得体の知れない生物に身体を冒されたとあっては不安も増大するというもの。
『危害を加えられた』という事実は覆らないため、例え芯一に全く問題ないと宣言されたところで完全に自分の身体への不安が拭われたのかと問われれば否、というのが彼らの心中だった。
「そう…って言ってもあの程度、軽傷の類だから『癒紙』の措置で大丈夫だとは思うけど、まぁ保険みたいなものだよ……保健室だけに」
「…………」
「……………、あはは~」
「暁君!気を使ってくれるのはありがたいけどそれ時に刃になるからね!分かってる!分かってるから!一瞬の気の迷いってあると思わない!?それがたまたま表面化しただけであって決してこれは本心とかそういうのじゃなくてだねぇ!」
「……あの、しゃちほこ?の時もそうでしたけど、正直サムイです」
「!!」
美紋の一言がザクッ!と胸にぶっ刺さる。彼の持つ貧相な感性の心のどこかで、ちょっとは面白くない?とか思っていたからこそ余計に心にクる芯一。
(いや、面白くなくて白けてもその間がなんかふふっ、みたいな笑いにつながる事ってない?そもそも俺は場を和ませるために言ったのであって俺が言い出さなければ重々しい雰囲気になっていたというかそうさせてる責任を感じなくもないというかその罪悪感から来てるわけで決して普段からこんなおちゃらけてるという訳ではないからほんとだから美紋ちゃんそんな冷めた目で俺を見ないでぇえ……)
と、弁解をぐちぐち心の中で言っている彼だったが、美紋の冷たい目線と声で完全に言葉にする機会を失ってしまった。
「み、美紋さん…いや、感想を正直に伝えるのは良い事ではありますが…流石に正直に過ぎるかと……もう少しオブラートに包んであげるという選択肢は…あ、ほら、なんか隅っこで一人反省会みたいなの開いちゃったじゃないですか!完全に凹んでますよアレ!」
「…ど、どの口がオブラートに包めとか言うか!この毒舌マン!…いや、なんていうか、こんな事言うのは助けてくれた彼にすごく失礼なのだけど……なんか、私苦手なのよあの人」
流石に聞こえたら芯一が一週間ほど引きこもってしまいそうなので敢えてボソボソと話している暁と美紋。あと、と安全な場所に来て多少緊張が解けたからなのか、さらに美紋はぶっちゃける。
「所々なんか抜けてるトコあるし、ここに来る途中ほんとにこの人に任せて大丈夫かなとか思っちゃった。あとさっき私たちの傷の事あの程度とか言ってるし…なんかイラッとするというか…マイペースというか、空気読めないというか…あれ天然だったらもう処置のしようがないわね」
「で、でもホラ、いつも僕たちのこと気にかけてくれてるじゃないですか!」
「あれは私たちを巻き込んじゃったって事からの義務感みたいなもんでしょ?なんかこういうの仕事っぽいし……根本的に馬が合わないっていうか…いや、ほんと助けてもらっておいてこんなこと言うの最低だけど…ごめんなさい、今なんかテンションおかしい」
「確かにそういう時ありますけど!僕に至ってはかなり!でも今はそういう時じゃないというか……兎に角、芯一先輩に謝ってきて下さいよ!それか励ますか!そういうのは彼を凹ませた本人がやらないと意味ないんですから!さ、早く!」
「ん…わ、わかったわよ……ってか何でそんな焦ってるの?」
いいから!と何故か珍しく焦っている暁の言われるがままに、隅っこにうずくまって何かぶつぶつ言いながら指でくるくると床に丸を書き続けてる芯一に近づく美紋。
余談だが、芯一は『裏側』にいる間『異元展開』で身体強化している。それは五感も例外ではない。
「あ、あの~……芯一先輩…さっきはその、ちょっと言い過ぎたかなって……」
「……」
「だからその……ご、ごめんなさい……」
「……ない」
「…はい?」
「………足りないよぉ」
「…え、ええっと……何が、でしょうか…」
めんどくせぇ…と思っちゃダメだ、と自らを律するがもうそれを考えた時点でアウトな美紋。瞬間、バッと芯一が立ち上がり、勢いよく振り向く。
「月ヶ谷美紋ちゃん!!」
「っは、はひ!」(うわ、びっくりしたぁ!)
