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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

名無し作家の徒然なる短編

朱鬼

作者: ──

 私はヒトであった頃の名を覚えていない。

 私は異形と化したらしい。緋角の生えた鬼となった。

 鬼、といっても、私は別段、ヒトを襲ったり食らったりするわけではない。ただ眺めるだけ。

 幾年、それを故郷で続けただろうか。やがて、そこに私を知る者が亡くなると、私は緋角を隠して人里を抜けて故郷と別れた。それから別の人里へと向かう。

 私は山に棲み、人里を眺めて過ごした。たまに棲み処を移すのに人里を抜ける。人里にはそのとき以外は降りない。鬼となったためか、人里が変わったためかはわからぬが、今の人里は、私には眩しすぎる。私の愛した家族はもう居ぬというのに、人里はいつも煌々としていて、とても直には見ていられぬ。

 眩しい。昼も夜も。

 明るみは私を寝付かせてはくれぬ。

 だから私はとぼとぼと緋角を隠して人里を歩く。

 人里は眩しいから、と緋角を隠す大きな布切れの帽子で私は目を隠す。

 ああ、そういえば、私は目の色も変わってしまったなぁ。

 人里の建物の硝子に映る私の瞳は角よりは浅い朱。私は暁の色だと思っているが、他から見たらどうかは知らぬ。ただ、以前は琥珀のような深い褐色だった。私はその頃の色は夕暮れだったと思っている。煙でくすんだ人里の日暮れ。あれはあれで美しかったと今にして思う。今の灰色なのに明るい空ほど不自然でなくていい。

 自慢のようで畏れ多いがな。

 しかし、あの頃、まだヒトであった頃の私はあの色が好きではなかった。

 日暮れの色、などと思えるようになったのは鬼となってからだ。


 はて、鬼となってから、一体幾年が過ぎたのだろうか。渡り歩いた人里は一年毎に変えているからそれを数えれば済む話だが、十を越えた頃には数えるのをやめた。昔はこれほど飽きやすい質ではなかったのになぁ……人里も変われば、私も変わるものなのだな。時というものは、そのようにできている。全く、よくできている。

 けれど、私はまだ、ヒトであった頃から変わっていないことがある。確実に言えるのは一つだけだが。

 私は、家族の生まれた日を、今も尚、祝福する。


 少し、昔語りをしよう。私がヒトであった頃の話だ。


 私には父と、母と、弟妹が一人ずついた。

 父に似たとも母に似たとも言われぬ兄弟であったが、兄弟同士はよく似ていると言われた。

 父と母のことはもうよく覚えていないが、二人の弟妹のことは今でも明瞭に思い出せる。

 弟は幼い頃は男でありながら、女と間違えられるほどに可愛らしい面差しをしていた。背もあまり高くなく、それを気にしているようだった。

 背も面差しも、年を経てそれなりになったから、あの頃は気にしすぎだったのでは、と私は思っている。

 妹は私と年が十ほど違い、小さかった記憶が多い。生まれつき、あまり背が伸びないと言われていた。だから、妹の年が十五を数える時でも、あの子の背丈は私の肩ほどにも達していなかった。

 けれど、あの子はそれを気にすることなく、よくからからと笑っていた。自分のことを知るにつれて、辛い時もあったようだが、あの子はそれを乗り越えて笑っていた。

 本当はもう一人、兄弟がいた。けれど、そのもう一人は、一年も生きぬうちに死んだ。それは私の中に残る、ヒトであった頃の一番旧い記憶だ。


 冬の寒い夜、風邪を引いていたもう一人とともに家で留守番をしていた。

 親がいなかったのは少しの間だ。

 だが、容態は急変していた。もう一人の顔色からは血の気が失せ、紅色だった唇は紫へと変わっていた。

 まだ字を学び始めた程度の学しかなかった私はその変化が危険なものとわからず、何故知らせなかった、と親に詰られた。

 赤いサイレンとともに、もう一人は親と車に乗せられて、そのまま帰って来なかった。


 故に、私は赤子に触れられぬ。赤子を見ると、死の際のもう一人の姿を思い出すのだ。手が震えるのだ。私はできうる限り、普通に接していたつもりだが、果たして本当にそう見えていたかはわからない。


