~僕が作った物語~
『僕』は年齢不詳です。
中・高校生くらいかもしれないし、大人かもしれません。
あなたが想像した年齢の『僕』で物語を読み進めてください。
僕は何も書かれていない400字詰めの原稿用紙に向かい、ペンを持って物語を書き始めた。
『フユヒマワリ』
ある日一輪の向日葵を見た。
その向日葵はとても元気に太い茎を伸ばし、太陽の光を、大きな葉と花で受けていた。
それは凜とした姿で美しかった。だが俺は、その姿に恐怖を感じた。この花は、今ここで咲いていてはいけないのだ。
季節は冬。そして、ここは雪の降り積もる道の端にある小さな花壇。
そんなところに、ただ一輪で咲いている夏の象徴とも言える黄色い花。それには、とある噂があった。その噂に信憑性はなく、信じている人間は数少ない。しかし、それは冬に咲く向日葵自体、存在を認められていなかったからであって、実在するとあらば信じてしまうだろう。冬の向日葵はそれ程異常なのだ。
噂はいつ頃からあったのかさえ不明。
しかし、この地域の人間なら誰でも知っている。
『冬の向日葵を見た人は、忘れられる』
その日から、俺の“運命”という名の歯車が徐々に噛み合わなくなっていった。
☆★☆★☆
「久瀬君おはよう」
「あぁ、菅沼か。おはよう」
その日はいつもと変わらない冬の朝だった。高校生である俺、久瀬愁一はクラスメイトの菅沼涼子と一緒に登校することが多い。
足元に積もった雪は、人の靴の裏や、車のタイヤの泥で黒くなっていた。
うつむき加減で歩いていると、不意に菅沼が足を止めた。
「もしかして、昨日のこと気にしてる?昨日も言ったけど、ただの噂じゃない。噂の根源をたまたま見つけただけで、なんの確証も無いんだから、あまり気にしない方が良いと思うよ」
俺は、昨日の帰り道に噂の向日葵を見てしまった。その時は、一緒に帰っていた菅沼と別れたばかりだった。帰宅後、菅沼にメールをして相談したら、同じことを言われた。
「そうだよな。いちいち気にしてたらきりがないもんな。ありがと菅沼」
そう言って再び足を動かした。
教室では、親友の春日井賢二と倉井雅也、クラス委員をしている江宮志保と親友の菅沼涼子。そして俺。いつもこのメンバーで一日を過ごす。
帰りのホームルームが終わると、春日井と倉井が来た。
「愁一、今日江宮が委員会ないってよ。どっか行かね?」
「春日井君。君の“どっか”はどうせゲーセンでしょ?なら僕は、ファミレスとかが良いんじゃないかと思うよ」
春日井は大のゲーセン好きだ。そして、倉井はみんなで話したりする団らん好きだ。団らん好きってのも変な話だが。
「じゃあ、間をとってファストフードでよくね?」
俺は、面倒だったから、とりあえず放課後の定番ともいえるファストフードを提案した。
「なんでゲーセンとファミレスの間がバーガー屋なんだよ!?」
春日井が机に手をつき、嫌そうに言った。
「団らんできなくもないし、それにオモチャだってあるだろ?」
適当にこじつけた理由に感心した様子で倉井が頷いた。
「愁一。それいいね。春日井君はファストフードのオモチャが好きだから」
春日井をからかい笑った。
「バーカ。ゲーセンの景品は取るのが楽しいんだよ。オモチャセットみてぇな付属品じゃ意味ねぇ。つか俺はオモチャなんか好きじゃねぇ!」
俺たちは、その反応に笑った。
そこに帰りの支度を終えた女子二人。江宮と菅沼が集まった。
「よし。じゃ、全員揃ったしファミレスでも行くか」
そう俺が言うと、「結局ファミレスかよ」と不満そうに呟いた。
それが誰だったのかは言うまでもないだろう。
すると、菅沼が、「たまにはいいじゃない」と言って春日井の肩を叩いた。
俺たち5人はそれなりの高校生活を送っていた。
☆★☆★☆
「おはよう。母さん」
朝起きて、リビングでテレビを見ている母さんにいつものように声をかけた。
「…………」
