黒い城
彼は侍臣を遠ざけ、一人暗い謁見用広間の玉座に座り、物思いにふけっていた。
端整な彫りの深い顔に憂愁の色をにじませ、唇はきっと結ばれている。
きっと機嫌が悪いに違いない。そう思った侍臣たちは彼を畏れ、呼ばれるまで近づこうとしなかった。
ただでさえ気分屋の王だ。これまでにもちょっとした過ちを問われ処刑されたものは数知れずいた。
日は傾き、コルヴァドールの山並みへと没しようとしていた。
夕暮れ時の光線が、黒い大理石で造られた大広間に微妙な陰影をつくり出している。
ふと、彼は、考え込むのをやめ、顔を上げ広間の天井を見上げた。
天井一面に華々しい戦闘風景が描かれている。
彼の遠い祖先が活躍した、大昔の戦争<ヴァーマ>の様子を再現したものだ。それも彼の祖先“ゲルシス”が武勲を立てた場面を中心にして。
“ゲルシス”は<十二神>のうちでも最強とうたわれた、<地王>ジョルキオンの侍者だ。戦いで数多くの功名を立てた。その功あって彼は<半神>に列せられたのだった。ゲーセール一族がこの地上に初めて名を表した時だった。
(だが、俺は、ゲルシスの子孫ではない)
この事は、このレリュアでは彼だけしか知らない。
いや、正確にはもう一人いたのだが、もうだいぶん前に亡くなってしまった。
(過去などどうでもよい。王たる俺は己の欲するまま前へ進むだけだ。)
この数ヶ月のレリュア近隣の情勢は、彼、レリュアの<悪王>ことイリジオ=ゲーセールが未来への希望を膨らますのに十分なほど好ましいものだった。
(もう、あと一歩だ。あと一押しであの国は亡び、俺は欲しいものを手に入れる。)
彼は手を挙げて叫んだ。
「ええい、辛気臭い。灯を明明とともせ。今宵はコスの奴輩を屈服させた勝利の宴ぞ。」
柱の陰にいた廷臣達は、やれやれといった表情で肩をすくめ、そして急ぎ王の命に従った。
謁見用大広間は、イリジオの祖父ダルマティオ狡猾王が、金に飽かせて改築した広大かつ豪華なものだ。それまでのホールの何倍もの大きさのものを欲した。ダルマティオはトリアランやコスとの交易で得た大金を投じこの大広間を造り上げた。
広間は二千人がらくらく収容できるほどの広さがあった。
そして今やそのホールを凡そ二千人余りが埋め尽くしている。
イリジオ配下の近衛騎士団“黒騎士”だ。既にヤヌ酒やタイヴァン・ワインやエールで酔っ払った彼らは足を踏み鳴らしたり、互いに声高にしゃべりあったり、テーブルの上の珍味を肉汁を滴らせながらがつがつ平らげたりと騒々しいことこの上ない。
だが玉座の上のイリジオ王はそんな彼らのふるまいに一向に頓着しない様子で、ぼんやりと視線を虚空に漂わせながら、タイヴァンのビンラージに時折口をつけている。
宴が酣になった頃、騎士たちの間から悲鳴のような喚声が上がった。
黒い鎧兜をつけた騎士の群れが一斉に一方向を指差しどよめいた。
「コス!コス!」
「畜生め。こやつらに直ちに死を、王よ。」
怒号する騎士達の間をかき分け、一人の気難しそうな背の高い老人が三人の打ちひしがれた人々を王の前に導いてくる。
ゴブロン織りの黒い高価そうなマントを羽織ったその老人とは凡そ対照的に、三人の衣服はすすや泥に汚れところどころ破けていた。
口々にわめき叫ぶ人々の中で、三人のうちの一人がきっと顔をあげた。
若い女だ。切れ長の目をするどく光らせ、背を伸ばし玉座のイリジオ王をにらみつけている。その様子はいかにも誇り高く、彼女が身分の高い一族の者であることをうかがわせた。女は口を開いた。
「イリジオ王よ。私たちをどうするおつもりですか。我々はあなたの示した条件をのみ、コスの城と町を明け渡したのです。さあ、今度はあなたが約束を果たす番。」
そして女はきっと鎌首をもたげ、イリジオを見据えて言った。
「王よ、即刻、我々を解放しなさい。」
「カカカカカカ。」
奇妙な声で、突然王は大笑した。傍らの小姓は青ざめ緊張した眼差しで、そっと王のほうを盗み見た。王は紅潮し、大変機嫌がよいように見えたが、実は激しい怒りを爆発させる寸前であることは、長年仕えた彼の廷臣達は皆よくわ
かっていたのだ。
イリジオは女に向かって言った。
「余は王だ。お前たちの王だ。王たる者、配下の者どもと対等に約定などせぬ。」
そして玉座の右手に座り、口元を油でてからせながら鹿の腿肉を貪り食っている太っちょの若い男に声をかけた。
「ローヴェール、お前はコスの攻略に功があった。この女をお前にやろう。」
「なんと。」
太い男は、太鼓腹をゆすりながら驚きに目を見張り立ち上がった。
「コスの総督の姫君をこの私に下さるのですか。」
「お前は余の甥ではないか。遠慮はいらぬ。」
ローヴェールは口をぬぐい、王の前にぬかづいて言った。
「有難く頂戴いたしまする。」
「なかなかに気の強い女子だ。取り扱いに注意いたせ。」
「いや何。このくらい気の強い女の方が楽しみが増えるというもの。」
