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序章

パイウォーターは、一昼夜ほとんど飲まず食わずで旅をしてきた。

 『タレクの地』と呼ばれるこの辺りは、見渡す限り荒野原で、砂漠とまではいかないにしろそれに近い。いじけたように低く地を這う潅木以外には、緑と呼べるものはない。あとは、ごつごつした岩の塊がそこら中にごろごろところがったり、突如断崖がそそり立ったり、兎に角旅人にとっては過酷な土地であることは違いなかった。

 日差しは容赦なく照りつける。こんな場所では、一刻も早く心から癒される場所、せめて一杯のエールと簡素な食事にありつける場所を求め、進むしかない。

 だが、四方八方見渡しても、家ひとつ見当たらない。

(タレクは何を好んでこのような場所に住んでいるのか・・・)

 パイウォーターは内心毒づいた。

 それにしてもこの方角で合っているのか。目指すタレクの住処へとたどり着けるのか。パイウォーターに一抹の不安がないわけではなかった。

 何せ方角などわからなくなる程のだだっ広い平原なのだ。

 だが、間違いはなかった。

 彼が歩むにつれ、少しずつだが、タレクの気配が強まっていくのが感じられた。彼の努力は、その後数時間経ってようやく報われた。

 最初は、山かと思った。

 彼の眼前の断崖上には、途方もなく巨大な建造物がそそり立っている。その頂は、雲でもかかっているのではないかと思うほど高い。

「タイレルゴーン」

 彼はその建築物群の名を呼んでみた。

 タイレルゴーン。それは、タレクがその中で昏々と眠り続けるための居城だ。

 彼は立っていた小高い丘を下り、タイレルゴーン城を目指し歩き出した。

 彼の行く手を一人の男が遮った。

 乞食のようなぼろぼろの身なりだ。彼の纏っている衣服は最早ぼろ布と化している。

 男は手にした杖を振り回しながらパイウォーターに向かって叫んだ。

「お前は何者だ。」

「俺は旅の剣士だ。ミレキーノという。」

 パイウォーターは、彼がこの辺りで使っている名で答えた。

「では、ミレキーノ。お前はこの先へは進めぬ。もと来た道を帰るがよい。何人もタレク様の眠りの静謐を乱してはならぬ。」

 男の眼は血走り、狂気を宿していた。

「狂える巡礼・・・」

 パイウォーターはつぶやいた。

 狂える巡礼とは、タレクや老シレノスを崇拝するあまり、彼らの居城に詣で続ける者共

をいう。

 タレクや老シレノス、それに彼ら『英雄ロード』の長たるケードは一切の宗教を禁じた。

 しかしそれでは人々の苦痛を癒す術は何もない。

 人々の鬱屈した力は、『英雄』を熱狂的に崇拝することで放たれ、かろうじて世界の調和を保っているのだ。

 巡礼は杖を上下に持ち引っ張った。すると中から刃が現れた。

(仕込み杖か)