しかし、母さんは何も言わずただじっと俺を見ているだけだった。
「母さん……?」
その時の母さんはいつもと違っていた。
「あ、……おはよう」
「ごめん頭がぼーっとしてて……」
「どうしたの?」と聞く前に、慌てたように付け加えた。
「いつも大変そうだから、きっと疲れてるんだよ」
母さんは一瞬深刻そうな顔をしたが、すぐにいつもの笑顔になり「そうかもね」と言った。
「俺、そろそろ行くけど、母さんは無理しちゃだめだよ」
早口にそう言って、玄関を飛び出した。
愁一が家を出た後、リビングのソファーで深い溜息をついた。
「自分の息子の顔と名前を一瞬でも忘れるなんて……」
本当に疲れているのかしら……。
今日菅沼とは一緒に登校しなかった。
理由は簡単だ。“会わなかったから”だ。
いつも待ち合わせはしていない。たまたま登校時間が重なっただけだ。
だから、会わない日だって当然ある。
しかし最近は待ち合わせをしていたかのように毎朝一緒に登校していた。だから少し寂しく感じる。
そう思いながら除雪作業が施されている学校の敷地内に足を踏み入れ、昇降口でよく見知った人物に声をかける。
「山中おはよっ」
山中涼太郎。江宮と一緒にクラス委員をしている。
「……?」
しかしちらっと周囲を見回した後、少し首を傾げたが、何事もなかったように歩きだした。
振り返ったってことは、聞こえていたんだよな?と、少し気にはなったが、気付かなかったんだろうと思い、上履きに履き替えた。
「おはよー」
教室に入ると、春日井たち以外のほとんどが登校していた。
気付いた人は、おはよと返してくれた。しかし、1人首を傾げ、近くにいた最上和哉に耳打ちした。
俺は、多少2人を意識しながら、自分の机に鞄を置いた。
すると最上は「何言ってんだよ」と言いながら近づいてきた。
「久瀬。お前、山中と喧嘩でもしたのか?」
周りには聞こえないような声で聞いてきた。
「え?」
喧嘩なんてしていない。そもそも山中と喧嘩するほど仲がいいわけではない。
「いやな、山中が変なこと言うんだよ」
「変なこと?」
そう聞き返すと同時にふと頭に“あの事”が浮かんだ。嫌な予感がした。
「そう。山中が『最上は彼と知り合いなのか?』って」
その瞬間、心臓が大きく脈打った。
一体――…
「初めて会ったみたいな感じで“彼”なんて言うから、喧嘩でもしたのかなと……」
何が――…
「なんかあいつ、お前が来る前から変だったんだよな…。教室に来るなり『さっき昇降口
で、誰かに名前を呼ばれた』って」
一体何が起こっているんだ!?
「まさか、あいつ本当にお前のことがわからないんじゃ……?」
原因は分かっている。だが、信じたくはない。
“噂が本当だった”なんて。
☆★☆★☆
「あぁ~っ!やっと終わった」
春日井は午後の授業の終わりを告げるチャイムが鳴ると同時に机に突っ伏した。
「50分授業だから……1日300分の授業ね。私でも疲れるわ」
俺たちはチャイムが鳴り終わると同時に春日井の周りに集まった。
「江宮ぁ~計算すんなよ」
「だって涼子がいなくて退屈なのよ」
菅沼は今日、珍しく欠席だった。
ここにいる3人は、朝の事を知っている。俺が話したからだ。そして、その原因であろうものも。
倉井は「ただの噂だよ。気にしない方が良いよ」と言ってくれる。だが、気にせずにはいられなかった。
3人が楽しそうに会話をしている中、ぼーっと何かを考えていた。
「……愁一!?」
「……!?な、何!?」
春日井が俺の名前を叫ぶように呼んでいたことに気付いた。
3人とも、心配そうな顔をしてこちらを見ていた。
「な、なんだよ照れんだろ。何か。俺に気があんのか?江宮はともかく、男とか……。俺にそんな趣味はねぇよ」
はははと笑いながらおどけて見せた。
半分はノリで、半分は責任感かな。
「んだよ。俺だってお前なんか御免だ」
春日井は右手を上下にひらひらと動かしながら言った。