「君には圧倒的に誠意が足りなさすぎる!!俺は色々言われてもあんまり気にしないけど!気にしないけど!!」
(いや絶対気にしてるだろ)
「ほぼ初対面の後輩の女の子に!しかも助けてあげた女の子に!」
「うっ」(それを言われると流石に罪悪感が増すわ…)
「あんな心にもないことを言われてしまっては流石にこの俺もちょっと傷ついたので!!美紋ちゃんには今から俺の言う方法で謝罪をしてもらいます!!」
「…え、えぇ!?」
ハッ、っとそこで彼女は後ろからの目線に気づく。そこにはいつもと変わらないニコニコと笑みを浮かべる暁。だが、彼女は知っていた。その笑顔は人(主に友人)を弄ぶ時の笑み。いわばSモード。
(そういえば、私が具合悪いとき暁君と才蜂先輩が何やら話してた気が…ッ!?)
ハメられた、と気づいた時にはもう彼らの手の平の上。妙に急かしてきたのもこのためだったのかと思うとたまらなく悔しくなる美紋だったが、もう遅い。すっかりペースを握られてしまった。
「そうですよ美紋さん、今の謝り方はちょっと誠意が足りなかったですかね。僕から見ても。せっかく危ないところを助けて頂いたのにそれはちょっとどうなんですかねぇ~…」
「くっそ!最初からそういうハラねアンタたち!」
「いや~何のことやら全く分からないなぁ~…それにぃ?君、俺の事あんまよくわかってないみたいだから教えてあげないとねぇ……」
「な、何、ちょっとやだ、こ、来ないで!何されるの?ねぇ私何されちゃうのこれから!?」
前も後ろも敵。嗚呼哀しい哉、今この場に美紋の味方は一人もいない。
いやぁああああ!!という悲鳴が生徒会室に虚しく響いた。
○○○
「う、うぅううううう………」
「うんうん、良きかな良きかな。中々似合ってるよぉ」
「僕も長年美紋さんと一緒にいますけど、中々どうして制服以外の彼女を見るのはこんなにも新鮮なのか…今度レポート作成しますね」
「つ、作らんでいいわ!!もう……何なのこれぇ…恥ずかしさで死にそうなんだけどぉ……」
結論だけ述べるとするならば、そこには一人のメイドさんがいた。
黒と白をモチーフとした、いかにもメイド服といえばコレ!感を残しつつ、スカートの丈が少し短かったり胸元がかなり見える仕様になっていたりと、色々現代版に改良されている服を着たメイド美紋がそこに爆誕していた。
「いやぁ、精神体ってこういう時に便利なんだよねぇ。生徒会室にあった服をつっき―の『異元』にちょちょいっと調整しちゃえば一瞬でお着替え完了しちゃうんだもんなぁ」
「そもそも何で生徒会室にこんな服があるんですか……それに、もしかしてつっきーって……」
「え?君のあだ名だけど?」
「…う、うわぁ……勝手に決めちゃうとか…」
「あ、才蜂先輩。昔あったのはみあぽんとかエクスゴリラ―とかなんですがそっちはどうでしょう」
「んー、そうだなぁ。エクスゴリラーとかいいかも。独特で」
「つっきーでお願いします!!!」
うぅ、何でこんなことに…と項垂れる美紋。こんな服、彼女は今まで着たことがないためとても形容しがたい違和感を身体のところどころに覚えていた。
例えば脚。妙にスース―すると思ったら太もも丸出し。白ニーソと黒い古風の靴しか膝から下は装着されておらず、勿論防止用のスパッツなどもない。つまり下手な動きをすればおパンツ丸見え。
そして胸元。さぞ豊満な胸の女性が着たら破壊力抜群なことだろうが、残念ながら美紋レベルだとそれほどの破壊力は無さそうだ。むしろどこからか鐘の音が鳴ってきそうな程残念な感じさえある。
