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さいはての都

 パイウォーターは、寝椅子に横たわり、海を見ていた。

 晴天の光を受け、穏やかに打ち寄せる波が白く光る。

 この日和の良い日にベランダに出て、寝そべって、飲み物をすすりながら、海を眺めるのは実に気持ちがいい。

「・・・<莫王>は手強かったな。」

 思わず発した独り言に、後ろから男の声が答えた。

「ん、何か言ったかい。」

 パイウォーターは寝椅子の上で体をねじり、声の主を見た。

 そこには背の低い人物がいた。小人といっていいほど彼は小さかった。

 パイウォーターは彼に言った。

「何でもない。一人ごとだ。」

「ん、そうか。あんた、飲み物のお代わりは良いかい。」

「ありがとう。もう一杯もらおう。」

 パイウォーターは杯をさし出した。

 小人はそれを受け取り、飲み物をなみなみついで、氷をうかべ、再びパイウォーターに差し出した。

「ありがとう。ときに、ヴェイルよ。これは何だ?酒でもないようだが。」

「正体のわからぬものを飲んでいたのかい。」

ケタケタとヴェイルは笑った。そして答えた。

「これは“サイ”だ。精神を和らげる作用をする。我々に古来から伝わる飲み物だよ。」

 確かに“サイ”と穏やかに打ち寄せる波は、殺気立っていたパイウォーターの心を次第に落ち着かせていく。

 ここは<さいはての都>と呼ばれる都市だ。

 かつて<まつろわぬ者たち>が建設したといわれるまち。

 今は住人は、ヴェイルと、彼をしたってあつまってくる<もの言う獣たち>しかいない。

 建物の多くは打ち捨てられ、廃墟となっていた。

「<莫王>は強かった・・・。結局打ち負かすことはできなかった・・・。」

 苦々しげにパイウォーターは言った。

「あんた、へぇ、<莫王>その人と戦ったのかい?そりゃ命あっただけでも物種じゃないか。」

 目を丸くしてヴェイルは言った。

「彼の領土に入ったら、一人で、手下も連れずに、俺に打ちかかってきやがった・・・。」

 パイウォーターは目を閉じた。

 <莫王>とは、砂漠の支配者だ。

 その広大な不毛の地は、神々のものでもなく、又、英雄たちのものでもない。

 <莫王>の正体はわからない。

 <ヴェーマ>直後のどさくさにまぎれ、いつのまにやら砂漠の支配権を確立したのだった。

 まあ、砂漠は支配してもあまり益のない地だから、<神々>も<英雄>も黙って彼を見過ごしているのだ。

(しかし、若タレクなどは少々腹に据えかねているらしい。)