「私も……」
江宮は申し訳なさそうにうつむきながら言った。
私もって……。俺、そんなに嫌われてんの!?と正直傷ついた。
「僕は愁一のこと好きだよ」
一瞬その場の空気が凍りついた気がした。
隣にいる男は、呆れたようにはぁっと右手で顔を覆った。
「だって、“友達”は好きじゃないとなれないよ」
天然だな
恐らくその場にいた全員(1人を除いて)がそう思ったことだろう。と言っても、教室に残っているのは俺たち4人だけだが。
すると江宮が気まずそうに言う。
「あの……。私、そろそろ委員会だから、行くね」
「え?あ、あぁ、頑張れ」
「うっしゃっ!」
宮が委員会に行った後、ガタンと音を立てて立ち上がったのは、春日井だった。
「帰るか!」
俺は思わずコケた。
「気合入れたから何かと思えば、帰んのかよ!?」
すると、倉井は「疲れてるでしょ」と顔をのぞいてくる。
「そうだぞ。今日はお前もいろいろ大変だったからな。休むのも大事だぜ」
「そうだよ。その方が良いよ」
2人が笑顔で言った。
彼らなりに考えてくれていたようだ。良い親友をもったな。と、そんなことをしみじみと思う。
「ただいま」
そう言って家のドアをあけた。
「おかえり。随分早いじゃない」
キッチンでコーヒーをいれていた。いつもの母さんだった。
「具合どう?」
今朝のことがあり、心配になり聞いてみる。
「大丈夫よ。母さんはタフだから」
そう笑顔で言った。
元気ならそれで良いと思いかけた時、母さんが何かを呟いた。しかし、俺は聞き逃した。母さんの顔から笑顔が消えていた。
「朝ね、ぼーっとしてたんじゃなくてね……」
目の前のその人は、今にも壊れてしまいそうなガラスのようだった。
「本当は……一瞬だけ、思い出せなかったの」
“思い出せなかった”その言葉は、この先に待っている俺の運命の答えのようだった。
『山中が変なこと言うんだよ』
そして思い出される学校での出来事。
「愁一の、顔と名前が……」
『さっき昇降口で誰かに名前を呼ばれたって』
「あなたが誰か分からなくなったの」
『あいつ本当にお前のことがわからないんじゃ……?』
「一人息子のことを忘れるなんて母親失格ね」
母さんが、うつむきながら言った。きっと俺が学校に行っている間、ずっと考えていたのだろう。先ほどとは一変して、疲労がみてとれる。
『冬の向日葵を見た人は、忘れられる』
これはただの噂なんかじゃなかった。本当にあるんだ。冬に夏の花が咲いて、それですら異常だ。なのに、見た人間は忘れられるって……。言葉通り、周りの人間の記憶から欠落していく。今はまだ覚えていてくれる人がいる。でも、それもそう長くは続かない。いつかは春日井も倉井も江宮も、菅沼にさえ忘れられてしまう。健忘症とは違う。“忘れる”んじゃない。“忘れられる”んだ。
「母さんは悪くないよ」
今の俺にはそれだけ言うのがやっとだった
数時間同じ体勢で物語を書き進めていた僕はペンを置き、一度立ち上がり、ストレッチをする。
なまった体が悲鳴をあげる。
数分の休憩の後、再びペンを持った。
☆★☆★☆
銀髪の美青年と、黒髪の小柄な美少女がデートでもしているかのように黄色い花畑の中を歩いていた。青年は一面黄色の世界を見て瞳を輝かせていた。
「ねぇ、トリノ。向日葵って知ってるかしら?」
少女にトリノと呼ばれた青年は、パーカーにジーンズ。そしてスニーカーという装い。彼は、おっとりとした様子で答えた。
「なんだい?ヒマワリ?あぁ、名前だけなら知っているよ。サンフラワーって言われるほどだから灼熱に燃え盛っているんだろうね。確か夏だけに咲く花だよね。一度で良いから見てみたいよ」
少女は呆れたように溜息をついた。
「そんなに燃えていたら、私達は今頃、間違いなくあの世ね」
トリノは首を傾げる。
「サヤ?君は何を言っているんだい?」