 厄介だが、少々手荒い真似をせねばならぬ。パイウォーターは覚悟を決めた。

「どけ。俺はタレクに用があって来たのだ。」

 その瞬間、男の眼がきらりと光り、刃を振りかざし飛び掛ってきた。

 だが、すぐに男の体は頭から地面に叩きつけられた。

 仕込み杖がからんころんと音を立て飛んでいった。

 男は地面に伸びていた。何がなんだかわからぬといった風情で白目をむいている。

「殺しはせん。ただ、今後はもう少し相手を見定めることだな。」

 言い捨てて、パイウォーターは城の方へと歩き去った。

 近づけば近づくほど、タイレルゴーンはその途方もない全容をあらわしてきた。

 幾百と数え切れぬほど無数の尖塔がそびえ、城壁は大山脈の如く高く連綿と広がっている。

 城の中心部には一際高く巨大な建物が他を圧し聳え立っている。黒い石造りのそれは、荒涼たる景色を更に悪夢の如く見せている。

 その塔の何処かがきらりと赤く光ったようにパイウォーターには感じられた。

 やがてパイウォーターは城門の前にたどり着いた。

『神々』と『英雄』たちの闘争ヴァーマが精妙に彫り込まれた鉄製の巨大な扉が行く手を遮っている。

 しかしパイウォーターが扉に少し触れると、それは重くきしんだ音を立てながら左右に静かに開いていった。

 パイウォーターは城内に入った。

 広大な城内にはまったく一人の人影もない、いや気配すらなかった。

 彼は大城門前広場を突っ切り、館の正面へ続く階段を昇っていた。

 階段の両脇には、彫像が並んで立っている。

 剣を振りかざす者、騎馬を操り獅子叱する者、あるいはうなだれ物思いに耽る者。

 それは『英雄』たちの彫像だ。それらはまるで生ける如く、『十二の神々』と死力を尽くして戦った往時を物語っている。

 ふと、パイウォーターは、一人の馬上獅子叱する立像に目をやった。

 彼の口には木の枝が突っ込まれてあった。そのためか、像の主は、幾分呼吸が苦しそうに見える。

 パイウォーターは思わず笑い出しそうになった。こんな子供っぽいことをするのは、この城の主タレクの仕業に違いない。

 像は『英雄』の一人、ヘイダルのものだった。

 ヘイダルとタレクは、平素仲が悪かった。

 パイウォーターは館の中へ入った。

 薄暗い館はひんやりと涼しく、荒地の酷い日差しに疲れた彼の体を癒した。

 幾つもの扉を通り抜け、彼はやがて大きな広間へと出た。

 一軍団がそのまま収容できるほど広大なホールだった。薄暗いホールに、荒野を照りつける強烈な陽射しが硝子越しに降り注ぎ、そこだけ切り取ったかのようなまばゆい光の空間を創り出していた。

 ホールの奥は暗くてよくわからないが、どうやらひな壇があり、玉座がしつらえてあるらしい。

 暗さにようやく慣れてきたパイウォーターの眼に、玉座に座りながらうごめく影がうつった。彼は思わず身構えた。

「俺だ。パイウォーター。久しぶりだな。」

「タレク・・・。あんた、『大神殿』の奥津城で横になっていると思っていたよ。具合は良いのか。」

「あんたをわざわざこうして呼んだんだ。寝ているわけにもいくまい。」

 そう言いながら、タレクは玉座から立ち上がり、階段を、こちらへと下りてきた。その足どりは幾分よろめいている。

「いやあ、百年ぶりの目覚めといったところだな。やはり久しぶりの陽の光は強烈だね。」

 そう言いながらまぶしそうにタレクは眼を細めた。

 そんな彼の様子をパイウイォーターはじっと見つめている。

 タレクは、旅を続けるパイウォーターに突如として通信を発したのだった。

 それは「英雄」どうしの、昔ながらの連絡方法だ。

 互いの夢に現れるのだ。

 パイウォーターは、〈ケードの地〉にいた。

 彼の地の支配者“静寂しじま”のケードの居城ヴェイルハーランをやり過ごし、〈千の都市の支配者〉を自称する〈水の主〉の妾の一人をたらし込み、彼女の臥床を一夜の宿とありついたところだった。安眠を貪るパイウォーターの夢にタレクが現れ、そして言ったのだった。

「すぐに来てくれ。タイレルゴーンで待っている。」

 そこで、パイウォーターは急いでここにやって来たというわけだった。

「で、用とは何なのだ。タレク。」

「まあそう急かすな。折角来ていただいたんだ。ゆっくり楽しんでいってくれ。」

 そう言うやタレクは右手を上げ大きく振り下ろした。

 すると、城の全ての物が急に生気を取り戻したようだった。

 彼は次に、左手を高くさし上げた。

 するとホールの燭台は灯り、大勢の人々が入って来て忙しく働き始めた。

 あっという間に彼らはもてなしの仕度を整え、一礼して静かに去っていった。

 大きなテーブルにはみずみずしい花々が飾られ、おいしそうな山海の珍味が湯気を立てている。

「さあ、席についてくれ。」

 タレクはパイウォーターを促した。

 二人は貪るように食べ始めた。

「相変わらず見事な食欲だな。」タレクの食いっぷりに感嘆してパイウォーターは言った。

「あんた、そりゃ、百年も寝てたんだぜ。腹も空くわな。」

 牡鹿のモモ肉にくらいつきながらタレクは言う。

 彼が、肉を、魚を、野菜を、果実を、嵐のごとく平らげていくにつれ、やつれ果てていた彼の体はみるみる生気を取り戻していった。

 タレクはようやく食事を終えた。今や彼は往年の姿をすっかり取り戻していた。肩や胸の筋肉は盛り上がり、二頭筋ははち切れんばかりにふくらんでいた。しょぼついていた眼は今やまなじりが裂けんばかりにかっと見開いている。

 感心した様子で、そんな彼をパイウォーターは見つめている。

 ややあって彼はタレクに言った。

「他の〈英雄〉たちとは、ここしばらく連絡をとっていないのか。」

「いや、いつになるかわからんが、ケードの居城ヴェイルハーランで、俺たち6人は会合する予定だ。俺たちが寝ている間に、俺たちの領土のあちこちにほころびが出たらしい。それを改善する方策を練るのだ。」

 重々しくタレクは言った。

「俺はケードから指令を受け、他の者への連絡役をおおせつかった。老シレノス、リュレク、ポルークには連絡をとった。ところがヘイダルだけはつかまらん。やつの夢の中に入ることができぬ。俺を入れぬようだ。」