 パイウォーターが<神々の領土>の中にある、サラゴン王国へ向かうには、どうしても<莫王の領土>を通る必要があった。

 彼が<莫王>の地へ足を踏み入れるとすぐに、目の前に一人の異装の人物が立ちはだかった。

 火炎を形どった黄金のかぶと。赤い金属でできたギラギラ光る鎧。羽織ったマントも赤く、右手に諸刃の矛を持ち、

それをブンブン振り回している。

 <莫王>その人に違いなかった。

 彼は言った。

「やあ。ようこそパイウォーター。あんたと決着をつける時が来たようだな。」

 そう言うと莫王は矛を振りかざし、いきなり、パイウォーターに打ちかかってきたのだった。

 二人は激しく刃を交わした。莫王は口から炎を吹き、パイウォーターに浴びせた。

 パイウォーターは済んでのところでそれを避け、剣を振るい莫王に切りつけた。

 二人の周囲を火炎が取り巻き、赤く彩っている。

 灼熱の中、二人は長きにわたって死力を尽くして戦ったが中々決着がつかない。

 そのうち、夜の帳が下りようとしていた。

 すると莫王はいきなり矛をひいて、パイウォーターの前から姿を消したのだった。

 再び苦々しげに舌打ちしてパイウォーターは言った。

「くそ、済んでのところで奴を取り逃がしてしまった。もう少しだったんだ。奴をやっつけられたのに・・・。」

「<莫王>を打ち負かしたところで、骨折り損なだけさ。<英雄>や<神々>ならともかく、領土を持たぬあんたに得になることは一つもないよ。」

 そう言ってヴェイルは彼を慰めた。

 苛立つパイウォーターの心に、ヴェイルの言葉はやさしくしみとおる。

「ありがとう。友よ。では、俺は、これからに備えてしばらく眠るとするか。」

「<アイ=ダイ>というわけだね。」

 わけしり顔に澄ました声がした。それはヴェイルのものではなかった。

「ゆっくり眠りたまえ英雄パイウォーターよ。戦を忘れたまえ。刃をしまい、詩を口ずさめ。女を口説き、長い髪の香りに陶然となったあの日を思い出したまえ。」

「彼は、どうも俺は苦手だな。」

 苦笑しながらパイウォーターは言った。

「ロキは良い奴さ。ずっとあんたを崇拝してる。」

 ヴェイルは言った。

「の、ようには見えんが。」パイウォーターは言いながら、ヴェイルの傍に、いつの間にか座り込んでいた茶色の犬に向かって微笑んでみせた。

 先ほどの声の主は、その犬だった。

 ロキは<もの言う獣たち>の一人だ。

 彼らは、かつて<まつろわぬ人々>の同盟者であり、<ヴェーマ>後、わずかに残ったその生き残りは、ヴェイルのもとに集まり、細々とくらしている。

「秘めたる崇拝というのは、中々相手に伝わらんものさ。」

 そう言ってロキは片目をつぶってみせた。

「ありがとう、ロキよ。」

 そう言ってパイウォーターは寝椅子から立ち上がり、二人に言った。

「眠るとするよ。<アイ=ダイ>だ。俺をしっかり守っておいてくれ。頼む。」

 そう言って、彼はヴェイルとロキに頭を下げた。

「何を水臭い。俺たちに任せておけ。」

 ヴェイルが言った。

「ゆっくりおやすみ。パイウォーター。」

 ロキも言った。

 パイウォーターは手を振り、与えられた自室へと去っていった。



(彼女をずっと追いかけている。長い黒い髪、青く切れ長の、インク壷を思わせる瞳。彼女は・・。彼女は・・・。)