サヤと呼ばれた少女はワンピースを着て、サンダルを履いていた。女の子らしい服装だ。彼女は、さらに深く溜息をついた。
「わからないの?向日葵は今あなたの目の前に咲いているこの花よ」
「…………」
彼は無言で年下の少女を見つめた。
「サヤ……今は冬だよ。サンフラワーは夏だろう?」
青年は無邪気な笑顔で言った。
「そう。向日葵は夏に咲く一年草よ。でも、それが冬に咲いている。あなたにどういう意味か分かるかしら?」
「まさか、なにか異変が?」
笑顔は消え、真剣な表情で問いかけた。
「えぇ。それも、人間を不幸にする、ね」
サヤは少し楽しげに言った。
☆★☆★☆
愁一は、部屋でベッドに潜り込み、一日を振り返った。今日はとても良い一日とは言えない。突如周りで起こった異変。母さんと山中が俺のことを……。
その先は考えるのも嫌だった。
ふと時計を見ると、もうすぐ夕方の5時になる。それだけ確認すると、目を閉じる。
余程疲れていたのか、あっさりと眠りに落ちた。
翌朝、母さんはいつもと変わらなかった。
普通に名前を呼び、朝食の準備もしてくれた。まるで昨日のことが夢だったんじゃないかと思うほどいつもと変わらない朝。
「いってらっしゃい」と笑顔で見送ってくれる母さんに対して「いってきます」と笑顔で返して足早に学校に向かった。
久しぶりに笑った気がする。
いつも菅沼と会う道まで行くと、見覚えのある後ろ姿を目にした。
「おはよう菅沼!」
しかし彼女は振り返らない。聞こえなかったのか、それとも—————…。
俺の中で不安がどんどん広がっていく。
走って後ろを追いかける。しかし、少し距離を置いて止まった。その間もどんどん不安は広がり、俺の中の期待を浸食していく。
「す……菅沼!」
再び名前を呼んでみる。すると、彼女は足を止め、振り返る。そして口を開く。
忘れられてしまっているかもしれない。「あなたは誰?」って聞かれるかも知れない。
「あ、久瀬君おはよう」
彼女は確かにこちらを振り返って、しっかり俺の名前を呼んでくれた。忘れられていなかった。
菅沼のもとへ駆け寄る。
「昨日ごめんね。少し体調が良くなくて。あ、でも今は平気だよ。だから心配しないでね」
「そっか。元気になってよかった。」
菅沼の笑顔に思いのほか安心していた。
俺と菅沼はまたいつものように学校へ向かった。
彼女は昨日の出来事は知らないだろう。彼らは俺の為をおもって黙っていてくれたのだろう。俺は良い仲間をもったと思うと同時に不安になった。
「久瀬君……久瀬君!」
「あ……。な、何?」
菅沼に名前を呼ばれ、ふと我に返る。
「どうしたの?大丈夫?顔色悪いよ……。もしかして、昨日なにかあった?あの噂のこととか……」
「大丈夫!何もなかったから」
今の俺は上手く笑えているだろうか。とにかく彼女だけには心配かけないようにしなくてはいけない。
「本当に?何か隠してない?」
そう言って俺に接近してくる。
手を動かし、必死に否定する。
彼女はまじまじと顔を見た後、ニコッと笑い、少し走り、振り返る。彼女の髪が風に揺れる。
「なにかあったら必ず言ってね。約束だよ♪」
俺が頷くと、彼女は満面の笑みを浮かべた。
その時、俺はさっきまでの不安がなくなっていることに気付いた。
「はよー」
教室に入ると、俺たちがするよりも先に右手を挙げてあいさつした。
「はよ。珍しいじゃん。春日井が俺より早いの」
クラスを見渡すと、春日井と倉井の2人だけだった。
「まぁな!この俺にかかれば、早起きなんざ容易いもんだからな」
鼻高々に言った。
「春日井君のことだから、どうせゲームでもしてて、朝になったんじゃないの?」
俺の隣の菅沼が言った。
「な……!?そん
なんじゃねぇよ!!」
親友の慌てぶりを見て、————図星か。と思った。すると倉井が笑いながら言った。
「菅沼さん、いじめちゃだめだよ。春日井君はすぐ顔に出ちゃうから。今朝なんて、いきなり電話で、今日早く行くって言うから、きっと寝たら起きれないって思ったんだろうね」