王とローヴェールは二人顔を見合わせ、ニタニタと笑いあった。
「私を、私をどうするおつもりです。」
二人の様子にただならぬ邪悪さを感じ取った女は不安に顔を青ざめさせながら叫んだ。
「お前は私の奴隷になるのだ。」
「何ですって。この私を・・・。」
「ふん。朝から晩までこってり可愛がってやるよ。私の責めはきついぞ。」
そこで王が口を挟んだ。
「ローヴェール、この間ゲスの人買いから買った女はどうなった。」
「死にもうした。」
平然とローヴェールはこたえた。
「女と一緒に商人から買った媚薬を飲ませたり塗り込んだりして一週間ほど楽しんでおりましたが、突如口から泡を吹いたと思ったら事切れておりましたわ。」
「カカカカカカ。」
またしても奇妙な声で王は笑った。
「この女はもう少し長くもたすが良いぞローヴェール。少々値が張った獲物だ。コスのために流した血を考えると、二ヵ月ほどは生かし楽しみが良いぞ。」
「・・・」
声もなく女は床に倒れこんだ。
その時だった。女の横にいた若い男がすばやく動き、衛兵を押しのけ玉座の王へ突進した。
とっさのことで王の周りの廷臣達も止めようがなかった。
「イリジオっ、死ねい。」
男は叫び、手に持った短剣をきらめかせ王の襟首をつかんだ。
しかしそこまでだった。
太っちょとは思えぬ軽い身のこなしで、いつのまにかローヴェールが駆け寄り、すばやい動きで剣を一閃させる。
ローヴェールの剣は男の頭頂部を切り取った。
血と脳漿を撒き散らせ男は王の上に倒れこんだ。
イリジオは無造作に男の死体を押しのけ、玉座のしたに蹴り落とした。
先ほど三人の捕虜を先導していた老人は、今や、王のとがめるような視線を受け、がたがた震えだした。
「トレロス。短剣を隠していたことに気づかなかったのか。」
「し、調べはいたしたはずですが・・・。」
「レリュアに無能の男は要らぬ。」
そして王は衛兵をあごでしゃくり命じた。
「こやつを連れて行け。正面の城門からくびり吊るすがよい。」
諦め、観念しきった表情の老人を二人の衛兵が引きずり出していく。
「とんだ茶番続きですな。」
剣にこびりついた血をべろりとなめながらローヴェール卿は言う。
ローヴェールの傍らにはコスの虜の最後の一人が事切れていた。用心のためにいつのまにか殺したらしい。
一連の出来事で、さすがに大広間はしんと静まり返っていた。
いらだたしげに立ち上がってイリジオは叫んだ。
「ええい、辛気臭い。もっと飲め。叫べ。騒げ。これしきのことで何だお前たち。武名を十二国にとどろかせた“黒騎士隊”の名が泣くぞ。」
王の言葉に元気を取り戻した黒騎士達は一斉にどよめき叫んだ。
「おうおう、王よ。王こそ不死身のお方。」
「我らイラーの地獄の底まで王についていき申さん。」
人々は再び活気を取り戻し、笑い叫ぶ声や食器やグラスのたてる音がホールにこだまする。
宴も終わりに近づこうとしたときだった。
顔を緊張にひきつらせた若い伝令の騎士が広間の人々を押しのけ、玉座の前に額づいて言った。
「国境の宰相閣下の陣から内密の使者であります。」
「おお、老サイロフが何を言ってよこしたのか。」
騎士は一礼すると玉座の階段を駆け上がり、王に近づ
き何やら耳打ちした。
騎士の言葉に王はさっと顔色を改めた。
しばらく目を閉じ、腕を組んでじっと考え込む王の姿を、ローヴェールはじめ側近たちはじっとみつめていた。
突然、王は目をかっと見開き、剣を手に玉座から立ち上がって叫んだ。
「聞け、皆の者。宰相がよこした報せによると、ブルク神がサロゴンに現れたらしい。」
大広間の騎士達は会話や飲み食いを止め一斉に王に注目した。そして次の言葉を待った。
「なぜだかは知らぬが、かの国は<十二神>の恩寵を失った。この時を余は待っていたのだ。」
王はそこで言葉を切ると剣をきらりと抜き放ち、頭上にかかげ言い放った。
「天帝の寵を失ったサロゴンはもはや我々の切り取り次第ぞ。我がレリュアは今より、即刻サロゴンへ向け進軍いたす。」
二千人の騎士達の歓声と怒号が大広間をゆるがす中、イリジオ王は玉座を立ち、ゆっくりとした足取りで王宮の奥へと消えていった。
(サロゴンという国も欲しいが・・・)
険しい表情をつくりながらイリジオは心の中では甘美な期待に胸を躍らせていた。
(もうすぐ、あの女を手に入れられるのだ。姫を。サロゴンの見目麗しき姫君を。)
まだ見ぬサロゴンの美しい王女の白い裸身を思い浮かべながらイリジオ王は側近に尋ねた。
「コスの“忘却神”の徒の生き残りの女はまだいたか。」
「“忘却神”カレーグの神官の娘を一人捕らえてあります。」
「そいつで良い。余の寝室へ連れてまいれ。それからローヴェールを呼べ。女と一緒に来いと言え。」
命じながら、王はにたりと邪な笑いを浮かべた。
「コスの女二人をローヴェールとさいなみながら、サロゴン攻略の方法を考えるといたそう。」