だが、美紋は美少女も美少女。艶やかな黒髪を一つに束ねた故に見えるうなじと、首筋から背中にかけてのラインの露出も助けて何とも一部のマニアに馬鹿受けしそうなほど妖艶な雰囲気を帯びている。
また、胸がない分空手のおかげで適度に筋肉のついたスレンダーな腰回りや足の綺麗さといったら博物館に銅像として出ていてもおかしくはない程だ。
「………、ッ!!」
この服の仕様が欲望に非常に忠実に作られているとようやく悟った美紋は、一気に恥ずかしさが爆発する。最悪だ。誰だこんな破廉恥な衣装を考えたのは……と今の不条理な状況に耳まで真っ赤にしつつ、申し訳程度の長さのスカートを片手で押え、申し訳程度の面積の胸元のフリルを片手で抑える。
「悦いぞ悦いぞ~、その表情!その羞恥心!やっぱりコレがないとねぇ!生徒会の女性陣はこういう恥じらいが足りないんだよねぇ…いやぁ新鮮で良い!」
「わかってますねぇ、才蜂…いえ、芯一先輩。美紋さんの表情で一番美味しいのはこの表情です。出会ってすぐコレを引き出すとは…恐れ入ります」
「何悠々と人を見世物にして感想語ってるのよこの変態共!」
正直ちょっと泣きそうだった。こんなにじろじろ見られると、こうも恥ずかしいものなのか…と、世に出ているモデルさんたちのすごさを身をもって現在体験中の美紋。
「あー、まぁあんまり長くやってもらっても流石に可愛そうだから、もう服取り替えるね」
えっ、と思わず声が出てしまう美紋。まだ着替えて数秒しか経ってないのだが、実のところこんなにも早くこんなフザけた儀式が終わるとは思ってなかった。もしかしたら芯一は自分が思ってたほど良識のない人間じゃなかったのかもしれない、と少しほっとした美紋。
「あ、じゃあお願いしm」
「芯一先輩、芯一先輩。ダメですよ大事な事忘れちゃ。まだ美紋さんに謝罪してもらってないじゃないですか。『ご主人様、この度は私めを助けて頂いたのにも関わらず、ご主人様の大切なお言葉について、この卑しい私めが口を挟んだこと深くお詫び申し上げます、何でもしますのでどうか許してくださいませ』が足りないと思うんですけど」
一瞬空気が凍り付く。何が恐ろしいって、こんな冗談のような事を彼は真顔で吐き出すということだ。流石に美紋も暁がここまでのものとは思ってなかった。どうやら彼も、先程から張り詰めていた緊張感から解放され、テンションがおかしくなっているらしい。
「え……あ、あぁ…うん、そう…そう、だったね!」
「ちょちょ!待ってください!何で才蜂先輩も乗り気になってるんですか!?もう十分でしょ!そ、そこまで!?そこまでやらなきゃダメなの!?」
「いやぁ美紋さん。助けてくれたのに恩を返さないばかりか、先程の事に関して謝罪もないとは…ちょっと……」
「え、えぇ!?何で真顔で言ってるの!?冗談よね?いつもの!暁ジョーク!は、あはは、面白い!面白いわねいつにも増しt」
「YA☆RE」
「…………………………うぅ……そもそも何で私が…」
それでも渋る美紋に、暁は一瞬目を細めた後、軽く溜息をつく。
「…早くしてください。別に、簡単なものでも構いませんので」
「……え」
美紋は思った。暁は愉しんでいるのではなく、本当は怒っているのかと。突然雰囲気が変わった。いや、というか最初から若干おかしいとは感じていたのだ。いつものSモードよりやや温度が低かったように思う。
振り返れば、いくつも思い当たる節があった。せっかく助けてくれた先輩に対し、たいして良く知らないのにサムイとか言ったり馬が合わないだとか陰口を言ったり。先程もすぐやめようとしてくれたし、本当はずっといい人なのかもしれないのに。そして想像した。