倉井は今までにないくらいの笑顔だった。
————倉井。お前が一番怖い。
そして、本人は顔を赤くしていた。
「あ、志保。おはよう」
俺たちが春日井の話で盛り上がっていると、江宮が登校してきた。菅沼はそれにいち早く気づき声をかけた。
「おはよう。涼子もう大丈夫なの?」
「ごめんね、心配かけて。でも、もう平気だよ」
江宮は胸を撫で下ろした。
それをみていた春日井は、何を思ったのか、「江宮。もしかして、そんなに心細かったのか?」とからかった。先ほどの彼のように顔を赤くする江宮。
俺は春日井にそっと耳元で囁いた。
「春日井、関係ない女の子を巻き込むのは反則じゃないのか?」
「べっ……別にそんなつもりは」
慌てた表情を見せる春日井に対し倉井が食いついてきた。
「なになに??何の話?愁一は何を言ったの?」
「————んなこと内緒にきまって……っておい!!」
倉井に「実はね」と話はじめようとするのをすかさず止めに入る。
それをみて笑う俺たち。そんなありふれた日常が簡単に壊れるなんて。
☆★☆★☆
「ねぇ、サヤ?」
トリノという青年は隣を歩く少女に声をかけた。潮の香りが漂っている。海が近いのだろう。
「ん……なに?」
サヤという少女は楽しそうに笑っていた。
「どうして、そんなに楽しそうなんだい?」
トリノはゆっくりとした口調でサヤに尋ねた。
先ほどいた向日葵畑もそうだった、と思い出す。
するとサヤは「ふふっ」と笑ったあと、答える。
「トリノにはきっとわからないわ。でも、あえて言うなら、わたしは黒いのよ。えぇ、真っ黒かもしれないわ」
「?」
トリノは呆けたような顔をする。彼のその様子を見て、サヤは更に楽しそうに笑う。そして、青年は「クロ……?」とつぶやく。
「クロって……ブラックのことかい?サヤは白いよ。ホワイトだ。黒くはない」
「…………」
彼女はしばらくトリノをみる。彼は首を傾げていた。
「トリノ。今肌の話をしていないわ」
「え?」
サヤは溜息をつく。
トリノは「違うのかい?」と問う。“黒い”の意味を分かっていない。
「まぁいいわ。よく聞いて。さっきわたしは言ったわね。冬の向日葵は人を不幸にすると」
彼は頷く。同時に彼らは、足を止めた。すると目の前には、青い海が広がっていた。その海岸には2人以外誰もいない。そこはやっぱり冬なんだと思う。
「人間の脳って99パーセント近くが使われていないの。つまり……そうね、ここから見える海全体を脳に例えるなら、使われている1パーセントは、ここに立っているわたし達に例えるのが妥当かしら?事実、そのくらいしか使われていないわ」
「ノウって僕たちの頭のなかにあるやつだよね。1パーセントしか使っていないのかい?なら、残りの部分はいらないね」
トリノは自分の頭を指さす。
「そうね。でもどうして使われていないかわかるかしら」
サヤはサンダルをぬぎ、白い砂浜を裸足で歩く。
「わからないよ。どうしてだい?」
彼女は振り返り、にっこりと笑った。
「わたしにもわからないわ。だからここからは、あくまでわたしの想像よ。人の脳の大部分は、忘れるためにあるの————」
人間の脳の大部分は使われない。しかしその部分は決して何にも使わないわけではない。ものを忘却するためにある。
日常を過ごしていく内に、いつの間にか忘れている記憶。それはそこに入れられ、常に
1パーセントの中にゆとりをもたせている。
忘れていた記憶をふと思い出すのは、その部分に入れられただけで、脳からその記憶がなくなったわけではないからだ。