 妹が生まれてすぐも、怖くて触れたくなかった。赤色の唇が、紫の色に変わりゆくのを恐れた。だから、腕に抱くには大きいと誤魔化して、拒んだこともあった。

 それなのに私の親たちは、こうすれば大丈夫、などと私に手の回し方を教えて、結局抱かせた。

 少し重いけれど、確かな温もりが、私の腕にずっしりと生きていた。緊張している私に合わせてか、速い赤子の鼓動に私はなんとも言えず、不安で、けれど一つ肚を括ることにした。

 この子を姉として、守ろう、と。


 そう決意した時から、私はその子が生まれたことを祝福するようになった。

 妹だけでなく、弟や、父や母が生まれたことも。祖父母がいることも。

 知りうる限り、全てのヒトが世に生を受けたことを、私は祝った。

 愛しい家族を得られたことを。


 ところが私にはどうしても、自分のその日を祝う気にはなれなくてね。

 忘れられているんだよ。どんなに他のヒトを祝福してもね、覚えていてもらえなかった。

 父母にすら忘れられていた時は絶望を覚えそうになったけれど、私も年を経ていくうち、覚えていることがどれだけ大変か、わかっていった。だから、忘れられても、平気でいようと思った。

 忘れられていれば、自分で、心の中で祝えばいい、と言い聞かせたけれど──私はその日の夕方だけ、家に帰りたくなくて、沈む陽を眺めて、黄昏れていた。

 夕陽とともに沈めたら……なんて、いつからか思うようになっていた。


 色は匂へど、散りぬるを。

 我が世誰ぞ、常ならむ。

 有為の奥山、今日越えて。

 浅き夢見じ、酔ひもせず。


 そうなれたらいいなぁ、と私はその歌に憧れた。

 宗教になどは興味はないが、この世が無常であることを受け入れ、悟りのようなものを得られたなら、私の胸に掬う侘しいばかりの感情を纏めることも、できただろうに。


 やがて。


 生き苦しくて、私は自ら命を絶った。


 これ以上、自分の生まれた日に怯えるのが辛くて、私は死んだのだ。

 下らない理由かもしれない。鬼となった今となっては、もうどうでもいいことだが。

 それでも、鬼としてもう一度生きることとなった私は、他人の生を祝うことはやめなかった。

 罪滅ぼしかもしれない。置いていった者たちへの。

 全てが自己都合で呆れ果てるだろう、私の行動は。

 生きるも死ぬも、自らのためだけだった。


 故郷で、家族の死を見届けた後は、私はもう家族の生まれた日を祝うことはない。

 再び、自己都合の旅が始まり、各地をさまよって、今こうしているのだ。


 私は西を目指していた。

 何故か、というとな。また、生まれた日の話になるんだ。

 私の生まれ月は"神無月"と呼ばれて、各地に住まう神々全てが、とある場所へと行ってしまって、どの土地にも神がいない季節がやってくる。そういう伝承から、呼び名のついた月だ。

 私は、また生を絶とうと思っている。家族も皆いなくなったし、もう未練はないから、鬼となって、成したいと思えることもないし、何よりこの世は生きづらい。

 ただ、最後に、私はもう一度だけ、自分の生まれた日を祝いたかった。ヒトだった頃、寂しく祝っていたようにではなく、素直に、祝いたかった。

 私が西に向かう理由は、神々がその月に集う場所が、西にあると聞いたから。そこではその月を"神無月"とは呼ばず、"神有月"と呼ぶそうだ。

 神のいるというそこでなら、私は素直に私の生を祝えるのではないか、と、そんな単純な考えで、私は歩を進めていた。

 徒歩では遠い道のりだ。けれど、かまわなかった。

 私が捨てた生の分をきっと歩いているのだ。

 随分とやりたいようにやってきたから、別にいい。鬼として続け様に生を得たときから先が長いことは覚悟している。


 おそらく、鬼となったことよりも、続けて生を受けたことに意味がある。

 もしその生の中で、私がヒトの頃に得られなかった悟りとやらが得られたならば、もうけものだ。

 神に会ったなら、その意図を聞いておこう。


 この手記を突き出して。



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― 新着の感想 ―
[一言]  最初は日本昔話のようなイメージで読んでいたのですが、救急車が出てきたということは近代の話……そこから家族が死に絶えてさらに時がたった数十年後か数百年後ということで……SFな景色の中を出雲大…
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