もし、自分が助けた人に対してそんな事を思ったり言われたりしたら、相手はどう思うのか。
自分の未熟さ、一方的な視点でしか見れない愚かさを嘆いた。いくら緊迫した状況だったとはいえ、相手を不快にさせたことには変わらない。そう思うと、自然と目頭が熱くなってくる。謝らなきゃ、と今度は本気で思った。
「才蜂先輩…その、本当に……すいません。…私、正直、陰で先輩の事良く思ってなかったんです…そうですよね、助けて頂いたのに、こんな事思っちゃって…まだよく知らないのに、あんな、グスッ、酷い、事を…」
ダメだ。ちゃんと言わないと。口に出したせいか余計に感情が高ぶって、涙が邪魔をしてうまく言えなくなってしまう。
だが、美紋が言葉を続けるより先に芯一が目を見開き、驚きのあまり叫ぶ。
「え、えぇ!?何でそこで!?やっぱり暁君やりすぎだよぉ!いくら彼女を元気づけるためとはいえ、これじゃ逆効果じゃないか!話が違うんだけどぉ!?」
「…へ?」
一瞬何を言ってるか美紋は理解できなかった。え?何?私を元気づける…?今のが?と、混乱の渦へと陥り頭が真っ白になる。
「い、いや、おかしいですね。そんなはずは…美紋さんはもう少しイジっても大丈夫なメンタルを持っているはずですが……というか、僕が急いてるのは別の理由が…」
「いやどんな理由でも現に今泣かせちゃってるじゃないか!君の言った通りにやったつもりだけどねぇ!あと最後のは流石にやりすぎだと思うなぁ俺は!…あぁ泣かないで!あ、今その服も交換してあげるからねぇ!」
いそいそと美紋の肩に手を当て、服を交換する芯一。あ、ありがとうございます…と半ば反射的に例を言う美紋であったが、いまだに状況が飲み込めてない。
「あと、俺の事はまぁ好きに言ってくれていいからねぇ…って言うと誤解されそうだけど。大丈夫、薫は君の何十倍も酷い事言うから俺も慣れっこだしぃ!あと空気読めないとかはよく言われるから、全然気にしなくていいよぉ」
「いや、本当にすいません美紋さん。僕たちはただ単に気分が浮かない様子の美紋さんに元気になってもらいたくて、つい…というか、ン…っぷ、顔、…美紋さん顔……ッは、鼻水…拭いて…ンッフw」
「………………………………………………………………は?」
しょうもない茶番につき合わされた挙句、勝手な思い込みによって一人だけ感傷的になり、あまつさえ涙まで見せてしまう醜態を晒した美紋。彼女がようやく状況を理解したその後、般若ゴリラと化したメイド美紋により、新たな『癒紙』が数枚必要になったのは最早語るまでもない。
○○○
『ルダ』という『異怪』の事は前に聞いたことがあった。あまりに強烈、あまりに奇抜なその概要に、耳にしたのは一度きりだが未だに内容を鮮明に覚えているくらいだ。
まず、ほぼ全てが不明。体長や重さ等の見た目に関する部分は勿論、そもそもどんな『異怪』なのかという判断材料が少なすぎるのだ。
その情報の少なさに帰結するのが、ルダに遭遇した人間が生還するケースが極めて稀だという事。当然、目撃者からの情報がなければルダについての輪郭を捉えようがない。
そしてその危険性は、『大量の人間が一度に消え去る』という怪奇極まる事件によって浮彫にされる。その数実に数百人。どこかの国の軍隊か調査隊か何かが、帰路の途中に遭遇してしまったらしい。
現に、その現象を把握する頃には全てが終わっていた。このような『怪奇現象が起こった後』の形跡でしかルダの持つ情報が判断できず、それもあたりの『異素』から使用していた『異跡』は『結界型』の擬態系統である事と、いくつかの召喚型である『異跡』の跡が残っていたくらいだったという。