もし、脳が100パーセント、全体を使ってしまったら、脳にゆとりを作るための部分がなくなってしまう。それでは、記憶の混乱が起きる。1パーセントという狭いスペースなら、それに合わせて収められていたデータ。しかし、そのスペースが大きくなればなる程、そのスペースに合わせてデータのサイズも大きくなる。つまり、現在、忘却のためにしか使われていない99パーセントの部分を取り除き、1パーセントが全体を占め、そのまま脳になったようなものだ。それにより、一度忘れたことは思い出せなくなってしまうのだ。
しかし、その脳の異常の原因を取り除けば、また、元の1パーセントだけをつかう脳に戻るのだ。
そして、その原因を取り除くためにできたのが『冬の向日葵』だ。誰が何の目的でどのようにしてできたのかわからないが、その向日葵を見た人間を、周りの人間に忘れさせることで事の収拾をはかってる。つまり、全く無関係な人間が、異常の原因に仕立て上げられてしまう。それでできた噂が『冬の向日葵を見た人は、忘れられる』だ。まぁ、“見た人”と言うより、“見せられた人”と言った方が正しいのかもしれないが。
とりあえず、その人が周囲から完全に忘れられたとき、その人間は誰にも気づかれぬまま、消えてゆく。
————という何の根拠もない想像だ。
「それで、いつのまにか、何人ものひとが消えてるのよ」
「サヤにしては、珍しいほど根拠がない話だね。いつも理解できないけど、今はさらにできないよ」
サヤは、足についた砂を海水で洗いながら言った。
「あら?いつもはしっかりと説明しているじゃない。理解できないのは、あなたがバカなのよ」
サンダルを履きながら笑う少女。
「僕がバカなわけじゃなくて、きっとサヤが優秀すぎるんだと思うよ」
バカにされても、いつもと変わらぬ口調。サヤはそれにムッとする。
「わたしから見たら、結局バカなんじゃない」
青年は、困ったように笑った。
僕は、少し後悔していた。あまりにも現実離れした話を書いているんじゃないかと思い始めたからだ。
いくらフィクションと言っても、作者さえ説明不能な設定を作って、設定を後付けするとかダメだろ。
溜息をつき、再びペンを握る。
☆★☆★☆
俺たち5人は、学校が終わると、ファストフード店へ向かった。春日井は反対していたが、多数決で決まったことだ。
「気にいらねぇ」
とボソッと呟く春日井。しかし、それは、店員の「いらっしゃいませ」と重なり、かき消された。
皆それぞれでお気に入りのメニューを注文し、席に座って、出来上がるのをまつ。
店のテーブルは4人掛けのため、3人と2人で別れた。当然、男子3人と、女子2人だ。
俺たちの隣のテーブルで向かい合うように座っている菅沼と、江宮はガールズトークとやらで盛り上がっていた。対するこちらは、1名不機嫌なやつのせいで、険悪なムード。
「明日は、ゲーセン行こう」
と隣に座った倉井に耳打ちする。彼が頷くと、春日井に提案をそのまま伝えた。
だが、そんなことで機嫌が良くなるほど彼は甘くなかった。
————完全に成すすべなしだな。
それからというもの、食べてる時も、帰り際にも彼は一言も話さなかった。
いつもうるさいくらいの春日井がそんなに静かなまま別れるのは、なんだか後味が悪い。
だから、女子2人と別れたあと3人で公園に行った。公園のブランコから見える夕焼けはとても綺麗だった。
俺たちがここにいる理由は一つ。春日井が不機嫌になった理由を知りたかったからだ。
いくらゲーセンが好きとはいえ、それでここまで不機嫌になることはない。
きっと彼の中で何かがあったのだろう。それを俺たちはしらなければならない気がした。
「春日井。何かあったのか?今日のお前、あからさまに変だぞ?」
「なんでもねぇよ。それ以外用がねぇんなら、俺は帰る」
彼は、そう言ってブランコから立ち上がると、歩きだした。そこで倉井が言った。
「何でもなくないから機嫌がわるいんでしょ?」
春日井の足が止まる。しかし振り返らない。
「話してよ。春日井君が悩んでいることを」
その時、倉井は俺よりも彼を理解しているんだと知った。
「悩み?んなもんねぇよ」