 苦々しい様子のタレクにパイウォーターは言った。

「あんたとヘイダルは仲が悪かったからな。特に最後のころのあれが、ほら、悪いよ。」

「ヘイダルの手柄をとったというやつか。〈ヴァーマ〉十三期戦争の時だな。」

 タレクはいまいましそうに舌打ちしながら、ぶどう酒の杯を手に取った。

「ヘイダルはオーダ神相手に苦戦していた。あのままじゃ奴の大鍬で突き殺されていたぞ。そこを俺が助けてやったんだ。感謝されこそすれ、何で俺が奴に憎まれなければならんのだ。」

 タレクが口を尖らせながら言うのをパイウォーターは黙って聞いていた。

 しかし彼が思うところは、凡そタレクの言い分とは逆のことだった。

(ヘイダルは十中八九、オーダをやっつけてしまうところだった。それをタレクが横取りしたのだ。)

 その時、タレクはオーダ神のみならず、彼の妻で性愛の女神ダーラをも葬り去ったのだ。その功あってか、〈ヴェーマ〉後の、ケードによる論功行賞で、タレクは序列三位と定められたのだ。

「ま、どっちにしても、今となってはどうでもいいことさ。それにヘイダルなんて、来ようと来まいと俺はどっちだって良いのさ。」

「ところで、俺への用件は何なのだ。まさか俺もヴェイルハーラン城へ招待されたわけではあるまい。」

「あんたおかしいこと言うね。」

 ケタケタ笑いながらタレクは言った。

「ケードに楯ついて、あんたは〈英雄〉から追放されたんだ。あんたがケードに招かれるわけないだろう。」

「では何だ。」

「実はな。」

 急に声を落としてタレクは言った。

「サラゴンへ行ってもらいたい。」

「サラゴンだと?〈神々の領土〉ではないか。なぜそのような場所に俺を行かすのだ。」

「サラゴン王ウロボスの次女にミアンという者がいる。」

 目を落としてタレクはつぶやくように言った。

「ミアンという定命の者に、永遠の命を持つ英雄タレクがほれてしまったというわけか。」

「馬鹿にするな。」タレクは怒鳴った。

「彼女はな、ルルドの生まれ変わりなのだ。」

(ルルド・・・。)

 久しぶりにその名をきいてパイウォーターの胸は高鳴った。

「彼女の血は、数奇な運命を辿り、サラゴン王家へと流れ継がれた。それは事実だ。ロイア、アリソア、レギーネ・・・王家にはルルドの面影をそっくり受け継いだ王女が幾人も現れ、そして死んでいった。彼女ミアンもその一人だ。」

「あんたは、ルルドの血を定命の者が引き継いでいくのを、そっと見守れば良いではないか。何を今さら自分のものにしようとする?」

「ミアンの命は危機にひんしている。ルルドの血は絶えるのだ。」

 タレクは言った。彼の眼は血走っていた。

「なぜかというとサラゴンは滅亡の危機にひんしているのだ。俺にはそれがわかる。〈天帝〉アロギオンは〈使者神〉ブルクをサラゴンへ向け発した。これは、サラゴンの滅亡を意味する。俺の言うことはわかるな、パイウォーター?」

 パイウォーターは重々しくうなづいた。

「ではサラゴンへ行ってくれるか。そしてミアンを救い出してくれ。これはあんたの為でも・・・」

「それ以上言うな。」タレクの言葉をさえぎってパイウォーターは叫んだ。

 彼の気迫に押され、タレクは黙り込んだ。

 ややあって、パイウォーターは言った。

「仕方がない。サラゴンへ行こう。しかし〈莫王〉の地を越え、さらに〈結界〉を越えなければならん。やれやれ、これは大仕事だな。」

「だから、沢山ごちそうしたではないか。」

 片目をつぶりいたずらっぽく笑いながらタレクは言った。

「それに今からちょっとしたデザートを食べていってくれ。」

 そう言うとタレクは両手をぽんぽんと打ち鳴らした。

 すると薄衣をまとった若い女が二人姿をあらわした。衣を透かしてすらりとした裸身が露わだった。女は二人とも完璧なまでに美しかった。

「まさに〈英雄〉色を好むだな。」

 そう言いながら、一人の女の腰にパイウォーターは手をまわした。

「タレク、遠慮なくいただこう。」


 次の日遅く、昼近くになって、パイウォーターは目を覚ました。

 与えられた部屋で一晩中むつみ合った女は、しかし今、彼の傍からは消えていた。

 女の残り香がかすかに漂うのを惜しみながら、パイウォーターはその筋骨たくましい体に上衣をつけ、つば広の帽子をかぶり、マントを羽織った。

 彼は城門を出ようとしたとき、誰かに見られているような気がして後ろを振り返った。

 すると、中庭の緑の茂みの中の女の彫像に目が止まった。

 彼はその彫像に近づいた。

 その顔には見覚えがあった。昨日の女だった。

 パイウォーターは彼女の虚ろな眼差しをとらえ、乳房から腰の線を指でなぞりながら言った。

「また、な。」


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