「何を見てるのよ、パイウォーター。」

 クスクス、彼女は笑った。

 パイウォーターは平和なひと時を過ごしていた。

 彼女と。そう、ルルドと。

 彼らは見渡す限りの草原の只中に横たわっていた。

 落ちようとする陽光に赤く色づきはじめた草木が輝いた。

 此処はとある男爵領バロニィだ。名前は忘れてしまった。

 夕暮れを告げる大寺院の鐘の音も耳に入らぬほど、二人は夢中で愛しあった。

 彼らは、ともに、かつて旅をした。二人で敵と戦った。そして愛しあったものだ。

 パイウォーターは透きとおるような彼女の白い肌にそっと口をつけた。

 その時、ルルドは遠くを見る眼差しをしていた。

 幸せだった。彼女と別れの時が訪れるまでは。

 ある朝、目覚めると、傍らに寝ていたはずのルルドの姿は消えていた。

 パイウォーターは焦らなかった。

 よくあることだ。

 ルルドは、パイウォーターと共に旅をしながら、突如忽然と、姿を消すことがあった。

 一日や二日はざらのことで、時には一月近くも姿を見せないこともあった。

 パイウォーターは平気だった。結局最後は自分のもとに帰ってくるのだ。

 だが、その時は妙に引っかかるものがあった。

 漠然とした不安。それは見事に的中した。

 その晩、パイウォーターは“若”タレクに呼び出された。

 そこは敵陣近くの洞窟だ。<ヴェーマ>第六期戦争が始まろうとしていた。

 驚いたことにタレクの傍には、<英雄ロード>の長、ギュリアードがいた。滅多にないことだ。何か重大なことが起こったのだ。

 そして、それは、ルルドに関することだ。

 青ざめた顔のタレクは、険しい顔をしてパイウォーターを睨みつけた。傍のギュリアードは腕を組んで目を閉じている。

 やがて、タレクは、パイウォーターに、ある衝撃的な事実を告げた。彼は驚きのあまり、剣を取り落としその場に崩れ落ちた・・・。

 そこでパイウォーターは夢から覚めた。

 彼は汗をびっしょりかいていた。

 タレクは夢の中で何を彼に告げたのか。

 覚めた今となってはもはやわからない。

 それが彼にはもどかしかった。

 ルルドの秘密に関わる重大なことのはずだった。

 それは、膨大な日々の生を生きてきたパイウォーターにとって、今となってはよみがえらせることができない記憶だった。

 かろうじてそれが可能な時がこの<アイ=ダイ>即ち過去を振り返り、楽しみに浸り、苦しみを吐き出すための催眠の時だった。

「水を持ってきたよ。」

 寝床に横たわるパイウォーターの傍に、いつの間にかヴェイルが立っていた。

「ありがとう。」

 力なくパイウォーターは答えた。

「あんた、大きな声でうなされていたよ・・・。」

 ヴェイルは慈しむような眼差しをパイウォーターへ向けた。

「いつも、同じところで目が覚めるんだ。それがもどかしい。今回もそうだ。ルルドとの思い出の核心部分に触れることができん。」

「そうなると、あんたは壊れてしまうかもしれんよ。」

「俺は、もはや長く生きすぎた・・・。」

 パイウォーターの声は血を吐くような苦しさに満ちていた。彼の目は涙をたたえている。

「もし、秘密を知り、それが原因で壊れてしまったならば、それも良いよ。俺はもう疲れたよ。」

「休むんだ。また、しばらく眠るがいい。<アイ=ダイ>は終わった。もう今度は過去を振り返るつらい眠りではなく、あどけない、普通の夢を楽しむがいい。」

 そう言って、ヴェイルはパイウォーターの両手をそっと優しく握りしめた。

「おやすみ、パイウォーター。」

 そう言って、ヴェイルは灯を吹き消した。

 暗闇と静寂に包まれ、パイウォーターは、いつしか深い眠りに落ちていった・・・。


「英雄とは辛いもんだね。」

 ロキが言った。

 ロキとヴェイルは炉の傍に座り込み、並んで燃える火を見つめている。


「ああ、そうさ。俺たちもたいがい長く生き、いろんなつらい目を見てきたが、パイウォーターは俺たちの2倍も3倍も、いやもっと長い生を生きてきたのさ。」

 ヴェイルはそう言って炉にシチューの入った鍋を置いた。

「明日の朝、奴にこれを食わせてやろう。精がつく。」

「<アイ=ダイ>はやらねばならん行事なのか。」

 ロキがたずねた。

「ああ、そうさ。他の<英雄ロード>たちは百年くらい平気で眠り続ける。その間、心に溜まったいやなものはすっかり忘れ、洗い流されてしまう。そうして、長い間生き続けるために、心の均衡を保っているのだ。」

 ロキは黙って聞いている。

「だけどパイウォーターの場合は、アロギオンの呪いを受け、永遠に彷徨い続ける運命を科せられているから、長時間眠り続けることができない。だからああやって頻繁に<アイ=ダイ>を行う必要があるのさ。」

 ロキは黙り込んだままだった。深く考え込む眼をしている。

 ヴェイルが言った。

「俺たちは少ししか力になることができん。しかし、できる限りのことはしようじゃないか。なあ、ロキよ。お、いけない、シチューが煮えすぎちまう。」

 あわてて、ヴェイルは炉から鍋を下ろした。

 <さいはての都>の夜は、静かに更けていった。


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