ふんっと鼻で笑い、言った。俺の隣の男は、急に立ち上がり、叫ぶように言う。
「なんで自分の気持ちを素直に言ってくれないんだ!!言葉にしないと伝わらないことがあるんだよ!」
その声は、静かな公園に響いた。そしてしばらくの沈黙。その沈黙を破ったのは、ほかでもなく、春日井自身だった。
「……悪いかよ。ただの噂に翻弄されて、みんなが愁一を忘れてしまうかもしれない、山中みてぇな奴が増えてくるかも知れねぇってのに、お前らは呑気にしててよ。俺が一人で勝手に悩んで、不安に思って悪いかよ!?」
今にも泣きだしそうな顔。それは、俺が春日井にいかに心配かけてきたかを物語っていた。
「わるい、春日井。俺は皆に心配かけたくなくて、本当はすごく怖い気持ちを抑えてきたんだ。でも、親友にそんなこと言えない。もし言ったらお前らに余計な心配をかけるだろ?」
「愁一、余計な心配って……」
「親友の心配もさせてくれないのかよ!?親友とか言って、結局お前はなにも相談してくれない。それで親友って呼べるのかよ!!」
倉井の言葉を遮り、春日井が言った。
初めて聞く春日井の気持ち。しかし、俺には春日井のそれは重すぎた。どうしたらいいのか分からない。
こんな時、どうするべきなのか————…。
いつも俺を助けてくれたのは春日井と倉井だった。すこし困ったとき、孤独を感じたとき。いつもそばにいたのはこの2人だった。
「愁一……?」
「え?」
倉井に顔をのぞかれて、気が付いた。俺は涙を流していた。泣いていたのだ。
すぐに涙を拭い、正面から親友を見る。
「ありがと賢二、雅也」
俺がそういった時、春日井が、優しく笑った。
翌日、俺はいつものように登校をした。もちろん菅沼も一緒だった。
唯一違う所は、登校時間がいつもより寝坊して、遅いということだけだった。菅沼はそんな俺を、いつも会う場所で待っていた。
道の両端に寄った雪。それをみると、いつも淋しく思う。俺は雪が好きだから、溶けてなくなってしまうのは淋しい。
「久瀬君。昨日私たちと別れた後、何か良いことあったの?」
唐突な質問に驚いた。
「昨日倉井君からメールがあって、詳しくは本人に聞けって」
俺の隣の少女は俺の答えを期待しているようで瞳を輝かせていた。「詳しくは学校で話すよ」と言って逃げるように学校へ向かう。理由は単純で、恥ずかしかったからだ。
昇降口で上履きに履き替え、階段を上る。その間、彼女はずっと俺を期待したような瞳で見ていた。
「おはよー」
教室に入り、いつものようにあいさつする。しかし、しばらくしても返事が返ってこない。聞こえなかったのだろうと、気にせず、春日井と倉井と江宮の元に歩いていく。
その途中、菅沼がクラスの女子に呼び止められた。
「久瀬君、先に行ってて」
そう言われ、3人の元へ向かう。
「春日井。今日はゲーセン行こうな」
昨日言ったことを実行しようと思い、言った。しかし、春日井は一緒にいた倉井と江宮を見た。
「春日井……?」
「お前、誰?お前ら知り合い?」
2人は首を横に振った。
————え?
「久瀬君!」
聞き慣れた菅沼の声がした。俺はすがる思いで声の方を見る。近づいてくる彼女も困惑した様子だった。
「クラスのみんなが、久瀬君を知らないって……」
菅沼の口からそう言われた時、視聴覚が機能しなくなったように視界が暗くなり、なにも聞こえなくなった。
————俺は、結局忘れられる運命だったんだ。
愁一は、『冬の向日葵』を見た人がなぜ人知れず消えていくのか、理解した。
そして、彼もまた同じ。
天を仰ぐように立っていたその場所は屋上だった————……。
☆★☆★☆
物語を書き終えた僕は、ペンを置き、何枚も重なった原稿を読み返していく。
これが黒歴史というものになるのだろう。
だが、今の僕には、書き終えた達成感でいっぱいだった。
よくわからない設定などは「そんなもんか~」って感じでお願いしますm(_ _)m