しかしながらそのルダがいつ、どこで、どうやって現れるかという確かなデータは存在してなかった。
目の前の男の口からルダの事を聞くまでは。
「貴様…何故今まで私にそのような事を黙っていた、『G,1』」
「あれェ?言ってなかったっけかァ?まァさほど問題でもないから別にいいっしょ」
「……、今はそれよりも状況把握が優先だ。今我々はどうなっているのだ」
こんな状況でもおちゃらけている『G,1』に校長が眉間のしわを増やしながら問う。
「そうだなァ……んー、さっき言ったけどルダの体内にもう迷い込んじまってるンだなァこれが。このままだと俺らの『異元』を吸収されてぶっ殺されるか、ルダの体内の障害によってぶっ殺されるか、召喚された『異怪』によってぶっ殺されるかの三択だっちゃなァン」
ひい、ふう、みいといちいち指を折りながら選択肢を示す『G,1』。そのアホ臭い仕草と口調に対し自らの苛立ちを懸命に押える校長。
因みに隣にいる祓間は完全に蚊帳の外なので、今日の夕飯何にしようか等と考えている事がバレないように真面目な顔つきを保っているのであった。
「……まずはその、体内の障害とやらを、詳しく聞かせて貰えるかな?『G,1』クンン?」
ひくひくと口端と眉を痙攣させながら問う校長。かなり限界に近い。というかちょっともうキレてる。
流石にふざけが過ぎたと思ったのか、単なる切り替えだったのか不明だが、『G,1』の声のトーンが少し下がる。
「…まァ、なんだ。こういうヤツだよ」
瞬間、壁がぐにゃりと歪む。視覚的な歪みではなく、物理的な歪み。その歪みはどんどん広がっていき、床や空間にまで影響を及ぼしてくる。
「おーおォー、早速始まりやがったなァ…ルダの『鳴動』」
周囲の『異素』ですらより歪な性質へと変化し始める中で、それによって『異元展開』していない祓間の状態が悪化する前に、『G,1』が彼を結界で保護する。
段々歪みが増長し、元の風景の原型がなくなってくる。常人であれば異形の『異素』も手伝って認識機能に障害を起こし、発狂しうる事態である。
にも関わらず、校長は眉一つ動かさずにやれやれ、といった風に眉間に手を寄せた。
そして、一声。
『静 ま れ』
圧倒的なまでの『異元』が辺りを侵食し、支配する。
これは強制的な『命令』や『侵略』に近い。彼の『異跡』はまさしくそういうモノだった。
「おー、ひっさしぶりに見たわ、マーちゃんの『異跡』。相変わらずぶっ飛んでるよなァ」
「…だから私には直柔真言という新たな名が……まぁ、マーズよりかはいいか…」
「いいのかよ」
先程まで『裏側』の中でも異空間と呼べるほど大きく変貌していた学校の廊下だが、今は元通りおとなしくなっている。いや、おとなしくさせていると言う方が正しいか。
「確か、こっちだと『言霊』って言うらしいなァ、お前の『異跡』。ある程度までなら自分の言った通りに空間あるいは世界そのものを『改変』しちまうんだっけかァ?レアな『改変型』の中でも間違いなくトップだわなァ」
「…その代わり燃費もトップレベルだがな。何より使い勝手も良くはない」
ふぅ、と一息つく校長。彼の『異跡』はかなり規格外なモノで、効果も絶大だが非常に不安定な面もある。言葉に出した事柄ならば何でもその通りになる訳では勿論ない。
彼の下す『命令』が曖昧であればあるほど、効果が薄れる反面持っていかれる校長の『異元』は増す。
さらに『異跡』を用いる時、対象にどれだけの情報を彼が持っているかによって大きく効果が異なる。よって高度の『異元感知』は不可欠であり、咄嗟に状況に対処するならばほぼ常に『異元感知』を行使し続ける必要がある。
長年この『異跡』を使っている校長でも未だに扱うのが難しい事がしばしばあるのも悩みの種だ。
「……なんか…さっきめっさ動いてましたね……」
「気分に問題はないかね、祓間君。隣の阿呆が結界を張ったはいいがもしもの事があってはな」
「まぁ、はいええ。特には何とも。と言うか………意外と世話焼きです?」
これを俗に不意打ちと言う。鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした後、ウウン、と咳ばらいをし眉を顰める。
「…心配をするのは当たり前だ。ウチの教師が欠ける度に、その分また数を補充するのは些か面倒なのでな」
「うっわ…ジジイのツンデレ……いやこの場合はデレツン?とかないわー需要ないわァ~」
「今すぐ貴様に『便器の水で窒息して死ね』と命令してやろうか」
「いやそれだけはホント勘弁してマジでホントすいませんっした」
それに私はまだ五十代だ、と付け加える校長。ワンチャンジジイに差し掛かっているその年齢に苦笑いで返す『G,1』だった。
「それで、『G,1』。勿論、『ルダ』から脱出する方法はあるんだろうな?それに……」
「あァ、はいはいィっと。アレだろ?まァ俺たちは脱出できてもガキ共がって話だろ?……大丈夫だ。ガキ達がやられる前に、俺たちがルダを|ぶっ殺せばいいだけの話よ《・・・・・・・・・・・・》」
「……アミュールはどうする」
「………、アイツなら問題ないんじゃね(適当)…なんか殺しても死ななそうだし」
「…あの、お話ししているところ悪いのですが、色々と大丈夫なのですか?」
不意に、祓間が話を割って入る。それには当然、分かりやすすぎる理由がある。
再び廊下がぐにゃ、ぐにゃりと曲がりだす。今度は一か所ではなく複数。
「あーあー、マーちゃんの『異跡』切れちゃったよ。昔より時間短くなっちまったんじゃねェかァ?えェ?オイ」
「…それに関しては返す言葉もないな…兎に角、ここを切り抜けるぞ」
「ハイよォ、脱出方法は闘りながら説明すっからよ…」
『G,1』のグローブが淡く発光する。地震の揺れとはまた違う、特殊な鳴動が三人を襲う。
「…そんじゃまァ、ぼちぼちやるとしますかねェ!」
ボロボロ暁「で、では、美紋さん。改めてどうぞ」
美紋「……何がよ」
暁「いやだから、例のセリフを゛ッ」(腹パンを喰らう)
美紋「いや何でよ!もういいでしょ!何で今更そのくだりを蒸し返すのよ!」
うずくまる暁「…いや、ほら、需要があるので……ほら、この辺でファンサービスしとかないと…ぐふぅ…」
美紋「ファンサービスって…メタい……う、うぅ…わかったわよ、やればいいんでしょやれば!……ご、ご主人…様、この度は、私めを…」
暁「声が小さいです!もっと大きく!」
美紋「うぅうう…、わ、私めを助けて頂いたのにも関わらず!この、い、いや…卑しい…私めがっ…」///
暁「あ、違いました美紋さん。美紋さんは特に卑しくはないので」(胸を見ながら)
美紋「そ、そう…って、どこ見て言ってんのよ!?」
暁「ええと、そこ、筋肉隆々の私めがでお願いします。はーい、じゃ、テイク2行きまーす」
美紋「ちょっとォ!!」
芯一(…別に謝ってもらうとかどうとかはぶっちゃけノリで、本当はどうでも良かったんだけどこの二人見てるだけで面白いから止めないでおこ)




